表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/30

第25話 約束を、覚えていない

連絡先を交換して別れたはずなのに、スマホはすぐに震えた。


《今、時間ある?》


短いメッセージ。

余計な絵文字も、遠慮もない。

十数年ぶりだと言った相手が、十数年空けたとは思えない距離感で送ってくる。


俺はその画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。


(……十数年ぶり、って何だよ)


俺の人生に、彼女――西園寺美亜という名前の女の子が入り込む余地は、どこにもなかったはずだ。

俺は普通の高校生だった。

少なくとも、改変前の記憶の中では。


けれど、今はもう「普通」を名乗るのが恥ずかしい。

改変の紙を拾って、世界がねじれて、豪邸にいて、帝国に行って、皇女と知り合って、配信を始めて、国家に無茶ぶりされる。


その流れの中で、

“俺が知らない俺の過去”が、いちばん怖かった。


《少しだけでいい。会いたい》


追い打ちのようにメッセージが来る。


拒否する理由は――ある。

関わるな。深追いするな。

国家案件の匂いがする。

AGBが送ってきた“対象”だ。

下手に近づけば、自分だけでなく周りにも被害が出る。


でも、関わらない理由も――弱い。


彼女は俺の名前を知っていた。

俺のフルネームを呼んだ。

そして、「十数年ぶり」と言った。


それは、ただの情報ではなく、穴だ。

俺の中に開いた穴。

そこから冷たい風が吹き込んでくる。


《どこで?》


指が勝手に動いていた。


数分後、返ってきた場所は、駅から少し離れた小さな公園だった。

昼間なら子どもが遊ぶようなところ。

夕方なら、人目はあるけれど密ではない。

安全と言えば安全だが、誰かに見られたら終わり、という意味では最悪でもある。


(……どうしたもんだ)


