「泣き虫天使」と「超絶紫電」その②
翌日
ライアはアテネよりも早く教室に着いていた。「おっはー生徒会長」「おはようございますライアさん」アテネは鞄を机に置くとライアが机の上に乗せていた足を降ろさせると自分の席についた。教室内は全てが白いため楽しむ物もなければ退屈な物も存在しない。もし一人でこの場所に入ったら気が狂ってしまうだろう。ライアは机に肘をつきながら天井を見上げていた。「なぁこれさ時間の感覚おかしくなんね?」アテネは一瞬だけ視線を上げる。「……既におかしいです」「だよな?」ライアは軽く笑う。「窓もねぇし、時計もねぇし昼か夜かも分かんねぇ」教室は相変わらず白だった。壁も床も天井も果てしなく均一で、境界すら曖昧になるほどの白。影すら薄い。音も妙に吸い込まれる。「……意図的でしょうね」アテネは淡々と答える。「意図的?」「感覚の遮断ですよ。外界との繋がりを断つことで、思考を内側に集中させる」「へー」ライアはあまり興味なさそうに頷く。「じゃあさ」少しだけ身を乗り出す。「なんで二人なんだ?もしこうやって気を狂わせたかったら引き離せばいいじゃんか」アテネは一瞬、言葉を止めた。「……わかりません。ですが一人にしないという点には、意味があるはずです」その言葉に、ほんのわずかな重みがあった。ライアは少しだけ黙る。「一人だとまずい理由があるってか?」「可能性は高いでしょうね」「ふーん」ライアは椅子にもたれかかる。「じゃあ生徒会長さんがいてラッキーだわ」「……は?」「だって退屈しないじゃん」アテネは眉をひそめる。「それは光栄……と言うべきなのでしょうか」「言っとけ言っとけー光栄よ光栄」その時だった。カチッ。小さな音が響いた。教室の中央、何もなかった空間に“線”が走る。次の瞬間、教卓があるべき場所の床が静かに開き、そこから黒い箱のようなものがせり上がってきた。「……来ましたね」「お、イベントか?」箱の表面に、文字が浮かび上がる。『第一講義を開始します』「講義ぃ?」『課題:対話』ライアは吹き出した。「は?」アテネも珍しく目を瞬かせる。『互いの定義を提示せよ。制限時間:無制限。ただし虚偽を検出した場合、矯正処理を実行』空気が一気に冷える。「……これ」アテネの声が低くなる。「心理操作の実技です」「何かわからんけど楽しそうじゃん?」ライアは楽しそうに笑う。『開始』襲い掛かる静寂。逃げ場はない。アテネが先に口を開いた。「……金糸雀ケ原・アテネ・イリア。元・生徒会長。役割はこの学園の秩序の維持」少しだけ間を置く。「……そして」言葉が詰まる。「……?」ライアが首を傾げる。アテネは目を閉じる。「……私は」ほんの一瞬、声が揺れた。「失敗作です」空間がわずかに反応した。「……は?」ライアの表情が変わる。「どーゆー意味だよ」『真実を確認』無機質な声が響く。ライアは黙る。「……じゃあ次あたしか」椅子から立ち上がる。「神代ライアでーす」ギターを軽く叩く。「好きなもんは音楽!嫌いなもんは退屈!」一歩前に出る。ニヤリと笑う。「自分でも何者か分かってねぇけど!あたしはこの世界を音楽でぶっ叩く!それがあたしの役割だ!」『……』一瞬、間が空く。『――理解不能』空気がざわついた。「つーか知らねーもんは知らねーし役割なんて誰かから決められたもんじゃねーだろ。あと生徒会長さんに失敗作って自己紹介させたのマジ許さねーから」その瞬間。黒い箱がわずかに震えた。『特異値検出』『課題レベルを更新します』「おいおい面白くなってきたじゃん!」日常のはずの講義は静かに歪み始めていた。白い空間にわずかなノイズが走る。『課題レベル:第二段階へ移行』アテネの表情が引き締まる。「……来ます」「何が?」『相互理解を開始せよ』『対象の核心に到達せよ』『未到達の場合、強制開示を実行』「……強制って」ライアが笑う。「ろくでもねぇな」「笑い事ではありません!」アテネの声は少し震えていた。「核心とは……最も隠している部分です。簡単に言えば秘密の共有です」「へぇ」ライアは椅子の背にもたれながら足を組む。