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幻に揺れる淡い島  作者: KAHO
第一章
9/11

消えた軍人

 男の顔は長い間見ていられるものではなかった。


 或斗は卒倒寸前になるのを必死に堪えていた。ここで意識を失ったらココはどうなる……? と言うよりも、自分の命だって危ないだろう。


 身の安全を考えると怪物から視線を反らすことさえも躊躇われた。その隙に銃で撃たれるかもしれないからだ。


 男はしばらくはそれ以上の動きを見せなかったが、再び突然、身体をぎこちなく動かし始めた。肩や腰の関節がおかしな具合に動くそれは、まるで操り人形のようだ。

 

 或斗は一歩退いた。ココは或斗の背中にしがみ付いて離れない。

 

 とその時、男の瞳の部分に当たる二つの空洞が真っ赤に光り、レーザーのような鋭い光線となって伸びた。

 

 反射的に或斗は三歩退いた。

 

 男は顔を動かして不気味な瞳で光を動かす。或斗は光線を避けることで精一杯だった。

 

 光線は数秒間定位置を保つと、天井でも棚でも床でも真っ黒く焦げた穴が開いた。

 

 光線に当ったら命はないと或斗は思った。隙を見てその場にしゃがみ込み、近くにあった鏡を盾にして一時的に姿を隠したが、こんなものでいつまでも耐えられるわけがない。

 

 息を整えてからそっと隙間から覗くと、男は鏡の目の前まで来ていた。首をカクカクと左右に動かして、或斗たちを探しているようだ。銃をしっかりと握り、両目から光線を撒き散らし、一歩ずつゆっくりと奇妙な足取りでさらに近付いて来る。視線の位置が定まっていないところを見ると軍人は鏡の裏の存在に気づいていないのかもしれない。


「棚に隠れるですッ」

 ココが耳元で囁くように言った。


 或斗は背を丸めて後ろを向き、店の奥まで慎重に移動し、棚の反対側に身を潜めた。背負っているココの体重が軽くて幸いした。重かったら落としていた可能性がある。

 

 束の間の息を吐いている時だった。さっきまで盾に使っていた鏡が倒れる音がした。男が倒したのだ。天井では赤い光線が飛び交っては穴が開けられる。

 

 或斗はココを背負い直し、隣の棚に移った。さらにもう一つ奥に行きたかったが、怪物の一部がチラと見えて首を引っ込めるしかなかった。

 

 一旦ココを下ろし、或斗は彼女だけを逃がせることにした。

「殿はどうするですか?」

 ココが血相を変えて問う。

「とにかくコイツはどこまでも追いかけて来そうだからな。俺の力で何とかしてみるさ」

「殿……」

 心配そうに瞳を丸めるココは、「怖くないですか?」

「バカやろう。幻力さえあればアイツなんて可愛いもんじゃねぇか」

 と格好つけつつも、或斗の心臓は早鐘のように高鳴り、身体は極度に萎縮していた。怖いなんてものじゃない。ココと一緒に逃げてしまいたいのが本音だったが、こんな時に男のプライドが図々しくも前面に押し出ていた。

「早く行け」

「分かりました。でも無理はしないで下さいな。アヤツは特殊です。普通じゃないですよ――ココは急いでこの惨事を仲間に報告して来るです」

「分かった」

 或斗が頷くとココは足早に店を出、ガイドの方へと姿を消した。真新しいブーツは足音を吸収する仕組みのようで無音だった。

 一瞬だけココが戻って来なかったらどうしようと不安になったりしたが、小学生に頼る自分の脆弱さに腹が立った。クソッ。俺は透明人間になれるんだぞ!

 

 赤い光が頻繁に視界に入ってくるようになった。上を見れば、一つ前の棚の周辺で乱暴に動いている。或斗を見つけられないことに苛立っているのだろう。

 或斗はチャンスだと思い、一まず男から一番遠い棚まで移動した。

 思ったより相手が低能なのが幸いだった。同じ所を何度も往復している。

 それにしても非難生物じゃないとすればアイツは何者なのだ? 突然現れて何が目的でこの俺を狙っているのだ? そもそも幻力は効くのか?

