第7話 帝国の日常に、人間はいない
帝都の街は、歩けば歩くほど「完成している」と感じさせる場所だった。
道は広く、段差は少ない。
建物はどれも新しく、古いものも丁寧に補修されている。
人の流れは整理され、無駄な混雑がない。
「観光しやすい街ですね」
俺がそう言うと、隣を歩く彼女——麦わら帽子の女性は、少し誇らしげに微笑んだ。
「帝国は、効率を大切にしますから」
その言い方に、含みはない。
本当に、そう思っている声音だった。
俺たちは連絡先を交換し、帝国での通信許可も取得した。
国外と通信できるようになる“特許”のようなものらしく、申請は彼女が慣れた手つきで手伝ってくれた。
「これで、滞在中も連絡できますね」
「助かります。
分からないことが多くて」
「何でも聞いてください」
嫌な顔ひとつしない。
質問には、分かる範囲で丁寧に答えてくれる。
交通網。
文化施設。
帝国独自の祝日。
吸血鬼とヴァンパイアの違いも、あくまで“一般論”として説明してくれた。
その様子は、普通の案内人そのものだ。
……だからこそ、聞けなかった。
「どうして、人間が少ないんですか?」
その一言を、喉の奥で飲み込む。
彼女と関係を悪くしたくなかった。
悪気がないのは分かっている。
でも、この質問は——踏み込んだ瞬間に、何かが変わる気がした。
「これは……自分で調べた方がいいな」
俺はそう判断した。
街を、よく見る。
ただ歩くだけじゃない。
店の看板。
人の動線。
公共施設の配置。
最初に気づいたのは、店の作りだった。
飲食店は多い。
だが、人間向けの量やメニューが、極端に少ない。
栄養補助食品や血液パックの広告は多いのに、「人間用」の文字が見当たらない。
次に、子ども。
いない。
吸血鬼やヴァンパイアの子どもは見かける。
だが、人間の子どもは——一人も。
「……おかしいな」
俺が小さく呟くと、護衛の一人がわずかに視線を動かした。
気づいている。
俺よりずっと前から。
決定的だったのは、路地裏に入ったときだ。
人通りの少ない区域。
古い建物が並ぶ場所。
そこに——看板があった。
帝国語で書かれた、簡素な掲示。
俺は読めなかった。
「……これ、何て書いてある?」
そう護衛に聞くと、彼は一瞬だけ黙り、それから低く答えた。
「『人間を家から出してはいけません』」
「……は?」
聞き間違いかと思った。
「人間は、原則として自宅外への外出を禁じられています。
例外は、登録された労働、もしくは特別許可のみ」
……ああ。
「だから、見かけないのか」
隠しているわけじゃない。
普通に、書いてある。
帝国の日常ルールとして。
その瞬間、遠くで声が上がった。
言い争いだ。
通りの向こう。
人間らしき男と、吸血鬼が揉めている。
内容は分からない。
だが、次に起きたことは、はっきり見えた。
周囲の人間——いや、吸血鬼やヴァンパイアたちが、人間の方を押さえた。
「落ち着いてください」
「問題を起こさないで」
吸血鬼側には、誰も触れない。
同時に、誰かが通報している。
数分後、警察が来た。
警察は状況を一瞥すると、迷いなく人間の方を確保した。
「事情は後で聞きます」
吸血鬼には、形式的な注意だけ。
……なるほど。
ここでは、
人間が問題を起こす
吸血鬼は“起こされる側”
そういう前提なんだ。
国家が管理していた時代から、形は変わった。
だが、本質は変わっていない。
今は個人が管理し、問題が起きたら国が動く。
責任の所在を、分散させただけ。
「……きれいな街だな」
俺は、思わずそう呟いた。
麦わら帽子の女性が、少し不思議そうにこちらを見る。
「どうしました?」
「いえ。
本当に、よく整っているなって」
嘘ではない。
でも、真実でもない。
彼女はにこりと笑った。
「でしょう?
帝都は、自慢なんです」
その笑顔が、嘘だとは思えなかった。
——彼女にとっては、本当に“いい街”なのだ。
帝国の日常に、人間はいない。
それは隠された真実ではなく、
誰もが知っていて、誰も疑問に思わない常識だった。
俺は、その常識の上を歩いている。
そして気づいてしまった以上、
もう「旅行者」のままではいられない。
「……帰ったら、整理しよう」
帝国の仕組みを。
俺が変えたかもしれない世界を。
彼女は何も知らず、隣を歩いている。
それが、今は一番怖かった。




