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第28話 隣の席

朝の教室は、いつもよりざわついていた。


俺が転校してきた日からずっと「落ち着く」という概念が消えている気がするが、それでも今日の空気は別格だった。

原因は分かりきっている。


転校生。


また。


「ねえ、聞いた?今日また来るんだってさ」


「え、マジ?これ何回目?」


「転校生祭り、いつ終わるんだよ……」


誰かが冗談めかして言い、誰かが笑う。

でも笑いの中に、確かな警戒が混じっている。


この学校は、もう普通の学校じゃない。

普通の学校を装っているだけの、何か別の場所だ。


俺が席に着くと、ガルムが横目でこちらを見て、ため息をついた。


「……お前、また何か呼んだ?」


「呼んでねえよ」


即答した。


「俺が呼んだなら、もうちょいマシなタイミングで呼ぶ」


「マシなタイミングってなんだよ」


ガルムが小声で笑う。


俺も笑いかけて、すぐ真顔に戻った。

笑ってる場合じゃない。

昨日までの会話が、頭の奥で熱を持っている。


――美亜。

――暗殺。

――護衛手配。

――シャルの「任せてください」。


(……まさか、関係ないよな)


いや、関係がないわけがない。

昨日の今日で、同じ名前の人物が転校してくるなんて偶然は、もう信じない。


チャイムが鳴る。


担任が教室に入ってきた。


「はい、席についてー」


ざわめきが少し沈む。


担任は一度咳払いして、前置きもなく言った。


「今日は転校生を紹介する。……まただな、って顔するな。先生も同じ気持ちだ」


教室がくすっと笑う。

笑いは、緊張を隠すための儀式だ。


「入ってきていいぞ」


扉が開く。


そして、彼女が入ってきた。


黒髪。

少しだけ柔らかい雰囲気。

でも目は、はっきりしている。


西園寺 美亜。


「……」


教室の空気が、一瞬で固まった。


俺は、心臓が嫌な音を立てるのを感じた。


(……来た)


担任が黒板に名前を書く。


「西園寺美亜。自由皇国からの転校だ。よろしくな」


自由皇国。


その単語が教室のざわめきを増幅させる。

合衆国の内戦が終わったばかり。

世界のニュースが教室の空気にまで染み込んでいる。


美亜は、軽く頭を下げた。


「西園寺美亜です。よろしくお願いします」


声は落ち着いている。

でも、その落ち着きが逆に浮いていた。


普通の転校生なら、もっと緊張する。

もっと周囲を気にする。

でも美亜は――まるで、ここに来るべくして来たみたいに立っている。


担任が言う。


「席は……えーと」


名簿を確認し、教室を見回す。


「渡会の隣が空いてるな。そこに座れ」


その瞬間、教室のざわめきが一段上がった。


(……やめろ)


内心で叫ぶ。


(隣はやめろ)


だが、担任は悪気などない。

空いている席に座らせただけだ。


美亜が、迷いなくこちらに向かってくる。


歩くたびに、視線が付いてくる。

クラス全員の視線が、まるで一本の線になって美亜を追う。


そして、その線が俺に刺さる。


「……」


美亜は、俺の隣で立ち止まった。


そして、にこっと笑った。


「おはよう、翔」


名前を呼ばれた瞬間、教室の空気が爆発した。


「えっ?」


「え、今“翔”って言った?」


「え、知り合い?てか距離近くね?」


「ひとめぼれか?いや、でもなんで渡会……?」


ひそひそ声が波のように広がる。


俺は、椅子に座ったまま固まった。


(……やめろ)


(頼むからやめてくれ)


美亜は平然としている。


そして、俺の隣の席に座った。


椅子が引かれる音が、やけに大きい。


担任は状況を理解していないのか、理解していて見なかったことにしたのか、普通に授業を始めた。


「はい、それじゃあ――」


だが、授業の内容なんて頭に入るわけがない。


俺の意識は、教室の視線の重さと、隣の存在感に全部持っていかれていた。


美亜は、何事もないようにノートを開き、ペンを持つ。


(……何事もないようにしてるのが一番怖い)


