王家直属魔術師
「嫌だぁっ!!」
咄嗟に、醜くもそう叫んだ自分の喉に、もはや呆れてしまった。最期に遺す言葉が情けない、悪足掻きしているのが分かるそんなダサい姿。
だが、人間は死の危機に晒されたときに物語の登場人物のような、ヒーローのような思考に至るだろうか。口だけでもそう動かすことは出来るだろうか。いや無理だ。
涙と鼻水と、土と自分の血とでぐちゃぐちゃになった顔は、もう見るに耐えないものだろう。
自分よりも何十倍もある魔物の大きな口は、一瞬にして丸呑み出来てしまうのだろう。歯で骨を砕かれる瞬間を想像しては恐怖に震える。唇はもはや自分の意思では動かせなかった。やっとの思いで口を開いても、歯が音を鳴らすだけで助けどころか情けない声も出せなくなった。
でも覚悟というか、諦めというか。本当に死ぬ時には察して受け入れてしまうものらしい。
目にぎゅっと力を入れて、痛みを待った。
「…ん、?」
暫く待っても襲ってこない痛みに目を開け、そしてすぐに俺の情けない声がしんとした空間に響いた。
「遅くなってしまい申し訳ありません」
一人の女が立っていた。
亜麻色の緩やかに波打つ髪は一つに結い上げられ、白いリボンが垂れている。ガーネットのような赤い瞳は優しげに細められ、こちらをしっかりと捉えていた。この場に全く相応しくない、か弱い女に見えることと同時にどこか異質さを感じられた。
ただその後ろには腹を貫かれた魔物が横たわっており、それが現実に引き戻してくる。血みどろになった一帯とは裏腹に、裾に金糸の刺繍を施した女のケープには返り血一つ付いていなかった。
「その傷は塞がる前にしっかりと消毒なさってください。魔物は衛生面で最悪ですから、病気になってしまうかも。」
そう言って携帯していた小さな瓶を取り出すと、差し出される。呆気にとられたまま無意識に受け取ると、彼女は笑った。
「怪我や病気を治せる夢のような魔術があれば便利ですけど、お医者様の仕事の問題もありますしね」
我々も手を出しづらい分野でして…と言ったところで次には包帯を手渡される。相槌すら打っていない俺に嫌な顔一つしなかった。
「手当てまでして差し上げるべきところですが、申し訳ありません、別の場所へ行かなくては。お気をつけてご帰宅ください」
綺麗な所作で頭を少し下げると、気が付いたら彼女はもういなかった。もしかしたら魔術か何かを使っていたのかもしれないが、当時の俺の記憶は曖昧であり、確信はない。ただ覚えているのは黒いローブの人間たちがどこからか現れ、魔物を回収していったことだけだ。やはり魔術師とは不思議なものである。
後から知ったことだが、その女の名前はアベリア・ティアード、最年少で王家直属魔術師と呼ばれる最高位の魔術師になった有名な人物だった。
・・・
チェスナットブラウンのブーツを鳴らし、洗練された廊下を歩く。すれ違う人間はその場に立ち止まると、彼女に頭を下げた。返すようにして律儀に頭を下げる彼女は、齢十九の女だった。
自分に割り振られた仕事部屋に近づくにつれて人気は無くなっていく。
「…っ、」
そして、辿り着いてドアを開けた瞬間、アベリアは全身が一気に強張るのを感じた。胸の前に抱えていた数枚の書類は、くしゃりと音を立てて皺を寄せた。
「…リア、アベリア」
「っあ、ノア…」
握っていた書類を抜き取られると、やっとアベリアは呼吸を再開する。瞬きをすると、部屋の中にはもう誰もいない。カップは伏せて置かれており、ノアと呼ばれた男の持つポットから仄かに珈琲が香った。
「おはよ、アベリア。今日は珈琲じゃなくて紅茶にするか」
そう言って給湯室へと踵を返そうとする男を引き止める。
さらりとした黒い髪を一つに結い、セレストの瞳の輝く男は、同僚であるノア・アイビーだ。
「私珈琲が良いかも、ありがと」
「それなら良いけど…って、あれ?ケープ新調した?」
「あぁ、うん。刺繍が擦り切れちゃって」
この国には、王家直属魔術師と呼ばれる魔術師がいる。名の通り王命により動く少数部隊で、実力は桁違い、現在の人数は僅か六人。エリート中のエリートだ。その一員にアベリア・ティアード、ノア・アイビーは名を連ねている。
そして王家直属魔術師である証として、仕事着には金糸で特別な刺繍が施されている。精巧なその刺繍は、魔術師なら誰もが憧れるものであった。
刺繍の一部が擦り切れるだけで効果も変わってくるので細やかな管理が必要なのだ。
アベリアはケープを仕事着として刺繍し、ノアは黒いシャツのボタンの隙間を縫うようにして刺繍されている。ノアのように洗い替えとして何着か刺繍を頼んでいる者が多いが、アベリアは何だか申し訳なく思ってシャツをやめて上着にし、二着だけ頼んだ。ノアなんて「一人暮らしは毎日洗濯しないから」などと言って大量に頼もうとしたため、流石にと止めた。
貰った珈琲に口を付け、そうだ、とアベリアは戸棚を開けて先日買ってきたバターサンドを取り出し、ノアの前に置く。ノアの淹れた珈琲に合うお菓子を探し歩くのはアベリアの密かな楽しみである。
「美味しいよ、これ」
「いいね、どこで買ったの?」
「城下の新しいお店」
王宮内には騎士棟と魔術師棟があり、隣接している。ここに勤務する他に、地方の詰所に配置される者や、領主に雇われ領地内警護をする者。そして魔術師は研究所勤務の者もいる。多種多様である。




