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「屋上」

屋上

作者: さわいつき



 生徒会書記なんてものをしているわたしは春休みだというのに、数日後に控えた入学式の準備とさらには新入生歓迎会の打ち合わせのため、強制的に学校に来ている。中には休み中にもかかわらずクラブ活動に勤しんでいる一般生徒もいる事にはいるけれど、好きな事をしに来ているであろう彼らとは気分的に大きな違いがあるんじゃないだろうか。生徒会の仕事は嫌いではないけれど、好きと言えるほどでもないのだから。

 のんびり屋の会長に頼まれ、仕方なく『関係者以外立ち入り禁止』と張り紙がされた扉の前に立った。ここで言う「関係者」とは、教職員とわたしたち生徒会役員に限定される。

 ドアノブに手を伸ばすと、予想通り鍵はかかっていなかった。

「うわ、さむ」

 外への扉を押し開いた途端、風が吹き抜けて行く。すっかり春めいたとはいえ、遮る物もない吹きさらし状態なのだから、寒くても当然と言えよう。

 関係のない人がここに立ち入らないよう、鍵を掛けておく事も忘れない。

 こんな場所にまで足を運ばせられた元凶は、春の日差しを独占するかのように、陽だまりでまどろんでいた。そこはちょうど出入り口の反対側になり、壁側に寄れば風も直接は吹き付けて来ないのだ。

 わたしは足音を忍ばせる事もなく堂々と近付き、それでも目を覚まさないのを確かめて、床に放り出された無駄に長い脚を蹴った。

「センセー、こんな所でサボっていないで戻ってくださいよー」

 声を掛けてみるが、それでも反応はなし。相変わらず寝汚いなと変に感心しながらしゃがみこんでみると、規則正しい呼吸の音が耳に届いた。

「センセーがいないと、会議が始められないんですけどー」

 のんびり屋の生徒会長に切れ者の副会長、それにしっかり屋の会計がいれば、予定も予算も組むのは簡単だ。はっきり言って教師の出番はない。それでも一応会議には生徒会顧問である教師の立会いが必要であり、書類に承認印がなくては、実際にお金を動かす事ができない決まりになっている。

 そして今わたしの目の前で居眠りしているこの不真面目なサボり教師が、現在の生徒会顧問なのだ。

 実際の年齢は二十五のはずだけれど、五歳は若く見えると噂されている。その顔から、銀縁の眼鏡がずり落ちそうになっていた。こんなに至近距離で見た事がなかったから気付かなかったけれど、意外と睫が長い。柔らかそうに見えた髪は、そっと触ってみると、結構硬めでごわついていた。

 副会長からの命令で顧問を呼びに来たのだけれど、これは役得だったかも。そんな事を思いつつ、頬を指先でつついた。

「センセー。起きてくれないと、わたしが怒られちゃうんですけどー」

 ここに来た用事を思い出し、耳元に口を近づける。これでも起きないって、どれだけ熟睡しているんだろう。

「センセー、起きないと襲っちゃいますよー」

 まだ起きない。これじゃ、何を言われても何をされてもきっと覚えていないんだろう。そう思った途端、悪戯心が沸いて来た。

「センセー、無防備すぎですよー」

 暖かな場所にいるからかそれとも眠っているからなのか、血色のいい柔らかそうな唇がやたらと美味しそうだ。

「キスしちゃいますよー。いいんですかー」

 かける声が小さくなって来ている、と自分でも分かっている。それでも耳のすぐそばなのだから、十分先生には聞こえているはずで。けれど眠っている先生はぴくりとも動かない。

