第21話 始めてみただけ
配信開始のカウントダウンが、画面の端で静かにゼロを刻んだ。
「……えー」
喉が、思ったより乾いている。
呼吸の音がマイクに乗っていないか気になって、俺は無意味にポップガードの位置を直した。
(こんなんでうまくいくのかねえ……)
机の上には、無駄に分厚い資料の山。
連邦の地理、気候、主要都市、観光資源、食文化、交通、治安、労働環境、インフラ、生活費。
どれも“旅行雑誌”を装っているけど、行間の整い方が軍隊じみている。
AGBの少女が言った「宣伝」という言葉を思い出す。
宣伝というより、これは“準備”だ。しかも、準備が良すぎる。
(……俺、ここまでやるつもりだったっけ)
画面の右下に、同時視聴者数が表示されている。
まだ二桁。コメントも、ほとんど流れない。
(まあ、最初はこんなもんか)
俺は咳払いを一つして、決めていた第一声を口にした。
「はじめまして。
チャンネル名は――**『(ある意味では)異世界留学チャンネル』**です」
コメントが一つ、流れる。
《名前で草》
続けて、もう一つ。
《異世界って言っていいの?》
「えっと……“異世界”って言ってますけど、ほんとに異世界って意味じゃないです。
雰囲気が異世界っぽい場所、ってだけで」
言いながら、自分で苦笑してしまう。
俺自身は異世界という言葉を冗談で使っているつもりだった。だが、この世界はすでに“異世界”だ。種族で割れていて、国家が危険度でランク分けされていて、帝国には日光対策の文化がある。
「このチャンネルはですね、
ちょっと“異世界みたいな場所”に行った友人から聞いた話を、ゆるく紹介していきます」
ここが肝だ。俺は“本人”じゃない。あくまで友人から聞いた話。
これが今の俺の防壁。薄いけど、無いよりはマシだ。
「政治の話とか、思想とか、そういうのを語るつもりはありません。
単純に、
『どんな場所なのか』
『行くと何ができるのか』
『暮らすとどんな感じなのか』
を、資料を見ながら話すだけです」
言い切った瞬間、視聴者数が跳ねた。
二桁が三桁になって、三桁が四桁に近づく。
「……え?」
声が漏れそうになって、俺は慌てて飲み込む。
開始数分で三桁どころか、四桁に触れそうになっている。
(何が起きてる)
「今日は第一回なので、
“連邦って実際どんなとこ?”ってテーマで話します」
画面にスライドを映す。地図。
連邦の範囲が、青く塗られている。
「場所は、ユーラシア大陸北部です」
コメントが増える。
《寒そう》
《エルフと獣人の国?》
《ニュースだと内戦のとこだよね》
「寒そうって思いますよね。俺もそう思ってました。
でも、地域によっては普通に住みやすいらしいです」
“らしい”と付ける。これも防壁。
俺が断言しないための、必要な一言。
「次、街並み。これ」
画像を切り替える。
整然とした通り、石造りと近代建築の混ざった街、雪の残る屋根。
帝都のきらきらと違う、落ち着いた光景。
「……俺、これ初めて見た時、正直びっくりしました。
戦争してた国の街って、もっと荒れてるイメージあったので」
《普通に綺麗》
《観光いけそう》
《むしろ帝国より落ち着いてそう》
(帝国より、ってコメントが出るのかよ)
俺は一瞬だけ目を細める。
帝国を引き合いに出すのは危険だ。だがコメントは止められない。
「自然も強いです。山、森、湖、全部ある。
エルフ文化の建築とか、獣人文化の祭りとか、見るだけなら普通に面白そう」
資料をめくるたびに、AGBの“作り込み”が透ける。
写真の角度が良すぎる。言葉が丁寧すぎる。
旅行番組のようで、政治の匂いを消しすぎている。
(……これ、俺が喋らなくても成立するんじゃね?)
そんな疑問が湧いたところで、視聴者数がさらに伸びた。
四桁を超えて、五桁に近づいている。
(いや、待って。五桁?)
俺は意識して声の調子を整えた。
ここで動揺を見せたら、一気に“素人感”が出る。いや、素人なんだけど。
「で、ちょっと現実的な話なんですけど」
トーンを少し落とす。
このパートが、今日の本命だ。
「今、連邦は若い人がかなり少ないらしいです。
内戦の影響で、人手が足りてない分野が多いとか」
求人一覧を映す。
インフラ、建設、医療補助、教育補助、輸送、農業、飲食、宿泊。
「これ、見て分かる通り、
“兵士募集!”とかじゃないです。普通の仕事です」
コメントがざわつく。
《え、普通に募集してるんだ》
《内戦終わったってほんと?》
《給料どれくらい?》
《治安どうなの?》
(うわ、質問の質が一気に現実寄りになった)
俺は一つずつ、用意された範囲で答える。
「給料は職種で違うので、今日ここで断言しません。
治安についても、地域差が大きいみたいです。
ただ、“観光エリアは比較的安定”って資料にはあります」
資料には、そう書いてある。
だが、俺の頭の中では別の文字が浮かぶ。
“比較的”の四文字は、時に何も保証しない。
「もちろん、行けって話じゃないです」
ここで、逃げ道を作る。
というより、これが俺の本音だ。
「合う合わないありますし、日本が好きな人は日本でいいと思います。
ただ、選択肢として“ある”って知るのは悪くないかなって」
《こういうの助かる》
《ニュースよりわかりやすい》
《公式より信用できる(草)》
(公式より信用できるって、やめろ)
笑うべきなのに、笑えない。
俺は“公式”じゃない。なのに信用される。その構図が怖い。
「質問あれば、コメントでどうぞ。
友人に聞ける範囲で、次回以降答えます。
今日は初回なのでこのへんで」
締めに入る。
最後だけ、正直な言葉を混ぜる。
「……正直、こんなんでいいのか、よく分かってません。
でも、とりあえず始めてみました。
それじゃ、ありがとうございました」
配信を終了する。
画面が暗転した瞬間、視聴者数の最終表示が目に入った。
――五桁。
「…………は?」
思わず声が出た。
(え? こんなに?)