俺は歩きながら、無意識に周囲を確認していた。

帝国で身についた悪い癖だ。

護衛がいないのに、護衛の目を借りたように視線を滑らせる。


公園に着くと、美亜はブランコの前に立っていた。

制服ではない。私服。

昼間より少し大人びて見えるのは、夕日が影を長くするせいか。


俺に気づくと、彼女はぱっと笑った。


「やっぱり来てくれた!」


その声が、昨日よりも近い。


「……来たけど」


俺は距離を保ったまま言う。


「どういうことだ。

俺は君を知らない。

なのに君は俺を知ってる」


美亜は一瞬だけ笑顔を消した。

消したというより、整えた。

笑っていていい話じゃないと理解した顔。


「うん」


短く頷く。


「分かってる。

ショウが困ってるのも、分かってる」


“ショウ”。

その呼び方が、胸をざわつかせる。


「……その呼び方やめてくれ」


思わず言うと、美亜は目を丸くした。


「え、嫌だった?」


違う。嫌とか好きとかじゃない。


「嫌っていうか……」


言葉が続かない。

俺はただ、呼ばれたくない。

俺の知らない過去を、当然のように呼び出されるのが怖い。


「……ごめん」


美亜がすぐに謝った。


そして、すぐに付け加える。


「でもね、呼び方は……昔からそうだったんだ。

私、ショウって呼ぶの、ずっと当たり前だったから」


“ずっと”。


その言葉が、俺を殴る。


「……座る?」


美亜がベンチを指した。

公園の端、街灯の下。

俺は警戒しつつも、近づく。

美亜は先に座り、俺は少し離れて腰を下ろした。


沈黙。


夕方の空気が、湿った風を運ぶ。

遠くで犬の鳴き声がした。


「……ねえ」


美亜が、恐る恐る口を開いた。


「どこまで覚えてない?」


「全部」


即答だった。


「君のことも、君の名前も、君の顔も。

今みたいに話してる記憶もない」


美亜の指先が、膝の上でぎゅっと握られる。


「そっか」


小さく笑った。

笑っているのに、目は笑っていない。


「……でも、それなら説明できる」


「説明?」


美亜は頷いた。


「この世界のショウは――

幼いころ、私と会ってた」


俺の背中が、硬くなる。


「……どこで」


「日本」


即答。


「同じ町。近所。

公園も、たぶんここ」


言われて、公園を見回す。

何の変哲もない。

滑り台と鉄棒と砂場。

ブランコの鎖が、風でかすかに鳴る。


「……俺は、ここで君と?」


「うん」


美亜は静かに頷いた。


「ショウはね、当時……

友達がいなかった」


胸が痛む。

それは否定できない。

改変前の俺も、社交的ではなかった。


「私も、友達いなかった」


美亜は続けた。


「だから、最初に話した日、覚えてるよ。

ブランコを二人でこぎながら、“名前、なんていうの?”って」


彼女の声は、淡々としている。

泣きそうでも、怒ってもいない。

ただ事実を並べている。


それが、逆に怖い。


「……それで?」


俺の声はかすれていた。


「それで、私たち、毎日遊んだ。

学校っていうより、放課後の世界が全部ここだった」


美亜は、少しだけ笑った。


「ショウ、真面目でさ。

遊んでる途中でも急に“宿題やらなきゃ”とか言い出すの」


(……それ、俺っぽい)


記憶はないのに、想像がつく。

想像がつくのが、嫌だった。

まるで、そこに本当に俺がいたみたいで。


「でもね」


美亜の笑顔が、また整う。


「私、途中でいなくなった」


「……引っ越し?」


「うん。親の都合」


美亜は一度息を吸った。


「自由皇国に行くことになった」


聞き慣れた単語。

合衆国の内戦後、日本の統治下にある衛星国――自由皇国。

ニュースでしか知らない場所が、彼女の幼少期の“転機”として出てくる。


「……なんで、そんな」


「親の仕事。

決まったら早かった」


美亜は肩をすくめる。


「でね、その時ショウが……」


一瞬、言葉が詰まった。


美亜は、ベンチの木目を見つめたまま続ける。


「約束したんだ」


「約束?」


心臓が、嫌な音を立てた。


「うん」


美亜は頷いた。


「私が自由皇国に行ったら、

もう簡単には会えない。

連絡も難しい。

子どもだったし、スマホもないし」


それを聞いて、俺は違和感に気づく。

子ども時代なら、スマホがないのは当然だ。

でも、連絡が難しいというのは……ただの距離ではない。


この世界の国境は、改変前よりずっと重い。


「だから、ショウは言った」


美亜が、こちらを見た。


目がまっすぐで、逃げられなかった。


「『もし自由皇国が大変なことになったら、連絡して』って」


「……」


「『無理そうなら、絶対連絡して』って」


胸の奥で、何かが崩れる。


(俺が、そんなことを?)


「そして――」


美亜は、少しだけ微笑んだ。


「『絶対、俺が何とかするから』って」


空気が、止まった。


公園の音が消えた。

遠くの車の音も、犬の鳴き声も。

全部、頭の奥に沈む。


“絶対、俺が何とかする”。


その言葉が、今の俺に刺さりすぎていた。


(……俺は)


(俺は、もう“何とかする”側の人間になってしまった)


帝国での行動。

配信。

国家の依頼。

全部、形は違っても同じ方向だ。


(俺が何とかする――って)


