公園
目的地である廃墟につくと、もうすでにみんな準備をしていた。
全体的にほの暗く、放置されて50年は経っているのだろう。壁であった部分の塗装は剥がれ、雨風にさらされ、あちこちかなり傷んでいる。
ガラス張りだったであろう窓は一部を除き粉々に砕かれて、今では骨組みを残すのみだ。
自然とそうなったのか、誰かがいたずらしたのか、今では定かでない。
階段もあるが、木造造りのソレは少しでも体重をかけると簡単に踏み外れそうだ。
「遅いぞー、恭介。男子たるもの。集合の30分前にはついてるもんだ。女子を待たせるべからずってな」
秋風が寒さを誘う中、なぜお前はそんなにも元気なんだと言いたくなる野郎が出迎えてくれる。
彼は秋物コートを腕まくりしている。
「……聡、なんでお前がいるんだ? 陸上部だろ」
「今日は香奈枝先輩に頼まれたんだよ。レフ板と三脚持ってくれって。どこかの誰かはひ弱だから?」
片目をつぶりながら、こちらをちらりと見る聡。
「それ、僕のことか?」
「さぁ、誰だろう」
僕の前の前で肩をすくめながら笑っている奴の名前は有川聡。
僕とは小学校からの付き合いだ。
高校で縁が切れると思っていたのに、どうしてか大学まで一緒。クラスまで一緒とくれば、これはもう腐れ縁以外のなにものでもない。
「あ、久住先輩、おはようございます」
「おはよう、仲原さん。部長は?」
僕は適当に座れそうな花壇に腰かけた。缶コーヒーでも買ってくればよかった。冷気で手がかじかむ。
「部長は先に中見てくるって一人で行っちゃいました。私たちは待機です」
ポニーテールを軽く揺らしながら答えてくれたのは仲原比奈さん。一年生で僕の後輩。この写真部のモデルをしてくれている。
僕の身長は平均だけど、仲原さんは僕より頭一つほど小さい。小柄で小動物のような人だ。
本人に言うと真っ赤な顔をして怒るので、言うのは控えている。
「寒いですね。紅茶いれましょうか? 少しは暖かくなるかもしれませんし」
「いいね。比奈ちゃんの紅茶は美味しいもんな。これで茶菓子があれば言うことなしなんだが」
有川の答えに仲原さんは嬉しそうにバッグを漁る。彼女は趣味で紅茶を入れるらしい。
部室にいれば毎回美味しい紅茶を入れてくれるが、今日は野外なので期待していなかった分、少しだけ気分が弾む。
いつの間にか僕の隣に座った聡が大きな肩を揺らしてハミングしている。
「お前、ここになにしに来てるんだよ。茶菓子が目当てなら帰れ」
「もー、恭介の怒りんぼさん! わかってるって、写真撮影だろ。肉体労働は任せろ」
そう言って鍛えられた上腕二頭筋を見せてくれる。
見せられて嬉しがることもない僕は、さっさとしまえと手でジェスチャーをする。
仲原さんが笑いながら紅茶を入れてくれる。
「聡、お前、紅茶の味なんてわかるのか?」
「美味しければなんでもOK」
ずずずと品のない飲み方をしながら聡が返す。
「有川先輩にそう言っていただけて光栄です。久住先輩はどうします?」
「せっかくだし、もらうよ」
仲原さんを見て苦笑をすると、彼女は少し赤くなって水筒のカップに紅茶を入れ、渡してくれた。
「うぉーい!」
声がした方を見ると、遠くの方で写真部の部長、香奈枝先輩が手を振っているのが見えた。
「有川、ちょっとこっちに三脚とレフ板もってきて」
「ふぁ!? ひょ、香奈枝先輩、今、口にクッキー入ってんですけどー!」
「はぁ? 聞こえないー。ほら男でしょ、はい、走る!」
「ふぁあい! んぐっ」
大声で怒鳴られ、でかい体を恐縮させたかと思うとレフ板と三脚を軽々と持ち上げ、口に入っていたものを無理やり飲み込む聡。
頬にクッキーの残りがついていたけれど、注意してやる気はない。
「じゃ、俺ちょっと行ってくるわ。恭介も、ぼ~っとしてないで比奈ちゃん撮ってやれば?」
土埃でも起こるのではないかという勢いで走っていってしまう聡。
その後ろ姿に僕と仲原さんからはため息。
「有川先輩、すごく力持ちですね」
「それだけが取り柄だしな」
「あ、私はいいですよ。久住先輩は、自分の好きな物を撮ってくださいね」
「うん、ありがとう」
仲原さんは僕に気を遣ってそう言ってくれた。
僕は人間がうまく撮れない。
もちろん、技術という面では他の部員に負けない自信はある。けれど、どうしてだか人間相手だと納得いく写真が撮れない。
モヤモヤした感情が残って、好きになれないとでもいうのだろうか。
笑顔をとっても、泣き顔をとっても、どれもこれもが作り物のようで、それはまるで決められたポーズのようで。
