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幻に揺れる淡い島  作者: KAHO
第一章
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悪い予感は想像のとおり

 冴森或斗さえもりあるとは、頭まで布団をスッポリ被ってベッドの中で考えていた。

 どうすれば良い? どうすればあの肌の温もりを忘れることが出来る? どうすれば笑っていられる? どうすればこのショックから立ち直ることが出来る?

 そもそも周囲は知っていたのか? 知っていて黙って見ていたのか?

 クソォ……どいつもこいつもふざけやがってッ。

 或斗は呻きながら布団の中で転がった。ベッドがキシキシと鳴る。

 嫌な出来事というのはどうしてこうも実現してしまうのか。叶えたい夢は山ほどあるというのに、叶えたくない夢だけが叶ってしまう現実……不公平すぎはしないか?

 人生はそう簡単にいかないのは百も承知二百も合点けれど、どうしてこんな運命を背負わなきゃならないんだッ。 あの白い肌はそう簡単には忘れられるはずがないだろうに……とはまぁ、もしかしたら全ては自分が悪いのかもしれないのだけれど。

 いや。それでも、彼女を救うにはあの方法しかなかったはずだ。もっと早く事を知っていればこんなことにはならなかったのかもしれない。良案が生まれていたかもしれないのだ。

 やはり全ての最悪な結末の要因は、臆病な自分の気持ちにあるのだろうか? 校内一位を争うほどの美人と付き合っている事実が、まるで蟻に食われた樹木のように脆くも壊れてしまうのではないかといつも恐れていた。いつかそんな日が来てしまうのではないかとばかり考えていたのだった。現実がどうしても信じられなかったから。

 と、或斗が布団の中で大きく左右に転がったその時だった。

 ボーリングの玉が落下したような音が響いたと思ったと同時、或斗の全身に大きな衝撃が走って、ゴミが散乱するフローリングの上に身体が転がり落ちた。


「痛ってぇぇぇぇ。何なんだよ……」


 もっそりと布団を剥ぎ取って顔を出すと、腰に走る鈍痛の原因がそこにはあった。

 単にベッドから落ちたと言うのは大きな間違いで、本当に巨大な玉が臥所目がけて落下したかのように、無残にも脚二本が根元から骨折してしまっていた。

 ベッドはベッドでも、厚揚げのような分厚いマットレスが置かれた弾力性のあるのとは違って、木材で組み立てられた上に薄い布団を敷いただけの硬い寝床である。

 その貧乏臭い構造のせいで、身体は床に叩きつけられたくらいのショックを被り、ロールキャベツと化した一体が転げ落ちてしまったのだ。


「マジかよ……ありえねぇ」


 骨折した箇所は、壁側とは逆の二本で、布団と下敷きはずり落ちていた。まさに簡易的なすべり台のようである。

 脚の具合を見てみると、どうも複雑骨折のようで、ネジの差し替えや超強力接着剤では治りそうがない。

 或斗はガックリと首を垂らした。ため息までも漏れる。

 以前から亀裂が入っていたことは承知だったが、何故今このタイミングで折れる? こんな鬱している時に折れなくとも――ん? 待て、これも想像のとおりじゃないか。

 或斗は立ち上がった。

 クローゼットと隣接する壁側に立てかけている全身鏡に半裸の自分が映り込んだ。

 続く悪事を振り返ってみて、どうも気になることが浮上した。

 もしかしたら考え過ぎかもしれないけれど……自分は、天使なのでは?

 想像すること|(悪いことばかり)がこんなにも現実化されるのは、自分に予知能力があるからで、しかしその予知能力と言うのは、実は神の御託宣であって、寝ている間に耳にしているからなのでは? 階段から落ちるとか、財布を落とすとか、恋人と別れたとか、ベッドがすべり台になるとか――夢の中で聞いた神のお告げを、覚醒した頭が知らず知らずに反芻しているだけに過ぎないのでは?

 本当かどいうかは分からないけれど、天使とは神の使者であり化身でもあると何かの本で読んだ記憶がある。

 だから自分は、天使なのでは? と思ったのだ。

 実に数日前、あんなことを想像していたばかりだ。

 ベッドの脚に亀裂が入ったのは一年ほど前、友人らが最新のゲームをしに遊びに来た時だった。

 口うるさい母親も姉貴も留守にしていたお陰でいつになく羽目を外し、元気だけが取り柄の男四人はゲームをしながら陽気に騒いでいた。高校一年生になったばかりのあのころはまだ中学生気分が抜けなくて、有頂天になると、床を叩いたり奇声を発したり転げて大笑いしたり、それこそ、硬いベッドの上だろうと飛び跳ねたりしたものだ。

 ベッドは小学校の時分に与えられた年代物だったことも相まっていたのかもしれないが、ベッドをリングと見立てて、柔道部に所属する友人Aが、コンピューター部に所属する友人Bにプロレスの小技を決め込んで面白がっていたあの騒ぎが、脚に致命傷を負わせた大きな要因だったと思われる。

