第88話 痛み
「うん、知っている天井ですね」
ぼんやりとした意識から、ゆっくりと覚醒してみれば辺り一帯に広がっていたのは紛れもない病室の一角でした。
まあ、厳密に言えば病室というよりもダンジョン付近に併設された冒険者専用の療養所でしょうね。なにかと怪我の多い職場なので、冒険者の安全を確保するという目的から、攻略に用いることのあるダンジョンの近隣には必ず療養所が併設されています。
貴重な人材を失うようなことがあってはいけないので、あらゆる面から冒険者は法的に支援されています。
そんなものですから、一部の輩からは「政府は冒険者贔屓してる」とかなんとか言われていますが。そりゃ、魔法技術という産業革命が起きたんですから供給だって増やしたいでしょうよ。
冒険者は肩身が狭いです。うーん。
そんな話は置いておきましょう。
2回目なのでさすがに状況理解は出来ます。
貧弱冒険者の琴ちゃんが、特殊個体の水ゴブリンにボコられたので療養所に運ばれた、ということですね。
それを証明するように、魔素を直接体内に補給する目的で用いられる輸液——“マリキッド500”という名前の輸液製剤が支柱台から繋がれています。相も変わらず可読性優先なので、ファンタジー性が終わっています。
ファンタジー感よりも実用性重視なところがあるので面白みに欠けます。
私の左前腕に半透明の針が入っているのが見えますね。動かすとちょっとだけ痛いです。泣きそう。
琴ちゃんは痛いのが苦手なんですよ。出来れば病院のお世話になりたくないです。
ただ、それはそれとして、ですが。
なんだか、色々と考えることが増えてしまいました。
「“変化の痛み”……」
夢の中で、私のかつての姿——田中 琴男の発した言葉ですね。琴ちゃんキックを喰らわせて悶絶してたのは面白かったです。
というか変に気取ったような言葉とか発しないでほしいですよね。良い年した大人が痛いですよ?え?私ですか?えっと……。
さっき少しだけ触れた話ですが、私は元々「痛み」が苦手です。
“女性化の呪い”に掛かる前から、採血が嫌いでした。なんとかして健康診断を避けようとしたことだってあります。上から怒られましたが。
魔物と真っ向から勝負せず、情報戦を最優先するようになったのも「痛い思いをするのが嫌」ということから始まったものなんですよ。
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世界各地にダンジョンが形成され、不可逆的な地殻変動を引き起こした大災害——“異災”によって、私の生活は一変しました。
16歳で両親を喪ってからというものの、私の人生はダンジョンとは切っても切れないものになりました。
ずっと、あの時から——私の心は、成長を止めてしまっているのかもしれません。
「っぐ……クソが……」
かつての私——田中 琴男は、真っ向から魔物に殴り掛かる、まあ命知らずの冒険者でした。そんな無茶苦茶ばかりするものですから、当然受けるダメージだってバカになりません。
包帯をあちこちに巻いて、ガーゼで無理矢理止血して、そんなゾンビじみた立ち振る舞いをしていました。現代でそんなことをしようものなら、絶対に止められます。
傷ついた身体に鞭打って、限界を超えんという想いで魔物を屠る。私にとって、ダンジョン攻略とはその繰り返しからなるものでした。
ダンジョンで戦って、ダンジョンで死ぬ。
ずっと、そんなことばかりを考えていました。ダンジョン内に散らばるネームタグの1つとなれることを、羨ましいとさえ思っていました。
そんな私を活かしたのは……そうですね、強いて言えば「怒り」でしょうか。
「っぐ、あああああっ!!返せっ、返せよっ……!!親父を、お袋をっ……クソがっ!!」
ただ怒りに身を任せ、ゴブリンを、スライムを斬り倒し続けました。
周りは、ファンタジー世界というロマンに心を躍らせる人ばかりでした。ですが、当時の私にとってはそんなこと、どうでも良かったんです。
「なあ……俺さ。何か悪いことしたかよ。なにか恨まれるようなことしたかよ。なんで、奪ったんだよ、なあ。なあ……」
ある意味では、仇討ちのようなものだったのかもしれません。どこにこの感情をぶつけるのが正しいのか分からない。だけど、何かに当たらなければ気が済まなかったんです。
苛立ちに身を任せるがままに戦い続けた、ある日。
私は、ついに出会ってしまいました。
「……はっ、死ねよ。クソが」
「ギッ……」
ゴブリンの喉元にロングソードを突き立てた時のことです。
苦悶に満ちた顔。その視線で「助けて」と乞う姿に。どこか、暗い感情が込み上げるのを抑えられませんでした。
どれほど魔物をいたぶったとしても。
法律上では、特に咎められることはありません。
倫理の問題として、抵触することのない存在でした。
——都合が、良かったんです。
私はいつしか、ストレス発散の道具としてゴブリンをいたぶるようになっていました。
ぶつけようのない感情を、ただ一方的に暴力としてぶつけることができるのは気持ちよかったですよ。それが狂気に満ちた行動だというのは、頭では理解できていました。
ですが、「誰も間違いと言えない」のをいいことに、私はそれを止めようともしませんでした。
無論、私の凶行を止めるような冒険者はいませんでした。
明らかに、戦闘という範疇を超えた一方的な虐殺を繰り広げる私に、他の冒険者は畏怖していましたから。
でも、今になって思えば。
本当は誰かに、止めて欲しかったのかもしれません。
辛くて、苦しくて、泣きたくて。でも、泣けなくて。
まるで赤ちゃんのように、上手く感情を伝える方法を知らなかったんです。
そんなみっともない私に、初めて手を差し伸べてくれたのが、先輩でした。