 

 或斗は目を瞑り、目玉から赤い光線を出す軍人が銅像であることを想像した。

 錆び付いた銅で出来た大きな像だ。土台に乗った、醜い軍人というタイトルの像だ。一生動くことのない像である。

 握っている銃までも銅にしてしまうべきだろう。それとも、銃は床に落として頂いてしまった方が良いだろうか。今後のためにも、この世界での法律に触れなければ銃の一つは持っていた方が良いのかもしれない。

 或斗は瞼にグッと力を込め、軍人の手から銃が落ちる様を想像した。

 残された身体はゴツゴツとした肌の質感を残しつつ皮膚の代わりに薄い銅板が張られ、その中にドロドロに溶けた銅が流し込まれる。血液や内臓があるのなら、セメントのように全てに銅を流し入れ、仕舞いには怪物の意識さえも銅化するのだ。空洞だった瞳も銅によって穴が塞がれ瞼が下ろされる。光線はおろか口も開けられない。とにかく全てが銅なのだ。どこを触っても銅でなくてはならない。

 カクカクと動く怪物が足元から徐々に銅に変わっていく様は想像するだけでゾッとした。

 描く銅像が鮮明になればなるほど、或斗の身体は何かに反応するように冷や汗が流れる。貧血になったかのような皮膚の感覚がとても気持ち悪い。

 だがどうしてか、以前のようなてごたえは感じなかった。それだけ難しい相手ということなのだろうか? それとも効力はないとでも?

 

 或斗は少々不安になり、瞼を開けた。

 辺りを見渡すと光線は飛んでいなかった。

 

 成功か……?

 

 脇の下と背中に変な汗が伝う。鈍い寒気が全身を包んでいた。

 或斗は恐る恐る棚から離れ、精神を張り詰めたまま店内の中心まで進んだ。

 左右、前後と見ても、赤い光どころか怪物の姿すら消えていた。銅像も見当たらない。


「消えたのか……?」


 姿を晦ました可能性は十分に考えられた。自分が銅像になるのを恐れたのかもしれない。

 或斗は全身の力が抜けそうだった。消えたとは言え警戒心は酷く強いのが自分で分かる。得体が知れないからこそ計り知れない恐怖が取り巻いているようだった。そしてそれに負けそうだった。

 両手で顔を隠した或斗は、その手で額の汗を拭って大きな息を吐いた。

 その後、倒れた鏡を見つけた或斗は、覚束ない足取りでそれに近付いて起こした。光線が貫いた箇所に指を入れて触ってみると、研磨された石のようにことのほか滑らかであった。頭蓋骨にこんな穴が開いたらどんな名医でも治せないに違いない。

 鏡に映る自分は、酷く顔が硬直し、白いTシャツに黒いスウェットに革製のブーツというどこから見ても弱そうで格好悪かった。せめて服装もどうにかならないものか。

 

 とその時、近くで何か硬い物質が床に転がる音がした。

 或斗の心臓が大きく跳ねる。

 音がした方に顔を向けてみるが、嫌な予感は的中していなかったことにホッと胸を撫で下ろした或斗だった。

 棚から靴が落ちた音だろう。綺麗に陳列されていた靴も今の一件で落ちてしまったのもあることだし、落ちそうで落ちない具合に引っ掛かっている靴があってもおかしくはない。それが重さに耐え切れなくなって落ちただけだ。

 

 或斗は近くにあった四角形のサイコロのようなソファーに腰掛けて両手で頭を抱えた。意外にもふっっかりとしていて臀部がやけに落ち着く。何となく、自宅のソファーが思い出された。

 

 家族たちは今頃何をどう思っているのだろうか。正確な時間が分からないけれど、この世界に来て三時間は経過していると思う。学校は始まっている時間だし、無断欠席ともなれば担任から連絡が入るはずだ。

 これまでに学校を休んだことは何度かあるけれど、サボったことは一度もない。担任が保護者へ連絡を入れるようなことをしたことだって一度もない。一応は綺麗な道を辿っている普通の男子学生なのだ。