コメントログをスクロールすると、日本語だけじゃない。
英語、帝国語、連邦語、見たことのない言語まで混ざっている。
(……海外IP、混ざってるどころじゃないな)
スマホが震えた。通知。
DM。問い合わせ。切り抜きアカウントのタグ付け。
配信まとめサイトへの転載。
(こんなんでうまくいくのかねえ、って思ってたのに)
“うまくいった”という事実が、胸を刺す。
(俺って……)
椅子に深く座り直す。
(俺って、こんなに影響力あったんだ……)
その感覚は、誇らしさより先に“怖さ”として来た。
その頃――帝国。
シャルロッテ・フォン・アーデルハイトは自室で端末を閉じ、目を伏せていた。
画面にはアーカイブの停止画面。
見覚えのある話し方。抑えた呼吸。語尾の癖。
そして、“友人”という言い訳。
「……やっぱり、あなたですよね」
声は静かで、怒気はない。
怒る理由がないわけじゃない。だが、怒っても意味がないことを彼女は知っている。
侍女が入室しようとして足を止めると、シャルは手で制した。
「誰にも言いません。今は」
“今は”という言葉だけが、空気に残る。
「解析は続行。
発信元の特定は急がない。……急ぐと、こちらが動いたと分かる」
情報部への短い指示。
皇女の指示は短いほど重い。
「ただし、介入は禁止」
言い切ったあと、シャルは小さく息を吐いた。
「……自覚がないのが、一番危ないのですけど」
彼女の視線は窓の外――帝国の夜景ではなく、遠い日本の方向に向いていた。
“私がいる間は敵対なんてさせません”
あの小さな呟きが、今も胸に引っかかっている。
彼女自身も分かっている。
永遠ではない。だからこそ、今が怖い。
日本政府。
ある会議室。壁は厚く、窓はない。
プロジェクターに映るのは、配信の統計データとコメント解析。
「開始十五分で五桁到達。海外比率、想定の三倍」
「黒ではない」
「だが、白とも言えない」
誰かが言うと、別の誰かが即座に返す。
「本人への接触は?」
沈黙。
ここで接触すれば、日本政府が関与していると世界に宣言するようなものだ。
世界は“沈黙”で戦う段階に入っている。
「監視継続。逐語録化。関連アカウントを洗え」
「炎上の兆候は?」
「現時点ではなし。ただし、誘導コメントが混ざり始めている」
「……工作か」
「可能性は高い」
室内の空気が、さらに冷える。
結論はいつも曖昧で、だからこそ残酷だ。
「本人には何も言うな」
“何も言わない”という圧。
それが一番効くことを、政府は知っている。
連邦。
AGBの会議室。
例の年齢不詳の少女がデータを見ていた。表情は動かない。
「……予想以上ですね」
側近の声。
「こちらが主導権を握れていません」
少女は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「だからこそ価値がある」
しかし次の言葉は冷たい。
「同時に危険です」
画面の視聴者グラフを指でなぞる。
「この速度で拡散すると、
連邦ではなく“彼”がブランドになる」
「……制御しますか?」
少女は首を振った。
「制御は逆効果です。
彼は『制御される』と感じた瞬間に離れる」
“彼”という言い方が、すでに友人扱いではない。
国家が個人を認識し始めた呼び方。
「こちらがやるべきは一つ。
次回以降の素材提供を“自然に”すること」
「自然に?」
「観光の資料に見せかけて、必要な情報を混ぜる」
少女は淡々と言う。
「……そして、彼に『自分の意思で選んだ』と思わせる」
その言葉は、教育ではなく誘導だった。
だが少女は最後に、ほんの小さく付け加えた。
「ただし、彼自身がまだ分かっていません。
自分がどれだけ危険なものを動かしたか」
その夜。
俺はベッドに仰向けになって、天井を見つめていた。
スマホは枕元で震え続けている。通知が止まらない。
(始めてみただけ、のはずなんだけどな……)
コメントには、素直な質問もあれば、妙に誘導的なものもある。
「連邦に行けば自由になれる?」
「帝国と連邦、どっちが正しい?」
「日本政府は何を隠してる?」
……質問の皮をかぶった、爆弾。
(やめろ、そういうの)
俺は画面を伏せ、深く息を吐いた。
(こんな方法で、世界が動くなら)
言葉にしたくない現実が、喉元まで上がる。
(俺はもう、“普通”じゃないんだろうな)
怖い。
でも、目を逸らした瞬間に、誰かの都合で世界が動く気もする。
(……情報が欲しいんだ)
そのために、受けた。
受ける一択だった。
だけど。
(手段が、軽すぎる)
配信。たった二十分。
それだけで人が動く。空気が動く。国家が動く。
俺は枕に顔を押し付けて、少しだけ笑った。
「……始めてみただけ、なのにさ」
声は誰にも届かない。
届かないはずなのに、世界はもう届いてしまっている。
その矛盾が、今夜いちばん眠れない理由だった。




