第3章 3.天文時計の魔術
第3章 3.天文時計の魔術
王の右手に持った魔術書に魔力が通う。
王を半円状に囲うようにして、13体の悪魔が召喚された。聖堂の地下での一戦で現れた悪魔と同じだ。2つの角を持ち醜悪な顔をしている。三日月形の大きな口からは牙が見える。鋭く長い爪が禍々しい。
昨日、13体全て、魔女の焔で焼き殺されたはずなんだが。復活するのか。
悪魔の数は昨日と同じだ。一度に13体というのがルールなのかもしれない。
「その魔術書……悪魔の聖書ですね。召喚したものは、《使い手に聖書を書かせた悪魔》ですか。…………それでは、私がお相手しましょう」
後ろにいる男がそう言い切ると同時に、魔術の行使が感じられた。
「領主3、騎士7、市民17、計27の指導者よ。ここへ」
いつものように落ち着いた静かな声で唱えられた。
それぞれがそれぞれらしい衣に身を包んだ27体の人形が俺の前に現れた。
彼らに首から上はない。
「こいつらは……マリオネットか?」
「ええ。これも強力な加護に支えられています。彼らはそう簡単に崩れませんよ」
ガーネットと同様にマリオネットもプラハの地では歴史のあるものだ。
「さあ、一度は破れ斬首の裁きを受けた者たちよ。次は討ち取りましょう」
それらの頭上にはいくつもの糸があり人形を操る。
3体の領主の人形は、杖を掲げる。
7体の騎士の人形は、腰に携えた剣を抜く。
17体の民の人形は、棍を構える。
対峙する王の顔は、険しい。
「おのれ……我が国政に逆らった者共か」
忌々しげにセリフを吐き出す。
「ええ、その通りです。ついでに言えば、彼らには、文字通り魂が宿っています。貴方の魔術の恩恵ですね。虐げられた彼らの恨みをその身に存分に刻んでください」
3体の領主が、マントを翻し、握る杖を王へと振るう。
7体の騎士が、甲冑を鳴らし、剣を構え王へと駆走る。
17体の民が、人群れとなり、棍を翳し王へと飛出す。
主を守らんと、13体の悪魔が、対峙する27体へ向かう。
素直に俺は悪魔どもの相手を彼らに任せることにした。
右手に8本のナイフを持ち、左手に8枚のカードを握る。
対峙する王の結界は、一戦を共にした焔の魔女が召喚した《ハウレスの焔》をも防ぎきった。俺の未来確定の魔術はこいつの結界を破壊できるのか。全力でも通るかどうか。
王の左手の杖、その先端のあれはガーネットだ。
右手に持っている書は、ブルーの瞳の男の話から推察するにこの地で執筆されたといわれる悪魔の聖書と呼ばれる魔術書だ。
どちらもこの地の加護を受けている。
勝機があるとすれば、こいつがナタリアやブルーの瞳の男と同じタイプだということだ。こいつの魔術は、人を傷つけることに特化していない。
対して、こちらは数秒で人間を片付けることに特化している。それ故に特攻型のスタイルを取っているのだ。
どくんどくんと鼓動が高鳴る。
アドレナリンが体中を駆け巡る。
一気にナイフをねじ込んでやる。
――[00:00.000]――
ジャケットにセットしたウェイトの2枚のタロットカードと護符に魔力を通す。
《逆位置 剣の10》――束の間の幸運
《正位置 塔》――神の家と神罰の雷
《土星の1の護符》――悪霊の撃退
5秒未満の幸運が確定する。加えて、悪霊、悪魔の類が相手なら触れるだけで神罰の雷が敵を襲う。カウントダウンが始まる。
――[00:00.335]――
悪魔の図柄で描かれた8枚のカードを放り、それを8本の手に持った鋼鉄のナイフで垂直に突き刺す。両手で4本ずつナイフを持ち直す。
過去――《逆位置 聖杯のキング》――不公平な王
自身の現在――《-逆位置 こん棒のペイジ》――孤独による苦労
他者の現在――《逆位置 こん棒の5》――争い事
願望――《正位置 金貨のペイジ》――知的好奇心
障害――《逆位置 剣の9》――騒動に巻き込まれる
未来1――《逆位置 剣のエース》――急に訪れる不幸
解決法――《逆位置 剣のナイト》――うぬぼれによる失敗
未来2――《正位置 こん棒の6》――勝利の予感
――[00:00.691]――
1本でも突き刺せれば、一撃で終わる。だが、こいつに投擲は通らない。悪魔とマリオネットの闘争の間を縫い、王の元へ駆ける。
――[00:01.357]――
悪魔が鋭い爪を振るう。右に跳びぎりぎりで避ける。胸に一筋の線が走る。同時に神罰の雷が悪魔を襲い、一瞬だけ硬直させる。襲ってきた悪魔をそのままに通り越す。背で金属音が鳴り響く。悪魔の爪と騎士の剣がせめぎ合う音だ。こん棒で肉を叩く音がする。悪魔がうめく。最後に、刃物が肉を裂く音が聞こえた。
――[00:02.485]――
眼前でも同様のことが起きる。
領主は声無き命令を下し、騎士は悪魔の肉を裂き、市民は悪魔を殴打する。剣を突き立てるべく王へと進む彼らを阻む悪魔を、恨み辛みの一切を武器に込めて討ち取っていく。
――[00:03.086]――