 さすがに小さな子供がいなくなったわけでもないから近所を探し回っていることはないだろうが、心当たりのある知人なんかへは連絡入れているのかもしれない。普段は娘の姉貴とは違って、両親とも息子の行動に対しては干渉することもない。まぁ母親に限っては口うるさいこともあるけれど、帰宅時間が遅くなろうと無断で外泊しようと文句は言わない。説教をたれる時は自分の気持ちを晴らしたい時であって、娘を叱るよりは後腐れも悪くない息子の方がやり易いからだ。

 そんな母親はどんな気持ちでいるだろう。息子がいなくなったことを機に日頃叱ってばかりいることを反省して欲しいとも思うけれど、その確立は極めて低い。むしろ私立の高い学費を払っているにもかかわらずサボられたことに目くじらを立ててるに違いない。父親は呑気だし、弟から金を巻き上げる姉貴も意外にあっさりしているのかもしれない。そのうち帰って来るだろうと。

 

 ふと、「五千万円」という金額が或斗の脳裏を掠めた。ココが言っていたことを思い出したのだ。冴森或斗の能力を国が購入した金額であると彼女は言った。そして既に家族がその金を手にしているかもしれないとも言っていた。

 

 ――まさかとは思うが、本当に五千万円の大金が冴森家に支払われていたとしたら、息子がいなくなった理由も耳にしていることであって、それはそれで両手を上げて喜んでいたりしないだろうか。何よりも五千万円に嬉々していそうな三人の顔が鮮明に見える。はっきりと見える。

 

 或斗は三人の喜ぶ顔を払拭するようにスッと腰を上げた。

 考えるだけ腹が立ってくるのはどういうことだろう。

 

 店内を回るように歩いていると、如何わしい物質が落ちているのを発見して或斗は息を呑んだ。

「マジかよ……」

 足を一歩踏み込むまで勇気が要った。

 数メートル前に転がっているのは、どこをどう見ても狙撃銃である。まさに怪物が握っていたソレだった。

 手に触れると分かったが、銃床が木製であるのに対し、スコープや細く長いバレルは鉄製であった。鉄の部分は触ると細かい錆が手にくっ付いた。銃自体はそれくらい傷んでいる代物である。専用の布とクリームで磨けばもう少し艶が出るのかもしれない。

 銃弾は入っているようだ。ただ古すぎて、銃としての機能が果たせるのかは不明である。しかし玩具でないことは一目瞭然で、或斗はそれだけで全身の産毛が逆立ちそうなくらいドキドキしていた。刻印は「九七式」であると読み取れる。

 その昔、軍人はこの銃を担いで国のために戦ったのだ。当時は高性能とされた九七式狙撃銃も、時代が経てば古くなり戦闘では使い物にはならないかもしれない。がしかし、武器がないよりはあった方がマシである。

 

 或斗はベルトを背中に回して銃を担いだ。全長は一メートル以上あるだろう。ずっしりと重く、シャツ一枚では肩が痛くなりそうだった。

 それにしても或斗は驚いた。銃だけがとり残されていると言うことは、幻力が効いた証拠である。銅化した軍人が見当たらないことが腑に落ちないけれど、インバース以外の生物にも効果があることが立証されたのだ。幻力は無敵と言って良いかもしれない。


 ――殿と呼ぶ声が聞こえた。ココの声だ。何度も叫びながらこちらに近付いて来る。

 或斗の姿を見つけるなり、ココは両手を広げて飛びついて来た。

「良かったですよ無事でぇぇぇぇ」

 或斗は後ろに倒れそうになるのを堪えるので精一杯だった。

「何ですこれは?」

 即座にココが背中の物体を問うた。

「アイツが持ってた銃さ。使えるか分からないけど頂くことにした」

「なるほど。でも殿は幻力だけで十分戦える英雄ですけどな」

 そう言って床に降り立ったココは、周囲をキョロキョロと見渡した。

「アヤツはどうなっちゃったですか? 虫けらにでもしたですか?」

 或斗は肩を竦めた。

「いや。銃を残して消えたみたいだ。俺の想像したとおりになったのかどうかは不明さ」

「何を想像したですか?」

「銅像にでもなれと思ったんだけど、何となくてごたえが無くてさ、途中で目を開けたんだ。そん時にはもうヤツはいなかった」

「なるほどですか。ってことは、やっぱりアヤツはインバースではないですな。インバースだったら確実に銅像になって固まっていたですよ。仲間にも訊いたですが、もしかしたらマザーの調子が狂ったのが原因かもしれません」

