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第1話 過去改変能力を試したら、世界ごと変わっていた件

気づけば俺は、世界を作り替えた張本人になっていた。




——枕元に、紙が一枚置いてあった。


《あなたの能力は過去改変です》


印刷でも手書きでもない、妙に整った文字。冗談にしては悪趣味だし、うちの妹がやるにしては凝りすぎている。第一、妹はこういうのを仕掛ける前に笑いをこらえきれず自爆するタイプだ。


「……過去改変、ねぇ」


口に出すと、いよいよ現実味が消える。夢の延長みたいな気分のまま、俺はベッドから起き上がって、紙を指で弾いた。


もし本当に能力なら、試せばいい。


そう思った瞬間だった。


視界の端が、ぬるりと歪んだ。


ガラスが溶けるみたいに景色が引き伸ばされ、耳の奥で「ぎゅっ」と世界が擦れる音がした。眩暈。吐き気。足元が抜ける。


——次の瞬間。


俺は、知らない天井を見ていた。


白い漆喰に金の装飾。天井だけでうちの家の一階分くらいの高さがある。やたら広い。やたら静か。カーテンが重そうで、窓が高い。


「……どこだよ、ここ」


飛び起きる。ベッドの縁はやたら柔らかい。シーツは肌に引っかからず、滑っていく。手のひらに残るのは高級ホテルの匂い——いや、ホテルなんて生易しい。豪邸だ。どう見ても。


心臓がうるさい。状況が追いつかない。


俺は部屋を飛び出した。廊下は長く、床は磨き上げられていて自分の顔が映りそうだった。壁には絵画。花瓶。彫刻。映画で見る「金持ちの家」をそのまま現実にしたみたいな空間。


角を曲がった瞬間、足音もなく人影が現れて、俺は思わず立ち止まった。


黒と白の制服。背筋の伸びた女。年齢は……二十代くらいに見えるが、肌が綺麗すぎて判断がつかない。表情が薄いのに、視線だけが鋭い。


「お目覚めになられたのですね」


丁寧な声。淡々としているのに、どこか当然のような口調。


「……誰だよ、あんた。ここどこだ。俺の家じゃないだろ」


「本邸でございます。お坊ちゃん」


「……お坊ちゃん?」


誰と間違えてるんだ。俺は笑いそうになって、笑えなかった。ここまでの空気が冗談を許さない。


「違う。人違いだ。俺はここに住んでない。家に帰る」


そう言って歩き出そうとした俺の前に、女——メイドが、すっと横に並んで進路を塞いだ。触れていないのに、圧がある。


「許可なく外出はできません」


「は?」


「外出の際は、当家の手続きが必要です」


「なんなんだよそれ。俺、拉致されたのか?」


俺は肩を振り払って通ろうとした。けれど、次の瞬間、腕を掴まれる。痛くない。けど、びくともしない。鍛えた男みたいな握力じゃない。なのに、力が抜ける感覚だけがある。


「放せ!」


「落ち着いてください。お坊ちゃん」


「だからお坊ちゃんじゃねえって!」


カッと熱くなって、つい口が滑った。


「お前は俺の家族か⁉」


メイドは瞬きひとつせず頷いた。


「はい、家族です」


「……え」


「あなたの使用人なので」


理解が追いつかなくて、脳が固まる音がした。使用人が家族? 何言ってんだ。言葉の意味が崩壊してる。俺は腕を掴まれたまま、ただ立ち尽くした。


「……俺の、両親は。妹は。どこだよ」


「ご家族は、こちらにおります」


「違う。俺の家族は——」


言いかけて、言葉が詰まる。俺の家族の顔を思い浮かべようとすると、写真にモザイクがかかったみたいに輪郭が曖昧になる。昨日の晩ご飯の味は覚えてるのに、妹の声が思い出せない。おかしい。


怖い。


俺は勢いでメイドの腕を振りほどいた。今度は外れた。外れた瞬間、彼女の目が一瞬だけ、妙に寂しそうに揺れた気がした。


「スマホ……!」


ポケットを探る。ある。いつものスマホ。電源も入っている。なら、調べればいい。ここがどこで、何が起きてるか。


検索窓に「住所」「地名」を入れようとして、手が止まった。


圏外じゃない。電波は立ってる。なのに、ニュースの見出しが、俺の知ってる世界と噛み合わない。


《北方境界線にて種族間協定更新》

《人間圏域の物価上昇、輸入制限が影響》

《帝国、渡航規制一部緩和——ただしA級は維持》


「……種族? 人間圏域?」


俺は声に出してしまった。メイドの視線が、こちらに刺さる。


「この世界……何だよ」


ページを開く。地図を開く。国境線が、見たことのない形に引かれている。いや、国境線というより“線引き”だ。人間、獣人、魔族、妖精——文字だけが並び、領域が色分けされている。まるで最初からそうだったかのように、全部が自然に説明されている。


「……じゃあ、さっきの紙の通りってことかよ」


過去改変。


俺が、世界を——?


