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編集令嬢マリアンヌの校閲

※この物語はフィクションです。実在する人物・職業・編集令嬢とは何の関係もございません。




「聞けマリアンヌ! 俺はとうとうあの女との婚約を破棄したぞ!」


 帰宅早々、椅子に腰を下ろしながらそう高らかに宣言する坊ちゃまを前にして、わたくしマリアンヌは頭を抱えておりました。


 貴族の家に生まれたわたくしは、ふとした時に前世の記憶を取り戻しました。

 その時の感想としては、「ラノベみたい」の一言に尽きます。なろうで3000回見たやつです。


 さてここはどういう異世界なのかしらと思っておりましたが、成長して坊ちゃまの家庭教師になったあたりで気がつきました。

 これ、悪役令嬢モノの世界ですね。


 わたくしがお仕えする坊ちゃまは、ツンと澄ましたクールなご令嬢カトリーナ様と婚約していたのですが、二人の仲はあまり芳しくありませんでした。

 それこそ、坊ちゃまが婚約の解消を考えられるくらいには。


 お二人ともプライドが高く、旧家で世が世なら王族だっておかしくない出自のご令嬢であるカトリーナ様と、祖父の代から貴族になった新進気鋭の新興貴族である坊ちゃま。

 気が合わないのも無理はありません。


 ありきたりな展開だな、と思いました。

 カトリーナ様が主役の悪役令嬢で間違いありません。ここで坊ちゃまに言いよる男爵家の娘あたりが出てくればもう完全一致というくらいにはお膳立てが済んでいます。


 ですがまっすぐ伸びているその道の先はどう考えても破滅へ一直線ですので、わたくしも色々と手を尽くしました。

 少々家庭教師の枠組みを逸脱したことまでしてそれなりに努力した、のですけれど。

 所詮はしがない家庭教師、テンプレ展開の前には無力でした。


 おそらく今日、ここで止めなければ坊ちゃまは没落ざまぁ街道まっしぐら。

 その場合でもわたくしは他のお屋敷に勤めるだけですが……どうせ坊ちゃまが没落してもクビになるのですから、ここは多少厳しいことを言ってみてもいいのかしら。

 せっかく前世の――前職の知識も、あることですし。


 そう結論づけて、わたくしはふんぞり返る坊ちゃまを見下ろして口を開きます。


「僭越ながら坊っちゃま」

「何だ」

「『お前との婚約を破棄する!』から始まる短編、もうやめませんか?」

「は?」


 ぽかんとした顔をする坊ちゃまにため息をつきながら、クイと自分の眼鏡の位置を調節します。


「このままだと坊ちゃまは、婚約破棄したご令嬢の結婚式で焼けた靴を履いて死ぬまで踊り続けることになります」

「婚約を破棄しただけで!!??」


 驚愕の声を上げる坊ちゃま。

 坊ちゃまの言葉にわたくしは重々しく頷いて見せました。


 悪役令嬢モノ、そして婚約破棄もどんどんとテンプレ化しておりますので、「お前との婚約を破棄する!」から始めればもう読んでいる側には「あ、こいつ破滅するんだろうな」という共通認識があります。

