第76話 夫婦というよりカップル
「あーもうっ。女の子が下着を散らかさないのっ、はしたないよもうっ」
「う、ご、ごめんなさいっ……」
「にしても琴ちゃん勉強好きなの?ノートとか本とか多いね」
「あっ、まあ……それは、はいっ」
前田さんが率先して片付けしてくれているのですが、私は遠目で見守るしかできません。なにか手伝おうとして、余計状況を悪化させるのが怖いので……。
にしても前田さんは本当に片付けが上手ですね。部屋ってこんなにきれいになるんだ、という言葉しか浮かび上がりません。
「あの、私も何か手伝います……うう。私の部屋ですし……」
「琴ちゃんは疲れてるだろうし、そこで座ってて?私が好きでやってるから大丈夫!」
「す、すみません本当に……」
つい前田さんに甘えてしまう自分が情けないです。
まあ、過去に何度も皿を割ったりしているのを見られているので、むしろ私が何もしない方が安全、と思われているのかもしれないですが。
ベテラン冒険者の田中 琴男の私生活はこんなものです。本当にごめんなさい。
そんな私自身が生み出した惨状なので、凄く罪悪感が込み上げてきます。
当初はただ流されるがままに、前田さんに任せていたのですが……。
(そろそろ、自分でも何かできるようにならないといけないのに……)
自分自身の無力さが日に日に露わとなっていくので、情けない気分です。ただ妻に任せて、私生活を疎かにしていたのだと自覚せざるを得なくなってきました。
研修で過ごした1週間も、ゆあちーに散々世話を掛けたので。そろそろ、私1人でもある程度身の回りのことが出来るんだ、って誇れるようになりたいです。
思えば、中年時代には本当に妻に任せっきりでしたね。
「自分がやらなくても恵那が家事をやってくれるから」と、恵那に甘えていたところがあります。
恵那に家事を丸投げする形で、私は日々冒険者業務に明け暮れる日々でした。
ですから。“女性化の呪い”に掛かった後、恵那が家から去った時……内心、自分でも当然の報いだと思いました。
寂しかった気持ちと相反するように。
「当然ですよね」と、どこか冷めきった私自身が、恵那が居なくなった事実を認めていたんです。
前田さんという、本当なら一切私の家庭環境に首を突っ込まなくても良いはずの女性。
そんな彼女が掃除している後ろ姿を見ながら、ふと自分が積み重ねてきた杜撰な生活環境を振り返らざるを得ませんでした。
そんな時、がちゃりとドアノブの捻る音が聞こえました。
あっ、ギルドでの段取りが終わって恵那が戻ってきたのでしょうか。久々の帰宅です。
……と、思っていたのですが。
「……邪魔するぞ、琴」
「ん?」
「相変わらず散らかってんのな。ちゃんとしろよ……ったく」
「え、待って待って。誰、誰?」
知ってる声音の、知らない口調が聞こえてきました。
困惑しながらも、声がした玄関に視線を送れば、やはり男性化した恵那が靴を脱いでいるところでした。彼は「よう」と気さくな笑みを浮かべながら入ってきます。
私は慌てて、家に入ってきた恵那へと駆け寄りました。
「え、恵那っ。何その口調」
「しーっ。話合わせて」
「……え?」
私は恵那に質問を投げかけようとしました。しかし彼は、人差し指を私の唇に近づけ、言葉を発するのを遮ります。
「静かに」のジェスチャーを受取った私は、そのまま黙り込むしかありません。
それから恵那はまるで動じた様子もなくリビングへ。
私と同じく来訪者の足音が聞こえたのでしょう、前田さんは不思議そうにリビングに視線を送っていました。
「や、どうも失礼しますよ。うちの琴がいつもお世話になっております」
恵那は、女性という気配を完全に消した上で、そう柔らかな笑みを浮かべました。今の彼はおしゃれな服を着ていることもあり、好青年にしか見えません。
客観的に見れば私とそう年の変わらない少年。その存在に、前田さんは首を傾げます。
「あっ、こちらこそお邪魔してます。ええと、あなたは琴ちゃんの……」
「ああ、申し訳ありません。挨拶が遅れましたね、俺は田中 恵那斗。琴の兄です」
「えっ、お兄さんが居たんですね?でもこの家って琴ちゃん1人で住んでるんじゃ……」
「ちょっと大学に通う都合で、1人暮らしをしていたもので……琴の為に戻ってきたんですよ」
よくもまあぺらぺらと嘘が出てくるものですね恵那は?
