第64話 ホーム
講堂で最後の挨拶を終えた麻衣ちゃん。私は彼女に呼び出されるがままに、廊下奥の資材置き場にやってきました。
私がゆあちーを追いかけた時に迷子になった場所です。その節はどうも。
周りに誰も居ないことを確認してから、麻衣ちゃんは静かに帽子を取りました。長い黒髪がふわりと揺れます。
「琴ちゃん、本当にお疲れ様。それから……改めて言わせて。ありがとうね」
麻衣ちゃんは、そう深々と頭を下げて感謝の言葉を告げました。
面と向かって感謝されるのはむず痒い気分です。私は彼女の顔をまともに見ることが出来ず、明後日の方向に視線を送りました。
「や、やめてよっ。麻衣ちゃんが居なきゃ、私はここまで充実した研修を送れなかったから」
「……私、琴ちゃんの役に立てた?」
「うん。すごく立てたよ、本当に麻衣ちゃんが担当で良かった。私こそありがとう」
私もミラーリングするように、深々と麻衣ちゃんに頭を下げました。
しばらくの間、麻衣ちゃんはぽかんと面食らっていた様子でした。
ですが。
「……っ、う……」
間を置いてから、麻衣ちゃんの瞳に突然涙が滲み始めました。
女性の涙というのはいつだって強いものですね。私は半ば動転して、彼女の背中をさすります。
「えっ、な、なにっ。嫌なこと言っちゃった!?ごめんっ」
「違う、違うよぅ……私、やっと田中大先生の力になれたんだって思ったら、嬉しくて……っ」
「……そっ、か……」
その言葉に、どこか胸が詰まるような気持ちとなりました。
麻衣ちゃんとは、冒険者として古くからの付き合いです。見た目年齢のことはさておき。
出会った頃の私と言えば、相当に捻くれていた時期ですね。何もかもに自暴自棄で、私に関わってくれていた人達にもロクに目を向けていませんでした。
他人に無関心な態度ばかりを繰り返していた私は、いったいどれほど麻衣ちゃんに苦しい思いをさせたのでしょうか。
「自分は役に立てていない」とどれだけ思わせてしまったのでしょう。
長い月日が経ったとはいえ、その事は詫びないといけませんね。
「私こそごめん。昔、麻衣ちゃんに嫌な思いさせたよね。自分のことしか見えてなかった……本当にごめん」
「……っ、そんな……」
ふるふると、麻衣ちゃんは首を横に振りました。
長い月日が経ってしまいましたが、ようやくお互いに認め合えるようになったんです。
ずっと、少女の見た目をデメリットとして扱うことばかりでした。
ですが今回ばかりは、少女の見た目に感謝しなければなりませんね。
麻衣ちゃんと、対等な存在になれたんですから。
私は彼女の両手を握って、微笑みを向けました。
「もっと麻衣ちゃんに教えてほしいな。魔法のこと、私……もっと勉強したい」
「……うーん……それは……止めといた方がいいかも」
「えっ!?」
涙を拭いながら、麻衣ちゃんはそう言葉を返しました。
ちょっと!!いい雰囲気だったじゃないですか!?
なんで拒否するんですか!?
想定外の返事に困惑している中、麻衣ちゃんは楽しそうに微笑みました。
「だって、琴ちゃんに新しい玩具を与えるようなもんでしょっ。やめとこ?」
「えーっ!?そんな変な使い方しないよ!?私そんな魔法の使い方するように見える!?」
ん?今麻衣ちゃん「どの口が」とか呟きませんでした?
