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虚空の鼓動  作者: iliilii
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其の玖

 肆の美鬼は渋面の白をぬらりくらりと躱し、まんまと白の屋敷の離れに居着いてしまった。

 無垢板張りだった離れがやけに煌びやかな朱塗りへと変じたのは青の鬼力によるところで、白は見るからに厭わしげである。

 とはいえ、青は青でなにやら忙しいらしく、離れに一日じっとしていたことなどない。大抵は朝餉の後に出掛け、夕餉をともにすることは少なく、いつ戻ったのかを承知しているのはこの場の主である白だけである。

 青は忙しない身でありながらも朝餉には必ず顔を出し、白と奏の様子に好々爺のごとく目を和ませている。さらに、自ら朝餉の仕度を買って出た青は、毎朝楽しそうに鬼力で三人分の朝餉を用意している。これがまた唸るほどの美味であった。

 奏はおむれつなるふかふかと口の中でとろけるめっぽう芳しい卵焼きをいたく気に入り、青に何が食べたいかを訊かれるたびに、言い慣れない舌足らずを恥じらいながらも「おむれつ」を繰り返していた。

 初めこそ青が母屋にまで出入りすることを渋った白も舌が屈したのか、しばらくすると肆の美鬼の気ままに任せている。


 そのおかげで、毎朝水盤を覗き込む奏の隣に白の姿があった。

 水鏡に映る奏の家族は白と一緒の奏を見てなにやら心得違いをしているようで、毎朝やたらと含みのある笑みを返してくる。

 もうひとつ変わったことは、真名を交わしたことにより締め切られていた板戸が開けられ、広縁から庭を眺めるどころか、中庭に下りてもよいとの許しが出た。

 どことなく薄暗かった屋敷に月の白い光が隅々まで入り込み、屋敷全体がさっぱりと明るい。


 奏は毎朝朝餉の後に、白に庭を案内してもらっている。

「屋敷に囲われている中庭だけです。決して屋敷の内からは出ないこと」

 満面の笑みで何度も頷く奏に、白の顔にも笑みが広がる。

 奏にしてみれば、庭に降りられることより、白と毎朝ともに庭を散策できることの方が嬉しかった。

 白の屋敷は万事控えめに調えられている。特に中庭は奏に可憐な印象を与えた。

 奏にと用意された豪華な屋敷の庭にもあった華やかな花以外にも、奏のよく知る野に咲く花が所々群生し、滾々と湧き出す清水が小さな泉を作り、離れの脇を通って中庭の外へと流れ出る。

 奏は野草に懐かしさと親しみを覚え、白に断り数本摘んでは屋敷に飾っている。


 白は庭を歩く奏の歩みの遅緩さに、十分な滋養と体力をつけさせるにはどうすればよいかを画策する。 

 奏は元々家の中からほとんど出なかったせいか、素足での生活をしていたにしては足の裏が随分と柔らかい。その柔な足を傷付けないようにと、足袋と革草履を与えたせいで歩き慣れないのかと思いきや、家の中を歩く速度から見ても、これが奏の精一杯のようだ。

 白は村から連れ出すときの奏の歩みもずいぶんとゆったりだったことを思い出す。あのときは離れがたさから歩が遅れるのかと思っていたのだが、わずかな距離を呆れるほどゆっくりと歩いただけで息を上げている様子を見る限り、それ以前の問題だったようだ。

 白はそんな奏を見るにつけ、抱え上げてしまいたくなる。その柔弱な足で歩かずとも、常に己の腕の中に在ればよいと思うほどに、その欲は日々強まっていく。

 それは、稀代の鼓動を持つ娘を手に入れた鬼が持つものとして至極当然の欲なのか。

 それとも──。

「白さま、今日は、この花を、摘んでも、よいで、しょうか」

 不意にしゃがみ込んだ奏が息を弾ませながら声を上げた。奏の目の前にあるのはいつもとは違う大ぶりの花。すでに歩き疲れたのか、今日はそれで手を打つことにしたようだ。

 白は二つ三つと花切りばさみで摘み取った花を奏に手渡す。奏は大事そうに胸に抱え、その香りを控え目に吸い込み、綻ぶように目を和ませた。

 そんな奏を白はひょいと抱え上げる。

「お疲れのときは手を伸ばせばよろしい。いつだって抱えてさしあげます」

 半ば奏のせいにしながら、白は腕の中にはにかむ奏を閉じ込めた。


 まるで子供の様に白の片腕に抱え上げられた奏は、恥じらいと嬉しさの隙間から不満が顔を覗かせていることに気付いていた。

 同じ年頃の娘たちよりも、一回りも二回りも小柄な奏は、大柄な白にしてみれば子供にも見えるだろう。

 鬼の界に来て、毎日腹がくちくなるほど食べているのだから、いずれは同じ年頃の娘たちと同じまで育つはずだと思えども、奏にはそれまでと何ら変わらない時の進みが鬼の界は人の界よりも遅いのであれば、奏が育つのもそれに倣って遅くなるのかと思うと気が滅入る。