 「この戦いから帰ったらプロポーズするんだ」、と言ったらその人はその戦いで死にますし、「やったか!?」と言ったらやっていないのです。


 ことスピード感の求められるWeb小説においてはもう読者側も枕はいいから早くざまぁが見たいと望むこともしばしばで、さらにざまぁは過激になる傾向があります。

 坊ちゃまの末路など想像するのは容易いことでした。

 この国の国宝、水晶と宝石で出来た靴のオブジェでしたもの。きっとあれ、伏線ですわ。


 わたくしがふざけているわけではないということが伝わったのでしょう。坊ちゃまがよろりとよろめきます。


「司法がそんなことを許すのか!!??」

「ざまぁ展開においては多くの場合、合法とされます」

「法治国家だぞ……ダメだろそんなのは……」

「まぁ書籍ですとあまり過激なものは好まれないようですので、媒体の違いもありますが」

「さっきからお前は何の話をしているんだ」


 坊ちゃまが心なしげんなりした顔で呆れたように言いますが、これも坊ちゃまのため。

 ざまぁの危機を脱したらきっとわたくしにお礼を言いたくなることでしょうと、不満げな視線を無視して話を続けます。


「ここから巻き返すには梃子入れが必要です」

「梃子入れ?」

「坊ちゃまを人気キャラにして『ここで退場は惜しい』と思わせるしかありません」

「俺は元から人気だが」

「もしくは編集長の癖に刺さりまくるキャラにするしか」

「誰だそいつは、男か?」


 眉間に皺を寄せて怪訝そうな声を出す坊ちゃま。

 咳払いをして誤魔化してから、坊ちゃまの容姿を上から下まで眺めました。


 金髪碧眼、吊り目に細身のスラリとした体型。

 もちろん美形な方ではありますが、やはり少々気の強さが顔に出てしまっている気がします。


 むしろちょっとイケメンなばかりに漂ってしまっています。そこはかとない「当て馬」臭が。

 男性向けなら主人公を張れそうですが、女性向けではよくて当て馬、悪くてその他大勢の一人、というビジュアル。これはいただけません。


 わたくしが無礼を承知でじっくりとっくり眺めている間、坊ちゃまは黙ってもじもじと居心地が悪そうに目を逸らしていました。

 わたくしが一つ息をついたのを確認して、坊ちゃまは机に身を乗り出すと、まるで自分の売り込みをするかのように口を開きます。


「が、学校での成績もいい方だったし、乗馬も狩りも得意だ。父上から引き継いだ事業のほかにも自分で事業を始めている。そちらも今のところ順調だ。我が家も俺の代で更なる飛躍を」