俺は小声で言った。


「……おい」


「ん?」


美亜が顔を向ける。


近い。

物理的に。

呼吸の距離だ。


「……距離」


「え?」


美亜がきょとんとする。


「近い?」


「近い」


即答した。


美亜は少し考えて、にこっと笑った。


「昔からこんな感じだったよ」


その言葉が、俺の心臓に刺さる。


(覚えてないんだよ、俺は)


でも、それをここで言うのは最悪だ。

また注目が集まる。


俺は黙った。


授業が続く。


黒板の文字が目に入っても、頭が処理しない。


休み時間になった瞬間、教室が一斉に動いた。


「西園寺さん、自由皇国ってどんな感じ?」


「てか渡会と知り合いなの?」


「いつから?どこで?」


質問が飛び交う。


美亜は笑顔で受け流す。

でも、その合間に必ず俺を見る。


俺は、その視線の意味が分からなくて、胃が痛かった。


(……シャル)


助けてくれ。


そう思って、教室の奥を見る。


シャルは、いつものように綺麗に座っていた。

姿勢も表情も完璧なのに――目だけが違う。


冷えている。


いや、冷えているというより、刺さっている。


そして、美亜と俺の距離を見て、ほんの一瞬だけ眉が動いた。


(……やばい)


俺は人の波をかき分けて、シャルの近くへ行く。


「シャ――」


声をかけかけて、言葉を変えた。

周囲に聞かれたら面倒だ。


「……ちょっと、相談」


小声で言う。


シャルはにっこり笑った。

完璧な笑顔。


なのに、声は小さい。


「はい。なんでしょう」


その声の中に、ほんの少しだけ刺があった。


俺はさらに声を落とす。


「……助けてくれ。変に注目されてやりづらい」


シャルは一瞬だけ目を細めた。


「……へえ」


声が、やけに軽い。


「私は、翔さんにそんな感じで頼られたこと、ありませんが?」


(……来た)


俺は顔を引きつらせた。


「違う。違うって」


「何が違うのですか?」


「いや、違わないけど……違う」


言葉がめちゃくちゃだ。


シャルは、ほんの一瞬だけ、安心した顔をした。

それは、たぶん俺が“相談してきた”ことへの反応だ。


でも、次の瞬間、口元がきゅっと尖る。


「……私には、距離を詰められても無反応なのに?」


「無反応じゃない!」


思わず声が出そうになって、慌てて口を押さえた。


「……無反応じゃない。理由がある」


シャルの目が細くなる。


「理由?」


「今は……状況が違う」


「状況?」


シャルの声は笑っているのに、目が笑っていない。


俺は、必死で言った。


「頼む。今は助けてくれ。

俺、こういうの慣れてない」


シャルは、ふっと息を吐いた。


「……分かりました」


その一言が、救いだった。


「ただし」


シャルは小さく付け加える。


「後で説明してください」


「……うん」


シャルは立ち上がり、静かに教室の中心へ向かった。


人の波を割って、美亜の前に立つ。


「西園寺さん」


声は丁寧。

笑顔も丁寧。


だが、空気が変わった。


美亜が顔を上げる。


「はい?」


「少し、いいですか」


美亜は一瞬だけ目を細めた。

それは敵意ではない。警戒だ。


「今、休み時間だけど」


美亜は笑う。


「話しかけられてる最中だから、短めなら」


周囲がざわめく。


シャルと美亜が向き合っている。

それだけで、教室の空気が緊張する。


(やめろ……目立つ)


でもシャルは止まらない。


「渡会さんに、あまり負担をかけないでください」


丁寧な言葉。

だが、中身ははっきりした牽制。


美亜は、少しだけ驚いたように目を丸くした。


「負担?」


「はい」


シャルは微笑む。


「彼は、注目されるのが苦手です」


(おい、言うな)


心の中で叫ぶ。


美亜は、俺を見た。

その目が少しだけ柔らかくなる。


「……そうなんだ」


そして、シャルに向き直る。


「でも、私は悪気ないよ」


「悪気の有無は関係ありません」


シャルの笑顔が変わらないのが怖い。


「結果として負担になるなら、それは負担です」


周囲が息を飲む。


(シャル、強い)