その言葉が、誰かの人生を動かす重さを、俺は知り始めている。


美亜は続けた。


「ショウはその時、たぶん……

自分が何を背負うことになるか、分かってなかったと思う」


それは、そうだろう。

子どもの言葉だ。

優しさだ。

無責任な希望だ。


「でも、私は」


美亜の声が、少しだけ震えた。


「私は、信じた」


それだけで、胸が苦しい。


「自由皇国に行ってから、最初は普通だった。

でも、合衆国が崩れて、内戦が始まって……

自由皇国も安全じゃなくなった」


「……」


「その時ね、私は思った」


美亜は、静かに笑う。


「“ショウに連絡したい”って」


俺は反射的に口を開きかけて、止めた。

“連絡できなかったのか?”と聞きたかった。

だが、それは今の話の本質じゃない。


「でも、できなかった」


美亜は言った。


「連絡の手段も整ってなかったし、

何より私、自分が情けなかった」


「情けない?」


「助けてって言うだけの人になりたくなかった」


美亜の瞳が、少しだけ強くなる。


「ショウが“何とかする”って言ってくれたなら、

私は、私で何とかしたかった」


その言葉は綺麗だった。

綺麗すぎて、痛い。


「……だから」


美亜は、ゆっくり言う。


「私は、頑張った」


それは、軽い言葉ではなかった。


頑張った。

それだけで、内戦が終わるなら世界は苦労しない。


「手段を選ばず、って言うと悪く聞こえるけど」


美亜は視線を逸らす。


「でも、選んでたら間に合わなかった」


「……何をした」


俺の喉は乾いていた。


美亜は一拍置いて、言った。


「能力を鍛えた」


「能力……未来予知か」


「うん」


美亜は頷く。


「最初はね、使いこなせなかった。

見えるのは断片で、怖いだけで、吐きそうで」


それでも。


「でも、見ないと死ぬから」


淡々とした言葉が、重い。


「見続けた。

外したら誰かが死ぬ。

当てたら、少しだけ生き残る。

その繰り返し」


想像が、勝手に膨らむ。

吐き気がした。


美亜は、話を止めない。


「結果として、合衆国の内戦は……終わった」


「……君が?」


「“一人で”って言うと大げさだけどね」


美亜は苦笑する。


「でも、私がいなかったら終わらなかった、とは言われた」


胸の奥が、空っぽになる。


(……俺は何をしてた)


俺は帝国で観光して、血液バイトして、配信して。

その間に、彼女は内戦を終わらせていた?


(矛盾だ)


(でも、この世界なら――)


成立してしまう。


美亜は、ふっと表情を柔らかくした。


「でね」


「やっと落ち着いたころ、思ったんだ」


「“ショウに会いたい”って」


俺の心臓が、また嫌な音を立てる。


「会って、言いたかった」


美亜は微笑む。


「“約束、守れたよ”って」


「……」


言葉が出ない。


美亜は、俺の沈黙を責めない。

ただ、少しだけ寂しそうに笑った。


「でも、ショウは覚えてなかった」


「……」


「不思議だよね。

私はこんなに覚えてるのに」


俺は拳を握りしめた。


(覚えてない)


(覚えてないのに)


(俺が言った言葉が、彼女を作った)


喉の奥が詰まって、息がうまくできない。


美亜は、その空気を読んだのか、少しだけ声を落とした。


「……ねえ、ショウ」


呼び方が刺さる。

でも、止められなかった。


「私、恨んでないよ」


その一言が、心臓を鷲掴みにする。


「だって、約束」


美亜は笑った。


「守ろうとしてくれたでしょ?」


「……え?」


俺は思わず顔を上げた。


美亜は頷く。


「だって、ショウってそういう人だもん。

言ったら、やろうとする。

無茶でも、背負おうとする」


それは褒め言葉の形をしていて、同時に呪いだった。


「私、知ってるよ。

あなたが今、何かしてること」


胸が跳ねる。


「……どこまで」


俺が聞きかけると、美亜は首を振った。


「全部じゃない。

でも、噂になるくらいには」


笑う。


「“異世界留学チャンネル”ってやつ」


喉が鳴った。


(……見てるのか)


美亜は続ける。


「だから、恨んでない。

むしろ……安心した」


安心。

その言葉が、さらに重い。


「ショウは、ショウだった」


美亜は、まるで当たり前のように言う。


俺は何も言えなかった。


謝れない。

正当化もできない。

否定もできない。


だって、これは俺がやらかした結果でしかないからだ。

過去改変の力を得た瞬間から、世界だけじゃなく、人の人生まで歪めてしまった。

しかもそれは、悪意じゃなく、善意の形で。


美亜はベンチから立ち上がった。


「今日は、これだけ言えればいいや」


夕日が、彼女の髪を赤く染める。


「また、会っていい?」


問いは軽いのに、意味は重い。


俺は返事ができない。

できないのに、首だけは小さく動いていた。


美亜は満足そうに笑った。


「じゃ、またね。ショウ」


そして、今度こそ人混みに消えていく。


俺はベンチに座ったまま、空を見上げた。


(約束を、覚えていない)


その事実が、胸の奥で反響する。


俺は世界を変えた。

でも、世界を変えたつもりなんてなかった。

ただ、目の前の何かを“何とかしたい”と思っただけだ。


その結果、誰かが人生をかけるほどの言葉を俺は吐いていた。


(……俺は)


(俺が失ったものと、得たものはどっちが多いんだ)


問いは、答えを持たない。


ただ一つだけ確かなのは――


俺が知らない過去は、もう一人じゃなかった。

そしてその過去は、俺を責めずに、笑っていた。


それが、国家の無茶ぶりより、ずっと怖かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