私がそれに触れる前に、麻衣ちゃんは先に質問を投げかけてきました。
「じゃあ例えば……仮にだよぉ?恵那さんの“睡眠魔法”を覚えたら、どう使いたい?」
「……“睡眠魔法”かー」
「そっ」
麻衣ちゃんからいきなり、そんな命題を出されました。
なるほど、確かに状態異常魔法を会得するという方法もありますね。ですが……ただ眠らせて魔物を屠るというだけではもったいないですよね。
“睡眠魔法”とは、つまり脳神経に作用する魔法です。
まず、前提として睡眠というのは複雑なメカニズムによって構成されています。
大まかに解説すると、日中に活動した脳が「一旦クールダウンしたい」という指令をホルモンや神経伝達物質を介して情報を送ります。
その指令を受け取ることにより、休息を目的として眠気が出現。脳がスリープモードへと移行することで、睡眠へと誘われる——という流れになっています。
他にも説明しなければいけない内容が多いのですが……“睡眠魔法”とはこのメカニズムに介入する魔法です。
“睡眠魔法”が脳の活動に介入することにより、神経伝達物質の分泌を調整。強制的に睡眠状態へと移行する。
その結果、半ば意識を失う形で対象が眠り状態に陥る……というメカニズムを辿る魔法になっています。
相手を強制的に眠らせる魔法……というのはかなり有用であり、医療機関での活用も視野に入れられていました。
ですが、“睡眠魔法”を会得した職員の採用が必要不可欠です。冒険者以外で魔法を習慣的に使うには、そもそものMPが足りないという問題もありますし。
なので絵に描いた餅となっていますね。
更に県や市からの許可が降りなければ採用できない、という問題もあります。
万が一許可なしに使用してトラブルが生じてしまえば、魔法に対する信用問題も生じかねません。
やはり、実現するには色々と厳しい側面があるのです。
魔物と戦う際には、倫理から離れても一切問題が無いんですけどね。そのおかげで、存分にゴブリンを痛めつけることができるというものです。
まあ、これがバレたら魔物愛護団体とか出来そうなので公には言いませんが。めんどくさいのは嫌ですし。
さて、それを踏まえた上で……“睡眠魔法”というのはかなり面白そうな魔法ですね。
色々と悪用が出来そうです。
「えーっと……“睡眠魔法”を掛けたゴブリンを“アイテムボックス”に突っ込んだり……」
「うんやっぱり黙ってて?」
「あっ!“睡眠魔法”を掛けた上で解剖するのもありかも!起きちゃったらもう1回重ね掛けすれば良いし!」
「あっ、じゃない!!」
えっ、そういう話を聞かれていたんじゃないですか!?
私の話を聞いた麻衣ちゃんは、呆れたようにため息をつきました。
「……まあ、琴ちゃんはその好奇心が個性だもんねぇ」
「えへっ」
「褒めてないけどね?」
苦笑を漏らしつつも,麻衣ちゃんは複雑に入り組んだ通路へと振り返りました。それから、元の道へと戻る為に歩みを進めます。
なので、私も彼女の後をちょこちょこと付いていきます。
「……まあ、琴ちゃんには道しるべが必要だよねぇ。1人だとすぐ迷子になっちゃうし」
「む、失礼だよ。私、これでもずっとソロで頑張ってきた冒険者だよ?」
「だからだよぉ。1人だとすーぐ迷走する……」
「信用無いなぁ……」
内心すごく不服でしたが、正直否定材料も見つけられませんでした。
それから、麻衣ちゃんに連れられて元の道へと戻ります。
研修会場の出入り口前には、既に皆が集合している状態でした。
「あら、琴。花宮さんとの会話は終わったのかしら」
「うん。お待たせ、恵那。もう大丈夫だよ」
恵那は真っ先に私の前に歩み寄ってきました。未だにくたびれた灰色のスウェットを着込んでいます。
家に帰る前に、どこかで彼の新しい服を買わないといけませんね。
「ま、世話ンなったな。俺としても田中ちゃんの研修中の話に散々笑わせてもらったぜ。なァ、“琴ちゃんキャノン”よォ?」
「っぶふっ!?わ、忘れてくださいよっ?!」
三上さんは相も変わらずからかうのが好きですね!?そう言えば花宮さんと連絡とっていたんでしたっけ。
研修で学んだことを復命書に起こさなければいけないのですが、散々からかわれそうな気がします。
“琴ちゃんキャノン”のことを隠すのはダメですか?
