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幻に揺れる淡い島  作者: KAHO
第一章
7/11

生と死の境界線

 歩き過ぎ以上に歩いた足裏には無数の擦り傷が刻まれてヒリヒリと痛む。疲労の限界を超えた足は立ち止まっただけで小刻みに震えるし、ふくらはぎはサッカーボールのように硬かった。足が棒になるとはこういうことを言う。昔の人は本当に上手いこと言ったものだ。

 

 何時間歩いただろう。陽は傾きかけ、空は一日の終わりを迎える準備をしている。

 この地でも二十四時間のサイクルに変わりはなく、一応は宇宙的な時の流れが存在することが、或斗には異国で味噌汁を口にしたくらいホッとしたのだった。

 

 目的地に到達する間、或斗は様々な容姿をした生態を目撃した。ココが言うには、どのそれもインバースと言って、攻撃性の強い「仮日本」に対する非難生物らしいのだが、そのインバースこそ、どのような性質でどのような影響があるのか、まったくの無知である或斗にとっては、漠然としか知らない妖怪と同類であった。歩くたびに首根っこがバネのように揺れる男とか、三輪車に跨る少女の格好をした老婆とか、膝から下だけの大群とか、猛スピードで駆け抜ける赤いブリキの電車とか、統一性がなくて妙な妖怪を或斗は目撃したのだ。

 

 今回、インバースに一度も襲撃されることなく済んだのには理由があった。

 境界線に帳が降りる前に到着するためにも、出会ったインバースと片っ端から対峙する時間を省かなくてはならなかったのだが、その方法はたった一つしかなかった。幻力である。

 

 或斗は、自分とココの身体を透明にすることで時間を費やすことは惜しげもなかったから、随分と長い間、荒野の真上で瞑想するよう幻想を描いていた。それくらい集中しないと透明にはなれなかったのである。少しの隙で振り出しに戻ってしまう。

 しかしながら、透明人間は本当に存在するのかもしれないと、或斗はこの時思った。輪郭も何もかも完全に消えた自分は、確実に透明人間を作れる人種だ。

 ココは、或斗とはぐれないように洋服の裾を掴んで放さなかった。或斗の歩幅が大きくてついて行くのにやっとなのか、時々引っ張られて或斗は立ち止まった。

 

 滲む境界線に辿り着いて或斗が思ったことは、この異世界は予想以上に生活し難いと言うことだった。ココほどの高さの標識には「→」の印と、「食事」と「銀行」と「歩く人間」のマークが簡単なイラストで施されている。レストランがあってお金が引き落とせてショッピングができる、要するにデパートまるごとスッポリ土の中に埋まっているのだ。この世界では地下街が一般的のようで、住宅街やテーマパークも地の下に巣食っているらしい。

 住み難い理由はそれだけではなく、歪む地平線の向こう側は、まさに生と死の境界線でもあるのだった。空の青と大地の茶が混ざり合ったカーテンの向こう側は、大量の白煙が大滝のように下方へ流れ込んでいて、一歩間違って踏み込んでしまえば命はないだろう。

 そのせいか、地下街を訪れる人影はなかった。デパートの入り口なのであればそれなりの活気があるようなものだろうに。

 

 透明の効力は過労と緊張とで切れてしまったようで、二人の容姿に色が戻り、少女が先頭に立った。

 地下へ繋がる階段を下りた先は駅のホームとそっくりだった。ただ洞窟のように薄暗くて壁はゴツゴツとしている。そして電車こそないけれど、ゴンドラのようにロープにぶら下がった白い球体の機械の向こう側は、出口と表示されている。


「殿、行くですよ」

 ココはそう言うと乗り込んだ。

「大丈夫かよ、これ。そもそもなんで丸いんだよ」

 どのような技術をもって作られたか分からないが、或斗には錆び付いたジェットコースターに乗るよりも気が引けた。

「大丈夫です。落っこちることはないです」

 宥めるようにココが言う。

「丸いのは仲間の男性が作ったです。理由はココも分からないですな。後で訊いてみると良いです」

「さっきから仲間って言葉をよく口にしてるようだけどさ、ロープレでもあるまいし、何なんだよ」

 乗ろうか乗るまいか或斗は本気で考えあぐねていた。このまま乗ってしまったら、一生、現実には戻れないような気がしたのだ。

 ココはニッコリと笑った。

「冒険ですよ、殿。深いことはまだ話せないですけど、掻い摘んで説明するとですね、殿に与えられた指令は、この島での冒険と遂行です。それを仲間と一緒に達成させるですよ。この世界の成功は殿たちにかかってるですからね。ココはそんな殿の助手です。とても光栄です」

