第11話 情報収集の、手段として
日本政府からの通信は、帝都の朝に届いた。
朝といっても、帝国の朝はどこか薄暗い。都市全体が日光を管理しているせいで、窓から差し込む光も柔らかく、影の輪郭が曖昧だ。目覚めた瞬間に「朝だ」と分かるのに、体が朝だと納得しない。
そんな中で鳴った端末の通知音は、妙に現実的だった。
画面に表示された発信元は、日本政府——正確には、海外渡航管理署の連絡窓口。
形式ばった文言と、丁寧な挨拶と、必要以上に整った文章。
だからこそ、内容は分かりやすかった。
《渡航先での行動について、確認のお願い》
《現地の秩序を尊重し、不要な調査・接触を控えてください》
《安全確保の観点から、行動範囲の逸脱は推奨しません》
《あなたの行動は国益に直結します》
国益。
その二文字を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
丁寧な文章で包んでいても、言っていることは一つだ。
——余計なことをするな。
「……来たか」
背後から声がした。政府の監視役だ。
彼は俺が端末を見ていることを当然のように理解し、淡々と言った。
「警告ではありません。形式上の“お願い”です」
「違いは?」
俺は画面から目を離さずに聞いた。
「表向きの違いだけです」
即答。
笑えない。
「俺が帝国で何をしたら困る?」
監視役は一瞬だけ間を置いた。
記憶を失わない能力者。感情を見せない。職務の人間。
そんな彼が、ほんのわずかに躊躇した。
「……あなたが、世界の“整理”に触れることです」
その言い方が、妙に刺さった。
整理。
第9話で聞いた言葉。
日本が世界大戦の悪行を“なかったこと”にするために、公式記録から段階的に切り離した、あの整理。
「政府は、真実を隠している?」
「断言はしません」
「でも、動揺してる」
監視役は視線を逸らさない。
「私は動揺しません。
ただ、あなたが帝国で深入りすると——日本国内でも説明が困難になります」
「国民に?」
「国民にも。国際社会にも。あなた自身にも」
俺は端末を握りしめた。
「……要するに」
言葉が乾く。
「俺がここで“見てはいけないもの”を見たら、もう戻れないってことだろ」
監視役は小さく頷いた。
「戻れます。物理的には。
ただ、あなたが戻った“後”が変わります」
変わる。
また変わる。
過去改変の紙を見つけてから、世界は変わり続けている。
何を変えたのかも分からないまま、結果だけが積み上がっていく。
「……分かった」
俺は、端末の画面を閉じた。
監視役がわずかに目を細める。
「従うのですか」
「日本の戦後は、もういい」
自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。
「知りたいことは分かった。
日本は無関係じゃない。勝った国として後始末を抱えてる。
それで十分だ」
監視役は何も言わない。
ただ、俺の続きを待っている。
「俺の目的は、最初から帝国だ」
俺は言った。
「俺が何を改変したのか、その中心に帝国がいる可能性が高い。
なら、ここで帝国の情報を集めるのが本筋だ」
監視役が淡々と言う。
「帝国語が読めませんね」
「だから、そこを工夫する」
言いながら、俺の頭はすでに動いていた。
帝国語が読めない外国人。
帝都に来たばかりの人間。
政府の監視付き。護衛付き。
……目立ちすぎる。
目立っているのに、情報は取れない。
この状況は最悪だ。
「観光客のままでは、限界がある」
俺は呟く。
「じゃあ、どうする?」
答えはひどく現実的だった。
「……働く」
隣にいた念写の男が、ノートを開いた。
白紙に文字が浮かぶ。
《短期バイト》
亡命者が、ソファに腰を下ろしたまま肩をすくめる。
「帝国でバイトね。
命がいくつあっても足りなさそうだ」
「短期だ。二、三日でいい」
「二、三日で死ぬやつもいる」
「縁起でもないこと言うな」
筋肉の男が、真面目な顔でうなずいた。
「ボス! 自分が守ります!」
ボス呼びはやめろ。
そう言いかけて、飲み込んだ。
今はそれどころじゃない。
「問題は、どこで探すかだ」
俺は立ち上がって歩きながら考える。
求人掲示?
紹介所?
ネット?
