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ヒカルとヤコ

 目が覚めるとそこは心地良い暗闇。両手を張り上げて頭まで被った布団を払い退かす。

「朝だ……」

 手を突いて体を起こして何度も瞬きを繰り返す。

 間違いなく私の部屋だ。でも、どうやってここに来たのだろう。どうしても思い出せない。

 ふと壁の時計が目に入る。

「やばい! 遅刻だ!」

 血の気が引く感覚。全身がぎゅっと締め付けられて不可解な気味の悪さが通り過ぎる。

 まるで機械みたいに正確に、そして素早く着替えと準備を済ませた。

「お母さん。私朝ごはん要らない!」

 それだけ伝えて返事を聞く間もなく玄関のドアを押し開ける。強烈な朝日が起き抜けの目には刺激的だった。

 小走りで学校へ向かっていた。のんびりと歩く余裕なんて全然無い。

「五十分のバスに間に合えば!」

 そう言いながら曲がり角を過ぎた私の目の前を、そのバスは悠々と過ぎ去っていった。

「終わった……」

 がっくりと頭を垂れる。もう何をやっても上手くいく気がしない。

「あっれー? もしかしてヤコちゃんさんじゃない?」

 高飛車の声に連れられてくすくすと笑い声が聴こえた。見なくたって声の主は解る。同じクラスの高野杏(こうのあんず)とその取り巻き。最悪。

「こんなとこで何やってんの?」

「えっと……あの……」

「あのさぁ、あんたは誰より早く学校に行って教室の掃除しとけって言ったよね?」

「あと花瓶の水も、だね」

「あー、そうそう。やることいっぱいじゃん」

 杏の鞄が私の足に当たる。勿論偶然のはずが無い。それを見てまたくすくすと取り巻き達が笑う。

「早く行ったらー? 私たちより遅く来るとかありえないっしょー?」

「ほんとー」「マジありえないよね」次々と同調の声が上がる。

 初めこそ止めに入る意見もあったのに、今となっては誰一人として私の味方をしない。皆私のことを都合良いように使う。

 耐え切れなくなって走り出した。いや、逃げ出した。

 早く学校に行かなきゃ。その思いだけで一杯だった。でも、前へ進もうとする私の肩をその手は力強く握って離さなかった。

「ちょっと待って」

「何あんた?」

 後ろ向きのままで私の体はずるずると引きずられて元居た場所へ連れ戻される。杏たちの居る最悪の街角へ。

「さっきから聴いていれば、お前たち何様だ? この子に、そんなこと言える立場なのか?」

 低く力強い声。でも男の子じゃない。女の子の声だ。きっとこの肩の手もその人の。

「あんたには関係ないでしょ? さっさとヤコを離してよ。そいつは朝からお仕事が一杯あるの」

「関係無くは無い。あたしはヤコの友達だ」

 その一言で杏たちは大きな声で笑い出した。

「友達? ヤコ、良かったねー。友達が出来たんだってよ、おめでとー!」

 恥ずかしくて、胸が痛くてここから早く逃げたかった。

「あー、もう傑作。ヤコ、今での私機嫌が良くなったから今日の掃除は免除ね。あ、でも放課後はちゃんと綺麗にして帰ってねー」

 そう言い残して杏は栗色の髪を揺らしながら去って行った。

 痛い。ぐっとその場に座り込んでしまった。

「――ちょっとヤコっての。聴いてンの?」

 突然視界に入る他人の顔。鋭い猫のような目に一本垂れた前髪の少女がそこに居た。

「うわっ!」驚いて尻餅を突いてしまった。

「ははは……もう、大丈夫?」

「もう放っといてよ!」

 差し出された手を払い除けて私は駆け出した。

 誰にも居ない場所へ行きたかった。誰も私を知らない場所へ行きたかった。

 そんな場所、どこにも無いと解っているのに。

 無我夢中で走り続けたら足が縺れて転んだ。膝がじんじんと痛い。立ち上がるのが嫌で地面に座り込んだ。膝に付いた砂や小石を手で一つ一つ順番に取って捨てた。

 途端に涙沸いて出る。痛いから? 多分それだけじゃない。

 私は自分が嫌い。大嫌い。世界中の誰よりも生きている価値が無い。だから昨日決めたのに。

 膝を抱えて泣いた。人目も気にしないで声を出して泣いていた。高校生にもなって何て情けないの私は。

 似合わない眼鏡も、くせっ毛も、垂れ目も、子供みたいな声も、低い背も、凹んだらすぐ泣いちゃう性格も、挙げていけばキリが無いくらい。私は嫌いなところだらけ。世界中から嫌いなものを集めて一つにしたらきっと私が出来上がる。なんて簡単なんでしょう。なんて残念なんでしょう。

