第26話 それでも、逃げなかった
夕暮れの公園は、思ったより静かだった。
昼間は子どもたちの声で満ちているはずの場所なのに、今はブランコが風に揺れる音と、遠くを走る車の走行音だけが残っている。
まるで、さっきまでここで交わされていた会話ごと、世界が一歩引いたみたいだった。
美亜は、俺の少し前を歩いていた。
並んでいるはずなのに、ほんの半歩分だけ距離がある。
それが不思議と心地よくて、同時に苦しかった。
「……ね」
しばらく黙ったまま歩いたあと、美亜が口を開いた。
「さっきの話だけど」
俺は足を止めなかった。
止まったら、きっと答えを出さなきゃいけなくなる。
「配信」
その一言で、胸がきゅっと締まる。
「ショウのチャンネル」
美亜は振り返らずに続けた。
「……あれさ」
少し間があった。
言葉を選んでいる、というより、確かめている間。
「本当に、自分の意思だけでやってる?」
足が、一瞬だけ重くなる。
「……どういう意味だ」
声が低くなったのが、自分でも分かった。
美亜は小さく息を吐いた。
「責めてるわけじゃないよ」
すぐにそう付け加える。
「ただ、見てて思っただけ」
「見てるのか」
「うん」
即答だった。
「全部じゃないけど。
でもね、ショウの話し方、昔と同じなんだよ」
「……昔?」
「“自分がやらなきゃ”って顔」
胸の奥に、何かが沈む。
「誰かに頼まれたとか、
脅されたとか、
そういうのじゃなくても」
美亜は、そこで少しだけ振り返った。
「“やらざるを得なくなってる”感じ」
その言葉は、的確すぎた。
(……事実だ)
最初は自分の意思だった。
情報を集めたかった。
世界を知りたかった。
でも、今は違う。
国家が見ている。
視聴者が期待している。
誰かが、俺の言葉を待っている。
「……そうかもな」
否定できなかった。
美亜は、ほっとしたように笑った。
「だよね」
そして、軽く肩をすくめる。
「まあ、そうだよね……」
一瞬、視線を俺に向けて、
「翔の性格的にも」
その言い方が、少しだけ軽くて、救いだった。
「……そんな顔してた?」
「してた」
即答。
「昔から」
昔、という言葉に、また胸が痛む。
俺の知らない“昔”。
公園の出口が近づく。
「ね、ショウ」
美亜は歩きながら、穏やかな声で言った。
「もしさ」
一拍。
「そんなに追い詰められるなら」
俺は嫌な予感を覚えた。
でも、止めなかった。
「世界改変なんて、二度と使わなくていいよ」
心臓が、どくんと鳴る。
「私と一緒に、合衆国で住もう」
言葉が、静かに落ちる。
「危ないことも、無茶なことも、全部やめて」
美亜は、空を見上げた。
「……静かな場所、いっぱいあるよ」
それは、正しい提案だった。
世界改変を使わない。
表舞台から降りる。
配信もやめる。
国家とも距離を取る。
命の危険は、ぐっと下がる。
「それかさ」
美亜は、少し照れたように言う。
「シャルにお願いして、帝国に移住するとか」
思わず、足が止まった。
帝国。
シャル。
確かに、それも選択肢だ。
皇女の庇護の下で生きる。
危険はあるが、少なくとも今よりは管理された世界。
(……最善手だ)
頭では、はっきり分かる。
合衆国か、帝国か。
どちらも、俺を“安全圏”に置いてくれる。
「……」
俺は、何も言えなかった。
美亜は、俺の横顔を見て、すぐに察したようだった。
「……ああ」
小さくため息をつく。
「その顔だ」
「……」
「分かってるけど、選ばない顔」
責める声じゃない。
呆れでもない。
「まあ、そうだよね……」
さっきと同じ、少し軽い調子。
「翔の性格的にも」
同じ言葉なのに、今度は少し切ない。
「……俺は」
喉が、ひどく乾いていた。
「逃げたら……」
言葉が続かない。
美亜は、黙って待ってくれる。
「逃げたら、たぶん楽だ」
「うん」
「でも……」
拳を、ぎゅっと握る。
「責任一つ取れないのに、
平然と生きてるのは……」
声が、わずかに震える。
「親に、合わせる顔がない」
言ってしまってから、後悔した。
こんなこと、誰かに言うつもりじゃなかった。
でも、美亜は驚かなかった。
ただ、少しだけ目を細める。
「……そういうとこだよね」
優しく、でもどこか諦めた声。
「分かった」
それ以上、説得はしなかった。
「私は、逃げてもいいと思うけど」
美亜は正直に言う。
「でも、無理に引っ張るのは違う」
一歩、前に出る。
「選ぶのは、ショウだもん」
公園の出口で、美亜は立ち止まった。
「ただね」
振り返って、にこっと笑う。
「無理だけは、しすぎないで」
その言葉だけ残して、彼女は帰っていった。
一人になる。
街灯が、じわりと明るくなる。
(……正しい逃げ道だった)
合衆国で暮らす。
帝国に移住する。
どちらも、正解だ。
どちらも、今の俺を救ってくれる。
なのに。
(選べない)
理由は、単純だ。
(俺は……)
(俺がやらかしたことを、放り投げたまま生きられない)
美亜は友達だ。
たとえ別の世界でも。
それだけで、依頼を断る理由としては十分すぎる。
だから、AGBの依頼は断る。
それは決めた。
でも――。
(問題は、そこじゃない)
拒否したからといって、連邦が美亜への暗殺計画を中止するとは思えない。
むしろ、厄介な存在として“処理”される可能性は上がる。
(……一人で抱えるのも、ここまでか)
俺は、スマホを取り出した。
画面に映る連絡先。
指が、微かに震える。
(人に頭下げて、お願いするなんて……)
いつぶりだろう。
帝国に行ってから、
配信を始めてから、
俺はずっと“自分が何とかする側”に立っていた。
頼る、という選択肢を、無意識に切り捨ててきた。
(でも)
シャルの言葉が、頭をよぎる。
――一人で決めないでください。
美亜の声も、重なる。
――選ぶのは、ショウだもん。
俺は深く息を吸った。
そして、震える指で連絡先を開く。
名前は、シャル。
通話ボタンの上で、指が止まる。
(……頼るってのは、負けじゃない)
(逃げることでもない)
ただ、背負い方を変えるだけだ。
俺は、画面を見つめたまま、小さく目を閉じた。
そして――。
指を、動かした。
人に頭を下げて、相談する。
それが、今の俺にできる唯一の前進だった。




