第3章 2.天文時計の地下
第3章 2.天文時計の地下
「誰?」
レセプションデスクの隣でコーヒーカップを手にしていたおばさんの独り言がかすかに聞こえた。
ホテルの扉ががちゃりと閉まる。
来たときと同じように、透過の魔術は何者にも俺たちの姿を晒さない。
旧市街広場を歩き、天文時計へ向かう。
天文時計の塔の地下の、さらに地下へ降りる。
ジメジメとした空気が気持ち悪い。
電気など当然、引かれていない。指先の灯した火が暗闇を照らす。
壁は土ではなく、石でできている。それをレンガ状に敷き詰めている。ここは、人工的な構造物だ。
「ナタリアは、何のためにこんなものがあるのか知っているのか?」
「んーん」
首を横に振る。
「そうか」
何のためにこのような竪穴を作ったのだろうか。
宗教戦争、第2次世界大戦など大きな戦を経験している。何かの施設だったのかもしれない。
石でできた螺旋状の階段がある。指先の小さな明かりでは下がどこまでつづいているのか判断できない。
足元の石を手に取り、落とす。
………………………………。
数十秒してようやく音が返ってきた。
「かなり、深いな」
「うん」
「落ちるなよ」
「うん」
階段を降りる。
下まで行くのに一体何時間かかるのだろうか。距離にすればすぐでも、螺旋状に降りていけば、かなりの時間がかかりそうだ。
2人の足音が反響する。
「こっち」
30分ほど降りて、ナタリアの足が止まり、壁を向く。
「ここ、こわして」
「ここを?」
「うん」
それは他と変わらない石の壁だ。
拳で少し強めに叩いてみるが、奥に何かあるのかは分からない。何もないのか、あるいは石が分厚いためかもしれない。だが、魔眼をもつ少女の言葉は絶対なのだと信じられる。
右手をかざし、振動を起こす。壁は思いのほか簡単に崩れた。人ひとり十分に通れるほどの大きさだ。
「これは」
崩れた壁の先に、開けた空間が広がっていた。
石の壁で囲まれた一室に辿り着いた。
聖堂の地下にあった一室とは異なり、宝物の山が築かれていたりはしない。
ただ、がらんとした空間だった。
いや、外と同じく石を敷き詰めた4方の壁に一箇所を除いて等間隔にぐるりと、21個の石版がはめられていた。
ああ、そういう魔術か。割りと単純なのだな。
本来22個の石版が並ぶべきものから1個だけが取り除かれていた。
***
「ナタリア、念のため結界を張っておきな」
「うん」
ユリの花のペンダントを取り出し、胸に抱く。
「かみさま…………おまもりください…………」
5枚の花弁にあしらわれたグリーン、オレンジ、レッド、クリア、そしてブルーのガーネットが一瞬だけ閃光を放ち、淡く光へ変わる。
それを確認し、石で覆われた室内の奥に目を向ける。
さあ、どうせ来るんだろう。弟と側近をなくした孤独な王。
わざわざ、覗き見していたくらいなんだからな。
この街は、俺を付け回るやつが多すぎだ。
「おい、この子を守れよ。大切なんだろ、お前らにとって」
カツンと木の靴底が石畳を鳴らす。
「守る必要はないと思いますが? その少女の結界は硬いですよ」
背にした入り口から声がした。
「ガーネットは本来、加護のために使うものですから。攻撃に転用するよりも効果的です」
劇場、聖堂の地下で殺り合ったあの男のことを揶揄しているのか、そう皮肉をいう。
このブルーの瞳の男はどうやって俺をつけているのだろう。初日も合わせて4日間、一度も気配を察知することができなかった。
振り返り、男を見やる。
その男は、いつも見せていたポロシャツにジーンズという観光客に扮した姿ではなかった。
「珍しいな。修道士の真似事か?」
「真似ではありませんよ。そのまま修道服です」