というか「田中 恵那斗」という男性用の名義を決めているのも今初めて知ったんですが?さらっと新情報を何の心構えも無しに出さないでくださいよっ。
彼は至って飄々とした態度を崩すことなく、私の隣に並びました。その表情からはどこか余裕さえ感じます。
「琴から話は聞いていますよ。いつも……前田さん……でしたかね。前田さんにいつも助けられてるんだって、兄として形無しですよ」
「いえいえ!私こそ、好きでやっているだけですよ。お父さんもお母さんも亡くして、1人で大変だろうなと思っていたので」
「……はは。琴が辛い時に、授業を言い訳に隣にいてやれなかったのは、俺の落ち度ですね。ほら、琴。前田さんに感謝するんだぞ」
誰ですかこの好青年。
名前に関しては以前少しだけ触れた記憶があるので、そこは問題ありません。ですが「両親を亡くしたところ」という設定までは恵那は知らないはずです。
なのに一切動じることもなくすぐに話を合わせてくるあたりに、恵那の恐ろしさを感じますね。
ですが虫の居所が悪いです。恵那が余所行きの顔をして大人の対応をしているので、ものすごく居たたまれないですね。
お母さんがママ友と会話している時くらいの気まずさです。実母は実年齢16歳の時に死んじゃったから記憶も曖昧ですが。
「う、あ、ありがとうございます。前田さんっ」
ただ恵那が言っていることは、間違いなく正しいことなので私は素直に頭を下げました。
すると、前田さんはにこりと微笑んだ後に恵那の前へと歩み寄ってきました。
「うん、琴ちゃんにはいいお兄さんがいるんだね。大切にしないと駄目だよ」
「あっ、は……はいっ」
「せっかくお兄さんが琴ちゃんの為に帰って来てくれたんだったら、私お邪魔になっちゃうね。家族水入らずの時間を楽しんで?」
「えっ、あ、そんな。前田さんが気を遣う必要はないですよっ」
「良いから、良いから。えっと、恵那斗君、でしたね。琴ちゃんをよろしくお願いしますね」
前田さんはそう恵那に対して微笑みかけ、颯爽と部屋を後にしていきました。
ぱたんとドアが閉まる音が響きます。
あの、居なくならないで欲しかったです。
この空気感をどうにかしてください。
私はおずおずと、長く寄り添ってきた妻に視線を送ります。
彼は「ん?」と柔らかな笑みを浮かべてこちらに視線を合わせるのみでした。
「……えと」
どうして、長く寄り添ってきたはずの妻なのに、こうも緊張してしまうのでしょう。
思えば”女性化の呪い”と“男性化の呪い”によって、見事に関係性が変化してしまいましたね。
同じ人生を歩んできた夫婦であるはずなのですが、まるですべてがリセットされたような気分です。
「えっと、恵那……あの、わ、私……」
「……ふう。これで2人きりになれたわ」
「えっ?」
恵那はそう言って、深くため息をつきました。その女性口調にどこか安心感を覚えます。というか、ここまで読み切っての演技だったんですか?怖い。
彼は私の頭をポンと撫でて、それからにこりと微笑みました。
「おかえり。琴……疲れたでしょう?私がご飯を作るわよ、座ってなさい」
「わ、私も手伝うよっ。恵那だって疲れてるでしょ!?」
「気にしなくていいわ。キッチンに立つのは慣れてるもの」
「……うう、だって恵那に任せっきりはもう嫌だし……」
自ら率先してくれるのはありがたいです。しかし、もう私だって何もしない訳には行きません。
なのでそう意見を主張してみますが……恵那は驚いた表情で目を丸くしていました。
「……琴も変わったわね。以前は丸投げしていたのが嘘みたい」
「う、ご、ごめん。だって……皆、こんな私の為に色々やってくれているもん。ちょっとくらい、頑張らないとって……」
「ふふ。その気持ちだけでも十分だわ。少しずつ慣れていきましょう?そう言えば、食材はあるかしら」
「……えっと、ごめん。ない……」
私がおずおずと返事すると、恵那は困ったような笑いを浮かべます。
「あー……まあ、仕方ないわね。一緒に食材でも買いに行こうかしら。免許証はないから、歩いていくことになるけど……大丈夫?」
「うんっ。むしろ、一緒に歩きたいかな」
私は自分の意見を主張すると、恵那は嬉しそうに笑ってくれました。
それからいきなり、私を強く抱きしめてきました。
「むきゅ……!?」
「ふふ、本当に子供みたい。全く……不器用なのは昔からだものね」
「む、不器用は失礼だよ……?」
「あはっ、ごめんなさいね。……あ、そうだわ。どうせ傍から見たら夫婦というよりカップルだもの。手を繋いで歩こうかしら?」
「っ、う……うん……!」
恵那はそう言って、優しく手を差し出してくれました。
それに応えるように、私も彼の手を握り返します。