それに、僕の写真にはいてはいけないものが映る。それも自分が撮る写真を好きになれない理由だ。
仲原さんが所在なさそうにしているので、僕はつたない世間話を始める。
「あのさ、今日ね、ここに来る前に死にかけたんだ」
「え?」
聞き取りにくかったのか、仲原さんは体をこちらに向けて首をかしげた。
「トラックにね、ひかれそうになった」
「だ、大丈夫だったんですか!? けがとかは?」
「大丈夫。女の子がね、助けてくれたんだ」
「女の子?」
仲原さんの大きな瞳が僕を見上げている。続きを聞きたいのだろうか。
水筒のカップを一度揺らすと水面に映っている景色も揺れる。
「変わった子だった。その子に言われたんだ、僕が死に呼ばれたって。どういうことなのか、ちょっと考えてた」
「死に呼ばれた?」
「うん」
さわさわと風が鳴く。
風が少し寒くて、手をこすり合わせる。
「死を呼ぶから、写真がうまく撮れないのかな」
それは、呟きのようで、ささやいた言葉はきっと仲原さんに届くようなものじゃなかった。
けれど彼女は僕の前に座り込んで、僕を見て笑った。
「そんなことないです!」
強く、反論される。
その声に僕の言葉は震えた。
「ない。かな」
「死に呼ばれるとか、よくわかりませんけど、私、先輩の写真好きです。どこがとか、うまく言えないですけど。きれいで繊細で、見てるとほわわってなるんです」
「ありがとう」
お世辞でも、嬉しかったので謝礼を述べると仲原さんは不満そうな顔をする。
彼女は自分のバッグに手を伸ばして手繰り寄せると、中から琥珀色の小瓶を出し、
「おまじないです」
そう言って、蜂蜜をスプーンにすくって紅茶に混ぜてくれた。
淡い琥珀色が濃くなる。
一口飲むと少し甘くなっている。
「先輩の写真のこと、変にいう人たちもいますけど、気にしちゃダメです。心霊写真とか、そんなのちょっと幽霊が勝手に先輩のカメラに映りたかったから入っちゃっただけです!」
僕の撮る人の写真には、よく人でないモノが映る。
それを指さされ、いじめられたのは随分と前の記憶だ。
「僕は、写真を撮りたいのかな」
心霊写真みたいな写真しか撮れない自分が嫌になったとかじゃない。写真は嫌いじゃない。
でも今、どうしても写真を撮りたいのかと聞かれたら答えに詰まる。
ではなぜ写真を撮るのか――答えは簡単だ、それ以外にできることがないから。
首を振って雑念を飛ばす。
「ごめんね、仲原さん、変なこと言っちゃって」
「いいんです。久住先輩の愚痴ならいつでも! 先輩を悪く言う人なんて私が撃退しちゃいます!」
両手のこぶしを握り、怒りのポーズを表してくれる仲原さん。
小さい彼女がやると、威嚇よりもかわいい印象だ。
僕のために心を動かしてくれる数少ない人。
口にはしないけれど、大切な人の一人だ。
「ありがとう」
この言葉は嘘じゃない。
そうこうしていると、仲原さんがなにかを言いたげにモジモジし始めた。
「あ、あの、先輩!」
「ん?」
「さっきは先輩の好きなの撮ってくださいって言いましたけど、よかったら、私を撮ってもらってもいいですか? モデルとか、まだ経験不足ですけど、あのでも、頑張りますから!」
励ましてくれているのか、でも、精いっぱいの気持ちは十分に伝わってくる。
ありがとうと、何度言っても足りないだろう。
この子の優しさを与えてもらえる自分は幸せだ。
僕は腰かけていた花壇から立ち上がると伸びをし、頷く。
「うん、わかった。撮影に使えそうな場所を探してくるから、仲原さんはここを片づけてもらえるかな?」
「は、はい!」
嬉しそうにはやく片づけようと行動を起こす仲原さん。
ふと、風が吹くと白いケープと長い黒髪がはためいていた。
少女が着ているのは間違えようもない、横断歩道で見かけた白いケープ。
僕と少女の距離は約2メートルくらいだ。
僕は声を出さずに驚いていると、彼女は首だけを静かにこちらに向け、
「あの子、見てないとダメよ」
そう告げた。
「君は、信号のとこで会った……よね。覚えてる?」
僕の言葉に返事はせず、少女は少しかげりのある顔をする。
「彼女も、死に引きずられてる」
「死に引きずられてる?」
問い返すと小さく頷き、
「貴方も」
そういうと少女は、落ち葉が茂る廃墟の方へと走っていく。
「待って!」
必死に追いかけるけれど風が邪魔をする。
これはどう考えても意図的に風が僕を邪魔しようとしているようにしか思えない。視界をふさぐように木の葉が舞い上がってくる。
それが静まるのを待っている間に、少女は足音と共にいなくなった。