「マザー?」

 また分からない名称に、或斗は首を捻った。

「この世界に生物を誕生させる機械って言えば早いですかね。魂と肉体をくっ付ける役目してるですよ。ココの体もそこから生まれたです」

 何てことないように言うココだったが、或斗は返答に困った。

 ココはニコリと笑う。

「そのマザーですけど、数日前から様子がおかしいですよ。誕生させる生物がインバースばかりで、せっかくの娯楽園も荒れ放題です……」

 とココは言葉尻を濁し、悔しそうに表情を曇らせた。そして頭を振って直ぐに取り直すと、

「マザーを操ってるのは下島の人間たちであると聞きいてます。政府の誰かと霊能者の誰かです。その人間たちが間違った思想を持ってるですよ。私利私欲が強いです。国民の幸せよりも自分たちの幸せを優先させてるです。そのはちゃめちゃな欲のせいでマザーは狂っちゃったです」

「それが原因でさっきの軍人みたいな生物を誕生させたって?」

「はい。そのようです」

 ココは両耳の上で結んだ髪の毛を揺らしながら真剣に頷いた。「仲間に詳しい人がいるです。その人が言うには、さっきの軍人は、見てのとおり大日本帝国で過酷な職務を背負った人物のようです。きっと戦争で亡くなったんでしょう。その亡霊にマザーは邪心だらけの意識を入れ込んだのかもしれないです。でも本来、幽霊に意識を入れることはしてはなりませんです。霊魂は転生という運命が待ってるですから、こんな中途半端な生き返りを神は許しませんです」

 ココの瞳には力が込められていた。憤怒や焦燥が混在しているようだ。


「続けて」

 或斗は真剣に聞こうと思った。


「はい。あの軍人は邪心が埋め込まれたです。まさにその心は、政府の汚れた心そのものです。そんなことも知らず政府たちは万々歳です。幻力に長けた殿たちに働かせたら高確率で娯楽園が出来るのですから。政府と手を組んでいる有能な霊能者たちだって上の世界がこんなにも荒れてるとは思ってないでしょう。大衆の幻力を掻き集めて出来たこの島を保持させるためにもそれ相当の精神が必要です。霊能者たちが政府の暴走まで監視している力は残ってないですよ」

「こっちから政府に知らせる方法だってあるだろ?」

 或斗のもっともな意見に、ココは首を緩く振って否定した。

「マザーが生んだ人物が見えるのは、殿のような幻力に長けた人間だけですし、下と上が協力するなんて結界の関係で無理です。下島と上島の間には強力な磁気のような反発力が発生してるです。例えば自分の身体に他人の臓器を移植するのと同じで、島同士が拒否反応を起こしてるですよ。その境界線に結界を張ることで双方とも何とか維持できてるです。結界がある限り下と上が同時に見えることなど決して無いです」

 或斗は生唾を飲み込んだ。

「じゃあ何だ? 俺は、邪心が埋め込まれたヤツらを取っ捕まえても、下で笑ってるおっさんたちが気づかない限りはいたちごっこってわけか?」

 ココは顎に指を添えて考え込んだ。

「そうなるですね。ダメな大人たちに勝つには殿たちが強くならなきゃならないです」

「強くって言ったってどうやって?」

 武術でどうにかなるものでもないだろう。

「それを仲間たちと相談するですよ。二人は殿をずっと前から待ってるです」

 また仲間かよ。その仲間の一人がピンチになっている時に駆けつけてすらくれない仲間かよ。

 ココはにこやかに微笑んだが、それがまたわざとらしくて或斗をイラッとさせた。

「じゃあ連れて行ってくれませんかね。その仲間と言うヤツらの所までさ」

「了解です。ココに着いて来るですよ」


 ココの後に続いて或斗はガイドに乗り込んだ。扉が閉まるそのギリギリまで靴屋を注視していたが、軍人の亡霊は見当たらなかった。

 邪心が入ってるのならどうして襲って来なかったのか? そこがどうしても引っ掛かる。光線という武器を持ってるのならこんな弱っちい男なんて簡単だったろうに……。



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