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27日 6時15分

 

「健太、はよ起き。時間やで」


「……」


 ぺちぺちと頰を叩かれる。

 一瞬まさかと思い目を見開く。

 母の顔で安心しつつ、ゆっくりと起き上がった。


「びっくりした。ぱっ! って目開く? 普通」


「腰痛い」


「一緒に寝ても良かったのに」


 なんでだよ。


「カーチャン。まだ6時だぞ」


「何言ってんの。30分から体操やないの」


「体操?」


 まさかラジオ体操か?

 もう30になるんだぞ。

 いまさらそんなところに行かなくたって――。


「ほら、はよしねま」


「でたよそれ」


 はよしねまと言われると気が抜けるのは昔から一緒だった。

 早くしろという意味である。

 顔にぶつけられた服に着替えつつ、洗濯物を抱えた母に声を掛ける。


「歯ブラシ新しいのは?」


「いつものとこ」


「ん」


 洗面台の下。

 歯ブラシのストックがカゴに詰め込まれていた。

 歯磨き粉もたくさんある。


「朝飯はー?」


「帰ってきてからー! カーチャン洗濯干すから、はよ手伝って」


 キャリーバッグから髭剃りを持ってくるとじょりじょりと剃って、いつもと同じ動きだ。

 冷たい水を思いっきり顔にぶつけて、まだ少しばかり残っていた眠気も流していく。


「はよー」


「帰ってきてからでいいじゃねえか」


 ちらりと見た時計は25分に近づいていた。

 体操をやる場所までは5分もかからないが、走るのは避けたい。


「もう25分になるぞ」


「あとタオルだけ。ハンコのやつ取ってくるからやっといて」


「わかったわかった」


 適当にかけ、洗濯バサミで挟む。

 ばたばたと足音が聞こえて、扉を閉めた音がする。

 最後の一枚をかけたところで、声がかかった。


「わかったわかったから」


 気は乗らない。

 やけに蝉が騒がしかった。

 夏はまだ終わりそうにないとか適当なことを考えつつ家を駆け足で出て行く。

 結局走ることになるとは。


「ほっほっ」


 軽々と走っていく母の姿を追いかけて、息の上がる自分に驚いた。

 母はまだずいぶん余裕そうである。


「年取ったなあ」


「なにー? はよはよ」


 なんでこうも走ってまでラジオ体操に行かねばならんのだ。

 家でだってできるだろうに。

 それでもやりたくはないが。


 2分ほどで公園に着く。

 公園といってもここで遊ぶ子供はいない。

 錆びて進入禁止の張り紙がされた滑り台と、鎖が4本ぶら下がっているだけの元ブランコ。

 いまは老人たちの遊び――ゲートボールにしか使われていないだろう。


 もちろんラジオ体操に来るのは、その年齢層と小学生とその親。

 見た限りでは小学生はたったの3人で、一人はラジオの前にちょこんと座って、始まるのを待っているようだった。

 残りの二人はよく似た兄弟のようで走り回っている。

 こんな暑い中よくこうも――。

 と、どうやら俺に気がついたじーさんばーさん勢がざわざわと何か言い始めた。


「蝉よりうるさいやつばっかじゃねえか」


「ほら健太、始まるよ」


 手を引かれてラジオの前に立たされる。


「健ちゃん帰ってきたんか」


「健太ぁ嫁さん連れてきたかぁ?」


「ほっとけ」


 放置しておくのが一番だ。

 と、離れて見えないところでサボろうとしていると。


「健太、おかえり」


「おっちゃん縮んだか?」


「うるせぃ」


 タオルを頭に巻いたおっちゃんは、隣の家の三宅勉である。

 母より10歳以上年上らしいが、昔からよく遊んでくれていた。

 一人娘がいるがそれがどうやら嫌だったらしく、まるで俺を息子のように構ってくれたことをはっきり覚えていた。


「嫁でも連れてきたか?」


「おっちゃんまでそれ言うか? まだ29だぞ。急ぐなよ」


「そうかそうか」


 やけに嬉しそうなのはなんなんだ。


「今日は何かあるか?」


「何かって?」


 腕を振り回して話を聞く。


「孫がツノムシほしーっちゅうんじゃ」


「なんだツノムシって」


「こーゆーやつ」


 ぴっとピースした右手を頭に乗せる。


「カブトムシか?」


「それじゃ。今日取ってくれ」


「あのなあ」


 昼間に簡単に取れるわけがない。

 虫を撮るには明け方に限る。

 それにそもそも、俺は虫が好きではない。


「そんなすぐ取れるわけないだろ。蝉ならまだしも」


「あれはうるさいからいらん言うとったわ」


「わがままなのはそっくりだな」


「よせやい」


 褒めてねーよ。


「っていうか、カブトムシはもう遅いだろ? 7月末ならまだしも」


「そうなんか?」


「多くはないと思うぞ」


 たしか昨日は半分の月くらいだったか。

 満月ではない分、夜の虫取りには向いているが。


「ふぅううううう」


「唾やめろ」


 どこかで見たようなポーズで深呼吸をしているおっちゃんを横目に、深呼吸だけはしっかりとやってみた。

 きっと気のせいなのだろうが、少しばかり、ほんの少しばかり落ち着いた気がした。


「ふぅううううう。これほんまに痩せるんか?」


「おっちゃんいつのテレビ見てるんだよ」


 ハンコに並ぶ小学生を眺め、その後ろにニコニコと並ぶ母を眺め――自分のいなかった日常を見つめる。

 母はここにいる人たちとうまくやっていたのだ。


「じゃ、頼んだで健太」


「……期待すんなよ。明日になるからな」


 なぜだか、おっちゃんに頼まれると断れない自分がいた。

 せめて一匹くらいは捕まえてやりたいところだが。

 そううまくはいかないような気もする。


「健太の分のハンコも押してもらったで」


「そうかよ、よかったな」


 二人で並んで公園を後にする。

 と、なんとなく、遠くに見える生い茂る木に目が止まった。

 あの少女はどうしているだろう。

 もう帰っただろうか。

 朝はまだ起きていないかもしれないし、昼を過ぎた頃にもう一度神社に行ってみよう。


「朝たまごでええか?」


「楽なのでいいよ」


 また少し強くなった日差しに目を細め、影を探して歩き始める。

 脇を走っていく子どもの姿は、日差しより眩しかった。


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