 このまま白が奏を子供の様に扱うことが当たり前になってしまったら、そう考えるだけで奏の気は焦る。

 今は常に奏に寄り添っている白が、想い人に会いに行っている様子はないが、それは今のうちというだけでこの先も同じであるとは限らない。

 鬼は鬼同士で夫婦となるのではないか。そう思い至れば、他の鬼が人である奏を物のように眺めていたことにも得心が行く。

「いかがなさいました。心音が揺れています」

 気遣わしげな白の様子に、奏はすぐそこにある雪色の双眸をじっと見つめた。白の目には奏しか映っていない。奏はそっと白の首に手を回してその首筋に顔を埋め、身勝手な想いを表に出さぬよう、強く心を戒めた。大切にしてもらっている今を満足とすべきだ。これ以上を望むべきではない。奏はまじないのように繰り返し胸の内に言い聞かせていた。


 誰かのために生きたい。誰かのそばで生きたい。


 声を失ってから、ずっとそう考えてきた奏にとって、主となった白を思い慕うのは当然のことであった。

 村で夫婦となる者たちの大半はそれぞれ家の一存で縁を結ぶ。それゆえ、夫婦となってから互いに想いを通わせていく。奏の知る夫婦とはそういうものだった。


 人はいずれ夫婦となり、子を生み育て、そして死んで逝く。


 それが奏にとっての当たり前だった。

 この想いは、そんな思い込みゆえに生じたものなのか。白と契り、白が主となったからこそ芽生えた想いなのか。それとも、それらとは関わりなく奏自身が白に想いを寄せたゆえなのか。

 奏にはそれがわからなかった。

 自然と白に気持ちが寄り添っていったような気もすれば、契りを境にそれが強くなった気もする。そもそも知らぬうちに白を主と定めた理由が、本当のところではよくわからなかった。

 心のどこかで初めからそうだと決まっていたような気がするのは、そう思いたいだけなのか。


「当代の長共は、なんとまあ、我の強いものばかりか」

 やれやれと顔で語りながら突然青が姿を現した。庭の草木が風もないのに大きくたわみ、奏は驚きのあまり白にしがみついた。

「この場への出入りは許しましたが、もう少し遠慮というものを──」

 迷惑そうに顔を歪めた白に、青は一瞬ばつの悪そうな顔をするも、奏を腕に抱く白の姿ににやにやと品のない笑みを浮かべた。

 そんな青の様子に白は諦めたかのように小さく息を吐く。

「して、なんと」

 白が鋭く訊く。

「この目で確かめぬことには、とまあ、その一点張りで話にならぬ。面倒になったゆえ早々に帰ってきたわ」

 長たちとの寄り合いに白の名代で青が顔を出しているのは、九全域を解し、十全域を成したのが白であることを白自身が口にするのはまだ早い、という青の意見あってのことだ。


 今回、白と奏が真名を交わしあったことを、青の口から今代の長たちに伝えられた。


 域を同じくする鬼は互いにわずかな繋がりを持つ。力の強いものへは繋がりにくく、力の弱いものへは繋がりやすい。

 すでに白との繋がりが薄れていることを悟っているにもかかわらず、長たちはそれを認めたくないのかしらを切る。肆の美鬼ともあろう者が為損ないの名代を務めているのか、と詰め寄りつつ、その意味はひとつしかないことなどわかりきっているにもかかわらず、その事実からは目を逸らす。

「それはもう、手に負えぬほど頑なだった」と青はぼやく。

 青は白に、彼らが自ずと事実を受け入れるようになるまでこの十全域を出ぬよう、再度しつこく念を押した。


 揃って場所を居間に移し、青の手土産の大福を頬張りながら、奏の入れた茶でひと息入れる。

 奏は口元を手で隠しながら大福を頬張り、食べ慣れないせいか口の周りを粉で白く汚していることに気付かないまま至福の笑みを浮かべている。

 ふた鬼の目は示し合わせたようにしばし和んだ。


「弐の美鬼はさすがに分を弁えておったが、肆の剛鬼は余の手にも負えん。あの頑固さは筋金入りだ」

 それはそうかもしれない、と白はなんとも言い難い思いに囚われる。

 肆の美鬼が鬼力で鬼神を支えるならば、肆の剛鬼は胆力で鬼神を支える。今代生まれるはずの鬼神が為損ないだったがために、これまでは弐の美鬼がその代わりを務めていた。

 今更為損ないを支えるなど、肆の剛鬼の秩序がそれを許さないだろう。

「力の差を見せつける必要があるとは思えぬが……十全域を成しているのが何よりの証拠だというに、あれは『試してみねばわからぬだろう』とまあ。何事も過ぎればみっともないものよ」

 青がずずっと茶を啜り、「今代様、もうひとついかがですか」とふくふくとした笑みを見せながら奏に大福を勧めた。一瞬顔を綻ばせた奏は、次の瞬間にはむっと顔をしかめて自分の腹を眺め、隣に座る白を見上げた。すると、奏の目を覗き込んだ白はそれに頷きで応え、白が青に向かって口を開こうとしたところで青が待ったをかけた。

