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幻に揺れる淡い島  作者: KAHO
第一章
6/11

怪奇な腕

 少女の名前はココ。八歳。

 通常なら小学三年生に属するはずだが、ココの身長は幼稚園児並に小さかった。百七十三センチの或斗と並ぶと、鷲と雀の差ほどもある。ちなみに好きな食べ物はアイスで、嫌いな食べ物は納豆だそうだ。|(ココリュード原作者の好みが左右しているらしい)


 或斗は、常識を無視した目前の全てに引け目を感じながらも、これは夢なのだから逃げることもないだろうと思い直し、少女に言われるがまま広大な敷地を歩み出した。直ぐに自分は裸足なのだと気づいた。枯れた芝生が足裏を刺激する。


 ココの話では、この変てこな風景も現状も夢ではないということだが、突然出現して突然消えたココのポスターも含め、全ては或斗自身が呼び起こしたことだと説明を受けたところで、それを真っ向から呑み込むほど或斗は柔軟じゃない。

 ココは、詳しい話は後ほどと言っておきながらも、秘め事を誰かに言いたくて仕方ないと言うような口調で、「幻力」とやら能力の奇妙な話を歩きながらでもするのだが、それはまるで或斗にとっては、自分が実は女だったのだと宣告されたくらい図々しい内容であった。

 想像するだけでそのとおりになるだって? それじゃあ自分は今頃超幸せな生活をしているに違いないと或斗は思うのだった。ンなわけないだろう! と。

 

 彼女は言う。

「殿は昔、怖いテレビを観た後にいらないこと考えてトイレに行けなかった時あったです。そのころから幻力が活用されていたですな」

 

 と言われてもだな……。幻力のことは算数の九九よりも知識がないからひとまず置くとしてもだ、トイレに行けなかった経験は誰の幼少期にも一度はあるに違いない。大人だってあるはずだ。二十歳を過ぎた姉貴はああ見えて怖がりだ。そのくせホラー系のテレビが好きだったりする。「恐怖体験」や「心霊現象」といったサブタイトルがついた番組は欠かさず観るのだが、必ず先に風呂を済ませている。さらに番組終了後は、こっそりぬいぐるみを抱いてトイレに行っているのを或斗は何度か目撃している。この時ばかりは姉貴も女なんだなぁと少し胸がすいたりするのだが、結局は可愛げのない鬼女である。


「本当だったらポスターの中から派手に飛び出したかったです」

 出し抜けにココが言った。或斗の一歩前を歩いている。

「そのポスターのことだけど、君が貼ったのか?」

「いいえ。貼ったのは殿本人です。ポスターは元々神崎登と言う男子の部屋に貼ってあった物です。それを殿が自分の部屋に呼び寄せたです」

 ココはそう言うと、或斗と向かい合わせになって後ろ向きで歩き出した。

「殿は真剣に考えてたです。神崎登の部屋からココのポスターが消えてしまえば良いと」

「いや、しかしそれはッ」

 バカを言え。あれは飽くまでも冗談のつもりで――と思った時、或斗は、ベッドが破壊した時にふと思った己の悪運を呆然と感じた。

 まさか、今までに現実化されていた偶然が「幻力」によるものだって言うのか? いやいやそれはないな。だってこれは夢だ。夢の中の出来事――。

「夢じゃないですッ」

 内心を見透かしたようにココが吼えた。

 歩を止め、唖然とする或斗を見上げたココは、キッと吊った目尻の力を抜いた。

「これは夢じゃないんですよ、殿。ココの命に変えても良いです。この枯れてしまった芝生の上を歩いていることも、こんな世界が存在することも、今、殿の目に映っている全ては現実です。とにかく今はゆっくり出来ませんですから詳しい話は後でするです――先を急ぐですよ」

 ココはそう言って前に向き直り、潔く歩調を強めた。


 しばらく足が出せなかった或斗は、たっぷり吸った空気を残らず吐き、そうしてようやく身体が言うことを利いた。頭を振ると、何も考えない方が賢明なのかもしれないと脳が言った。

 或斗はココの小さな背中を見ながら、そして時々は周囲の雑な風景を見ながら枯れ芝の上を延々と歩いた。

 ふと見ると、ココも裸足であることが目に入った。小粒な爪に紅緋色のネイルが塗られている。よく見ると、少女が身につけている赤いTシャツやベルトに見覚えがあった。たぶんそうなんだろうと思ったが、そこにつけ込むほど性格は固くなっていないから口にはしなかった。


