第77話 ギュン
田中 琴男は、冒険者としては異質な存在だった。
ステータスに身を任せた戦い方ではなく、環境を利用した立ち回りを好む節がある冒険者だ。
私は、昔からそんな固定観念に囚われない彼の姿に惚れていた。
その関心の先が私に無かったとしても、その行動が辿る結末を最後まで見届けたい。
本心から、その時は思っていたはずだった。
だけど、そんな決意だけではどうにもならない現実があった。
日常生活における田中 琴男というのは、本当にロクでもない人物だった。
ダンジョン攻略終わりに、その場でビールを飲んで帰ってくる。挙げ句、ビール缶は“アイテムボックス”内に破棄しているのだという。
ずっとダンジョンに籠っているものだから、帰宅時間は非常に遅い。一度帰ってきたかと思えば、すぐに寝室に行って横になってしまう。そして起きてまた、ダンジョンへと向かっていく。
そんな彼を受け入れて、選んだ道だ。その事実は分かっていたはずなのに、どうしても後悔が過ってしまう。
自分の選択は間違っていたのではないか。彼を人生のパートナーに選んだのは失敗だったのではないか。
何度も「離婚」の文字だって過ぎった。
どうせ、彼の関心は私にはない。私が居なくなったところで、きっと彼は変わりもしないだろう。
そう頭では分かっていたのに、離れることが出来なかった。
(……なんで、私は彼から離れられないんだろう)
それは、きっと。
愛という名の呪いだったのだろう。
それに気付いてから、少しでも彼に寄り添おうと努めた。
命を落としかねないような行動だけは控えてほしい、とも伝えていた。
彼が少しでも危険な環境に身を置く時間を減らせるように、妻として出来る支援はしてきたつもりだ。
愛を育む行動だって、忘れたことは無い。
共に生きて、共に老いていきたい。
かつて契りを交わした、その言葉。私はひと時も忘れたことは無い。
なのに、その約束は不本意な形で壊された。
「……誰なの。あなた」
「田中 琴男だよ。見て分からないかなぁ……」
「見て分からないから聞いているんだけど」
長年寄り添ってきた夫が、突如として全くの別人となった。
ストレートに下ろした銀髪と、その隙間から覗く、くりくりとした目。小柄で可愛らしい人形のような風貌をした少女は、自らを「田中 琴男」と名乗っている。
だが、そんな事実をすぐに受け入れることなど、一体誰が出来るのだろう。
そんな少女は、さも当然のように「田中 琴男」として振る舞い続けていた。
まるで自分に起きた現象を理解していないようにも見えた。
少女の姿で仕事に赴いては、帰って来て冷蔵庫からビールを漁る。何食わぬ顔で晩酌をしたかと思えば、ソファに寝転がってそのまま眠りこける。
長年寄り添ってきた、夫だったからこそ許せていた。
だけど、今の彼——いいや、彼女を同じように愛せる自信が無かった。
いつしか、彼を娘のようにしか見ることが出来なくなった自分が居たというのもある。
「琴男。ごめん、私……もう、あなたのこと。夫として見ることが出来ない」
「え、ちょっと……恵那……?」
「あなたを娘としか扱うことが出来ないのよ。どうしてもあなたを田中 琴男として見れないわ」
「まっ、待って……」
「ごめんなさい。1人にさせて」
そう一方的に自らの意見を押し付けて、私は田中 琴男の元から離れた。長年の結婚生活は、あまりにも身勝手な私の言葉ひとつで終わったのだ。
今になって思えば、ずいぶんと残酷な選択をしたものだ。
客観的に見れば、年頃の女の子が一人暮らしをしているという図だ。自己管理さえままならない彼女が、セキュリティを万全にするイメージが全く湧かない。
正直、ものすごく後悔したし、心配した。
だけど、一方的に言葉を浴びせたという罪悪感から、私は家に帰ることが出来なかった。
定期的に彼女にメッセージを送り、様子こそ伺っていた。
しかし彼女も、どこか負い目を感じていたのだろうか。「忙しいから」という口実を元に、私に会おうと思わなかったようだ。
(……今の私は、あの子と対等になれない)
突きつける現実が、徐々に私をそのような思考へと傾けていく。
私は、少しでも彼女の力になりたかった。
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結果として、私の望みは叶った。“男性化の呪い”という事象によって。
私、田中 恵那は、新たに「田中 恵那斗」という戸籍を得た。無事にギルド内での葬儀も終え、女性としての自分に別れを告げたのだ。
まだ戸籍再獲得の手続きの最中ではあるが。手続き関係は面倒が多い。
だがようやく。晴れて、田中 琴と改めて対等な関係となった。
それに、彼女も“女性化の呪い”へと向き合おうとしているのだろう。少しずつ、他人の為に考えて、行動しようとしているのが見える。
ずっと彼を、そして彼女を見てきた私だからこそ、その心境の変化はハッキリと伝わった。
……まあ、ダメな部分もまだ多いけど。
「琴。使ったものはすぐに戻しなさい」
「あっ、ご、ごめん。ちょっとこの本読み終わってからでいい?」
「ダメに決まっているじゃない。そう言って、すぐに忘れるのはどこの誰?」
「……うう。分かった……」
長年染み付いた習慣だから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
どこかいい加減な振る舞いは、まだ完全に抜けきっていない。
それでも、前よりは素直になった。どこか愛らしささえ覚える立ち振る舞いだ。
夫婦ともに性別が逆転したことにより、生活は大きく一変した。
私は、おおよそ月に一度訪れる生理という苦痛から逃れることが出来た。
代わりに琴が生理に苦しむようになってしまったが。
彼女は生理が重いタイプらしい。「うー……」と苦しそうに呻いていた時は気の毒に思った。
こういう時。元女性、という立場は非常に役立つ。腹部を温めるように勧めたり、痛み止めを渡したりと積極的にサポートできるのだから。
そんな時、琴から不意打ちを喰らった。
「……恵那斗ぉ……本当にありがとね……好き……」
そう蕩けた顔で言われた時。
なんと表現すればよいのか分からないが、強いて言えば。
ギュンと来た。
ぶっちゃけ言えば滾った。
まずい。
これは抑え込まなければいけない要素だ。コントロールを怠れば、結果的に琴に不快な思いをさせる結末に繋がりかねない。
きっと、彼女はそんな関係を、まだ望んでいないはずだから。
「……ごめんなさい、琴。これから、別々の部屋で寝ましょう」
「え、なんで、なんで。私……悪いことした?」
そう提案した時の琴と言えば、まるで今にも捨てられようとしている子猫のような顔をしていた。
あまりにもそれが愛らしいものだから、再びギュンと来た。
私はまともに顔を見ることが出来ず、視線を逸らすことしかできない。
「わ、私の問題だから……大丈夫よ」
「えっと……そうなの?いつでも辛かったら言ってね、私だって……恵那斗の力になりたいし。頼りないかもしれない、けど……」
「あ、ありがとう。心配かけてごめんなさいね」
ああああああああもう、両手を握って上目遣いするのをやめなさい!!
琴!あなたは自分がどう見られているのか理解しなさいっ!!
そう本心から叫びたい気持ちをぐっと押し殺す。
この天然爆弾を早々にどうかしなければ、私の心が持たない。
そういう理由もあり、今。私達は家庭内別居という形を取っている。
琴は不安げな表情をしているが、別に嫌いになった訳じゃないから安心して欲しい。
これも、琴を守る為に大事なことだ。
ギュン。
恵那斗君、その子……鍵閉めないままポーション飲まずにぶっ倒れた既往歴あるから、もう放ったらかしちゃダメだよ(作者)