——良いですか?田中君。
魔物やダンジョンのことが憎いのはよく分かりますよ。ですが、むやみやたらに特攻しても、ただ無意味に死んでしまうだけです。
それでは勿体ない。相手のことを良く知り、理解する。
その上で、自分が成すべきことを判断すればいいのです。憎しみに駆られて倒す、ではなく……その先も見据えて動きましょう。
優しく、荒んでしまった私に。温かく手を差し伸べてくれた先輩。
ですがそんな彼も、他の冒険者と共に、ダンジョンの崩落事故に巻き込まれて命を落としました。
私の目の前で、瓦礫とともに姿を消したんです。
……厳密に言えば、亡骸を発見したわけではないですが。ダンジョンの性質を考慮すれば、死体が見つからないというのは、既に「取り込まれた」ということなんです。
そんな、心の支えを再び失った私を蝕んだのが。
「痛み」でした。
心の痛みは、深く突き刺さった五寸釘のように。呪いとなって、私の胸の奥に残り続けています。
記憶として直接思い出すことは無くとも、感覚として残っています。
痛みに近づく度、とてつもない孤独感が私を苛むんです。
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「……っ、う……」
水ゴブリンに腹部を殴られた時のダメージは、まだ完全に消えていないようです。
私は腹部を抑えて蹲り、苦痛を押し殺そうとしました。
ですが、止まりません。
痛み以上に、孤独感が私を蝕んでいきます。
「……い、たい……寂しい、よ……」
呼び覚まされた痛みから逃れるように、特に深い意味もなく右手をあちこちに振り回しました。左腕には点滴が入っているので。
誰か、傍にいて欲しい。それだけの願いだったんです。
「……私が居るわよ。ここに」
「え、なと……」
そんな私の右手を、傍にいてくれた恵那斗は優しく握ってくれました。
ずっとここにいてくれたのでしょうか。彼は、柔らかな笑みを浮かべていました。
「大丈夫?琴、何だかうなされていたみたいだけど」
「……っ、う……だ、だい……」
とっさに「大丈夫」と言って、その場をやり過ごそうとしました。
……ですが、もう。
特に恵那斗には、隠し事はしたくなかったんです。
「……恵那斗。聞いて」
「……うん?」
「私ね、最近……男だった頃を、忘れかけてる気がする。それが、すごく怖い時がある」
「……どうして、怖いのかしら」
恵那斗は、優しく手を重ねて問いかけてくれました。
微かに私より低い恵那斗の体温ですが、心はその何倍も暖かいです。
彼は、ずっと私に寄り添ってくれていました。
何にも私は彼に返せていないのかもしれません。ですが、もう少しだけ……甘えさせてください。
「男だった頃の私を捨てちゃったら。“田中 琴男”として作ってきた縁が、全部消えてしまう気がする。私は、一人ぼっちになっちゃうんじゃないかって……」
「田中 琴が、誰からも相手されなくなる……それが怖いのね」
「うん……私、最近自分のことが分からなくて。私は男性だって、思っているけど……心のどこかでね、女性だって認めてる私も居て。なんだか、シーソーみたいなんだ……男と女と、行ったり来たりの」
「……分かるわよ。その気持ち」
「恵那斗は、離れるようなことないって、信じてる。でも……怖いよ。変わっていく自分が……」
なんとなく居たたまれなくなって、私は布団の中に顔を埋めました。
悪い考えが脳裏をよぎると、とことん駄目になりますね。強く布団を抱きしめたものですから、大きくシワが生まれます。
話に割って入ってきたのは、病室の壁際に立っていた三上パパでした。
「ガキが、口だけ立派に難しいこと考えてんじゃねェよ」
「パパ……私、子供じゃないですよ。こう見えても47歳男性ですよ」
むっとしたので反論しましたが、三上パパは苦笑を零しました。ですが、その笑みにはどこか温かい思いやりが滲んでいるようにも見えます。
「知ってるよ。それを踏まえてガキつってんだボケが。琴きゅん、お前はよ、昔から変わんねーなァ」
「……変わらない、ですか?」
「あー、まァな。変化にビクビクしてんのはずっとだろうがよォ。今まで問題なかったから、で見過ごしてきた問題がどれほどあった?なァ?」
「……そ、それは……」
私が返事に窮し、口ごもっていると。三上パパは、開いた掌から指を折り始めました。
「直近の問題だけで言うがなァ。ロングソードは何本もへし折り、ステータスもロクに確認しなかったりよォ……めちゃくちゃやってる冒険者も、お前しかいねェぞ」
「う、うぐっ」
「下手っぴだなァ。他人に頼るのがよォ」
「むきゅ……」
そう語りながら歩み寄ってきた三上パパは、私の頭をわしゃっと撫でました。ちょっと、髪型が崩れるじゃないですか。
「ちったァ周り見ろ。男だか女だか、うじうじ悩んでるけどなァ、そんなことで離れるような、薄情な連中ばっかなのかよ?お前と関わってるやつらはなァ?」
「……パパ……」
「だからパパじゃねーっての。クソチビの親やる余裕なんざねェよ。一回説教したろ?周りにどう思われてるか自覚しろ、ってよ」
「……うん、そう……ですね」
「あー……そうしおらしくなられると反応に困るわ。ったく……今度、一緒に買い物行くぞ」
「え?」
突拍子もなく三上パパがそう提案するものですから、私は首を傾げざるを得ませんでした。
恵那斗も言葉の真意を測りかねているようで、じっと三上パパを見据えます。
そんな田中夫妻の視線を受けて、三上パパは恥ずかしそうに頬を掻きました。
「琴きゅんの装備を見繕うぞ。専用武器も良いがなァ……さすがにいつまでも、市販のスーツの上に、ギルド支給の皮の鎧……なんて安っぽい装備って訳にもいかねーだろ」