「じゃあさ」ニヤリと笑う。「生徒会長からいってよ」「……元です」「どっちでもいいって」沈黙。アテネはゆっくりと息を吐く。「……わかりました」目を閉じる。「私は作られた存在です」空間が微かに震える。「は?」ライアの眉が動く。「家系でも才能でもありません。意図的にそうなるように育てられたんです」「英才教育ってやつ?」「いいえ」首を横に振る。「弱者淘汰という選別です」空気が重くなる。「同じ候補は何人もいました……生き残ったのが私です」『真実を確認』ライアの表情から、少しだけ笑みが消える。「……それで失敗作?どこがだよ」「完全ではないからです」アテネは目を開く「私は感情の排除に失敗したんです」静寂。「……は?」「秩序を守る存在に揺らぎは不要。ですが私は」ほんのわずかに、視線を逸らす。「……感情に飲まれ甘い判断をすることがある」ライアを見る。「昨日の貴方への対応もその一つです」「はは」ライアが笑う。「それのどこが失敗なんだよ」その時『核心到達:金糸雀ケ原・アテネ・イリア』空間が一段階、静まる。「……次は貴方です」アテネが言う。ライアは天井を見上げる。「核心ねぇ」指で机をトントン叩く。「正直に言うとさ」少しだけ声のトーンが落ちる。「思い出せねぇんだよ。昔のこと」アテネの目がわずかに見開かれる。「名前も自分の名前だって聞いたのを名乗ってるだけだし」肩をすくめる。「気付いたらここにいたって言い方で合ってるのかな」『……』空間が反応しない。「でもさ」ライアは続ける。「別に困ってねぇんだよな」ニヤリと笑う。「今が面白けりゃ、それでいい」その瞬間。『――虚偽の可能性』空間が歪む。「……は?」アテネが反応する。「違う……これはまだ完全に発表しきっていないのです!」『表層回答を検出。核心未到達』ライアの表情がほんの少しだけ変わる。「……ちっ」『強制開示を実行』「やめ!」アテネが声を上げる。教室内に一瞬の音波が流れるとライアの周囲の空間が捻じれた。音が消え光が歪む。そして何かがライアの後ろから覗き込んだのをアテネは確かに視認した。黒でも白でもない。形もない。だが確実に存在している影のような何か。『――観測……不能……』機械音が乱れる。ライアは動かずゆっくりと笑った。その目はさっきまでとは明らかに違っていた。アテネが息を呑む。「……ライア……?」ライアはぼんやりと呟く。「あたしって……」一瞬の静寂。そして「何なんだ?」その瞬間。『――危険値、臨界。課題を強制終了します』空間が弾けるように元に戻る。ライアは椅子から崩れ落ち苦痛に悶えながら倒れて込んでいる様子に、アテネは完全に言葉を失っていた。「……ライア!」アテネは白い教室に確かに残っているさっきの「何か」の痕跡に息を吞みながらライアを落ち着かせた。『特別観測対象:神代ライア。危険度を再評価』無機質な声が誰にも聞こえないレベルで呟いた。アテネは苦しむライアを抱きしめ翼で包み込んだ。「私の翼には包み込んだ者を癒す力があります…今は動かずにじっとしていてください」ライアの呼吸は少しずつ落ち着いていった。荒く上下していた胸が、やがて一定のリズムを取り戻す。「……っはぁ……」「大丈夫ですか」アテネは翼を広げたまま静かに問いかける。「……なんとかね」ライアは目を細める。アテネは正直に答える。「…普通ではなかったです…今のは何なんですか」「あたしだってあんなの出したことねぇよ」ライアは苦笑する。「一つ言えるなら…普通のやつはあんなバグり方しねぇってことだな」アテネは何も言わない。ただライアを包む翼を少しだけ強くする。「……ありがと」「当然です…」少しだけ間が空く。「でもさ」ライアがぽつりと呟く。「なんか……嫌な感じはしなかったんだよな~。怖いとかじゃなくてさ思い出しかけたみたいな感じ」アテネの泣きそうな瞳が揺れる。「……それは」言葉を続けかけて止める。「……いえ」その時だった。『講義終了』無機質な声が、何事もなかったかのように響く。黒い箱がゆっくりと沈んでいく。床が閉じ教室は再び何もない白に戻った。