第8話 勝った国の後始末
帝都の繁華街は、夜になるほど眩しかった。
照明は多いのに、眩しさが直射ではない。光は柔らかく拡散され、影が濃く、深い。建物の庇や半透明のシェードが街全体を覆い、日光の代わりに人工の光が秩序正しく配置されている。
「ここ、好きなんです」
麦わら帽子の女性は、帽子のつばを軽く押さえながら言った。
「歩くだけで気持ちが落ち着きます」
彼女の言葉は丁寧で、いつも少しだけ距離がある。
癖のように敬語が混じるのも、もう不自然に感じなかった。
「案内、助かってます」
俺がそう言うと、彼女は小さく笑った。
「いえ。こちらこそ、誰かと歩くのは久しぶりなので」
久しぶり。
その一言だけで、勝手に想像が膨らむ。けれど、踏み込むのはやめた。
俺たちは連絡先を交換していて、帝国の通信許可も取ってある。
分からないことがあれば、滞在中でも聞ける。帰国してからでも。
それが便利である一方で、妙に「繋がってしまった」感じもあった。
この国と。
この女性と。
「今日は、どこに行きたいですか?」
「……繁華街を見ておきたいです。
人の流れとか、店の傾向とか」
「観光客っぽくないですね」
「昔から、そういうのを見るのが好きで」
嘘ではない。
ただ、それ以上に——俺は情報が欲しかった。
帝国が勝った世界。
帝国の日常に人間はいない。
その“いない”を、頭ではなく目で確認したかった。
通りには店が並び、香りが漂い、笑い声が響く。
吸血鬼とヴァンパイアが、当たり前に暮らしている。
その光景の中で、ふと目に入ったのが——街角の大型モニターだった。
「……ん?」
映像が切り替わる。
天気予報。交通情報。広告。
そして、また切り替わる。
見慣れない地図。
色分けされた領域。
矢印と点滅。
文字は帝国語だった。
読めない。
にもかかわらず、意味だけは伝わった。
画面の雰囲気が、明らかに違う。
明るい色味が抑えられ、静かな緊張が漂う。
戦況報告。
そんな空気だ。
(……帝国外から来たやつは、読めないんだよな)
つまり、対策は最小限。
見せている“形”だけ整えて、理解させる気はない。
それでも国内の住民には必要な情報で、日常として流れる。
モニターは、数分おきに同じ種類の映像を挟んでいた。
俺は歩きながら、何度もそれを見てしまう。
気になって仕方がない。
「……あの」
思わず口が開いた。
彼女がこちらを見る。
「はい?」
気づいたら、聞いていた。
「世界大戦の後って……まさか、ずっと紛争が続いてるんですか?」
自分でも驚くくらい、素直な声だった。
しまった、と思った。
踏み込むつもりはなかったのに。
けれど彼女は、嫌な顔をしなかった。
ただ、ほんの少しだけ——悲しそうな表情になった。
「……はい」
敬語が、いつもよりはっきり混じった。
癖のように、とっさに出た敬語だ。
「どうやら、帝国が戦後に全土を併合したことが……裏目に出たみたいで」
「裏目?」
「各地で反乱や紛争が起きているんです」
彼女は、モニターの方を一度だけ見上げた。
「戦争は終わったのに、終わっていないんですよね。
……変な言い方ですけど」
変じゃない。
むしろ、しっくり来すぎて怖い。
帝国が勝った。
だから終わった。
でも勝者がすべてを抱え込めば、反発が起きる。
統治は戦争より難しい。
「帝国の人たちは……それをどう思ってるんですか?」
聞き返してから、俺は気づいた。
彼女は“帝国の人”なんだ。
吸血鬼で、帝国に慣れていて、帝都が好きで。
彼女は少しだけ困ったように笑った。
「……難しい質問ですね」
「すみません」
「いえ。責めているわけではないのは、分かります」
責めていない。
その言い方が、優しかった。
「みんな……慣れてしまったんだと思います。
戦況報告が流れて、ああ今日もどこかで揉めているんだ、って」
慣れる。
戦争に。紛争に。反乱に。
俺は、背中が冷たくなるのを感じた。
それでも街は明るい。
人々は笑っている。
当たり前のように買い物をし、食事をし、恋人と歩いている。
その明るさが、逆に異常だ。
「……あれ?」
彼女が、ふと首を傾げた。
「すみません。確認なんですけど」
敬語が強くなった。
とっさのときほど、彼女は丁寧になる。
「あなた方、日本人ですよね?」
「はい。日本から来ました」
「……そうですよね」
彼女は何かを考えるように、ほんの少し目線を落とした。
「日本も戦後、合衆国の一部を領土にしたと聞いていますけど……大丈夫なんですか?」
——は?
言葉が、頭の中で凍った。
「……え?」
俺の口から出た声は、間抜けだった。
「日本が……合衆国の一部を……領土に?」
彼女は俺の反応に驚いたように瞬きをし、それから慌てたように手を振った。
「あ、すみません。変な意味ではなくて……」
「いえ」
俺は、息を呑んだまま言った。
「……大丈夫です。続けてください」
彼女は戸惑いながらも、丁寧に言葉を選ぶ。
「帝国が併合した地域で反乱が起きているのなら、
日本も同じように……大変なのではと思って」
心配している。
責めていない。
純粋に、同じ“勝った側”としての後始末を気にしている。
そのトーンが、致命的だった。
俺は気づいてしまった。
俺は、どこかで思い込んでいた。
帝国が異常で、日本はまともだと。
いや、違う。
「……なんで俺、何もしてないと思ってたんだろう」
目から鱗が落ちる、というのはこういう感覚かもしれない。
世界がひっくり返るのに、音がしない。
ただ、当たり前だった前提が、静かに崩れる。
帝国は勝った。
日本も、勝った?
そして勝った国は、必ず何かを得る。
領土。資源。影響圏。
それは“何もしない”ではあり得ない。
なのに俺は、聞いていなかった。
日本が戦後どうなったのか。
政府が何を隠しているのか。
自分がどこまで関わったのか。
「……」
言葉が出ない。
彼女が心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
嘘だった。
だが、ここで崩れるわけにはいかない。
護衛が後ろにいる。
彼女の護衛もいる。
街は明るい。人がいる。モニターが戦況を流している。
日常の真ん中で、俺だけが急に孤立したみたいだった。
「すみません」
俺は、無理やり笑おうとして失敗した。
「その話……帰ったら、調べます」
彼女はほっとしたように微笑んだ。
「はい。
もし分かることがあれば、私もお手伝いします」
その言葉は親切で、丁寧で、まっすぐだった。
だから余計に、怖かった。
帝国の人間——いや、吸血鬼が、
日本の戦後事情を“常識”として知っている。
なのに、俺は知らない。
俺は、何を改変した?
何を消して、何を残した?
そして、何を“勝たせた”?
モニターの戦況報告が、また流れた。
読めない文字が、街の光に溶けていく。
読めないのに、胸の奥だけがざわつく。
——帰国したら、まず日本の戦後を調べなければならない。
帝国を知る前に。
自分を知る前に。
俺はその結論だけを握りしめて、
繁華街の眩しさの中を歩き続けた。