「そうか。ようやく、お前が属してる組織がわかったよ」
「なんの面白みもないでしょう?」
「そうだな。で、結局、お前の目的はなんなわけ?」
視線を元に戻し、背にした男に問う。
「この街の異常を取り除く。上からの命令はそれだけです」
「そうかよ」
右手に灯した火を消し、《火星の4の護符》――王を打ち砕くことに特化した護符――を刻んだ辰砂のナイフを握る。
左手の人差し指と中指で、《死》のタロットカードを挟み持つ。
後ろの男がパチンと指を鳴らし、一度暗くなった空間を明るく染める。
「そこの」
空間が明るく灯された瞬間、王の衣を羽織ったそいつは突然現れた。
「遅えよ」
思考を切り替える。
カードを放り、ナイフを投げる。
ナイフはカードの面を垂直に突き刺し、そのままの勢いでそいつに向かって飛翔する。
しかし、そいつは左手の杖を振るでもなく、俺とそいつの中間辺りで何かによって打ち落とされた。
ち、不意打ちでも無理か。
落とされた位置はそいつから遠い。結界とは別だ。
「不届きな輩であるな」
「ほう、本物ですか」
本物の王ですか、という意味の感嘆だろう。
「我が宝物を荒らす賊め」
そういえば、この王の結界は、真下から吹き上がるあの女の焔をも防いでいたな。
「あんた、もう400年も前に死んでんだろ? 何を気にする必要がある?」
杖が向けられる。
「この地で人は死なぬ。そう施した」
「ああ、この街の幽霊話は貴方の仕業ですか。ついでにこの街の時間を止めたのも貴方ですか?」
「死を克服する法である」
それは、21番目の《世界》を外し、20番目の《審判》の後に0番目の《愚者》を置いただけの至ってシンプルな魔術だ。《審判》は死者の復活を意味し、 《世界》は生まれ変わることを意味する。そして、《愚者》は始まりの前を意味する。復活し、生まれ変わらずに始まりへ戻ると解釈できる。
これにより、死者は霊となりこの街の夜を彷徨う。天文時計の鶏により、昼間は行動を制限されるようだが。
さらにどこぞの魔術師はこの男を呼び寄せた。この男は、さらに術を施し、この街が次の日へ進まないように、そして肉体が幽体へ変わらないように小細工をしたというところだろう。
天文時計の魔術と組み合わせて、どうにかしたのか。
「どんな理由だ? 得た肉体を手放したくなかったか?」
「我は千載一遇の機会を逃す愚弄ではない」
「で、お前を呼んだ術者は?」
「古くから、肉体は肉体を用いて創り出すものでな。あの小賢しい魔術師は喰らってやったわ」
王は高らかに笑う。
「1つの帝国と2つの王国の3つの王冠を頂いた貴方は何が満足できないのですか?」
ブルーの瞳の男が口をはさむ。
「未だ、秘儀に辿り着いておらぬでな」
「ああ。そういえば、魔術師とはそういうものでしたね」
記録では民の氾濫により政権を失い、その後は病に倒れたと伝えられている。多くの錬金術師、占星術師のパトロンとして彼は何を求めたのだろうな。
「そこの娘」
「なに?」
声をかけられた少女を横目に見る。
王を前にしても変わらない。いや、少し怯えている……? ペンダントを握る手に力がこもっているような気がした。先刻の幻視のときのことが原因だろう。
「そなたの魔力は惜しい。我の僕になるがよい」
「…………ならない」
そのセリフはいつも通りの無感情というよりも、幾分かの不快感が混ざっていた。普段の彼女を思えば、その言葉には強い感情が込められていたのかもしれない。
「悪いが渡さねえよ」
ナタリアの前に立ち、視線を妨げる。
今、この子を失えるものか。
「貴様に用はない」
王は、右手の魔術書を開く。
――同時に俺はナイフを取り出した。




