第87話 ラスボス
「んぅ……」
いつの間にか、ぐっすりと眠ってしまっていたようです。
どこか微睡んだ意識で体を起こせば、そこには辺り一面真っ白な空間が広がっていました。
もう三度目となると、意外性が無くて面白くないです。
「ここかー……」
明晰夢、というか夢の中の空間ですね。
私はひょいと体を起こし、それから何もない場所に向けて呼びかけました。
大声で。
「おーーーーい!!田中 琴男!!出てきてっ!!」
「もう少しまともな呼び方しろよ!?」
「あ、来た」
黒い靄が凝縮したかと思うと、そこに姿を現したのは——ぼさぼさの黒髪を伸ばした、だらしない青年。田中 琴男です。
自分で言うのも何ですが、よく恵那はこんな冒険者に惚れましたね?
彼は死んだ魚のような目をこちらへと向けて、大きくため息をつきました。なんだこいつ。
ガシガシと後頭部を掻きむしりながら、苛立った声音で語り掛けてきます。
「お前さあ、何やってんの?」
「え、何か私、悪いことした?」
「はあ……相も変わらずさぁ。魔物に特攻したりして、いい加減だなお前」
「君に言われたくないんだけど?」
なんだか自分自身に言われると腹が立ちます。
ブーメランを手に持って、そのままぶっ刺しに来るのやめてください。仮にも同一人物ですよ?性別は違いますが。
そう言えば、この場所って何なのでしょうね。
定期的に夢に出てきますが……何の意味もなく出てくる夢なんでしょうか。
「ねえ。聞きたいんだけど、ここって何?走馬灯?私死んだの?」
思い返せば、この部屋に最初に訪れたのは“魔力枯渇症候群”に掛かった時でした。
その次に来たのは、特殊個体である雷ゴブリンを倒して、体力を使い果たした時です。
「死んだ」は正直大袈裟ですが……何かしら、私が何かしらの窮地に陥った時に来てることが多いんですよね。この真っ白な空間。
ですが、琴男は「はっ」と鼻で笑って私の言葉を一蹴。毎回ムカつく男ですね。琴ちゃんキャノンでもぶっ放してやりましょうか。
「まあ、捉えようによっては“死んだ”とも言えるかもな」
「……え。本当に?」
ん?私死んじゃったんですか?享年47歳?16歳?どっちでしょうか。
ですが目の前の琴男はもう一回「はっ」と鼻で笑いました。
さすがにイラっと来ました。
「えいっ」
「ぐふっ!!」
またぐら目掛けて蹴りを喰らわせました。つまり金的です。
男の痛みは、私が痛いほど分かっています。文字通り、痛いほどです。
「ふっ、ぐううぅぅ……てめっ、ざっけんな……」
さすが、「体外に露出する臓器」と言われるだけのことはありますね。琴男が悶絶しています。ざまあみろ。
琴男はまたぐらを抑えながら、言葉を続けました。あの、痛みが治まってからでいいですよ。面白いのでまともに話聞ける自信がないです。
「っ、ふぅぅう……ここは、“男”の俺が消えようと……している時に、来る場所……だ……つぅぅぅ……」
「おとっ……ぶふっ!男!確かに今、琴男の中の“男”が消えようとしてるよね……ぶふっ……」
「てめぇマジで許さねえからな……」
怨嗟の籠った視線を向けながら、琴男はもう一度息を吐きました。ようやく痛みが治まったようですね。全く誰がこんなこと。
「……んん。お前ちゃんと話聞けよ」
「話くらいちゃんと聞くって」
「信用ならねーな……」
過去の自分にすら「信用ならない」って言われるのは正直どうなんでしょう。
こいつだけに言われるのは腹が立ったので、もう一度右足を後ろに引いて脅してみました。琴男が股を抑えてびくっとするのは面白かったです。
それから、琴男はぐるりと真っ白な部屋を見渡しました。
「ここ最近の琴……お前は、完全に女性として適応し始めているな」
「えっ、そんなこと……無いと思うけど?」
「……自覚無し、か。もう言っている間、なのかもな」
いきなり、琴男は何を言い始めるのでしょう。
念の為、もう一回右足を後ろに下げてみました。
一瞬だけ琴男はびくっと顔をこわばらせましたが、話は止めようとしませんでした。どうやら、ふざけて言っている訳ではないようです。
「良いか。田中 琴……いつかは、俺……男だった頃のお前は、完全に消えるだろうよ」
「……え?」
いきなり、何を言い出すのでしょうか。琴男は。
唐突に訳の分からないことを言われたので、反応に困りました。じっと、琴男の続ける言葉を待ちます。
「なあ。前に話したよな?“相手がどう認識するかでお前は成り立つ”ってよ?」