 ――どれくらいの距離を進んだだろうか。遠くの黒煙は踊り続け、見渡す限りの芝模様は、所々が泥濘で柔らかくなっていて足が嵌りそうになる。舗装された道などは一切見当たらず、裸足で歩くには厄介な大地であった。皮製のブーツが欲しいところだ。

 それにしても本当に奇妙な景色である。それは遠見も同様で、一切の建築物の邪魔が阻止された地平線は、まるで空の青と平地の茶が水に溶けて別の色になっているようだ。キャンバスの上で絵の具を混ぜたらこんな具合になるだろう。

 依然として前を歩くココは、まるでオモチャの兵隊のように両手を大きく振って楽しそうだ。

 一体、少女はどこに向っているのだろう。夢の出口だろうか? そうであって欲しい。

「これが夢じゃなかったらキツイぜ」

 独り言のつもりで言ったのに、閑散とするこの地帯では声を潜めることなど無意味であった。

「だから、これは夢じゃないです。殿もしつこいですな」

 ココは振り返り、立ち止まった。「靴を買った後にきちんと説明するです。だからもう少しの心棒です。黙ってついて来てくださいな」

「あ~今じゃダメなのか?」

「ダメってことはないです。けど、仲間と会ってからじゃないと何かと面倒です」

「仲間? 君のかい?」

「いいえ。或斗殿のです」

 またまた冗談を。オンラインゲームでもあるまいし、芝生の上で会いましょうなんて約束している仲間などいるわけがない。

 ここまでくると或斗は笑わずにはいられなかった。鼻息が荒くなる。

「別に良いです。殿が信じられないのも分からなくもないです。けどそう思っているのも今のうちです。過酷な試練が殿には待っているんですからねッ」

 ココは歩を再会させた。先ほどよりも腕の振り幅が若干大きくなった。

 当然、或斗は本気に捕らえていない。はいはいはい、と適当に促してケラケラ笑った。


 その直後だった。

 ざわりと何かが芝生を這うような音がした。

 ココが敏感に足を止めた。或斗にも静止するよう手を伸ばして訴える。

 音の気配を察知するようココは当りに注意を向けた。ゆっくりと上半身を回転させる。

 或斗は何がどうしたのか状況が飲み込めず、とりあえず音がした方に顔を向けてみた。

 と、その時。

 竹薮から蛇が飛び出したかのように、シュッという音と共に白く長い物体が飛び跳ね、或斗の顔を目がけて襲いかかって来た。

 或斗は咄嗟に腕で顔を覆ったが、手首を巻くように圧力がかかった。

「な、なんだコイツ!」

 見ると、信じ難い物体が付着し、手首を掴んでいた。

 肘までしかない人間の腕だった。骨のように細く、真っ赤な爪が或斗の皮膚に食い込んでいる。

「ぎゃあああああ!」

 或斗は半狂乱に喚いて腕をぶん回した。が、白い腕はビクリともしない。

「何なんだよ!」

 パニックになる。太い毒蛇が巻きついたよりも恐怖だ。

「これはインバースの腕ですな」

 ココは胸を撫で下ろすように言って、或斗の服の裾を強く引っ張った。「想像するですよ」

「は? 想像だって?」

 こんな緊急事態に何を言うんだッ?

「バカ言え。早く何とかしてくれ!」

「だから想像ですッ。殿はまだ武術を取得してませんです――あ、そんなに慌てないでくださいな。このインバースは比較的おとなしいです。危害も加えませんです」

「ウソつけッ。爪が痛いんだよ!」

 十分ダメージ被ってるじゃないかッ。しかも気持ち悪い!