帝国語が読めない以上、どれも詰む。
帝国語が読める護衛に見てもらう手もあるが、根本的に“外から来た人間ができる仕事”は限られる。
「……あ」
そこで閃いた。
帝国に慣れている人間。
帝都が好きで、よく来ると言った。
通信許可まで手伝ってくれた。
帝国の生活の“表”を知っている。
麦わら帽子の女性。
「聞くしかないな」
俺は端末を手に取った。
《今、少し時間ありますか。仕事のことで聞きたいことが》
送信すると、返事は思ったより早かった。
《はい。今なら大丈夫です。どこでお会いしますか》
……相変わらず丁寧だ。
指定したのは、昨日も歩いた繁華街の端にある小さなカフェだった。
日光対策のガラスに囲まれ、外の光が淡く滲む店。帝国語のメニューが壁にかかっているが、当然読めない。
彼女は約束の時間より少し早く来た。
麦わら帽子。
肌を隠す服。
そして、さりげなく配置された護衛。
俺の護衛と視線が交錯し、空気が一瞬張る。
昨日と同じ。
俺だけがそれを“見ていない”ふりをする。
「おはようございます」
彼女は丁寧に頭を下げた。
「おはよう。すみません、急に」
「いえ。大丈夫です」
彼女は席につき、周囲を一度だけ見回した。
それから、少しだけ声を落とす。
「仕事、というのは……」
俺は率直に言った。
「帝国で短期のバイトを探してます。
情報収集のために、街に溶け込みたい」
彼女はぱち、と目を瞬いた。
「……情報収集」
その言葉を繰り返してから、彼女は困ったように笑った。
「正直に言ってくださるんですね」
「隠しても無理だろ」
「……そうですね」
彼女は少し考え込み、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「言いにくいのですが……帝国語が分からない外国人が、重要な仕事に就くのは難しいと思います」
予想通りだ。
「ですよね」
「はい。
信頼の問題もありますし、規則もありますし……」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして、何かを思いついたように、表情が変わる。
「あっ」
「?」
「……危険を承知、ということなら」
嫌な予感がした。
でも俺は、逃げずに聞いた。
「血液募集のバイト、なら」
「……けつえきぼしゅう?」
思わず、聞き返した。
言葉が頭の中でうまく形にならない。
彼女は、一度だけ息を吸ってから、丁寧に説明した。
「はい。
貴族の令嬢の方は、ときどき“口に合う人間の血”を飲みたいと思うことがあるんです」
……口に合う。
飲み物の話みたいに言うな。
「本来なら、家畜の中から選ぶのが普通です」
普通、という言葉に胃が重くなる。
「でも……家畜が事故で死んでしまったり、体調を崩したりして、供給が足りないことがあります」
供給。
血の供給。
「そういうとき、外から来た外国人を短期で雇って、二、三日だけ……その、試すことがあるそうです」
試す。
俺は言葉を失いかけた。
第10話で味わった“言葉が出ない感覚”が、また喉の奥に戻ってくる。
だが今回は、黙るわけにはいかない。
これは、帝国の本丸に触れる匂いがする。
「それって……合法なんですか」
「……表向きは」
彼女の答えは曖昧だった。
「表向き?」
「契約が整っていて、本人が同意していて、期間が短くて、護衛がいて……色々条件があると聞きます」
条件が整えば、“血を飲まれるバイト”は成立する。
帝国の日常は、俺が思っていたよりずっと完成していて、ずっと狂っている。
「……どこで募集してるんですか」
「人材紹介所、という形になっていることが多いです。
表向きは“短期雇用”。内容は……」
彼女は言葉を濁した。
「つまり、俺がやるなら、そこに行けばいい」
「……はい」
俺は頭の中で計算する。
帝国の貴族社会に近づける。
家畜制度の実態が見える。
人間の扱いが“生活”として体感できる。
情報収集として、これ以上の導線はない。
それと同時に、恐ろしく危険だ。
「護衛は連れて行ける?」
俺が聞くと、彼女はすぐ頷いた。
「はい。むしろ、連れて行った方がいいです」
「どうして?」
彼女は一度視線を落とし、迷いながら口を開いた。
「……あっ、でも」
たしかに迷っている。
迷いながら、それでも言おうとしている。
「たちの悪い貴族令嬢だったりして……口に合いすぎると」
「……」
「ルールを無視して、そのまま家畜にしようとする犯罪者も、稀にいるそうなので」
背中が冷える。
稀に。
でも、いる。
「だから護衛は……本当に、連れた方がいいです」
彼女はそこで、さらに続けようとした。
けれど、言葉が少し詰まる。
「あっ、でも……チャームを相手が使ったら……」
——吸血鬼のチャーム。
血を吸っている間、相手は抵抗できなくなる。
それが種族特性で、能力耐性では防げない。
つまり——護衛がいても、詰む可能性がある。
彼女は最後まで言わなかった。
言い切ってしまえば、この提案そのものが成立しなくなるからだ。
俺は、その瞬間に理解した。
彼女は本気で忠告している。
そして本気で言い切れないほど、この話は危険だ。
それでも——俺はもう決めていた。
「大丈夫です」
俺は、彼女の言葉を遮るように言った。
「ありがとうございます」
彼女の目が、少しだけ見開かれる。
「……本当に?」
「はい」
自分の声が、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「俺は帝国のことを知りに来た。
この国の“仕組み”を、言葉じゃなくて現実で見る必要がある」
彼女は唇を噛み、視線を揺らした。
「……止めても、行きますか」
「行きます」
即答した。
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、彼女はようやく小さく頷いた。
「……分かりました」
「紹介所の場所、教えてもらえますか」
彼女は少し迷ってから、端末に地図を表示し、位置情報を送ってくれた。
《ここです。
行くなら、昼のうちに。
夜は……避けた方がいい》
最後の一言が、優しさなのか、恐怖なのか分からない。
俺は立ち上がり、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「……いえ」
彼女も立ち上がり、麦わら帽子のつばを押さえた。
「あなたが無事に帰れることを……願っています」
願っている。
帝国の人間が、外国人にそう言う。
その事実が、もう異常だった。
俺はカフェを出て、護衛たちに言った。
「行くぞ」
筋肉の男が拳を握る。
「はい!ボス!」
だからボス呼びやめろ。
血液操作の男は、顔色を変えずに言った。
「……覚悟はできています」
政府の監視役は、淡々と告げた。
「私は止めません。
ただ、記録します」
念写の男は、すでにノートを開いていた。
白紙に文字が浮かぶ。
《情報収集の手段として、血を差し出す》
俺はその文字を見て、短く息を吐いた。
これが俺の選択だ。
帝国を知るために。
俺が何を改変したのかを知るために。
そして——この世界の「正しさ」が、どんな形で人を潰しているのかを知るために。
俺のとるべき選択は、一択だった。