突然、ジャケットの加護を削り取る衝撃を感じた。初めに投擲したナイフを落とされたものと同じ感覚。自動迎撃か。術式がわからない。だが、これはジャケットの裏地の刺繍による加護、ひと時の幸運、神の家の重ねがけより劣る。耐え切れる。
――[00:04.108]――
王を目前に捕らえた。至近距離でナイフを手にした両腕を交差させ、振り下ろすように投げる。8枚のカードと8本のナイフが円状に王の結界に突き立つ。
――[00:04.319]――
続けて、追加の1枚を左手で放り、右手の袖の仕込みから取り出した、護符を刻んだ辰砂のナイフをボディーブローの様にカードを貫いて、そのまま打ち込む。
《火星の4の護符》――王を打ち砕く――。
《正位置 死》――永遠の別れ――。
さらにジャケットに仕込んだ《塔》による神罰が加わる。
しかし、それら全て、王の結界を通らない。
「通らぬわ」
王は杖を振るう。
――[00:04.915]――
全身を衝撃が襲う。見えない力に2メートルほど吹き飛ばされた後、両足で地をつかみ体勢を立て直す。
「ち」
傷はない。ぎりぎりだった。
短すぎる5秒未満の幸運は過去へと消えた。
拳銃や獣、剣とは違う純水な魔術は、ジャケットの加護が通さない。王の魔術は、劇場と聖堂の地下で殺り合った男の使う反則的なガーネットの魔術とも異なる。
「――セージ!」
吹き飛ばされた俺を見てか、小さくそう叫ぶ。
「あれを」
「うん。……おいで……」
遠くでナタリアとブルーの瞳の男のやりとりが微かに聞こえた。
ナタリアの両手に彼女には大き過ぎる本が出現する。天文時計の展望で椅子に座っているときにいつも膝の上に乗せて読んでいた百科辞典のような大きな本だ。
最後に言ったのは、本の名前か? とぎれとぎれで聞き取れなかった。
「……ライオ……ツヴィー……」
短く何かを唱えた。
彼女の前に太刀が現れた。その太刀は聖堂の地下で王の弟が使用していたものだ。そして、ジャケットに巡らせた結界を一撃でそぎ落とし、俺に傷を負わせた魔剣だ。
続いてブルーの瞳の男が唱えた。
「始まりの王よ」
新たに、王族の姿をしたマリオネットが現れる。王のマリオネットは太刀の柄を握る。
「その剣は……」
王の怒声が響く。
ライオンの家紋をあしらった始まりの王が、対峙する王と悪魔に向けて、太刀を振るう。
同時にブルーの瞳の男が呟く。
「敵対者の首を飛ばしなさい」
次の瞬間、市民に身体を押さえつけられた悪魔、騎士の剣を突き刺された悪魔、領主を睨む悪魔が例外なく首を飛ばした。
血しぶきを上げ、倒れ、あるいは押さえつけられたまま姿を消していった。
「なぜ、貴様には使えるのだ!」
それでも尚、衝撃を食らうだけに留めた王が怒鳴った。
「なぜもなにも、この剣の伝承は、《始まりの王が魔法の剣をもって国民を襲う者の首を切り落とす》というものです。あなた方には扱えませんよ」
国民――領主、騎士、市民――を襲う者――悪魔――の首を切り落としたということか。
今この場は、あの男の舞台劇かなにかのつもりか? そういう魔術なのか?
しかし、今のでもこいつを倒せないのかよ。
「始まりの王は、貴方が生まれるよりもずっと昔の王ですから、幽体が取り付いているわけでもないですし仕方ありませんね。ですが、これで終わりです」
始まりの王は役目を負え、魔剣と共に姿を消した。
だが構わない。隙ができた。王の背にある外れた石版へ走り、床に転がった《世界》の石版を窪みにはめる。
「貴様、それを。なぜ、皆、我に従わぬのだ」
こちらを振り向いた王の顔に明らかな焦りが覗えた。
残り2分。それで、王は消える。
悪魔に進路を阻まれていたマリオネットの群れが王へと向かう。
3体の領主が、マントを翻し、握る杖を王へと振るう。
4体の騎士が、甲冑を鳴らし、剣を構え王へと駆走る。
11体の民が、人群れとなり、棍を翳し王へと飛出す。
数は減った。だが、彼らは王へと立ち向かう。
「彼らの恨みは貴方の首を飛ばすまで消えませんよ。ですが、彼らに残された時間は貴方と同じです。さあ、心行くまで王を攻めなさい」
彼らは王をぐるりと取り囲み、騎士は剣を振るい、民は棍棒を振るう。最後には領主も前へ出て、王へ向けて杖を振り下ろす。彼らの一撃、一撃は王の結界に阻まれる。それでも尚も繰り返す。
王は、彼らの猛攻と残された時間とに焦り困惑し何もできずにいた。
俺は、杖と剣とこん棒に攻め立てられ身動きを取れないでいる王を遠巻きに見ていた。
そして、終わりは唐突に訪れた。
カラン、カラン、カラン、カラン…………。
頭上から死神が鳴らす鐘の音が、竪穴に反響して聞こえてきた。毎正午を教える鐘の音だ。しばらくして、 最後に天文時計の鶏の鳴き声が聞こえてきて、辺りは静寂に変わった。
王の姿は消えていた。
首の無いマリオネット達は、糸が切れたように崩れ落ちていた。
《天文時計の鶏が鳴くとき、霊は姿を消す》という伝承に従い、彼らは姿を消したのだろう。
これでこの寸劇は幕を下ろした。