膝が笑いそうになる。笑えない。


メイドが言った。「本邸」「お坊ちゃん」「外出許可」。それらが全部、この世界では当たり前なのかもしれない。なら、この豪邸も、俺のもの。使用人も、俺の使用人。……それを受け入れろって?


ふざけるな。俺は、家に帰りたいだけだ。


——でも、帰る“家”が、どこにあるのか分からない。


俺は廊下の窓から外を見た。庭が広い。噴水がある。門が見えない。森みたいに木が生えていて、外界との境界が曖昧だ。


出なきゃいけない。


世界が変わったなら、まず世界を見て確かめるしかない。何を改変したのか分からないなら、結果を辿るしかない。


自分が英雄なのか、戦犯なのか——決めるためには、情報が要る。


「……空港、だな」


俺は小さく呟いた。まず移動手段。次に国外。ヨーロッパ方面にあるという、血を吸う種族の国——帝国。ニュースに出るくらいなら存在は確かだ。


メイドが静かに問いかけてくる。


「どちらに行かれるのですか」


俺は、できるだけ平静を装って言った。


「情報収集に行く」


「どちらへ?」


迷っても仕方ない。口にした瞬間に何が起きるか知らないが、俺は言った。


「帝国」


空気が、凍った。


廊下の向こうで動いていた使用人たちが一斉に止まり、誰かが皿を落とした。カシャーン、と乾いた音が豪邸に響く。


「……て、帝国……?」


「お坊ちゃんが……?」


次の瞬間、ざわめきが爆発する。


「気が狂われたのか⁉」

「止めろ!」

「誰か当主会議を——!」


俺は思わず叫んだ。


「なんでだよ⁉ 外出するだけだろォ⁉ 海外旅行にすら行かせないのかこの家は⁉」


メイドは騒ぎの中心で、ただ俺を見ていた。怒鳴り合う声が背後で渦巻くのに、彼女の声だけが不自然に澄んで聞こえる。


「……本当に、自分がしようとしていることが分からないのですか?」


「は? だから、情報収集——」


「帝国は、A級渡航禁止区域です」


「A級……?」


「人間にとって危険な国は、ランク分けされています。帝国は近年“若干まし”になったとされますが……Aは揺らぎません。誤差の範囲です」


周囲の使用人が被せるように口を挟む。


「というか、ヴァ……吸血鬼の『配慮している』は当てになりません」

「信用したやつから血を抜かれます」

「『配慮』って言葉の意味が違うんですよ、あいつらは!」


俺は思わずぼそっと言った。


「……なにしたんだよ、吸血鬼」


一瞬、全員が黙った。


その沈黙が、答えだった。言えないことがある。言うと俺が思い出すからか、思い出してはいけないからか。


メイドが続ける。


「帝国の評判が悪いのは、世界大戦の影響もございます」


「いや、それなら日本も巻き込まれて——」


別の使用人が言いかけたところで、俺は反射的に口を挟んだ。


「知ってる。第二次世界大戦の太平洋戦争だろ」


また、空気が止まった。


「……第二次?」


使用人の誰かが、心底困惑した声を出した。


「いえ。世界大戦です」


「……第二次、があるのですか……?」


俺の喉が乾いた。


「え……? 一次しか、ないの……?」


自分の声が、自分のものじゃないみたいに震えていた。


世界が、俺の知ってる歴史から一枚、剥ぎ取られている。


そしてその“空白”の向こう側に——

俺がやった何かがある。


メイドは、静かに言った。


「お坊ちゃん。空港へ向かう前に、まず“許可”を得てください」


「許可……誰の」


メイドは少しだけ視線を逸らし、まるで告げるべきか迷った末に、淡々と答えた。


「……この世界の、多くが」


俺は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

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