「フックが弱いですね……」

「フックが弱い!?!?」


 わなわなと唇を震わせる坊ちゃま。

 お気の毒ですが事実です。純然たる事実です。


 悪役令嬢モノであれば、坊ちゃまが戦わなくてはならない相手は見目麗しい王族やら騎士やらそういう存在のはず。

 お金も容姿も優秀さも並外れている上に身分も高く、さらにキャラクター性も女性向けに練りに練られていることでしょう。


 王道溺愛王子からヤンデレ殺人鬼まで、揺り籠から墓場まで。

 そして深堀すれば暗い過去やら重たい設定やらが金銀財宝のごとくざくざくと湧き出るに決まっています。


 その中で、金だけはある新興貴族、そこそこ優秀。少し自信過剰。一人っ子で家族仲良好。

 わたくしは眉間を押さえてため息をつきました。


 弱い。

 弱すぎます坊ちゃま。


「もう少し独自性を出していかないと埋もれてしまいますよ」

「そんなことを言われても……」


 困惑した様子で眉を顰める坊ちゃま。

 しばらくうんうんと深刻そうに唸っていましたが、やがてはっと顔を上げてわたくしに向かって身を乗り出します。


「そうだ! 俺は一部では『狂乱の貴公子』と呼ばれているんだ! ふふん、どうだ。これで弱いとは言わせないぞ!」

「大変申し上げにくいのですが……」


 えへんと胸を張る坊ちゃまに、わたくしは力なく首を横に振りながら、重々しく真実を告げました。

 おそらく坊ちゃまにとって、不都合な真実を。


「『狂』という字は利用できません」

「な、何!? 何故だ!!」

「世情です」

「世情!!??」


 坊ちゃまがあんぐりと口を開け放ちます。

 お気持ちは分かります。そんな言葉で納得できるものではないでしょう。ですがこれが実態なのです。


「お前、主人の命令より世情が大事だというのか」

「こればかりは……ご時世ですので」

「こ、これが……ご時世……」


 坊ちゃまが頭を抱えました。

 その落ち込み方があまりに気の毒に思えて、わたくしは一旦フォローに回ることにいたします。坊ちゃまの意思を尊重することも、わたくしの大切な仕事ですから。


「もちろん■■■(ピ――)×××(ピ――)と違って即発禁レベルというわけではありませんので」

「やめろやめろ嫁入り前の娘が何てことを!!」

「どうしてもというならお使いになることも可能ですが……上の許可が降りなかった場合は伏せ字にせざるを得ませんので」

「伏せ字」

「つまり『◯乱の貴公子』ということに……」

「それは却ってダメだろう!!!!」


 坊ちゃまが顔を真っ赤にして声を荒げました。

 表現の自由のギリギリまで攻めた折衷案だったのですが、お気に召さなかったようです。


「その字面を見て誰が『狂』を入れるんだ! だいたい『淫』が入るだろうがそんなもの!!」

「あらいやらしい」

「お前が言うのか!!??」

「さすが◯乱の貴公子としての自覚がおありでいらっしゃる」

「あってたまるかそんな自覚!!」


 地団駄を踏む坊ちゃま。

 しばらくじたじたと暴れ回ったあとで、どっと疲れを感じさせる動作で椅子に腰を下ろします。


「どうしろと言うんだ」

「たとえば……そうですね。『狂』の字を『凶』に変えていただくとか」

「それでいいのか!!??」


 また坊ちゃまがクワッと目を剥きました。

 もちろんそれでいいのですが、でも少しニュアンスが違いますし、受け入れられるかどうかは個人差が大きいところだと思います。書き手の方にとっては非常に繊細な問題ですから。


「ますます分からん……」

「ご時世ですので」

「これが……時代……」


 坊ちゃまが机の上で組んだ手に額を押し付けながらぶつぶつと呟いていました。

 やはり相当のショックがあったようです。そのあたり、こだわりがある方は多いですものね。


 意気消沈の坊ちゃまを励まそうと、坊ちゃまのアイデアを広げにかかります。


「坊ちゃまのアイデアを尊重して、『狂乱の貴公子』方面でキャラ付けをしていくとして。単に二つ名だけではなく何かそれを補完するようなエピソードを本編に絡めていただけませんか?」

「本編……?」

「そうですね、たとえばそう呼ばれるようになったきっかけとか」

「学校の授業で観に行った演劇で『狂乱の貴公子』役の役者と声が似ていた」

「うっす〜〜〜〜〜」


 あまりの薄さに声が出てしまいましたが、慌てて咳払いをして誤魔化します。うすんうすん。


 ですが声が出てしまうのもやむかたなしというくらい、近年稀に見るほど薄いエピソードでした。

 男子学生の日常すぎます。京都のお出汁くらい薄かったです。よくそれであんなに自信満々に名乗りましたね坊ちゃま。


 全ボツにするのは簡単ですが……せっかく坊ちゃまが一生懸命考えてくれたのですから、それを深掘りしてよりよいものを作るお手伝いをするのがわたくしの仕事。

 ここは坊ちゃまにより一層自分ごととして考えていただくためにも、まずは肯定から入ることにいたしました。


「いいですね!」

「そ、そうか?」

「すごくいいんですけど、もうちょっと違うパターンも見てみたい感じです!」

「違うパターン!? なんだそれは!!??」

「作り話でもいいのでもう少しこう、画面映えするような由来を考えていただけないかと」

「そんなものお前が考えろ」

「いえいえ! こういうのは坊ちゃまのほうがきっと良いアイデアをお持ちですから!」


 少しのヨイショを織り交ぜながら揉手で微笑みます。

 ニコニコと笑みを浮かべているわたくしをちらりと一瞥してから、坊ちゃまは満更でもなさそうに言いました。


「で、では俺がこの王都に潜むマフィアの本部を一人で壊滅させたから、というのはどうだ」

「リアリティに欠けますね」

「嘘でもいいと言ったのはお前だろう!!」


 坊ちゃまが憤慨してテーブルを叩きました。

 嘘でも構いませんがやはりリアリティラインは意識しておきませんと、読む時にノイズになってしまいます。

 魔法もない世界で坊ちゃまが一人でそんなことを成し遂げるなんて、さすがに無理筋です。


「どうせ嘘なら……たとえば、幼い頃に誘拐されたカトリーナ様を悪党から助け出したことがある、とか」

「公爵令嬢が誘拐されたら大事だぞ、子どもの出る幕などない」

「そこにリアリティは求めておりませんので」

「さっきはリアリティとか言ってたくせに!!??」


 声を荒げる坊ちゃま。

 さっきはさっき、今は今です。


 悪役令嬢モノなのですから、きちんとターゲット層をイメージしないといけません。

 坊ちゃまが知らないところでマフィアを倒していたところで誰も得をしませんので、わざわざツッコミどころを作ってまで入れる必要はありませんけれど、カトリーナ様が絡む過去話は別です。