「早く取ってくれ!」

 卒倒寸前の或斗の真っ赤な顔を見て、ココは長いため息をもらした。

「殿と上手くやっていく自信がありませんです」

「あッ? 何てッ? ――うわあ! 腕が動いた! 動いてるぅぅぅぅ」

 白い腕は巨大蜘蛛のように指を動かし、トレーナーの袖口から潜り込むようになった。

「ふざけんじゃねぇぇぇぇ。そもそも何なんだよコイツはぁぁぁぁ」

「だからもうッ。ココの言うことを聞いて下さいな! そうすれば簡単に外れるです!」

 ココは地団太を踏んで言った。

「じゃ、じゃあどうすりゃ良いんだよッ!」

 腕はさらに上を目指そうとする。そのたび鮫肌のようにザラザラとしている感覚が伝い、或斗の全身の産毛が逆立った。背筋がピンとなる。

「その腕が木の枝になったことを強く想像するです」

「はぁ? 木の枝だぁ?」

 こんな状況でそんな呑気に空想が出来るかよッ。

「するです! 方法はそれしかないですよッ」

 クソォォォォ。悪夢も冗談がキツイぜ。

「早くするです。じゃないと胸にまで入って行くですよッ」

 そう言われたらやるしかないと或斗は思った。胸部にこの腕は勘弁だ。絶対に気絶する。

 或斗は固く目を閉じた。その瞬間、二の腕にぞろりとしたものを感じた。確実に這い上がって来ている。

 気色悪い感触を味わいながら木の枝であることを強く想像することは非常に難しい。何しろ実際の枝は人を襲わないのだから。

 それでもどうにか茶色い枯れた枝が吹っ飛んで来たところを想像すると、一瞬だけ、巨大蜘蛛の動きが止まったかのようだった。そして指の部分を五本に分かれた枝に切り替え、全体的の樹皮の質感や香りなどを想像した。物質自体は決して新しいものではない。


 時間にしたら目を瞑っていたのなんてほんの数分程度だったはずだ。初めは怪奇な腕と変哲もない樹木とが入り交ざって思うように描けなかった。が、それでも続けていると、不思議なことに腕に絡まり付いているのは、人の手と酷似した「木」でしかなくなっていった。迷い込んだ森林で転倒し、その拍子に古い枝が腕に絡まったと言う細かい設定までもが出来上がっていた。


 地面に何かが落ちる音がして、そこで或斗は目を開けた。

 芝の上に転がっていたのは、水分が飛んだ樹木の一部だった。手に取ってみると樹皮はささくれのように逆立ち、長細い枝は五本とも内側に角張り、あたかもショック死した怪奇な生き物の生態にようであった。そう、足の長い蜘蛛の死骸のように。

「信じられない……」

 或斗は思わず掴んでいた屍を落とした。袖を捲って腕を見る。余韻は十分残っているけれど、肌に異常は見られなかった。

 するとココが亡骸に歩み寄り、胸に下げているペンダントの針を一本抜き、刺突した。途端に茶色の枝から色素が抜かれ、くすんだ粘土細工のように変色した。

「何をしたんだ……?」

 針をペンダントに戻したココは、満面の笑みで或斗を見た。

「インバースのオーラは殿の能力が落ちた時にもっとも有力なエネルギーです」

「何だって?」

 或斗は聞き返すが、ココは言葉の先を続けた。

「さっきはどうなっちゃうことと思ったけど、やっぱりスゴイですな。数分でここまで仕上げちゃう殿はやっぱり最強ですッ。さぁ、先を急ぐです。目指すはあの境界線です」

 境界線とは、遠くに見えるぼやけた地平線のことだった。

「あのさ、本気で地平線に辿り着けるとでも思ってるのか? あれはここから見てるから一本の線に見えるのであって、実際には地球と宇宙の境目だぞ。辿り着くわけがないだろう」

「いいや。行けるですよ。この島では不可能なことが可能ですから」

「んなバカな」

 或斗は肩を竦めた。

「殿、よ~くあれを見てくださいな」

 ココはピンと立てた人差し指で遠くを指した。

「見えませんですか? 滲んだ境界線が」

 それは見えるが、まさか……?

「この島を取り囲む壁は、全てがあのようになってますです。とても不安定な場所です。最悪の場合は命だって消えてしまう恐れがありますですよ」

 その話も後ほどするです。

 とココは終止符を打ち、或斗の反応を窺っていた。

 

 やっぱりそう来たか。恐れがありますですよと言われても行かなきゃならないんだろ、チビ助よ。選択の余地はこれっぽっちもないんじゃないか?

 或斗は深いため息をついてから呆然と笑った。

「行きゃ良いんだろ」

「大正解です!」

 ココは満面の笑みで金属のような声を出し、颯爽と目標の方へと歩き出した。

 或斗は自分の頭と頬を引っ叩いた。夢である希望を捨てたわけじゃない。がしかし、望みどおりの展開には恵まれなかった。

 首を垂らす或斗の視界に入った無残な枝は、或斗の気持ちを嘲笑うかのように小刻みに震え、そして砂となって消え失せた。


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