 胸を張り、ココは白い歯を見せた。

 或斗は両肩を落とした。

 意味が分からん……。

「断ると言ったらどうなる?」

 物は試しに訊いてみた。帰れる可能性があるかもしれない。

 だがココの一言で、或斗の望みは一蹴された。

「無駄です。たとえ逃げてもココが直ぐに生け捕ります」

 生け捕るって……聞こえが悪いじゃないか。

「殿、聞いてください。この世界に来た以上は国の命令に従うしかありませんです。これは絶対です。国のためです。逃げようなんて考えるだけ無駄です。それに、殿は近々五千万円を手にするです。国が殿の能力を五千万円で買ったということです」

「五千万だって!?」

 或斗は一瞬だけ金の匂いをかいだような気がした。

「そんな話、聞いてないぞッ!」

「はい。言ってませんです」

「……いつ手に入るんだよ?」

「それはお偉いさんに訊いてくださいな。もしかしたら既に殿の家族が手にしたかもしれないです」

「何ッ。じゃあなんだ? 俺が任務を経て戻ったら、実家がリフォーム済みってこともありえるってことか?」

「そうかもですな。でも、殿のトトさんやカカさんが殿を生んだです。トトさんとカカさんがいたからこそ、二人が結ばれたからこそ、幻力の勝った男の子が生まれたですよ。二人が使ったからって責めることは出来ませんです」

 

 子供のくせにらしくないことをと思いながらも、五千万円の大金を耳して、或斗は益々の不信感を抱いたがしかし、同様に卑しい欲情も湧いてくるのが腹の底から分かった。

 ここで逃げたとしても捕まることは避けられない。仮に逃げ切った所で五千万円との縁もプッツリと切れることだって間違いない――五千万円があったら一人暮らしも可能だし、毎日大好きなカツサンドやチャーシュー麺を食べたって十分余る額だ。まぁ親に五百万円くらい寄付したとしても、四千五百万を手にするのだ。高校を卒業して一年くらい遊んで、車やバイクを一括で買って、その後は適当な企業に就職したとしても、車やバイクの借金はないのだから月給は余裕で遣り繰り出来るし、何よりも多額の貯蓄があるのだ。無駄遣いさえしなければ程好く遊べて実に楽しい生活を送ることが出来るじゃないか――まぁ家族らが勝手に消費してなければの話だが。


「行くですよ、殿」

 或斗はスッと顔を上げた。ここは五千万円を胸に行くしかないだろう。

 

 或斗は乗り込む前に球体のボディーを軽く叩いた。まるで岩を叩いているような実の詰まった音がした。とても頑丈そうだ。続いて彼は背を丸めて慎重に足を踏み入れた。ぶら下がっているだけなのに意外にも安定感があって高い技術が窺える。


「やっぱり殿もお金は好きなんですな」

 入り口を閉めたココは楽しそうに笑った。

 或斗は咳払いをし、天を仰いだ。アーチ状の天井は何だかとても広く見えた。好きと言うか、必要なのだ。人生がかかっているのだから。

「それで? これからどこに行くんだよ?」

「靴屋です。殿に靴を買ってもらうです」

「買ってもらうって言ったって、ご覧のとおり俺はまだ、一文無しなんですけど」

 或斗は両手を広げて見せた。

 球体がわずかに下に動いた。その直後、狭いトンネルに吸い込まれるように加速し、落下した。

「お金のことは心配いらないです。殿は国が認めた逸材です。特別な人間です。この世界では殿の功績がお金になるです」

「言ってる意味が分からない」

 或斗はそう言いつつも、エレベーターのロープ事故に遭ったような恐怖が纏わりついてココの声がこもって聞こえた。しかし、下手なことを想像するのは危険すぎることも或斗は会得していた。自分には幻想を描くだけでそれが現実となってしまう力がある。この球体が硬い地面に叩きつけられて粉々に破壊することは何が起こっても想像してはならない。


 或斗は精神を統一するために目を瞑って、一から数字を数えていった。

 ココは、或斗が大人しく耳を傾けていると思い込んでいるようで、お金よりも大事なことがあるとか何とか力説しているようだった。が、或斗の耳には届くことはなかった。


 数字を三十まで数えた所で、或斗は目を開けた。ココはまだ何かを語っている。

 どこまで落ちるのだろうか。結構なスピードが出ているようにも思える。

 気圧の変化が少しも感じられないのは下降する速度が遅くて距離にすると意外にも短いのか、それともこの世界だからだろうか。そしてこの地下にはインバースと称されている奇妙な非難生物はいないのだろうか。

 

 とその時、箱がわずかに固く揺れた。目的の階に到着したようだ。

 スッキリした表情のココがドアを押し開ける。その目前に広がる奇抜な光景に、或斗は言葉を失った。


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