まるで最初から何もなかったかのように。「……私達の扱い雑すぎね?」ライアが呟く。「命かかってた感じあったんだけど」「この学園では日常です」「やべー日常だな」ライアはゆっくりと体を起こす。まだ少しふらついているが立てないほどではない。アテネが手を差し出す。「転びますよ」「子供扱いすんなって」と言いながらもその手を取る。一瞬だけ沈黙。「……あのさ」「はい」「さっきのやつ」ライアは少しだけ視線を逸らす。「誰にも言うなよ」アテネは即答しなかった。「……わかりました」「あんがとよ生徒会長」ライアは苦笑する。アテネの手を軽く引く。「もう少し翼の中で休んでもいい?」その言葉にアテネは目を見開く。「……いいですよ」アテネは再び翼を広げライアを抱きしめると翼で包み込んだ。「……回復は必要最低限に留めますからね」「サンキュー」ライアはいつもの調子で笑った。だが。(……この人は)アテネの内心は、全く穏やかではなかった。理解ではなく不審な予感。その時。ガコンと小さな音がした。教室の壁の一部がわずかに開く。そこには簡素なトレイが現れていた。「……昼飯?」「おそらく」トレイの上には均一な見た目の食事が二つ。栄養バランスだけを追求したような味気ないもの。「うわ、テンション下がるわ」「文句を言える状況ではありません」「だってこれ音楽と合わねーもん」「食事に音楽性を求めないでください」そんなどうでもいいやり取り。だがさっきまで命を削るような対話をしていたとは思えないほど、それは普通の会話だった。ライアはフォークを手に取り一口食べる。「……まずくはねぇな。食感のないムースって感じ」「最低限ですから」アテネも静かに食事を始める。白い空間で無機質な食事。どこまでも閉ざされた世界。それでも「なぁ生徒会長」「はい」「次の講義さ」ライアがニヤリと笑う。「もっと派手だといいな」アテネは一瞬呆れたように目を細める。「……本当に」小さく息を吐く。「貴方は異常です」「褒め言葉だな」その軽口の裏で誰にも見えない場所で観測は続いていた。『対象:神代ライア。分離兆候、確認。第零層への移行適性――』そこで記録は一瞬途切れる。そして何事もなかったかのように再開された。『最終講義:自由。各自自由にお過ごしください』「なんだ?もう終わりか?」ライアは椅子から立ち上がると教室内を歩き回る「そうですね…しかしこれも講義。終わりまで自由にしていろということですね」アテネも立ち上がりライアの後ろをついて回った。「な…なんだよぉ」「いいえ…特に」「じゃあついてくんなし」「嫌です」ライアは歩くスピードを上げるがアテネもスピードを上げる。「もーなんだよ!しつこいなぁ!」ライアはアテネの方向を向くとアテネはライアを激しく抱擁した。「な!なんだよ!」アテネは何も言わずに3分間も抱きしめた「生徒会長…どうしたんだよ」「貴方が無事で良かった…」アテネはシクシクと泣き始め翼で包み込んだ。「もう回復したからさ…翼しまおうぜ…疲れちまうよ」「わかりました…そうですよね」アテネはライアを離すと自分の席に戻り涙を拭いた。ライアはしばらく胸の高鳴りを抑えきれずギターの練習で誤魔化した。大体1時間経った頃に講義終了のアナウンスが流れ今日の全講義が終了した。ライアは帰ろうとしたがアテネに止められるとそのまま学園内の図書館へ連れていかれた。「なんだよー肉まん買って帰ろうと思ってたのに!べんきょーならノーサンキューだよ」「違います。デッドマンズバトルの相手の情報を聞くために来たんです」「でもあれって対戦相手は当日しかわからないんだろ?」「えぇしかしどこの場所にも情報屋という役割がいます。今から彼女の元へ行くんです」ライアは図書館内をグルグルと連れまわされると幼児本コーナーへ着いた。「ここ?」「えぇ」そういうとアテネは何かを紙に書くと本に挟み向かい側へと落とした。すると本が向かい側から返され挟んだページをめくるとメモの裏に新たな情報が書き加えられていた。『久木野傘』そのメモをポケットに突っ込むと図書館を後にした。