 物語の本筋をトキメキとドキドキで彩るためなら、やや都合が良いことが起きるくらいなら容認してもらえるでしょう。


 まったく納得がいっていなさそうな顔をする坊ちゃまに、わたくしは腰に手を当てながらやれやれとため息をつきました。


「坊ちゃま。わたくしは坊ちゃまのためを思って申し上げているのですよ」

「全くそんな気がしないが」

「破滅なさったあとで後悔されても遅いのですよ」

「ふん。破滅などするものか」


 つんとそっぽを向く坊ちゃま。

 それ。そういう態度が良くありません。

 ざまぁを甘く見る者から破滅していくと相場が決まっていますもの。


「仮に坊ちゃまが破滅されても、わたくしは他のお屋敷に使えるだけですから構いませんけれど」

「何?」

「坊ちゃまの今後には深く関わるお話なのですよ。ですから真面目に……」


 お説教モードに入ったわたくしがとくとくと言って聞かせている間、いやに神妙な顔をしていた坊ちゃまが、ぽつりと呟きました。


「…………それは困る」


 ◇ ◇ ◇


「坊ちゃま?」

「何だ」

「何故まだ破滅されていないのですか?」

「どういう言い草だ」


 あれからしばらくして。

 坊ちゃまに手紙で呼び出されて、わたくしは街の噴水広場にやってきました。


 てっきりとっくのとうに破滅して没落して、すわ金の無心のお知らせかしらと思ったのですが……社交界のどこにもそんな話は聞こえてきません。

 貴族の知り合いにも確認しましたが、むしろ坊ちゃまのお家の商売は調子がいいくらいで、予想と真逆の状況になっているようです。


 疑問を口にしたわたくしに、坊ちゃまは呆れたようにため息をついて、こちらをじとりと睨みました。


「お前がやたらと心配するものだから、あれからカトリーナのことを調べさせた。他に思う男がいたらしい」

「あら」

「俺との婚約解消は渡りに船だったわけだ」


 ふんと鼻を鳴らす坊ちゃま。

 それはそれは、お互い婚約解消すべくしてこうなったということですね。


 ですが、この世界が悪役令嬢モノだとするなら……それでも破棄した側にざまぁが降りかかるのが世の常です。


「身分がどうとかでまごついていたからな、『そんなものを気にするタマか』と双方をけしかけてやった」

「まぁ」

「お前の受け売りもあったしな。無事にくっついた」


 わたくしの受け売り?


 坊ちゃまがわたくしの視線を誘導するように、近くの花屋に視線を投げました。

 視線を追いかけた先で、仲睦まじい様子で花を見ているカップルを見つけて……あっと息を呑みます。

 カトリーナ様と、この国の王子が幸せそうに微笑みあっていたからです。


 確かにカトリーナ様は、世が世なら王族に嫁いでいたかもしれないお家柄ですとか、言った気はしますけれども。

 坊ちゃまに視線を戻します。ベンチに腰掛けた彼は、穏やかな視線をお二人に向けていました。


「だからお前の心配は的外れだ。俺は焼けた靴を履いて踊ることはないし、没落も破滅もしない」

「ええと、それは何よりです」

「だから」


 坊ちゃまが視線をこちらに向けました。

 空のように青い瞳が、わたくしをまっすぐに見据えています。


「お前もクビにはならない」


 わたくしは戸惑いながらも、それは何よりです、と繰り返しました。


 さすがに悪役令嬢モノの世界といえど、そして坊ちゃまが婚約破棄を申し出た側といえど。

 悪役令嬢の恋を成就するために奔走したとあれば……それは。

 さすがに「ざまぁ」の対象には、できませんよね。


 何というか――予想しなかった方向の回避です。だって坊ちゃま、カトリーナ様の恋路とか、興味がなさそうに見えましたのに。


「さらに言うと」


 まさかのウルトラCにぽかんとしていると、坊ちゃまがゆっくりと立ち上がりました。

 その手には……赤い薔薇の花束が、握られています。

 ええと? それは、一体どういう、伏線でしょうか?


「今、俺はフリーだ」


 坊ちゃまが、わたくしに向かって薔薇の花束を突きつけます。

 花束を見て、もう一度坊ちゃまを見ました。


「だからお前に花を贈っても、誰も咎めない」


 そう言って笑っていた坊ちゃまですが、わたくしがなかなか受け取らないのに焦れたのか、無理やりわたくしの腕の中に花束を押し付けました。

 つんとそっぽを向いているその横顔が、花束に負けないくらいに赤くなっていて……ふっと、思わず笑ってしまいます。


「もしかして、スピンオフの世界だったのかしら」

「お前の言うことは時々よく分からん」


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