 どきどきと小刻みに打つ鼓動が、外まで聞こえていないだろうか。そんな事が気になるくらい近くにまで、体を寄せる。

 そろそろ目を覚ましてくれないと、シャレにならない事をしてしまいそうだ。そう思いながらも、まだ目を覚まさないでと願っている自分がいる。

 唇と唇が触れるまであと三センチ。これはかなりヤバイ。

「センセー、好き」

 蚊の泣くような声で囁くように告げ、目を閉じてそのまま唇を重ねようとした時。

「はい、ストップ」

 至近距離から耳に届いた声に、ぎょっとして体を引き離した。

「セ、センセー、起きたんですかっ?」

「実はずっと起きてましたよー。なんて言ったらどうするの?」

 ずっと起きていたって事は、わたしの今までの行動も言動も全て知っているという事で。

「ここのドアってほら。建付けがわるくなっているし蝶番の油も切れているから、結構でかい音がするでしょ。あれで目が覚めてたんだけどね」

 ずれかけた眼鏡を戻す仕草が妙に色っぽくて、胸のドキドキがひどくなる。

「しゃがみこんで来た時、驚かしてやろうかと思っていたんだよ。そうしたら無防備だとかキスだとか言うもんだから、タイミングを逃しちゃって寝たふりを続けるしかなかったわけよ」

 既に真っ赤になっていただろう顔に、更に血が上った。

「十分にびっくりしました」

「まさに間一髪だったもんなあ」

 掴み所のない飄々とした態度はいつもと変わりがなくて、わたし一人がどきまぎしているのが凄く悔しい。

「ところで、さっきのだけど」

「さっき?」

「僕の事好きとか言ってたでしょ」

 一番触れられたくない所に触れられて、これ以上にないくらいに恥ずかしくなる。できる事なら逃げ出したい。居た堪れない、というのはこういう状況なのだろう。

「あー。アレですよ。センセー、今日が何の日か知ってます?」

「ああ、なるほど」

 にやりと口角を上げながら笑うその顔は、童顔のくせに、卑怯なほどかっこいい。

「センセー、騙されました?」

「迫真の演技だったからなあ」

 まさかあれが演技などではなく、ずっと隠し続けて来た本心だ、なんて言えるはずがない。ただでさえ相手は大人で、さらには教師なのだ。こんなに子供で、単なる一生徒でしかないわたしが告白なんてしたところで、歯牙にもかけられるはずがないのだから。

 実際先生に告白して玉砕した人達を知っているから、絶対に言うつもりはなかったのだ。油断した事を今さら悔やんでも仕方がないけれど、気まずくなるのは嫌だからこのまま誤魔化してしまおう。

 幸い今日は四月一日。年に一度だけ、公然と嘘をつける日なのだ。

「起きていたなら、わたしがセンセーを探していた理由も知っていますよね。会議が始められないんです。早く生徒会室に戻ってくださいよ」

 スカートについた埃を払いながら立ち上がり、未だ落ち着いていない心臓を宥めながら、先生を見ずに平静を装ってそう告げた。

「あんた、男のそばに立つときは、スカートの短さに気をつけなさいよ」

 言われて思わず先生を見下ろし、次いでスカートを見た。確かに制服の規定よりも短めだけれど、他のみんなと比べれば普通のはずだった。

「イチゴが丸見え」

 先生の言わんとする事に気付き、咄嗟に両手でスカートを押さえた。

「なんてね。さっきのお返しのつもりだったんだけど、もしかしてほんとにイチゴだった?」

「お、お返し?」

 その意味に気が付いて、思わず怒鳴りたくなるのを必死に堪えた。

「センセー、その冗談、笑えないですよ」

「あんたの冗談も笑えないでしょ。だからお返し」

 悪戯っぽく微笑むその顔に、さらに居た堪れなさが募って来る。

「笑え、ませんか」

「笑えないね。てっきり本気かと思った」

「でも本気だったら、センセー困るでしょ。冗談でよかったんじゃないですか」

 本当にスカートの中が見えたらシャレにならないと思い、未だ立ち上がろうとしない先生から少し離れた。

 わたしを見上げて来る先生の表情が読めなくて、ひとまずここから逃げようと決意する。

「じゃあわたし、先に戻っていますから。センセーもすぐに来てくださいね」

 無理して浮かべた笑顔が引きつっているだろう事は、鏡を見るまでもなく分かっていた。だからさっさと踵を返し、早足でドアに向かう。そうでもしないと、涙が零れて来そうだった。




 ドアノブを掴んでから、そういえばさっき鍵を掛けたんだったと思い出し、ポケットに手を突っ込む。そして鍵を差し込もうと伸ばした手が、いきなり別の手に掴まれて動きを阻まれた。