「さっきのが情報屋ってやつ?」「えぇ…彼女はこの学園内の情報なら何を聞いても答えてくれますから」ライアはポケットに手を突っ込みながら歩く。「で?その久木野なんちゃらってのが敵なわけ?」「えぇ」アテネは歩調を合わせながら答える。「間違いないでしょう」「ふーん」ライアは天井を見上げる。「なんかさ、この学園って全部仕組まれてる感エグくね?」アテネは答えない。ライアは軽く笑う。「まぁいいや。どうせ壊すし」「……何をですか?」「全部」軽い口調。だが、その言葉には妙な重さがあった。アテネの背筋に、微かな寒気が走る。数分後。二人は校舎の奥、ほとんど人の気配のない区域へと辿り着いた。古い扉。他と違い、そこだけは“劣化”しているように見える。「ここです」アテネが扉に手をかける。ギィ、と鈍い音を立てて開く。中は暗かった。「うわ、雰囲気出しすぎだろ」ライアが一歩踏み込む。その瞬間。「だれ」声がした。天井からでも、奥からでもない。位置が特定できない声。アテネが即座に一歩前に出る。「……久木野傘ですね」「そうよ」闇の中からゆっくりとそれが現れる。細い体。短い髪。そして目がやけに暗い。「へぇ」ライアが興味深そうに覗き込む。「お前が私の対戦相手?」「そうみたいね」久木野は、わずかに笑った。「貴方みたいな子供と戦うなんてナメられたものね」一歩近づく。「私のこと知りたいなら何かを差し出して」アテネが口を開こうとした、その時。「いいよ」ライアがあっさり言った。「ライア。挑発に乗ってはいけません」「別に減るもんじゃねーだろ」軽く肩を回す。「で?何が欲しいんだよ」久木野はライアをじっと見る。その視線は観察に近い。「……あなた何か欠けてるね」空気が変わる。アテネが反応するより早くライアが笑った。「そりゃそーだろ。記憶ねーし」「違うわ」即答だった。久木野の目が細くなる。「そういうレベルじゃない」一歩さらに近づく。「あなた定義が不安定」その瞬間。ほんのわずかに空間が歪んだ。アテネの瞳が揺れる。だが今回は先ほどまではいかない。抑え込まれているような違和感。ライアは首を傾げる。「定義ねぇ」指でギターの弦を軽く弾く。キンと音が鳴る。その音がわずかに空間を震わせた。久木野の表情が変わる。「……今の何した?」「何も?」ライアは普通に答える。だが。久木野は一歩引いた。「……やめといた方がいいわよ元生徒会長さん。その子と深く関わるの」その言葉にアテネが反応する。「どういう意味ですか」久木野は少しだけ考えそして言った。メモを指で叩く。「神代ライアねぇ」ライアが瞬きをする。「……なんだよ」「私さぁ自分の能力には自信あるんだよね」静かに告げる。「あなたなんかすぐに倒せるわ」ライアはニヤリと笑う。「最高の煽りじゃん」アテネは即座に前に出る。「待ってください。当日まで戦闘はいけません」「ルール違反?」ライアは首を傾げる。ライアは肩を震わせて笑う。「あーもういいわ」ギターを担ぐ。「面白くなってきたし当日まで震えて眠れよね」そして一歩前へ。「お前さ~あたしのこと甘く見ないほうがいいよ~」久木野はただ一言だけ呟いた。「望むところよ」ゆっくりと微笑む。その瞬間ライアの背後で何かが揺れた。久木野の笑みが、わずかに深くなる。「やっぱりね」小さく呟く。「あなたはこっち側じゃない」アテネの呼吸が止まる。だがライアは「どっち側でもいいよ」あっさりと言った。その軽さがアテネにとっては異常で耐え難い空間だった。その空気間に耐え切れずアテネはライアを連れ出しその場から去った。「なんですか今のは!」「喧嘩前の挑発」「私はてっきり話し合ってくれるかと思って連れて行ったんです」「無理無理よ生徒会長~」「とにかく!当日まで何も騒ぎを起こさないでくださいね!」普段は誰のいうことも聞かないライアだが、アテネの言うことだけは聞くことは聞くことができた。「わかったよ…じゃあ練習付き合ってよ」「なんのですか?」「戦いの」「…軽くならいいですよ」そう言いながら二人はそれぞれの道に差し掛かると別れていった。




