第23話 無茶言うな
AGBからの連絡は、授業が終わって十分もしないうちに来た。
スマホの通知欄に表示された文面は、短く、事務的で、そして嫌な予感しかしない。
――緊急協力要請。至急対応を求む。
「……はあ」
ため息が先に出た。
(緊急って言葉、最近安売りされすぎだろ)
昼休みに出した第二回配信の告知が、まだ頭の片隅に引っかかっている。
昨日の視聴者数の伸び。海外言語のコメント。DMの量。
“始めてみただけ”のはずなのに、世界はその言葉を許してくれない。
校舎を出て、グラウンドの端――人目の少ない防球ネットの陰へ回る。
ここなら、聞き耳を立てられても会話の断片が風に紛れる。
通話ボタンを押した。
『時間がないので要点だけ話します』
出た。あの声。
年齢不詳の少女。AGB。国家保安委員会。
「……どうぞ」
『合衆国が動きました』
胸の奥が一段沈む。
「動いた、って……」
『政治工作です。日本に対する“影響力行使”を行うことが正式に決定しました』
「今さら?」
思わず言った。
連邦も帝国ももう動いてる。今さら合衆国が“参戦”して何が変わる。
――そう思ってしまうのが、もう危険だ。
『遅かった理由は察しがつくでしょう。民主国家は、意思決定に手順が必要です』
「議会、委員会、予算、世論……ってやつ?」
『ええ。許可と予約に手こずった。結果として出遅れた』
淡々とした事実が、逆に不気味だった。
遅れた国ほど、挽回するときに乱暴になる。
俺の脳裏に、勝手な偏見――でも、偏見で片付けられない現実がよぎる。
『ですが出遅れたからといって諦める国家ではありません』
「……で?」
『第一段階として、“留学生・転校生”という形で人員投入を検討しています。主導はMIA』
「MIA……合衆国中央情報局か」
『はい。世界三大情報機関と呼ばれることもあります。MIA、AGB、そして日本の特別高等警察』
「互いにスパイ入れ合ってる、って噂のやつ」
『噂ではなく事実です』
さらっと言い切るのが怖い。
正義の旗を掲げる余地なんて、この世界のどこにもない。
『合衆国は日本への工作を、連邦と同様に行うことを決めました。つまり――合衆国から転校生が来る可能性が高い』
「可能性、じゃなくて?」
『ほぼ確定です』
俺は目を閉じた。
(また転校生かよ)
エルフと獣人が来たばかりで、クラスはまだ“異物”の処理に追いついていない。
そこへ合衆国まで来たら、何が起きる?
教室の空気が割れる。派閥ができる。日常が政治になる。もうなってるけど。
『そこで、依頼です』
嫌な予感がする。
俺はできるだけ平坦に答えた。
「……何をすればいい」
一拍の沈黙。
『その転校生を入れないようにしてください』
「…………は?」
理解が遅れた。
「ちょっと待て」
『時間がないので簡潔に』
「簡潔とかそういう問題じゃ――」
『日本にこれ以上外国人が流入することは、日本人の居場所を奪うことに繋がります。日本人の肩身が狭くなる。世論的にも危険です』
「それを……誰が止める」
嫌な答えが見える。見えるから聞きたくない。
『あなたとガルムです』
「――無茶言うな」
声が漏れた。素で。
「いや、ほんとに。無茶ぶりにもほどがあるだろ」
俺は思わず笑ってしまった。笑うしかない。
「合衆国の“暴力的な政治工作”を食い止めてくれ、ならまだ分かる。
でもこれ、内容としては“転校生を入れるなって空気を作れ”だろ?
俺に学校で政治活動しろって言ってるのと同じじゃねえか」
『あなたなら可能性があると判断しました』
「理由は?」
『影響力です。あなたの配信と、その反応。空気の動き』
胸の奥が冷える。
(……シャルが言ってたやつだ)
“届いてしまう”
俺が自覚し始めたことを、もう他人が利用しようとしている。
『合衆国は、民主国家であっても、利益のためなら遠慮しません。あなたが“受け皿”になれば、合衆国の接点を増やせる』
「……連邦の都合だな」
『否定しません』
正直すぎて、逆に腹が立たない。
「俺は日本人だ。日本のために動けと言うならまだ分かる。
でも連邦の都合で“合衆国を止めろ”って、俺を何だと思ってる」
『便利な存在です』
一瞬、言葉が詰まった。
冗談じゃない。彼女は本気で言っている。
『同時に危険な存在でもある。だから主導権を握らせたくない。しかし、あなたが鍵になる』
(最悪だ)
鍵。便利。危険。
人間扱いじゃない。国家の道具としての評価。
「即答はできない」
『分かっています』
「それに、それをやったら俺は完全に“誰かの側”に立つ」
『はい』
「帝国と日本を敵に回す可能性もある」
『あります』
「……それでも?」
『それでもです』
通話の向こうが静かになった。
こちらも、言葉が出ない。
俺の頭の中には、嫌な既視感が広がっていた。
(これ……俺が配信を始めた時と同じ構造だ)
やらないと、もっと酷いことになる。
放っておくと、被害が増える。
その理屈で人は動く。俺も動いた。
「……考える時間をくれ」
『もちろん。ただし時間は多くありません。今夜までに“方針”だけでも』
「分かった」
通話が切れた。
スマホを握ったまま、しばらく立ち尽くす。
校庭から聞こえる部活の声が、やけに遠い。