「笑えない冗談は冗談とは言えないって、知ってる?」

 背中に感じるぬくもりに、金縛りにあったように身動き一つできなくなる。

「自分が言った冗談で傷ついて泣いてどうするの、あんたは」

 体は動かないのに、堪えきれずに零れた涙が頬を伝い、体の前に回された先生の手を濡らしていた。

「センセー、なにしてるんですか」

「泣いている生徒を慰めてます」

「センセーっていつもこんな風に生徒を慰めるんですか」

「そんな事したら、セクハラで訴えられちゃうでしょ。あんたにだけだよ」

 わたしにだけ。それがどういう意味なのかを訊ねようと思った瞬間、くるりと体の向きを変えられた。

「頑張って泣き止みなさいよ。泣きはらした顔で会議に出たくないでしょうが」

「そう言われればそうですね」

 もっとも会長以下今の役員たちはきっと、傷ついていると思われる人相手にその理由を問い質すような事はしない。けれどそれは冷たいわけではなく、こちらから理由を説明すれば言葉を掛けてくれるし慰めてもくれるのだ。

「って言ってるそばから泣いてる人は誰だろうね」

「わたし、ですか」

 泣き止もうとするわたしの意思に反して、涙は止まる事なく溢れて来る。必然的に鼻水も出て来るわけで、わたしは鼻をすすった。色気がない事この上ない。

「僕とあんた以外にいないでしょう、ここには」

 それもそうだ。

「あれ。センセー、今僕って言いました?」

「なに。今頃気付いたの。さっきから言ってるでしょ」

 わたしの記憶が違っていなければ、先生の一人称代名詞は「僕」ではなく「俺」だったはずだ。そういえばさっきからわたしの事も「お前」ではなく「あんた」と呼ばれている。さらには口調までもが微妙に違っている気がする。

「これでも公私で使い分けてるわけですよ」

「今は? 学校にいるのに、どうして僕なんですか」

 それに「あんた」だし。

「お。やっと泣き止んだか」

 そう言われて、ようやく涙が止まっている事に気付いた。考え事をしている間に気持が切り替わったのだろう。

「じゃ、今のは春休みの宿題にしよう」

「宿題、ですか」

 わたしが先生に尋ねていたはずなのに、なぜそれがわたしへの宿題になってしまうのだろうか。

「そ。ちょっと考えれば分かると思うから、期限は始業式の日までね」

 ぽんぽんと頭を撫でられたかと思うと、先生はわたしの手から鍵を奪ってさっさとドアを開いてしまった。

「とりあえずは生徒会の会議だな。会長はともかく、副会長がおっかないから、急いだ方がいいんじゃないか?」

「って、誰のせいでこんなに遅くなったと思っているんですか!」

「お前のせいだろ? お前があんな笑えない冗談を言わなけりゃ、さっさと仕事に戻ったんだよ、俺は」

 校舎の中への扉をくぐった途端、先生はすっかりいつもの口調に戻っている。公私を使い分けるというのはこいう事なのか、と変なところで感心した。

「そもそも先生が生徒会をサボったりしなければ、わたしがこんな所まで来る事もなかったと思うんですけど」

「サボっていれば、お前が探しに来ると思ったからな」

 確かに会長と副会長はただでさえ仕事があるし、会計も予算の計算で手が塞がっていた。サボり魔の先生を探しに出るのが、議事録を取るまでは少し手が空いていたわたししかいなかったから、会長から頼まれたのだ。

「それって確信犯って言うんじゃ。でもどうしてですか」

 先生から一歩遅れて歩いていたわたしに、先生が振り向いた。

「それも考えれば分かるはずだから、宿題」

「またですか」

「そ。答え合わせは始業式の後だからな」

 にやりと楽しげなその笑顔を見て頭の中に漠然と浮かび上がって来た「答え」に、わたしの口元が引きつった。と同時にわたしの両足は歩く事をやめてしまい、さっさと階段を下りていく先生の後姿を見送る。

「まさか、ねえ」

 そんな事があるはずがない。わたしは自分の考えを否定しながらも、少しだけ答え合わせの日が来るのを期待してしまっていた。




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