第3章 1.幻視
第3章 1.幻視
今日も昨日と変わらない晴天だ。昨日と同じように、涼しさは少しずつ温かさに変わっていく。
「うごかない」
少女のグリーンの瞳に天文時計が映る。
「そうだな」
ウェーブのかかったブラウンの髪の少女から視線を外し、黄金の文字盤に目を向ける。
天動説により導かれた地球と太陽、その他の惑星の位置と年月日を示す金色の文字盤――プラネタリウム――と、その下にある12宮と四季の農作業を示す金色の文字盤――カレンダリウム――から成る天文時計は、本来プラハの1年を数え上げなくてはいけない。
プラネタリウムの横で、カランカランカランと死神は鐘を鳴らし、朝の10時を皆に伝える。
「しにがみはちゃんとうごいてる」
あどけない声でそう呟く。
死神の上にある2つの窓から、12人の使徒がゆっくりと顔を覗かせては消えていく。
「かみさまも」
上下2つの文字盤を指す針は、一昨日と寸分狂わぬ位置を示していた。
「きのうとおなじ」
「いつからだか分かるかい?」
「7日まえ」
「そうか。時間の流れに取り残されて7日になるのか」
死神は時間を数える。天文時計は日を進めない。時間の流れが止まったこの街は、いつも以上に魔術的だ。
「ナタリア」
「なに、セージ?」
「これは動いたほうがいいと思うか?」
ゆっくりと首を横に振る。
「だれもこまらないから、いい」
「そうか」
「けど、しんだひとはしんでないとだめ」
「そうだな。さあ、行こうか」
「うん」
この街が時を止めたのは、あの王によるものであると、ブルーの瞳の男は言っていた。この子もそうだと言っているのか。次は、確実に消そう。
「上手くいったら、アイスでも食べよう」
「うん」
喜怒哀楽を感じさせないいつもの表情が、少しの笑顔に変わった。
***
悪魔バエルの紋章を刻み、手をつなぎナタリアを連れ、ホテルへ戻る。
俺たちの姿は気の良いおばさんには見えていない。
むしろ、この子の魔力量で行使される透過の魔術は、俺からも彼女の認識を希薄にしている。
階段を使い、3階の自室の鍵を開けた。
外の世界では今日は金曜日だ。日の出から5時間後の11時。木星の護符が最大の力を発揮する時間だ。
《法皇》のカードと《木星の3の護符》を用いて、自身を偽りの法皇を演じ、さらに彷徨う霊から身を守る。ナタリアには、《木星の5の護符》を持たせ、少女のもつ魔眼と護符の幻視を組み合わせる。
カーテンを閉め、電気を消し、外部からの光を遮断する。
代わりに、床に描いた《木星の1の護符》の魔法陣の四隅に置いたキャンドルに火を灯す。
魔法陣に入り、ナタリアと向き合い、両手を繋ぎあう。
紅い光がナタリアの白い肌を朱に染めていた。
「心を落ち着けて。いいね」
「だいじょうぶ。けいけん、あるから」
経験がある……か。誰だって、この子の膨大な魔力を知れば、利用しようと考えるのは当然だな。
***
「神よ。御身の子である王に授けました秘儀をまたここに」
儀式に入る。
「東西南北を総べる管理者よ。その門をお開け下さい」
この世界と無数の世界とを隔てる東西南北の門を管理する者へ願う。
「《木星の1の護符》を司る者よ。私は跪き、貴方の下に参ります。この地に住まう精霊たちもまた共に参ります。いかなる妨害も貴方と私の今に介在を許さぬために」
幻視する。精霊を連れた我が身を。
「貴方もまた貴方を守護する騎士らにその役目を」
《木星の1の護符》を司る者に願う。
「神よ、祝福してください。彼と私が出会うこのときを」
幻視する。神を守護する天使が降り立つ姿を。そして、天使の祝福を。
「《木星の1の護符》を司る者よ。私の精霊と貴方の騎士が守護する貴方の元へどうか招きたまえ」
幻視する。城の謁見の間。広い部屋、赤い絨毯、煌びやかな装飾、それらを照らすシャンデリア。
幻視する。護符を司る見えざる彼に跪く。彼の騎士と私の連れた精霊が彼と私を守るように左右に整列している。
「私はこの時、ここに存在する喜びに、深淵なる感謝を込めて祈ります」
幻視する。このときを祝福する神の御使いである天使が天高くから見守る姿を。
「《木星の1の護符》を司る貴方は、私の求めるものがお見えでしょう。私が求めるものの在り処を貴方はお知りでしょう。貴方はすべての宝の主なのですから」
「ぅん……」
繋いだナタリアの手に力がこもる。
「見え……た。ここは……王さまのおはかじゃない。天文時計の……ずっと下」
あの場所に?
「したにすすんで…………あ…………ぃゃ…………ルド……みられ…………」
ルド……――魔術王――見られた!
その声を聞き、彼との謁見を終わらせるべく、早口に唱える。
「貴方の寛大なる御心とその偉大なる御業に感謝いたします」
謁見の間を去る自身の姿を幻視する。
「東西南北を総べる管理人よ。その門をお閉じ下さい」
煌びやかな空間は靄がかかり、次第に薄れて消えていき、儀式が終わる。
「ナタリア!」
閉じたまぶたを開ける。
「だいじょうぶ」
覗き込むようにしてこちらを見つめるナタリアの瞳は、ダイアモンドの輝きを放っていた。首から下げたガーネットで飾られたユリのペンダントも同じだった。
***
キャンドルの火を消し、電気を付ける。
「あいつがどこにいるか分かるか?」
「わからない。観えない」
「そうか」
ち、監視されていたのか。厄介なやつだ。
この子には観ることに徹しさせたからな。
俺ごときでは、精霊、騎士、天使の守護を幻視したところであいつの魔術には敵わないらしい。
「天文時計に地下があるのか?」
「もっと、下」
「行き方はわかる?」
「うん」
ナタリアの頭に右手を置き、髪を梳いてやる。
少女は、くすぐったそうに目を細めた。
「セージ?」
この子は、役に立つ。きっと、この先も。




