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「信じられねえ」
日ノ宮翔悟は憤っていた。ソファーでは父親の陽が涼しい顔で寛いでいる。それが、ますます翔悟の怒りに拍車をかけた。
「聞いてるのかよ、陽」
三LDKのマンションは親子二人には広すぎるくらいだ。おまけにこの家に陽は仕事でほとんど寄り付かないものだから、実質的には翔悟一人で住んでいる。
「息子の恋人を寝取るなんて、あんた一体どういうつもりだ」
「本気じゃなかっただろう?」
「そういう問題じゃないッ」
つい数時間前までここには翔悟の恋人がいた。しかし、翔悟がくたくたになってバイトから帰宅すると、リビングのソファーの上で、恋人と翔悟の父親が重なり合っていたのだ。
「まさか、お前もそうだったなんて知らなかったよ。ちゃんと俺の息子だったってわけだ」
翔悟の恋人は同性だ。しかし、昔から同性が好きだったわけではなかった。彼女がいた時期もある。つまり、自分はバイだったというわけだ。
そして、陽も同じなのである。
「一緒にするな!俺はあんたみたいな鬼畜な真似はしない」
陽が笑い声を上げた。
翔悟は溜息を吐いた。陽はもうすぐ四十になるのだが、その外見だけでは二十代で通用する。おまけに顔立ちはとても端整で身長もあるものだから、道を歩けば女性から声を掛けられることも少なくない。翔悟の母親とは随分前に離婚していてフリーなのをいいことにあちらこちらと遊び歩いている。
陽がいつの間にか冷蔵庫から冷やしたシャンパンを取り出していた。
「しばらく出掛けないから、飯くらい作ってやるよ」
大儀そうに言って、泡の弾けるグラスを傾ける。
「あんたの顔を見たくないから俺が出て行く」
正直、陽に対しても恋人に対しても怒りがおさまらなかった。
荷物をまとめて玄関に向かうと、グラスを片手にした陽が歩いてきた。スニーカーを履く息子の背を無言で眺める。
「止めても無駄だからな」
「可愛げがないな。久しぶりに二人で水入らずだってのに」
「自業自得だろう」
「まあ、俺は精々この家で羽を伸ばすとしよう」
「孤独にでも浸ってろ、独身中年」
「馬鹿。俺がただで大人しく過ごすわけないだろ?」
翔悟は舌打ちした。
「部屋を散らかすなよ」
「保障はできないな」
「カヲルさんに言いつける」
「・・・」
途端に口を噤んだ父親の様子に少しは翔悟も溜飲が下がる。
マンションを出ると夏の暑さがじりじりと迫ってきた。家出先はすでに決まっている。翔悟は真っ直ぐに駅へ向かった。