 鞄のポケットで携帯が鳴った。この音はメールだ。見たくないけど、そっと手が伸びた。

『何授業サボってんの? はーい罰ゲーム決定!』

 杏からのメール。時計を見るともう九時近い。とっくに授業始まってるし最低だ。

「はぁ……」

 ため息の回数の記録があったら私が世界一かも。いや、多分誰かに抜かされているかも。

「おい!」

 その声に思わず肩を竦めた。

「おいってば!」

 聞き覚えのある声。あの疫病神の声だ。

「ヤコってば聴いてるの?」

 まるで空から降ってきたかのように突然その子は私の隣に座った。

「聴こえてないです」

「いやいや、聴こえてンじゃん」

「…………」

「ヤコもさ、あんな言われっ放しじゃダメだって。じっと耐えて言うこと聴いてるから調子に乗るンだよ、ああいう奴らって。たまには言い返さないと、『私はあんたのメイドじゃありません!』とかってさ」

「……止めてよ」

「ん?」

「何も知らない癖に好き勝手言うの、止めてよ……」

「そうそう! そういうの!」突然肩を組まれた。

「止めてってば!」

 手を払って立ち上がった。

「友達だって言ってたけど、何なの? 私はあなたなんて知らないのに。私のこと壊さないでよ!」

 生まれて初めて人に怒鳴った。凄く胸がどきどきしてる。

「じゃあ。初めましてヤコ、私は東堂ヒカル。よろしく!」

 目の前の彼女は私とは正反対の生き物。眼鏡はしてないし、短いストレートヘアー、猫のように鋭い目、低い声はまるで女優のようにハキハキと綺麗で、背も私よりずっと高い。でも何よりも、彼女は明るく自由に生きている。

 東堂(とうどう)ヒカルとはそういう女なのだ。


 ヒカルと並ぶと私はまるで小学生のコスプレだ。学校は違っても私とヒカルは同じくセーラー服を着ている。なのに身長150cmの私の隣に居るのは168cmのモデル体系。どう見ても私はお子様でヒカルはお姉さん。どうして世界はこんなにも不平等なのだろう。

「あーもう! あとちょっとなのになー!」

 今、私とヒカルの二人はショッピングモールの中で見つけたUFOキャッチャーで遊んでいる。正しくはヒカル一人で遊んでいて、私は横で見てるだけ。

「ね、ねえ。東堂さん? こういうとこで遊んでちゃダメな気がするんだけど……」

「えー? そんなの所詮気分だって気分。これくらい皆やってるってーの」

「そんなこと言われても……」

 時々視界に入る警備員の視線で私はとても居心地が悪かった。今すぐにでも家に帰りたい。でも、それじゃお母さんに怒られちゃう。

「解った! 次は私のお気に入りの場所へヤコを招待しちゃおう。特別だぞー?」

 ヒカルの誘いに対して私にNOの返事は無かった。

 連れられるままにバスに揺られて十五分ほど移動するとヒカルはある方向を指差した。

「あれって、森?」

「神社だよ! じ・ん・じゃ!」

「え、あ、うん。神社ね。それで、神社に何があるの?」

「あるって言うか。あそこの縁側でのんびりするの好きなンだ。たまに虫が来たりするけど、それ以外は涼しいし静かだし、すっごい落ち着くよ」

「うーん……」

「何はともあれ行ってみてからだよ!」

 ヒカルは私の手を取って歩き出した。あったかい。人と手を繋ぐのってこんなに気持ち良いことなんだ。

「何にやけてンの?」

「何でも」

「そっか」

 知らない内に笑っていたみたい。でも、ヒカルも笑ってくれたからそれで良いんだ。

 二人で並んで神社の縁側に腰掛ける。ヒカルは慣れた様子で手を使わずに靴を脱いで下に放りやった。それを真似しようと思ったけれど全然上手くいかない。それを見てまたヒカルは笑う。

「なんだか友達っぽい」って言ったらヒカルは一言「だって友達だもん」だって。

 むず痒いけど、とっても嬉しかった。

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