第27話 任せてください
シャルに連絡を入れてから、返事が来るまでの時間は、体感だとやけに長かった。
通話ボタンを押した瞬間に繋がることもあれば、数分待たされることもある。
今日は後者だった。
(……いや、当たり前だ)
相手は帝国第二皇女殿下。
暇な高校生の相談に即応できる立場じゃない。
それでも、断られたらどうしよう、という不安が胸の奥で渦を巻いていた。
スマホが震える。
画面に表示された名前を見て、思わず背筋が伸びた。
「……もしもし」
『はい』
シャルの声だった。
いつもの落ち着いたトーン。
でも、どこか柔らかい。
『少し遅くなってしまって、ごめんなさい。今、大丈夫ですか?』
「うん。ありがとう」
その一言だけで、少しだけ肩の力が抜けた。
『それで……相談、というのは』
「……美亜のことなんだけど」
名前を出した瞬間、向こうが静かになったのが分かった。
耳を澄ませている、という感じ。
俺は、できるだけ順を追って話した。
AGBからの依頼。
暗殺という選択肢。
それを拒否したこと。
拒否した以上、美亜が安全とは限らないこと。
自分で話していて、改めて思う。
(……重いな)
高校生が背負う話じゃない。
話し終えると、少し間が空いた。
『……なるほど』
シャルの声は、思ったより静かだった。
『つまり』
一拍置いてから、続ける。
『私が、美亜さんが暗殺されないよう、護衛の手配をすればいいんですね』
あまりに端的で、思わず目を瞬いた。
「……え?」
『承知しました』
その瞬間、通話越しでも分かるくらい、空気が変わった。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、シャルが息を吐いたのが分かった。
『……相談してくれて、嬉しいです』
その言葉のあとで、声が少しだけ明るくなる。
『では、任せてください』
即断だった。
「……そんな簡単に?」
『簡単ではありません』
シャルは、きっぱり言った。
『ですが、可能です』
その自信に、胸の奥がじんとする。
「……ありがとう」
それしか言えなかった。
『いえ』
シャルは、少しだけ笑う。
『皇女としての仕事ですから』
……嘘だ。
皇女として、ではない。
そう言わなくても分かる。
「護衛って……具体的には?」
俺が聞くと、シャルはすぐに説明に入った。
『常時一人が付き添う形ではありません』
「……だよね」
『交代制です。その時間帯に空いている、信頼できる人員を回します』
淡々とした説明。
でも、その裏にどれだけの調整が必要か、想像できてしまう。
『目立たないように。ですが、何かあれば即座に動ける距離で』
「それなら……安心だな」
『はい』
そこで、ふと、気になっていたことが口をついて出た。
「あっ……でも」
『?』
「血液とかって、どうするんですか?」
自分で言ってから、少しばかり気まずくなる。
でも、聞かないわけにはいかなかった。
「食事と同じように取らないと……その……」
死ぬ。
その言葉を、俺は飲み込んだ。
帝国で見てきた光景が、頭をよぎる。
血を必要とする存在にとって、それは贅沢でも嗜好でもなく、生存条件だ。
シャルは、少しだけ間を置いてから答えた。
『合衆国が、最近人工血液の開発に成功しました』
「……人工?」
『はい』
シャルの声に、わずかに苦笑が混じる。
『味は……とんでもなくまずいそうですが』
思わず、変な声が出た。
「まずいんだ……」
『ええ』
『ですが、最低限の栄養と機能は満たせます』
「じゃあ……それで?」
『当面は』
淡々とした説明だが、その裏にある努力が透けて見える。
合衆国が、どれだけ本気でこの問題に取り組んでいるか。
『護衛の件についても、ご心配なく』
シャルは続ける。
『一人が長時間拘束されるわけではありません。
交代制ですし、その都度、適任者を回します』
「……無理、してない?」
思わず聞いてしまった。
『無理は、します』
即答だった。
『ですが、無茶はしません』
その区別が、シャルらしい。
「……」
胸の奥で、何かがほどける。
「でも……」
ふと、別の不安が浮かぶ。
「それ、無報酬ってわけにはいかないだろ」
護衛。
調整。
リスク。
全部、タダでやらせるには重すぎる。
「何か……俺にできることがあれば」
シャルは、一瞬だけ黙った。
考えている、というより、言葉を選んでいる間。
『……では』
少しだけ、声のトーンが変わる。
『一日一回』
「……?」
『血を、飲ませてください』
一瞬、思考が止まった。
「……え?」
『冗談ですよ?』
すぐに、軽い調子で付け加える。
『いやでしたら、もちろん別の――』
「え?」
今度は、俺のほうが遮った。
「逆に……そんなことでいいの?」
自分でも驚くくらい、素直な声が出た。
シャルが、息を飲むのが分かった。
『……そんなこと、ですか』
「だって」
俺は言葉を探しながら続ける。
「護衛の手配に、調整に……それに、リスクもある」
「それに比べたら……」
言いながら、少し照れくさくなる。
「……そのくらいなら、全然」
一瞬、沈黙。
『……』
そして、小さな笑い声。
『ありがとうございます』
シャルの声は、確かに嬉しそうだった。
でも、はしゃぐわけでもなく、からかうわけでもない。
『では』
『一日一回、ということで』
「……うん」
『ただし』
シャルは、きちんと釘を刺す。
『無理はしないでください。
体調が悪いときは、すぐ言ってください』
「分かってる」
『それから』
少し、間。
『……私、翔さんの血を飲んだこと、ありませんので』
その言い方が、やけに静かだった。
「……そっか」
『ええ』
また、短い沈黙。
変に色っぽくならない。
でも、確実に距離が縮まったのが分かる。
『では、護衛の手配は、すぐに始めます』
話を切り替えるように、シャルは言った。
『美亜さんには、こちらから接触します。
直接的な干渉は避けつつ、危険があれば即座に対応できる形で』
「……ありがとう、本当に」
『いえ』
シャルは、少しだけ柔らかい声で言う。
『相談してくれて、ありがとうございました』
通話が終わる。
スマホを下ろして、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
(……相談してよかった)
本当に。
一人で抱え込んでいたら、きっとどこかで壊れていた。
美亜の顔が浮かぶ。
シャルの声が浮かぶ。
二人とも、同じことを言った。
――一人で抱えないで。
俺は、深く息を吸った。
問題は、まだ山積みだ。
AGBも、連邦も、合衆国も、何も諦めていない。
それでも。
(……一人じゃない)
その事実だけで、少しだけ前を向けた。
スマホの画面には、シャルとの通話履歴が残っている。
その名前を見つめながら、俺は小さく笑った。
(任せてください、か)
その言葉を、今度は俺が胸の中で反芻する。
……次は、俺が応える番だ。




