28日 11時40分
寝れなかった分を稼ごうと必死に眠っていたところ、玄関を開く音がした。
母は畑を見て来ると出て行っていった。
勝手口を玄関のようにしている我が家では、玄関を開くのは外部の人間というのがすぐにわかる。
「ぴんぽーん!」
「……」
やけに幼い声だった。
「とーたーん! むかえにきたぞー!」
「……とーたん?」
まさか家を間違えているのかと、玄関にまで足を運んでみる。
「とーたん?」
「違うだろ」
おそらく腰までもない幼い子供が、じっと顔を見て来る。
子供の視線というものは遠慮がないもので、あまりに真っ直ぐな視線にたじろぐ。
「とーたん、こっち」
腕を引っ張られ、仕方なくついていく。
小さな子供のいうことを断ればどうなってしまうのかくらいは知っている。
大泣きされて痛い目にあうのだ。
どこに連れて行かれるのかと思えば、あまりに近い目的地に驚く。
「おお、葵。ちゃんととーちゃん連れてきたかー」
「うん、じーじ」
溶けた顔で孫娘を撫でるおっちゃんの姿は観れたものではなかった。
「おいおっちゃん」
「どうした健太」
「どうしたじゃねえだろ」
孫娘に赤の他人をとーちゃんと呼ばせるのはどうかしてる。
本当の父親がどう思うか。
葵と言われた孫娘は、ツノナシムシを持ってはしゃいでいた。
おっちゃんをけらけらと笑い声をあげて追いかけ、おっちゃんは本気で逃げている。
「健太。おかえり」
そんな二人をぼんやりと見ていると、家の中から久しぶりの顔が覗いた。
やはり昔とは顔が違う。
いつぶりだったか、そんなことを思い返して、絆創膏だらけの顔を見つめる。
「老けたな、彩ねーちゃん」
「お互いでしょ」
笑顔の片目に、少しばかりゾッとする自分がいた。
左右非対称の髪はボサボサのまま、彼女は気にかけていないようである。
傷だらけの顔と、片目を隠す眼帯。病的に痩せた体に、晒された腕には青黒い痣が浮かんでいる。
「葵、じーじ、ご飯できたから入って」
俺と彩の間を縫って、二人は中に入っていく。
動けないでいた。
このまま中に入るということがどういうことか、それなりに生きてきた俺には分かっていた。
東京にいたままの俺だったら、その敷居はこえられなかっただろう。
「健太」
だからといって、今の自分が超えられるかどうかというと難しいところだった。
心配そうに名前を呼ぶ姉のような存在の彼女が見ていられなかった。
携帯が震える。
おそらくメールだ。
いま見なくてもいいものである。
理由ができた。
これでここから離れることだって簡単にできる。
「ねーちゃんって、やめていいか」
「どうして?」
携帯の震えは止まっていた。
「もうこの歳だろ。なんか恥ずかしいんだよ」
「いいよ。昔は呼び捨てだったものね、生意気に」
それは小学生以前の話だ。
彼女はもう中学生だったからずいぶん大人に見えたものだったが。
「おかえり、彩」
彩は照れたように笑って、手を伸ばす。
「ほら、入って」
伸ばされた左手を掴む。
その手に冷たさはなかった。




