第20話 提案
放課後、校門を出たところでガルムに呼び止められた。
「なあ、ちょっといいか?」
いつもの豪快な声だが、今日は少しだけトーンが低い。
周囲に人がいないか、無意識に確認している仕草が見えた。
「……何?」
「上の人が、お前に会いたいってさ」
上、という言い方が気になった。
「先生?」
「違う。
もっと、こう……」
ガルムは言葉を探すように顎に手を当て、やがて諦めたように言った。
「偉い人」
それだけで十分だった。
「場所は?」
「近くのカフェ。
放課後に学生が行くような、普通のとこだ」
普通、という言葉が一番信用できない。
だが、断る理由もなかった。
というより、ここまで来て無視するという選択肢は最初から存在していない。
(……来たな)
そんな予感だけが、胸の奥に沈んでいた。
案内されたカフェは、本当に普通だった。
ガラス張りの外観。
学生向けの安いメニュー。
放課後の時間帯で、席はそこそこ埋まっている。
だが、奥の席だけは妙に静かだった。
そこに座っていたのは、ケモミミの少女だった。
小柄で、年齢は分からない。
制服ではないが、派手な服装でもない。
だが、その周囲を囲む護衛たちは明らかに異質だった。
エルフと獣人。
どちらも、動かず、視線を落とさず、周囲を警戒している。
(……学校に行かないのか?)
今日は水曜日だ。
普通なら、学校に通っている時間帯だ。
それとも、休んだ?
俺と会うためだけに?
いや――。
(エルフと獣人のハーフは、年を取っても見た目が変わらない、って話を聞いたことがある)
年齢不詳。
その言葉が、ぴったりだった。
「どうぞ」
少女が、俺たちを見て言った。
声は落ち着いている。
子供特有の揺れがない。
ガルムが軽く頷き、俺を促す。
席につくと、少女は改めて口を開いた。
「はじめまして。
私は――」
一瞬、言葉を切る。
「所属を言うなら、AGBです」
聞き覚えのない略称だった。
「AGB……?」
「正式名称は長いので。
言うなら、国家保安委員会、ですね」
……なるほど。
軍でも、外交官でもない。
だが、そのどちらよりも厄介な立場。
「今日は、あなたに“提案”があって来ました」
提案。
いかにも柔らかい言い方だ。
「……内容は?」
俺がそう聞くと、少女は小さく微笑んだ。
「私たちの任務を受けていただきたいのです」
「任務?」
「はい。
日本で、連邦の宣伝を行い、連邦に好意的な派閥を作ってほしい」
……はっきり言うな。
ガルムは横で黙っている。
だが、その沈黙が、この話が事実であることを裏付けていた。
「……報酬は?」
俺は即座に聞いた。
少女は、少しだけ目を細める。
「連邦の情報を、あるだけ。
後払いで」
一瞬、言葉を失いかけたが、すぐに立て直す。
「後払い?」
「はい」
「……支払われるかどうか分からない報酬を、後払い?」
思わず苦笑が漏れる。
「信用できるわけないだろ」
率直な意見だ。
だが、少女は怒らなかった。
「ええ。
普通なら、そう思います」
否定しない。
それが逆に怖い。
「簡単に言えば……」
少女は、淡々と続けた。
「連邦は、今、財政が非常に厳しい状況にあります」
「内戦の影響?」
「はい。
急務で終わらせたのはいいのですが……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「軍拡しすぎました」
なるほど。
「結果、財政が圧迫され、
まともに冷戦を行えば、最初に潰れるのは連邦です」
あまりにも率直だ。
「だから、協力してほしい、と」
「そうです」
少女は頷く。
「日本が、どこに立つかで、勝敗が決まる。
私たちは、そう判断しています」
カフェのざわめきが、妙に遠く感じた。
(……連邦にも、事情はある)
正直、同情はした。
俺が過去改変をした結果が、
今の世界情勢に繋がっていると考えるなら、
連邦がこの状況に追い込まれたのも、無関係とは言い切れない。
(……俺の影響、強すぎだろ)
自覚すればするほど、何が正解か分からなくなる。
「……すぐに答えは出せない」
俺は正直に言った。
「状況が、まだよく分かってない」
少女は、俺をじっと見つめる。
「それは……」
一瞬、言葉を止める。
「理解できます」
「……え?」
意外な反応だった。
「あなたの影響力が大きいことは、承知しています。
だからこそ、軽い判断をされては困る」
合理的だ。
「……時間が欲しい」
俺は続けた。
「悩む時間。
相談する時間」
自分の判断が、どれだけの人間に影響を与えるのか。
それを考えるだけの猶予が欲しかった。
少女は、しばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「分かりました」
あっさりと。
「期限は?」
「こちらから、改めて連絡します」
「……本当に、それでいいのか?」
「はい」
少女は微笑んだ。
「あなたは、逃げないと判断していますから」
その言葉に、背筋が少しだけ冷えた。
(……見られてるな)
ガルムが、少しだけ安堵したように息を吐いた。
「じゃあ、今日はここまでだな」
「はい」
少女は立ち上がり、軽く一礼した。
「本日は、お時間をいただきありがとうございました」
その所作は、年齢を感じさせないほど洗練されていた。
彼女が去ったあと、カフェにはいつも通りの喧騒が戻る。
「……なあ」
ガルムが、少し言いづらそうに言った。
「悪いな。
こんな話、持ち込んで」
「いや……」
俺は首を振った。
「お前のせいじゃない」
(……俺のせいでも、ないといいんだけど)
そう思いながらも、胸の奥に残る重さは消えなかった。
世界は、もう俺を放っておかない。
それだけは、はっきりしている。
放課後のカフェで交わされたのは、
ただの“提案”だったはずなのに。
その重みは、
戦争の話を聞いたときよりも、
ずっと現実的だった。




