第14話 高級品として
ミュラー家の屋敷に再び足を踏み入れたとき、俺は前回とは違う視点で周囲を見ていた。
装飾の一つひとつ。
使用人の動線。
廊下に設置された結界の配置。
どれも以前から存在していたはずなのに、今は意味を持って見える。
——ここは、消費の場だ。
人間の血を、
価値として、
資産として、
管理するための場所。
「本日も、同じ条件でよろしいですわね」
ステラ・ミュラーは、いつもと変わらない口調でそう言った。
余裕のある声。
疑問を挟む余地がない言い方。
「はい」
俺は短く答えた。
護衛は前回と同じ位置で待機している。
合図がなくても動く——その取り決めは、すでに全員で共有してあった。
今回は、屋敷の奥へと案内された。
前回の部屋よりもさらに奥。
使用人の数が少なく、代わりに警備の気配が濃い。
「……ここは?」
俺が尋ねると、ステラは軽く微笑んだ。
「保管庫ですわ」
その一言で、背筋に冷たいものが走った。
扉は分厚く、金属製。
指紋認証とパスワード入力を同時に要求する仕様らしい。
ステラが何桁もの数字を淀みなく入力する。
短い電子音の後、重い音を立てて扉が開いた。
中は広く、温度が一定に保たれている。
壁一面に並ぶ棚。
そこには大小さまざまな箱が整然と配置されていた。
だが、すぐに違和感に気づく。
棚の中央。
ひときわ大きな箱だけ、扱いが違う。
二重の封印。
表示灯は常時点灯。
使用人が近づくと、必ず二人以上で確認している。
「……あれは?」
俺が視線を向けると、ステラはあっさり答えた。
「特別な保管物ですわ」
特別。
その言葉が、箱の存在を強調する。
ステラは棚の前に立ち、再びパスワードを入力した。
今度は箱そのものに。
低い駆動音とともに、箱の上部が開く。
中には——金庫があった。
小さくもなく、大きすぎもしない金庫。
だが、鍵穴は一つではない。
「……随分、厳重ですね」
俺がそう言うと、ステラは当然のように頷いた。
「当然ですわ」
彼女は金庫の鍵を取り出し、回す。
金属音。
そして、扉が開く。
中に並んでいたのは、数本の容器だった。
他の血液パックとは明らかに違う。
材質が違う。
封印が違う。
表示されている管理コードの桁数も違う。
——そして、ラベル。
読めない帝国語の中に、一つだけ分かる文字があった。
JP
俺の呼吸が、ほんのわずかに乱れた。
「……日本人、ですか」
ステラは俺を見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「ええ」
それだけ。
説明はない。
言い訳もない。
ただ、事実としてそこにある。
「やけに……扱いが違いますね」
俺は、できるだけ平静を保って言った。
ステラは肩をすくめる。
「高級品ですもの」
その一言で、すべてが腑に落ちた。
——能力者の血は、美味しい。
——日本人の大半は能力者。
——だから、日本人の血は価値が高い。
推測ではない。
感情でもない。
目の前の“物”が、そう語っている。
「……戦争が終わっても、ですか」
俺がそう言うと、ステラは不思議そうに首を傾げた。
「戦争と嗜好は、別の話ですわ」
嗜好。
血を飲むことを、そう表現する。
「需要がある限り、供給は続きます。
それが市場ですもの」
市場。
その言葉が、胸の奥に静かに沈んだ。
——戦争は終わった。
——でも、消費は終わっていない。
日本人が狙われなくなったわけじゃない。
形が変わっただけだ。
「……だから」
俺は、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「貴族家でも、誰でも飲めるわけじゃない」
ステラは、わずかに口角を上げた。
「察しがいいですわね」
「当主だけ、ですか」
「基本的には」
否定しない。
つまり——この血液は、
家の“象徴”でもある。
力。
支配。
格。
それを口にできるのは、当主か、それに準ずる存在だけ。
「……あなたが、自由に飲める理由も分かりました」
俺がそう言うと、ステラは軽く笑った。
「評価してくださって光栄ですわ」
その態度に、悪意はない。
誇りすらある。
彼女にとってこれは、恥ずべきことではない。
文化だ。
価値観だ。
そして、日常だ。
——第12話の彼女の反応。
——「日本人の血は違いますわね」という言葉。
あれは驚きではなく、確認だった。
「……納得しました」
俺は、そう言った。
怒りは湧かなかった。
声も荒れなかった。
ただ、理解した。
ステラは少し意外そうな顔をした。
「怒りませんの?」
「怒る理由はあります」
俺は正直に答えた。
「でも、怒ったところで何も変わらない」
彼女は、しばらく俺を観察するように見つめていた。
「やはり……面白い方」
その評価が、今回は違って聞こえた。
「戦争が終わったから、もう安全だと思ってました」
俺は、独り言のように言った。
「でも、それは国家の話であって……
個人の価値は、別なんですね」
「ええ」
ステラは肯定する。
「国家は講和できますが、嗜好は講和しません」
冷静な分析。
そして、残酷な現実。
「つまり」
俺は結論を口にする。
「日本人である限り、
これからも狙われ続ける可能性がある」
「可能性、ではありませんわ」
ステラは淡々と言った。
「リスクです」
その言葉に、重みがあった。
——一時的な危険ではない。
——構造的な危険だ。
俺は金庫の中の容器を見つめた。
数は、多くない。
だからこそ、価値がある。
「……俺は」
ここで、自分が何者かを改めて考える。
日本人。
能力者。
過去改変の力を持つ存在。
この世界にとって、
“資源”であり、
“異物”であり、
“リスク”。
「知れてよかったです」
俺はそう言った。
ステラが、少しだけ驚いた顔をする。
「怖くありませんの?」
「怖いですよ」
即答だった。
「でも、知らないままの方が、もっと怖い」
彼女は、しばらく黙っていた。
やがて、金庫を閉め、箱を元の状態に戻す。
「今日は、ここまでにしましょう」
「はい」
保管庫を出る。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
廊下を歩きながら、俺は考える。
——日本は終わっていない。
——戦争が終わっても、消費は続く。
——価値がある限り、狙われる。
そして、
——それを変えた可能性があるのは、俺だ。
ステラの背中を見ながら、
俺は自分の中で何かが静かに固まっていくのを感じていた。
怒りではない。
憎しみでもない。
理解だ。
理解してしまった以上、
もう「知らなかった」では済まされない。
屋敷を出る直前、ステラが振り返った。
「次も、来ますの?」
「ええ」
俺は迷わず答えた。
「もう少し、確かめたいことがあります」
「そう」
彼女は満足そうに頷いた。
「では、次回もご用意しておきますわ。
——高級品を」
その言葉を、
俺は否定も肯定もせずに受け取った。
外に出ると、護衛たちがすぐに駆け寄ってくる。
「ボス……」
「大丈夫だ」
そう言いながら、俺は空を見上げた。
帝都の空は、相変わらず人工の光に満ちている。
整っていて、
美しくて、
歪んでいる。
そしてその歪みの中で、
日本人の血は——
高級品として、確かに存在していた。
俺は静かに息を吐き、
次に進む覚悟を、胸の奥で固めた。




