第1章 1.死神の頭上
第1章 1.死神の頭上
かつての神聖ローマ帝国の首都、《黄金のプラハ》の異名。中世の頃には多くの錬金術師、占星術師、芸術家が集めらた街。
魔術という観点からは出来過ぎた街だ。
今もその雰囲気が残っている。その原因のひとつはこいつだろうな。
旧市街地の広場にある天文時計を見上げる。
上下2つの金色の文字盤。上は年月日を示し、天体の動きと時間を表す。下は12宮と四季の農作業が描かれている。どちらも1年かけて1周するんだったな。
金を払って天文時計の建物に入り、上を目指す。
観光客の多い街だ。エレベーターには定員ぎりぎりまで人が詰め掛ける。
上に着くと、左手に10歳ほどの少女が木製の椅子に座っていた。膝の上に置いた本に目を落としている。彼女には似つかわしくない百科事典を思わせる大きな本だ。
店番……のようなものだろうか。下のチケット売りの女性が母親で、この子はその娘といったところかもしれない。
少女の前を横切り、外の狭い回廊に出る。
時刻は、午前9時30分。
昨日会ったブルーの瞳の男の姿は見当たらない。
彼は同じ魔術師だろうか。それに備えて、白シャツの上に黒のテーラードジャケットを羽織っている。裏地には、魔術的加護を持つ刺繍が施されている。
観光客に混じり、プラハの街並みを眺める。赤茶色に統一された屋根が並ぶ。視線を移すと、ジャズを演奏する者や大道芸人らが観光客の視線を集めていた。
***
「少し早かったか」
「すみません、少々遅れてしまったようですね」
独り言のつもりだったのだが……。
振り返るとやはり、昨日の男。昨日は座っていて分からなかったが、190センチメートルはありそうだ。年齢は俺よりも10は上、30代半ばといったところ。
「お前ら、俺をこの街に呼んだが……」
「ええ。その通りですね」
「なら、仲間と考えていいのか?」
この唐突な発言にこの男はどう返答するのだろうか?
「さて、どうなのでしょうね。あくまでも利害の一致でしかないと思いますが」
この回答で十分だ。こんな胡散臭い男を信じられるものか。仲間でもなく、敵でもない。ただ、お互いの目的のために協力する。
そういう関係の方が安心だ。
しかし、今の段階で、この件に関わる知り合いはこの男だけ。可能な限り、情報を引き出したい。
「ふん。信用に足らないがまあいい。俺の目的は一つだ。それさえ達成できるなら、可能な範囲で協力する。契約でもないただの口約束だが」
「では、こちらも可能な範囲で情報を提供しましょう。そうですね。彼女ですが」
ブルーの瞳の男が10歳くらいの少女を指差す。
「彼女は、この街の全てを観ています」
「あの子が?」
「はい」
遠見、透視、または予見者。そのいずれか。
しかし、逆にこちらが興味を示した内容はそのまま彼らにも伝わるといえる。
出来る限りの笑みを浮かべて、
「それは、大きな情報だな。そんなことを教えて、良かったのか。それなら、俺はお前を友人とでも考えることにするよ」
「不思議な人ですね。警戒するほうが普通でしょう。会って間もない私を友人に? 同じ側の人間とは思えませんね」
「そうか? これでも人を見る目はあるつもりだ」
「その目が腐り落ちるのも早いかもしれませんよ」
「皮肉を言うな」
笑って返す。
「いいでしょう。私もあなたを友人と呼びましょう。短い間かもしれませんが」
「いや、構わないよ」
「それで俺もお前も上手くやりたい。そのための情報を持っているかな?」
一瞬だけ、テーラードジャケットの内側の胸ポケットに入れたカード《こん棒の10》――友人の協力に期待――に意識を移す。
そのためにわざわざ彼と仮初めの友人となった。お互いに名前すら交換していないにも関わらず。
「そうですね…………詳しくは言えませんが、午後から素敵なオペラの公演があります。ぜひ、見に行くと良いですよ」
「そうか。あいにく予定が入っているんだが。時間があれば行くかもしれない」
もちろん、予定など入ってはない。
その後、すぐに男は立ち去った。
彼は、オペラの公演で何かが起きると言っていた。カードの魔術に対して、対抗魔術を組まれていたかもしれないが信じよう。
小アルカナによる数秒後の未来確定魔法、制限の多い魔術であるが故に、ほぼ確実に未来を決定付ける。それは小さな魔術であるが故に、魔術の発動を感じさせない。
彼は私に協力した。その結果がオペラ公演場へ行けだ。有益な情報であると期待したい。
しかし、午後の開演に合わせて行くべきか。それよりも前に行き、忍び込んでおくべきか。彼は詳しく事態を把握して、情報を漏らしたのか。そうではなく、人づての情報を漏らしたのか。
「午後にと言っていたな」
時間を指定した。詳しく知らないなら今日、オペラを見に行けというはずだ。
さて、午後とは、何時から何時までなのか。
***
外の回廊から、エレベーターに向かう途中、この街を観ているという少女が目に入る。白い肌、腰まで届くブラウンの髪。柔らかくウェーブがかかっている。相当の美人に成長するだろうという容姿だ。
少女は本から視線を外し、そしてグリーンの瞳がこちらを向いた。
「…………おはよう、ございます」
「おはよう」
あどけない声に答える。
「きみには、この街はどんな風に観ているのかな」
「あなたの名まえをおしえて」
ぶしつけな問いとは異なる回答。
考える――名前は魔術師において大きな意味をもつ。本名、偽名、それとも断るか。
「どうしてだい?」
「わたしとけいやくをむすばないと、わたしにみえているものは、ほかの人にはみえないもの」
言葉を使わないイメージの伝達だろうか? それとも単純に名前も知らない相手に教える気はないということか?
今は、下の名前だけを教えることにする。
「僕の名前は、セイジだよ」
「わたしはナタリア」
ナタリア……Natalya……意味はクリスマスに生まれた子ども……転じてキリストをも意味するが。
少女の瞳が変わった。魔眼。瞳がダイアモンドのように輝く。
「たくさんの人たちが、うごいてる。このまちでよくないことをしようとしてる。もくてきはセージと同じ。たくさんのひとがセージに会いにくるよ。みんな、死神みたいにこわいの」
***
塔を降り、天文時計に目を向ける。
からん、からん、からん、からん…………。
天文時計を飾る死神――ドクロの彫像――が、俺を見下しながら鐘を鳴らす。
「死神が朝の10時を教えるか。いいセンスだが、設計者の意図は何なんだ?」
さらに仕掛けが動き、天文時計の上部の2つの窓から、12使徒の像が一体ずつ顔を覗かせ、街を眺める。
12使徒といっても色々あるが、神聖ローマ帝国の首都となったほどだ。彼らは、キリストの高弟なのだろう。
耳にかかる黒髪が風になびく。
タロットの死神、少女の言う死神、そして彫像の死神。どうも嫌な予感しかしない。