 小さな寝返りを打つだけで軋むベッドが少々不安であった。いつか突然ポッキリと脚が折れてしまったりしないだろうかとキシキシ鳴るたびに思っていた。

 壊れたら新しいのを買ってもらうか、潔くベッドを離れて床に布団を敷いて寝れば良いだけのことなのだけれど、冴森家はそう簡単にいかない。と言うのも、たとえ老朽化の進んだベッドが破壊したとしても、口うるさい母親にこっ酷く言われるのがオチだ。キーッと目を吊り上げて、壊れた原因をムチャクチャな裏づけで解釈し、それを押し付け、いつまでもグチグチ言われるのだ。脚が折れるよりも、折れることの恐怖よりも、母親の発狂だけは避けたい。よって、折れた時のことを想像すると胸の中に暗雲が広がる思いであった。


 そして今日、折れた。


 或斗は鏡に近付いた。

 父親の酒癖が悪いのは子供のせいではないし、だらしない夫への不満が蓄積しているのだって知ったこっちゃない。何かにつけて文句を言うことが一番のストレス発散なんだろうけど、それに息子を利用するのはやめて欲しいものだ。

 

 ――と、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。母親のものだと一瞬で分かる。ベッドの破壊音は、当然一階まで響いたはずだ。

 屍となってしまった寝床は、どうにもこうにも直せないし、隠したとしてもいづれはバレることになる。素直に白状するしかなさそうだ。

 ガッカリでため息がこぼれる。

 階段を上がる音から、荒々しくスリッパが廊下を伝う音に変わり、突き当りの部屋まで猪突猛進しているのが窺える。

 来るぞ来るぞ。「ちょっとうるさい! 何やってるの!」なんて凄い形相でドアを開けるぞ。

はぁぁぁぁ。また説教が始まるのかよ……。

 或斗は投げ捨ててあったトレーナーを着た。上半身裸も吼えられるからだ。

 ノックなしにドアが開いた。予測通りの言葉を吐いて。

 母親の顔は、決まって鬼の面だった。眉間にシワが寄った瞳で部屋の中を数秒間なめ回し、間違い探しの答えを知ってしまったその造作は、強い憤慨を表していた。

 鬼のキンキン声が止むまでの間、或斗は別のことを考えることにした。そうでもしないと逆に母親を怒鳴りつけてしまいそうになるからだ。最悪にもそんなことをしてしまったら、飯抜きとか小遣いなしとか、陰険な方法でやり返してくるのが冴森家の母である。

 マジ勘弁だ。

 よって、ここは反省している表情を見せかけておいて、頭の中では楽しいことを想像する対策術を速やかに実践するに限る。効果はその時々によって差異があるけれど、やらないよりはやった方が気休めにもなる。

 楽しいこと――そうだな。クラスメイトのトラブルメーカー的存在の神埼登かんざきのぼるが、命よりも大事にしているとか言明したアニメの、えぇっと何て言ったかな? ココナッツじゃなくて、ココアじゃなくて、ああ! ココリュード! 金髪小学生が主人公で、小学校に潜り込んだ妖怪を退治していくという主に幼児を対象としたアニメである。魔法が使えたり犬が喋ったりと夢が沢山詰まった内容となっている。

 そのココリュードの主人公であるココの等身大ポスターが、アイツの部屋から忽然と消えたらどんな顔するかなぁ? 慌てふためくだろうなぁ。パニックに陥って部屋中に色んなものをぶちまけながら涙目で探すんだろうなぁ。ココに似せただろうあの金髪オカッパを振り乱して。

 考えただけで笑える。

 とはまぁ。彼の悪すぎる素行と比較すればそれくらいの罰を実際に与えても優しいくらいだ。

 陰険な苛め、教師いびり、暴力、タバコと、神崎に泣かされた人物は数多くいる。

 金髪オカッパがアニメのココを溺愛していることは、偶然にも彼の部屋に上がることになった或斗だけの秘密だった。担任に頼まれて同じ方角の或斗が届け物を頼まれたのが切欠であった。神崎は留守だったが、一つ言伝もあったし、部屋に上がって待たせてもらったのだ。

 アイツ、天井にも巨大ポスター貼ってたな。ココの水着姿のイラストだった。あれを見て変な気持ちにでもなってるんだろうな。さぞかしココも迷惑しているに違いない。

 まさかアイツ、ポスターの小学生に話しかけてたりしないだろうな。いや、してるな。あれはしてる。想像で会話だってしてるんじゃないか? 一人二役で楽しんじゃってるはずだな。「俺って金髪似合ってない?」とか自賛混合させて質問しちゃってるな。「君と一緒の色だね」とか言う具合に。

 宝物のココのポスターが一枚も残らず消えたら、アイツのことだから学校に私情持ち込んで色んな人に当り散らすだろうな。そして一番使えそうなヤツにココのポスターを買って来るよう命ずるに違いない。アイツはそんな野蛮なヤツだ。

 そもそもココというキャラは何年生の設定なのだ? 身長は? 体重は? スリーサイズは? 好きな食べ物や嫌いな食べ物は?

 アニメと言えども、人間と同様のプロフィールは存在するのだろうか? 一度、本人に訊いてみたいものだ。

 

 そんなことを想像して気づけば、母親の姿は消えていた。

 神埼を甚振る空想は意外と使えるし楽しいかもしれないと或斗は思った。母親の小言の余韻が薄いってことは、夢中になって面白がっていた証拠だ。

 或斗は出窓を開けて背伸びをした。

 いや~これは使えるぞ。

 外は秋の風がゆっくりと流れている。銀杏の葉がわずかに靡いた。


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