「食べたいのは山々だが、飯が入らぬから遠慮する、というところか。お主らは余にもわかるようもちいと言葉を使いなされ」

「お主に知らせる必要はない。我らが通じておればそれでよい」

 取り付く島もない白のつっけんどんな態度に、奏は思わずといった笑みを見せる。それに青も剽げた顔で応えながら、白に告げた。

「今しばらくは、青が何とかいたしましょう」

 白はその言葉の裏にある思いに気付かぬふりをして、奏の口元を手巾で拭った。


 本来鬼神は、生まれながらに鬼神だ。

 しかしながら青は、真の鬼神は生まれながらにして鬼神ではない、と言う。

 己が存在が真の鬼神となるべく作られたことは、今をもってすれば白にもわかる。

──まことをもとめよ。

 その言葉通りであれば、まことを手に入れずして覚醒はない。

 そもそも、真の鬼神がどのような存在かを白は未だに掴めずにいる。識っているらしき青にあの手この手で訊きだそうとしても、頑なに口を割らない。白にとっては青こそが頑固だと言える。


 考え込む白の一方で、奏はずっと青に訊いてみたいことがあった。ここぞとばかりに試みる。

「セイさま、」

「今代様、青と呼び捨てますよう。今代様の主はビャクただひと鬼」

 奏は話し掛けた途端に青からぴしゃりと遮られ、途方に暮れた。年長者を呼び捨てるなど、奏にはできそうもない。そんな奏の様子に気付いた白が助け船を出す。

「では、人の界ではこのような者を名ではなくなんと呼んでいましたか」

 奏は小さく口の中でうーんと唸りながら「長老、でしょうか」と口にすると、青がそれはもう盛大に顔をしかめた。

「それはご勘弁。せめて、小父くらいにしてはもらえませぬか。いやいや、やはり小父も嫌じゃ。どうか青と呼び捨てくださるよう」

 白がぷっと吹き出す横で、奏は後半分を聞かなかったことにして、しれっと「それでは、おじさま」と言い切った。

 青はなんとも渋い顔で白を睨み付けるも、白は奏に向かってよくやったとばかりに何度も頷いている。

 咳払い一つで気を取り直した青が「して、いかがなさいました」と奏に尋ねる。

「先代様の、コウさまのお墓を参りたいのですが、許されますでしょうか」

「ああ、コウ様は故郷の地に眠っております」

 故郷と聞いて、まさかそれは人の界のことかと、奏はどんぐり眼を見開いた。

然様(さよう)。鼓動を持つ者の亡骸は元の界へと還す決まり」

 墓参りは無理だと悟った奏はがっくりと肩を落とした。そんな奏に青は慌てたように継いだ。

「ビャクが許せば、ではありますが、真名の繋がりが安定すれば、今代様はビャクと一緒であれば人の界にも降りられるようになります」

「は?」

 驚きの声を上げたのは白だった。


「まあ、なんというか、真の鬼神は、まあ、そういうこともできるということで……」

 白は歯切れの悪い青を見て、これは口を滑らせたなと悟った。もしや、奏が訊けば青はあっさり口を滑らすのではないかとの悪巧みが白の脳裏をよぎる。

 白を見上げている奏の目が輝く。

「それでは、家の者にも会えるということでしょうか」

「あー、まあ。ご家族が生きておるうちに、ビャクがまことを得ることが条件にはなりますが……」

 こりゃ喋りすぎたな、とこぼしながら青が天を仰いでどこからか取り出した扇子の先で自らの額をぺちんと叩いた。

「まことを得るとは、どういうことでございましょう、おじさま」

 白の意を正しく酌み取った奏が畳み掛けるように問う。最後の、おじさま、に青の顔が情けなく崩れた。

「それは……いやいや、いくら今代様の頼みとはいえ、それはお答えできませぬ。まあ、お二人で探しなされ」

 青の最後の言葉に白の目がすっと細められる。

 今日の青は口がよく滑る。やはりまことは得るものであり、少なからず奏にも関わりがある。それは、稀代の鼓動がからむことなのか、言霊を持つ者がからむものなのか、単に人としての存在がからむものなのか。

 もう一歩踏み込んで聞き出せないものかと考える白の横で、奏は目を輝かせ「白さま、一緒に探しましょう」と、白に極上の笑みを向けてきた。

「さて、どこに隠れているのやら」

 楽しそうに呟く奏を見て、青は「まあよいとするか」と肩をすくめ、白はなんとかもう一歩踏み込んで聞き出さないものかと、奏を見つめた。

 その後しばらく続いた奏の質問攻めに、青はたじたじとなりつつもそれ以上口を滑らすこともなく、白は心の内で舌を打った。






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― 新着の感想 ―
[一言] 白と奏の世界に青が加わって面白くなってきました。 ただただ二人のイチャイチャがもっと見たいです。 続き待っております。
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