(無茶言われてるのは確かだ)
でも――シャルの声が脳裏を刺す。
“出来る限りじゃダメです”
“絶対に相談してください”
(……約束したばっかだろ、俺)
俺は深呼吸して、校舎へ戻った。
放課後、ガルムを見つけるのは簡単だった。
廊下の角で、クラスメイトに囲まれていたからだ。
「ガルム、ちょっと」
「お?どうした?」
いつもの明るさ。だが、俺の顔を見た瞬間に察したのか、声のトーンが落ちる。
「……やべえ話か?」
「やべえ話」
俺は短く言って、人の少ない階段下へ連れて行った。
「AGBから緊急要請。合衆国が動いた」
ガルムの耳がぴくりと動いた。尻尾が一瞬止まる。
「合衆国……MIAか?」
「知ってんのかよ」
「そりゃ知ってる。連邦の連中、MIAの話になると一段声小さくなる」
笑えない。
俺は要点だけ伝えた。
“転校生”という形での人員投入。
そして、AGBの依頼内容。
「……止めろ?転校生を?」
ガルムが眉をひそめる。
「俺も言った。無茶言うなって」
「無茶だな」
即答だった。
少し救われる。
「でもさ」
ガルムは腕を組み、真面目な顔で言う。
「AGBの言い分も分かる。これ以上“外国の顔”が学校に増えたら、日本人の居場所が狭くなる。空気が割れる」
「それを俺らに止めろってのが無茶だろ」
「無茶だけど……」
ガルムは言葉を探す。
「合衆国の転校生って、たぶん“普通の留学生”じゃない」
「だよな」
「来たら、学校が“窓口”になる。そこから日本社会に広がる。
だから、最初の扉で止めたい。そういう発想だ」
理屈は分かる。
でも、理屈の次が無い。
「どうやって?」
俺が聞くと、ガルムは肩をすくめた。
「分かんねえ。だから無茶だって言った」
その率直さがありがたい。
「……俺さ」
口に出すか迷った。
でも、昨日シャルと約束した。
一人で決めない。相談する。
「シャルにも話す」
ガルムが目を見開く。
「皇女に?」
「クラスメイトに、だよ」
自分で言って、苦笑する。
どっちも事実だから困る。
ガルムは小さく笑った。
「お前、やっと“相談する”って言えるようになったんだな」
胸が痛む。
遅いんだよ、たぶん。
「でも」
ガルムが続ける。
「シャルに話すなら覚悟しろ。アイツ、止めないけど甘やかさない。
『出来る限りじゃダメ』って言うタイプだ」
「……知ってる」
俺は昨日の言葉を思い出して、視線を落とした。
放課後の校舎裏。
シャルは、俺が呼び出す前から分かっていたみたいに、静かに立っていた。
「……何かありましたね」
「ある」
俺は隠さず言う。
隠したら、昨日の会話が無意味になる。
「AGBからの依頼。合衆国が日本への工作を始める。MIAが動く。
転校生を送り込んでくる可能性が高い。
AGBはそれを止めろって……俺とガルムに言ってきた」
シャルの表情が、ほんのわずかに固まる。
「合衆国が……遅れて来た」
小さな独り言。
皇女としての計算が、頭の中で動いているのが分かる。
「あなたは、どうするつもりですか」
問いが真っ直ぐだ。
俺は一瞬、言葉に詰まる。
(正解なんてない)
「……分からない」
正直に言った。
「でも、一人で決めない。相談するって約束したから」
シャルは目を伏せ、短く息を吐いた。
「……それだけで、昨日よりは良いです」
その言葉が、少しだけ救いだった。
「ただ」
シャルは顔を上げる。
「これは“転校生の話”ではありません。
日本の空気を誰が取るか、という話です」
「分かってる」
「なら、焦って答えを出さないでください」
昨日と同じだ。
止めない。でも、線は引く。
「合衆国の動きは止められないかもしれません。
しかし――あなたの配信は、もう“個人の趣味”ではない」
言い切られると、息が止まる。
「あなたが何を言い、何を言わないか。
それが“空気”になります」
(……怖い)
俺は喉の奥でそう呟いた。
シャルは少しだけ柔らかく言う。
「怖いなら、なおさら相談してください。
私だけではなく、ガルムにも。あなたの護衛にも。必要なら家族にも」
最後の“家族”に、胸がきゅっとなる。
「……うん」
頷くしかない。
その夜、俺は机に資料を広げたまま、第二回配信の台本を見つめていた。
コメントには、合衆国に関する誘導めいた質問も増えている。
“連邦は信用できる?”
“帝国は敵?”
“合衆国は正義?”
全部、答え方を間違えれば爆弾になる。
(俺に何をさせたいんだよ)
AGBの無茶ぶり。
合衆国の影。
帝国の視線。
日本政府の沈黙。
――そして、俺自身。
(始めたのは、俺だ)
配信という軽い手段で、世界に手を突っ込んだ。
その結果、世界がこちらを掴みに来た。
「……無茶言うな」
誰もいない部屋で、もう一度呟く。
でも、逃げる気はなかった。
逃げたら、次に誰かが代わりに“空気”を作る。
俺はスマホを手に取り、AGBの連絡先を開いた。
返信文を打つ。
――即答はしない。だが放置もしない。
今夜、こちらの“方針”を送る。
ただし、条件がある。俺に主導権をよこせ。
送信ボタンの上で指が止まる。
(……相談した。だから、押せる)
深く息を吸って、送った。
世界は、また一段動く。
今度は――俺が、押した。




