第6話 戦勝国の空の下で
帝国行きの移動は、驚くほどあっさりしていた。
少なくとも、手続きの段階では。
政府側が用意した特別便、航路、事前申請。書類の束と引き換えに、俺たちは空を越えた。
問題は——降りてからだ。
機体が着陸し、扉が開いた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
「……すげぇな」
目の前に広がるのは、巨大な空港だった。
天井は高く、ガラス張りの構造物が複雑に組み合わさっている。だが、そのガラスはただの透明ではない。角度によって色が変わり、光を和らげ、影を落とす。直射日光を避けるための設計だと、一目で分かった。
都市機能として洗練されすぎている。
脳裏に浮かんだのは、改変前の記憶だ。
——ニューヨーク。
戦勝国特有の、あの“勝った側だけが持つ余裕と輝き”。
資本が集まり、人が集まり、技術が集中した都市の光。
ここも同じだ。
「帝国中央空港へようこそ」
自動音声が流れる。発音は丁寧で、柔らかい。
その下を行き交う人々——いや、人々ではない。
俺は歩きながら、周囲を見渡した。
多い。
圧倒的に多い。
吸血鬼とヴァンパイア。
服装は多様だ。スーツ、コート、ドレス、観光客らしいラフな格好。
だが共通点がある。
日光を避けている。
帽子、フード、サングラス。
建物の影を選ぶ歩き方。
直射日光の当たるエリアには、必ず屋根か半透明の遮光板がある。
「……ここまで徹底してるのか」
俺が呟くと、隣を歩く亡命者が低く答えた。
「帝国では、日光は“管理するもの”だ」
なるほど。
対策が都市レベルで組み込まれている。
それにしても——
「人間、少なくないか?」
俺は率直に言った。
空港という場所を考えれば、不自然なほどだ。
観光、商業、外交の拠点のはずなのに、人間の姿がほとんどない。
ゼロではない。
だが、目立たない。
意図的に、背景に追いやられているような割合だ。
「……気づくか」
亡命者が小さく息を吐いた。
「ここは帝国だ。
吸血鬼とヴァンパイアで、社会が完結している」
完結。
その言葉が、妙に重く響いた。
入国審査は、驚くほどスムーズだった。
パスポートを見せ、目的を聞かれ、答える。
「観光です」
俺がそう言うと、係員は淡々と頷いた。
「滞在期間は?」
「数日ほど」
「良い滞在を」
疑われない。
警戒されない。
——それが、逆に怖い。
審査を抜け、到着ロビーへ出たときだった。
「……あ」
ふと視界に入った人物に、俺は足を止めた。
同じくらいの年齢。
高校生か、少し上くらいだろう。
長い髪をまとめ、淡い色のワンピースを着ている。
季節は春先。
暑くも寒くもない。
それなのに——
彼女は麦わら帽子をかぶっていた。
つばが広く、顔に影を落とす。
服装も、肌の露出を極力避けている。薄手だが、日光を通しにくい素材。
「……慣れてるな」
帝国に。
そう直感した瞬間、彼女と目が合った。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
そして、柔らかく微笑む。
「こんにちは」
声をかけられたのは、ほぼ同時だった。
「あなた、こちらに来たばかりですよね?」
「え、あ……はい」
俺は反射的に答えた。
「旅行ですか?」
……ストレートだな。
「はい、旅行目的です。
あなたもですか?」
そう聞き返すと、彼女は少しだけ言葉を選ぶように視線を逸らした。
「……そんなところです」
否定はしない。
でも、肯定もしない。
「帝都の街並みが好きで。
よく来ているんです」
“よく来ている”。
この空港に慣れている言い方だ。
「もしよければ、案内しましょうか?」
彼女はそう言って、にこりと笑った。
「初めての方だと、分かりにくい場所も多いので」
正直、渡りに船だった。
俺は帝国について、資料でしか知らない。
実際の街を歩くなら、地元——いや、この国に慣れた人間の案内はありがたい。
「いいんですか?」
「もちろん」
「余り帝国の事を知らないので、ぜひ教えてくれるとありがたいです。
……お願いします」
俺が頭を下げると、彼女は少し驚いた顔をしてから、楽しそうに笑った。
「丁寧なんですね」
「そうでもないです」
会話は、穏やかだった。
——ただし。
俺の背後で、空気が変わった。
振り返らなくても分かる。
護衛たちだ。
筋肉の男が、無意識に一歩前へ出る。
血液操作の男が、視線を鋭くする。
そして——彼女の背後。
同じように、二人。
さりげなく配置された護衛らしき人物が、わずかに位置を変えた。
視線が、交錯する。
一瞬。
言葉はない。
だが、そこには確実に“測り合い”があった。
敵か。
味方か。
少なくとも、無関係ではない。
……らしい。
俺は、そのことに気づかないまま、彼女の後について歩き出した。
「まずは、帝都行きのエアトラムに乗りましょう」
「空港から直通なんですね」
「ええ。帝国は、移動効率を重視しますから」
トラムの窓から見える景色は、圧巻だった。
高層建築。
空中歩廊。
光を制御する巨大なシェード。
夜を前提に設計された街。
それなのに、どこか明るい。
「……発展してるな」
俺が率直に言うと、彼女は少し誇らしげに言った。
「戦後、急速に変わりましたから」
戦後。
——帝国が勝った、あの戦争の後。
「この街、好きなんです」
彼女は続けた。
「綺麗で、便利で……
何より、“自分たちの居場所”って感じがして」
自分たち。
吸血鬼としての、だろう。
「あなたは、人間ですよね?」
突然の質問。
「え、まあ……はい」
「安心してください。
観光客の方に、何かする人はいません」
その言い方が、どこか引っかかった。
“何かする人”が、存在する前提。
だが彼女は、それ以上踏み込まなかった。
トラムは滑るように進み、やがて帝都の中心部が見えてくる。
光。
影。
巨大な都市。
戦勝国の空の下で、帝国は繁栄していた。
その中心に、俺は足を踏み入れようとしている。
「……ありがとう。案内、助かります」
俺がそう言うと、彼女は麦わら帽子のつばを軽く押さえ、微笑んだ。
「どういたしまして」
「帝都は、いい街ですよ」
その言葉が、
——なぜか、やけに重く聞こえた。




