第1章 4.使い魔の痕跡
第1章 4.使い魔の痕跡
塔からの帰り、宿泊しているホテルを一周する。裏手に回ると、人通りが少ない通りに出た。広場に面する表とは異なり、工事中なのか配管がむき出しになった路地が目につく。
入り口の丁度裏にあたるところで、ずたずたに傷ついた魔物がいた。狼のような頭、6本足、2本の尾、そして長く黒い毛の獣だ。
「魔術師の使い魔か」
かろうじて生きている。というより、生かしておいた。
ホテルの入り口に施した魔術によるものだ。《土星の1の護符》は、侵入しようと近づくものを許さない。しかし、《吊るされた男》は、近づいたものを逃がさず、耐えることを強制し、死ぬことを許さない。
その結果、この魔物は逃げられずに攻撃され続け、しかし死ねなかった。残酷なまでの攻性防御。
使い魔を利用すれば、主の所在を知ることができるかもしれない。
装備を整える必要があるな。
使い魔をそのままにして、部屋に戻り、ジャケットを取り替えてカードとナイフを補充した。
外に戻り、使い魔の首を掴み、その頭部へ《金星の4の護符》と《大アルカナ 力》を押し付ける。護符とカードはそのまま使い魔の体に溶け込んでいく。
《金星の4の護符》は精霊を服従させる力と会いたい相手を呼び寄せる2つの力をもつ。
《力》に描かれる絵はライオンを従える者の姿。
これらを複合。
組合せた護符とカードは、目の前の哀れな使い魔を服従させ、主の元へ向かわせる。
***
《吊るされた男》の効果を解き、異形の獣を解放する。
魔物は主の元へ歩く。悪魔バエルの力を借り、姿を隠して地下鉄のホームにおり、電車が通る線路を歩く。定期的に来る車両を避けながら先へ進む。
1時間半ほど歩いた。
時刻は夕方。
左手に狭い横穴があった。その中へ入っていく。
その先に開けた空間があった。床も壁も天井も石で囲われた地下室。
プラハの街には、防空壕としての地下室が数多くある。戦争時のものだろう。ここもその一つだと思われる。
奥に男がいた。岩を椅子代わりにして座っている。足元には異形の獣が十数匹。
「ああ? テメエ、なに入って来てんだ? こら」
ぼさぼさに伸びた黒と灰の混ざった色の髪をかき上げ、濁った眼でこちらを向く。
こいつには俺の姿が見えている。こいつは魔術師だ。
「聞きたいことがある。お前の目的はなんだ?」
「はあ? おいおい、無視か。テメエは何なわけ?」
「質問を変えよう。お前はこの街で何人殺した?」
「あ? 知らねぇな。ペットがどれだけ餌を食ったかなんざ、いちいち数えてるわけがねぇだろうが」
「そうか。で、どこからこの街に来たんだ? どう見てもお前はこの街の人間じゃないだろ」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるせえんだよ」
「質問を変えよう。お前の欲しいものは、見つかったのか?」
「……へえ。そうかい。テメエもこいつらと同じか」
「こいつら?」
「俺のサイッコーに可愛いペットがしゃぶってるそれだよ。テメエの足元にも転がってるだろうが」
「そうか」
疾走。いつも通り、内胸ポケットのカード《逆位置 剣の10》――束の間の幸運――に魔力を注ぐ。約束された5秒未満の幸運。さらに悪魔でデザインされたカード《正位置 剣の9》――切迫する不幸――を放り、ナイフを投げる。
「ざっけんな!」
魔術師は獣を自身の周りに展開させ守りに入る。獣の1匹が魔術師とナイフの線上に跳ぶ。カードとナイフが獣に突き刺さり失墜。
同時に右手で空を切り、風の刃を魔術師に向けて飛ばす。さらにナイフを4本取り出し、投げる。4体の獣が跳び、魔術師を守る。
風の刃は、獣の全身に傷をつけ、4本のナイフは1匹の獣にすべて刺さる。
魔術により呼び出された異界の魔物は、この世界で実体化できなくなったのだろう。ナイフの刺さった2匹はどちらも消え失せる。
風の刃がさらに魔術師を襲う。
「テメエエエ」
右腕を思いきり切る動作。数え切れないコウモリのような魔物の群れが発生。風の刃は、数体のコウモリの死骸を作るだけで魔術師には届かない。守りが堅い。5秒未満の幸運は効力を失う。
方向を変えて広い空間へ走る。
「イケエエエ、死ネヤアア」
コウモリが一斉にこちら飛んでくる。それを飛び越えるように、獣が襲ってくる。
「ち」
上手い。ぎりぎりまでコウモリの群れが獣を守り、攻撃時だけ獣が前に出て襲ってくる。
魔術師までカードを届かせることができなければ勝機はない。眼前のコウモリの群れに穴を開ける策を考える。