新しい夫婦の形が今始まるんだ、と思うと心の内からあふれ出る感情の奔流が止まりません。
どうすれば、このあふれ出る気持ちを抑え込めるのでしょう。
止め方は分かりません。ですが、その奔流を流すべき方向性だけは分かっていました。
「……恵那」
「あら、何かしら」
「……大好き」
「ふふ、私もよ。じゃあ、行きましょうか」
「う、うんっ!」
今はこの幸せに浸っていたい。
そう思わずには居られませんでした。
私と恵那は、そうして一緒に玄関の扉を開きます。
間もなく夜に差し掛かろうという夕暮れの空が、私達を迎え入れていました。
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「そう言えば、どうして特殊個体なんて出てきたんだろうねぇ……?」
私——花宮 麻衣は、全日本冒険者協会の一員として、半ば残業を強いられていた。
本来であれば研修終わりということで、勤務を切り上げる時間帯なのだが。さすがに、特殊個体発生という事例を「そういうもの」で解決する訳にはいかない。
何か変化する要因が存在するはず。そこまで確認するのが、全日本冒険者協会という機関の役割だ。
面倒ごとがある度に仕事が増えていくものだから、まあストレスが溜まる。時折“時間魔法”で自らの思考速度を低下させ、無理やり脳を休ませているのは秘密だ。
これまで積み重ねてきた資料を照合し、前例が無いか確かめる作業をしているのだが……一向に終わる気配が無い。
「……さすがに頭に糖分回らなくなってきたなぁ……」
お菓子を摘まみながら、作業を続けているが集中力が持ちそうにない。元々冒険者の総人口自体が縮小傾向にあり、ロクに人海戦術も取れないのがつらいところだ。
そんな私の前に、コーヒーの入ったマグカップが置かれた。
「たまには休息も大事ですよ。たしか、砂糖とミルク入りでしたね」
「あっ、瀬葉須さん……ありがとうございます」
そこには、大人びた風貌を醸し出した冒険者——瀬葉須さんが立っていた。その立ち振る舞いからも、皆からは「セバスチャン」の愛称で親しまれている人物である。
彼は私が並べた資料に視線を送りながら、眉をひそめた。
「ドラゴンが別階層に降りてくる、という事例もある。上位個体が存在する、というのはもはやダンジョンの常識。メタルスライムに該当するような、出現率の低いモンスターだって存在していますね。ですが、同一の個体ながら、属性が付与された個体……という事例は今回が初めてでした」
「……はい。そうなんですよねぇ……」
「ふうむ。確かにこれは骨が折れそうです。あれから、特殊個体の発生報告も上がってきていませんし……」
私はセバスチャンから受け取ったコーヒーを啜った。苦みを上書きするように、砂糖とミルクの匂いが喉に染み渡る。
ダンジョンというのは、知れば知るほど不可解な現象ばかりだ。
そもそも、何故“魔素”がダンジョン内にのみ存在するのか。まず、その理由すらいまだ解明されていないのに。
「まるで、ダンジョン内だけこの世界のものじゃないみたい……ん?」
「どうしましたか?」
「いえ。少し馬鹿げた仮説が閃いただけです」
突如として、脳内に電流が走ったような気分だった。
ダンジョンという構造物は、まるで人類が踏破するのを想定されたように階段が作られている。ダンジョンによっては、魔物が存在せず人々が自由に出入りすることの出来るものだってある。
挙句、手すりやエレベーターまで構築された、人間の文明に寄り添った馬鹿げた機能を有するものまで存在する始末だ。
有力な仮説としては「神が新たに人類に授けた試練」などと言われているが……もしかすると。
「……もしかして、“異世界”は存在する?」
そう呟いた瞬間、セバスチャンは困ったような笑みを浮かべた。
「ふむ、花宮さんも案外、少年じみた考えをするんですね?」
「ち、違いますよぅ!あー、もう茶化さないでくださいっ!」
……セバスチャンに茶化されてしまった。
そう指摘されてみれば「根拠もないしな」と思い直させざるを得ない。
ダンジョンに存在する物資。それらは現代文明から大きくかけ離れた性質を持っている。
だが、これらはどこから生み出された存在なのか、その出所を確認するまでは“異世界が存在する”という証明は出来ないのだ。
(改めて、私達は“ダンジョン”という存在の意味を考え直さないといけないのかなぁ……)
再び、業務が多忙になりそうな予感がする。
その予感に、少しだけモチベーションが下がった。また“時間魔法”のお世話になる機会が増えそうだ。
……今度、琴ちゃんに仕事の愚痴でも話しに行こうかな。