美亜は少しだけ口を尖らせた。


「……言い方きついね」


「皇女教育の賜物です」


さらっと言ってのける。

もちろん、ここで“皇女”とは言わない。

ただ、言葉の強さだけが残る。


美亜は、しばらくシャルを見つめた。


そして、ふっと笑った。


「……分かった」


あっさり。


「じゃあ、距離詰めるのは控える」


俺はほっとした。


……が。


美亜は続けた。


「でも、隣の席は控えられないよね?」


教室がざわつく。


「先生が決めたし」


美亜は悪びれない。


「それに、隣の席のほうが話しやすいし」


(おい)


俺は頭を抱えたくなった。


シャルの眉がぴくりと動く。


「……」


だが、シャルは深呼吸して、微笑んだ。


「では、せめて授業中は静かにしてください」


「それはするよ」


美亜が笑う。


「ちゃんと真面目にやる。未来予知があるし」


その一言で、教室の空気が一気に変わった。


「……未来予知?」


誰かが小さく呟く。


「え、能力者なの?」


「まじ?西園寺さん能力者?」


美亜は、しまった、という顔をしない。

むしろ、当たり前のように頷いた。


「うん。未来予知」


ざわめきが増幅する。


能力者。

この世界では珍しくないが、学園にいる能力者の質が明らかにおかしい。


筋肉軍人の念動力。

政府監視役の記憶耐性。

念写。

亡命者の未来予測弾。


そして、未来予知。


教室の視線が、美亜に集まる。

そして、次の瞬間、その視線が俺に向かう。


――なんで、未来が見えるやつが、こいつに?


その疑問が、言葉にならなくても伝わってくる。


「……え、じゃあ渡会って」


「もしかしてすごいの?」


「でも、今さら聞けなくね?」


「転校してきたとき普通だったし……」


「てかそもそも渡会って何者なんだよ」


ひそひそ声が広がる。


俺は、胃が痛くなった。


(やめろ)


(勝手に疑惑を膨らませるな)


だが、止められない。


俺は何も言っていない。

何もしていない。

なのに、“周囲が勝手に”俺を作り上げていく。


それが、配信のときと同じだった。


(……怖い)


シャルが、俺の方をちらりと見る。

目で「大丈夫ですか」と聞いてくる。


俺は小さく頷いた。


大丈夫じゃない。

でも、崩れたらもっと面倒になる。


チャイムが鳴る。


次の授業。


美亜は、今度こそ静かに座った。

ノートを開き、ペンを走らせる。


隣の席。


近い呼吸。


俺は黒板を見ながら、内心でひたすら叫んでいた。


(なんなんだこの学校)


(転校生多すぎだろ)


(俺が原因じゃないよな?)


隣で、美亜が小さく囁く。


「翔」


「……何」


俺は目を合わせずに返す。


美亜は、少しだけ笑った気配がした。


「ここ、面白いね」


面白いわけがない。


でも、美亜は本気で言っている。


「私、ここなら――」


言葉が途切れる。


その先を言わないのが、逆に怖い。


(ここなら、何だ)


美亜は、少しだけ声を落とした。


「……ううん。なんでもない」


それで終わり。


授業が進む。


そして俺は、ふと気づく。


美亜の距離の近さは、恋だとかひとめぼれだとか、そんな単純なものじゃない。

もっと根深い何かだ。


過去の約束。

過去の記憶。

俺だけが知らない過去。


それが、隣の席に座っている。


教室の視線が、まだ刺さる。


シャルの空気も、微妙に尖っている。


そして、俺はその中心にいる。


(……最悪だ)


でも同時に、逃げられないとも思った。


隣の席にいるのは、暗殺されかけている友達だ。

その危険を知っているのは俺だけで、守ろうとして動いてくれているのはシャルだ。


(……一人じゃない)


その事実だけで、ギリギリ息ができた。


休み時間、またざわめきが戻る。


転校生祭り。

異常な日常。


そして俺の隣に座る、美亜。


今日から、この教室はもう一段――面倒な場所になった。

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