「……そう言えば、話していたね。そんなこと」
「だろ。お前はまだ、俺が消えることなんてないと……そう思っていやがる。だがな、考えてみろ……“不変”なんて、存在すると思うか?」
「不変……」
不変。
その言葉の意味を探りかねている最中、琴男は更に質問を重ねました。
「例えば。全人類がこれ以上不幸に苦しまないように、と。1人の勇者様が諸悪の根源である魔王を倒しました。それで、全人類は幸福になるか?未来永劫、幸せになるか?」
「……ならない、よね。ありきたりなネタを引っ張り出してくるんだね?」
「これが一番分かりやすいからな」
そこで琴男は話を切り、別の質問を投げかけます。
「どうして、幸せは続かないと思う?魔王に苦しめられた日々は終わり、ようやく安寧を手に入れたんだ。それなのに、どうしてまた不幸は訪れる?」
「同じ時間なんて存在しない、から。他人がいる限り、どうしても……分かり合えないところは出てくる、から……」
それが彼の望む回答か分からないので、私はたどたどしくも答えてみました。
ですが、琴男が望んだのは回答——というより、ひとつの“言葉”だったようです。
「そう、それだよ。“同じ時間なんて存在しない”からな。時間が過ぎれば、考えだって変わるかもしれない。やっぱ前の方が良かった、なんて考えも沸き起こるかも知れない。同一の思考なんて、どこにも存在しないんだ」
「それが、一体何の話に繋がるというの?」
「分からないフリ止めろよ。いつかは、田中 琴男が完全に消滅する……っつう話だ」
「……私が……?」
「良いか。田中 琴」
琴男はそこで言葉を区切り、真っすぐな目をこちらに向けてきました。
あまりにも真剣な表情を向けてくるものですから、私は何も言えません。
「お前にとっての“ラスボス”は、世界を飲み込む極悪の魔王様でも、高い塔の先に存在するダンジョンボスでも、何でもねえ。“過去の自分”ただひとつだ」
「……過去の、私」
「心の痛みから逃れるように冒険者になり。47歳まで、変化の痛みから逃れ続けた。そしてそのツケを、“女性化の呪い”という対価で払っている」
「変化の痛み、って……?」
「ちったぁ自分の頭で考えろ。ちんちくりんの頭でな」
最後に琴男は「まだ俺が存在していたら、また会おうぜ」と言い残して、姿を消しました。
「……」
ポツリと残されたのは、私1人です。
あとは朧げに搔き消える意識に身を任せれば夢から覚めるのですが……なんとなく、もう少しだけこの世界に留まりたい気分でした。
それから、ふと部屋を囲う純白の壁に手を当ててみます。
「もう、私を田中 琴男として見ている人物は、ほとんどいない……」
田中 琴男時代から冒険者との交流は少ない方でした。ですが、改めて自身に携わる人物を思い出した時。ほとんど、私のことを「田中 琴男」ではなく「田中 琴」として捉えている人ばかりでした。
かつての妻、田中 恵那は田中 恵那斗として私の恋人となりました。説明不要ですね。
昔からの因縁の中である、三上 健吾は今や、私のパパさん的な立ち位置です。両親を失った私にとっては、ちょっぴり頼もしい存在です。調子に乗られると嫌なので、面と向かっては言いませんが。
かつて後輩として指導に当たった麻衣ちゃん——花宮 麻衣さんは、魔法使い研修の中で友達という立ち位置になりました。今度ご飯を食べに行こうと誘われています。
そして、かつて臨時パーティを組んだ冒険者である金山 米治。彼はまだ、私を田中 琴男として認識しているのでしょうか。正直、微妙な立ち位置です。
「……私は……もう、認めるべきなのかな」
もう、私をベテラン冒険者、田中 琴男とは誰も見ていません。
いや、見られないのでしょうね。
言動はさることながら、過去の名残を日に日に失っている私——田中 琴のことを。
「分からない。分からないよ……」
自分自身のことであるはずなのに。少し、ほんの少し。消えゆく自分自身が怖くなりました。
まだ、はっきり意識としてはつかめる範囲の中にいます。
ですが、少し油断すれば消えてしまいそうで、居なくなってしまいそうで。
そんな曖昧な立ち位置に、既に田中 琴男は消えかかっている。
改めて、そんな現実に直面せざるを得ませんでした。
現実は……いかなる時も残酷です。
……なんですか。
……金的を手段として選ぶような私を、47歳男性として見るのは無理だろって言うんですか?
琴ちゃんキックしますよ?