《正位置 こん棒の7》――積極性が勝利へと導く――をシャツの胸ポケットへ入れる。
さらにコウモリの群れに悪魔のカード《正位置 こん棒の9》――指示の無視――。カードにはこん棒と共に相手を絡め取る細い糸も描かれている。1枚のタロットカードは複数の意味を持つ。今、必要なのは絡め取る糸の方だ。
糸の代用はジャケットでいい。裏地に様々な加護の刺繍が施されたジャケットは、魔術の媒体として丁度いい。
――[00:00.000]――
ジャケットに悪魔のカードを入れ、追ってくるコウモリの群れに振り返り、駆ける。同時にシャツの内ポケットとジャケットのカードに魔力を注ぐ。カウントダウン開始。
――[00:01.153]――
コウモリに突っ込む直前に左手に持ったジャケットをコウモリに叩きつける。目の前のコウモリを絡め取り、叩き落す。
――[00:01.869]――
開けたコウモリの群れを抜けると、獣が2匹前方と左から襲い掛かってくる。
――[00:02.258]――
右に飛び、右腕で空を切り風の刃を発生させる。刃に襲われ体を刻まれた獣が怯む。そのまま無視して走る。
――[00:02.455]――
魔術師はまだ3匹の獣を傍に残しているが問題ない。もう魔術師と自分との間には何もない。
「ウラアアアアア」
右腕を引き寄せるように動かし戻れと指示。
――[00:02.811]――
コウモリの群れと獣が向きを変え、背中から追ってくる。無視して魔術師へ向けて駆ける。それが勝利への鍵だ。
――[00:03.167]――
右手でパンツの右ポケットから4枚のタロットカードを取り出し放る。攻撃用のゴシック調の悪魔の描かれたタロットだ。眼前で四角形に配列される。
――[00:03.421]――
ジャケットの袖の仕込みから4本のナイフを取り出し、投げる。
――[00:03.665]――
4本のナイフは4枚カードに垂直に突き刺さり、そのまま敵の両腕、両太腿へカードを縫い付ける。
過去――《正位置 こん棒の6》――勝利の予感
現在――《正位置 剣の8》――八方ふさがり
未来――《正位置 剣の10》――身動き不能
解決法――《正位置 剣の7》――逃避
「アアアアアアア」
痛みに魔術師が叫ぶ。
――[00:04.206]――
後ろから来るコウモリをまたジャケットで絡め落とす。
――[00:04.892]――
獣をよけ、距離を詰めて魔術師の首筋にナイフをあてがう。逃避を選ばなかった時点で、この男が身動きできなくなることは確定済みだ。
「解け。そうすれば、生かしてやる。この街で起こっていることについて、質問があるんでな」
「クソが」
コウモリと獣が消える。さらにナイフを首の肉に押し付け、この空間の入り口に目を向けにらむ。
「おい、いるんだろ。出て来い」
しーんと静まり返る。遠くから、電車の走る音だけが聞こえてきた。
「これ、殺しちまうぞ」
「ヒイイ」
「わかりました。まったく、貴重な情報源を無闇に殺さないで下さいよ。もったいないですから」
現れた男は、ブルーの瞳の男だ。昼といい、一日中、俺のことを付け回っていたのだろう。
「お、おれは、そんな奴、知らな……」
「あまりまえだ。口を開くな」
「ええ、私もあなたなど知りもしません。その男、頂けませんか?」
「明日までにこいつから情報を引き出すこと。その情報を明日、こっちに開示すること。それが条件だ」
「いいでしょう。約束しますよ」
「ふん。あまり信じちゃいないが、胸くそ悪い尋問はそっちに任せる」
男がこちらに向かってくる。この男にもある程度の警戒をしなくてはいけない。今は両手がふさがっているのだ。
「それでは頂きます。ところで、このカードとナイフはいかがしますか?」
「もちろん回収する」
ナイフを一本ずつ抜き取る。
「ヒギャアアア」
ぱちんと指を鳴らし、小さな火を起こしタロットカードは焼いてしまう。
***
19時。男と昼に会うことを約束しホテルに戻った。夕食は絶対にベジタリアンメニューにしよう。さすがに今日はもうあの男とも会うまい。
夕食後、部屋に戻り明日を占う。一筆書きの六芒星の魔法陣の中で22枚の大アルカナを切る。切り終え、一枚を引く。
《逆位置 死神》
「逆さときたか……」
死神、または死。このカードは逆位置のとき、『生まれ変わる』や『方向転換』、『再出発』を意味する。死神の鎌は、今の状態を終わらせ、次に進める力を持つ。今の状況から読み解くと、今日のやり方から別のやり方に変えることで、進展が期待できるかもしれない。