#01
何故だか面倒事に巻き込まれる。
特段面倒見が良い訳でも無く、ましてや自分から首を突っ込んだ事など一度も無かったにもかかわらず、私は子供の頃から、面倒な事に巻き込まれる人生を歩んできた。
幼稚園の時だった。同じ「さくら組」の友達二人が、ひとつのおもちゃを取り合う喧嘩を始めた。二人は互いに自分が最初に遊んでいたおもちゃだという事を主張し、相手のことを嘘つきだと断罪した。
私はその様子を眺めながら、どちらかが後で使えばいいのにと、子供心にも冷やかな視線を送っていた。
だが、その様子を見かねたキョウコ先生(独身)が言った「だったら隣で遊んでいた『私』に聞いてみたら?」という、幼稚園の先生としては、あってはならない解決案を提示したその一言が、対岸の火事を決め込んでいた私を一転、紛争の関係者へと格上げした。
私は、仲の良かった友だち二人からそれぞれ「ほんとうのこといってよ」と左右から肩を揺すられ責められ、その重責に耐え切れず思わずこぼした「わからない」という一言は、それぞれ二人から「うそつき」呼ばわりされるという情けない結果をもたらした。
今思えば、これが最初だった、と思う。
信号待ち。交通量の少ない交差点。私は寝不足気味の重い頭を左右に揺らしながら、小さく伸びをした。
昨日の夜は夜更かしし過ぎたと反省する。
ネット上に溢れる動画ファイルの数々は暇つぶしにはもってこいなのだが、ついつい見入ってしまうという難点がある。昨夜は、海外ドラマの一話をつい見てしまったが最後、気がつけば新聞配達のバイクの音がする、そんな時刻となっていた。慌てて布団に潜り込んだものの、ほとんど仮眠の様な状況で朝を迎えた結果、現在、私の脳内細胞は未だ布団の温もりを纏ったままだった。
FMラジオから流れているのは朝の全国ニュース。老夫婦を殺害し逃走した強盗犯。高速道路での玉突き事故の犠牲になった幼い子供。年齢性別共に不明なバラバラ死体の発見。世界は危険と悪意で満ち溢れているといわんばかりに憂鬱な事件が並ぶ。梅雨入りはもう少し先になると思われる六月半ばの爽やかな朝。こんなにも空は青く澄み渡っているのに人間の営みだけは相変わらず救いがない。
信号が青に変わり車列が動き出した。
先頭から三番目の位置にいた私は、前に陣取っていたバンの赤いブレーキランプが消えたのを視界でぼんやりと捉えると、ブレーキペダルから足を離した。車が動き出す。
その直後の事だった。バンのブレーキランプが真っ赤に光った。そして鈍い音と共にバンの車体が揺れた。何かが起きた事を瞬間的に察知した私は、一度は緩めた右足を咄嗟に踏み抜いた。甲高いスキール音。前のめりの体勢でステアリングに顔をぶつけそうになりながらも私はなんとか車体を急停止させる事ができた。
息を吐く。幸いにも、後方からも追突されずに済んだ様だ。
一瞬とはいえ、生き物としてのセンサーの全開放は、その開放の理由である生命の危機を持って、緊張と緩和を脳内にもたらす。瞬間的に大量に分泌された脳内麻薬は、通常の許容範囲を超え、その反動として動悸や発汗といった興奮状態を残していく。
バンのドアが開いた。
中から降りてきたのは、小柄な中年の男だった。男は車から降りると、まず車の前方部分に駆け寄りしゃがみ込んだ。
そこで私は初めて、バンともう一台の存在に気付いた。白の軽自動車がバンの前方左側に突っ込んだ形で停車していた。
しゃがみ込んでいた男は、立ち上がると、軽自動車に向かって指を差しながら何かを叫んでいた。
ほどなくして軽自動車の運転席のドアが開いた。
降りてきたのは女だった。
女はゆっくりと男に近づくと、頭を下げた。そして互いの車を見やり、もう一度頭を下げた。
交差点。大通りとはいかないまでもそれなりの交通量のある道路を走っていた男のバンと、一方通行の小路から、しかも信号無視で出てきた軽自動車の女では、過失の割合は傍目にもあきらかだったが、女が頭を二度下げた事で男はそれを認めた事と思ったらしく、互いの車と交差点の信号を何度も指差しながら、一方的にまくしたて始めた。
クラクションが鳴った。
我にかえった私は首を伸ばしバックミラーに目をやった。見ると、私の車の後ろにいた(私に追突せずに停まってくれた)銀色のセダンの運転手とミラー越しに目が合った。
あわてて前方を見直すと、一旦は赤に変わっていた信号がまた青になっていた。
つまるところ、いつまでもそんなのに構っていないで早く行け、と言うのだろう。実際、銀色のセダンの後ろにも四、五台の車が並んでいて、同じ様な気配を発していた。
車内のデジタル時計に目をやると、確かにここで事故の野次馬を決め込んでいるような余裕があるわけでも無い。
私は前方で停まっているバンに接触しない様にハンドルを切りながら、その場を立ち去ろうとした。
警察を呼んで現場検証。いや、軽微な事故だから、二人で警察署に来てくださいと言われるパタンかもしれないな。私はそんな事を考えながら、バンの横を通り過ぎようとした。
二人を見る。
男がこちらを見る。
思わず目が合った。
男は何かに思い当たったかのように、声を上げた。私に向かって手を挙げたのだった。
嫌な予感がした。
生物としての危険察知センサーが、面倒な事に巻き込まれるぞ、と告げていた。