そんな中、キャリーバッグを持ったゆあちーは申し訳なさそうに目の前で手刀を切ります。
「ご、ごめん、ことちー。ちょっとママに連絡したんだけど、研修会場まで迎えに来てくれるんだって。車出してくれるみたい」
「あっ、そうなんだ?じゃあゆあちーとは、ここでお別れなんだね」
「うんっ。また仕事外でも遊びたいな……あっ、そう言えば連絡先交換してなかった!スマホどこだっけ……」
それから、ゆあちーは慌てた様子でスマホを取り出しました。
彼女の仕草に倣うように、私もスマホを取り出します。
ゆあちーが差し出したスマホの画面には、友達登録に使用するQRコードが表示されていました。
私はそれを読み取り、「yua♥」と書かれた彼女のアカウントを友達登録します。
「はいっ。ことちー、これからも仲良くしてね!」
「うん。またご飯食べに行こうね?」
「へへ、そう誘ってくれるのは嬉しいなぁ……というかことちー、プロフィール硬いね……」
「ん、そうかなぁ。シンプルな方が好きだからね」
そんな他愛ないやり取りを交わしながら、私はゆあちーと友達になりました。
簡単にスタンプを送信し合って、メッセージ一覧に表示されるようにしておきます。
「それじゃあ、また今度ね。本当に1週間ありがとうね、麻衣ちゃんもゆあちーもっ!」
私は、恵那と三上さんと共に、駅の方向へと向かいました。
「うんっ、お互い強くなろうね!また一緒に仕事しよ!」
ゆあちーは、駐車場の方へと向かいました。お母さんが待っているらしいですね。
「私こそありがとうねぇ。楽しかったよ。また何か分かったら連絡するから!」
麻衣ちゃんは研修会場に残り、再び業務に取り掛かるようです。
1週間にわたる魔法使い研修を終えた私達は、それぞれの場所へと戻っていきます。
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久々に駅のホームへと訪れました。
なんというか、現実に引き戻されていく気がします。遠くに消え去っていたモノクロの現実が色彩を帯びていくような気分です。
「……あっ、メッセージ来てる」
電車を待っている間、ゆあちーはメッセージグループを作ってくれていました。グループへの招待通知が届いています。
「あら。土屋さんから?」
「おう、ちょっと見せてもらっていいかァ?」
三上さんと恵那は、興味深そうに私のスマホを覗き込もうとします。
「な、なにっ。恥ずかしいんですがっ!?」
ですが気恥ずかしいので、二人から背を向け、慌ててスマホを隠しました。
それから改めて画面を見れば、“炎弾ーズ”という名前のグループに招待されていました。なんというか、名前が安直で面白いです。
というかいつの間に、麻衣ちゃんと連絡先を交換していたんでしょう。ゆあちーの行動力には驚きを隠せません。
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yua♥
[本当にありがとう笑]14:21
hana
[私こそ、ありがとうございました!
本当にお疲れ様です、大変なこともあるとは思いますがお互いに頑張りましょう]14:25
yua♥
[麻衣ちゃん硬いよー笑
私たち友達でしょっ]14:26
hana
[慣れないよー汗]14:29
[私こそ、ありがとうね。
また皆でご飯食べに行きたいな]14:31
yua♥
[さんせー!笑笑]14:32
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「ふふっ。案外……悪くないですね」
まだ離れ離れになってからそう時間も経っていないというのに、もう次に会う時のことを考えてしまっていました。
紆余曲折こそありましたが、本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
ゆあちーと麻衣ちゃんには、感謝してもしきれないですね。
ちなみにこの時は気づかなかったんですけど、トークは三上さんと恵那にがっつり見られていました。
私の背後で、2人は淡々と会話を繰り広げています。
傍から見たら男性2人の会話なので、上司と部下に見えないこともないですね。
「おい、恵那ちゃんよォ。田中ちゃん取られそうだぜ、いーのかよ」
「ふふ……可愛いじゃない。少なくともダンジョンに籠りっきりだった頃よりは、健康的だわ」
「まぁ……お前が気にしてねーなら良いけどよォ。つか、田中 恵那の葬儀は取りやめないってマジかお前」
「当然でしょう。田中 恵那は死んだわ、戸籍はまた別で登録してもらうことにするわよ」
恵那がそう返すと、三上さんは困惑したように髪の毛を掻きむしりました。
「田中ちゃんはまだ男性に縋ってるってのによォ、お前は適応はえーな……」
「どうせ結婚のときに1回苗字だって変えているもの。あの子が受け入れるなら口調だって変えるわよ」
「せめて恵那ちゃん時代の痕跡は残してくれ……」
三上さんがげんなりとした声を漏らしています。
ですが、その傍らで恵那は軽く咳払いをしました。「あー、あー」と声を調整しているようですね。
それから、私の背後に立って語りかけてきました。
「琴、今日からまた世話になる。わた……俺が、夫という解釈で良いか?」
「っうぇっ!?」
さすがに、唐突に恵那の口調が変化したことに反応せざるを得ませんでした。
慌てて振り返れば、不敵な笑みを浮かべた男性——恵那が居ました。雰囲気さえも様変わりしてしまった彼は、もはやただのイケメンです。別人です。
「見た目的にはこっちの方がしっくり来るだろ?」
「あっ、あ……あぅ……」
「照れんなよ。琴には慣れてもらわないと困る……今日からまた同じ家に住むんだから、な?」
「ひゃ……ひゃわ……」
どう反応していいものか分かりません。
上手く説明できませんが……目の前の男性が恵那というだけで思考が鈍ってしまいます。
全身の筋肉が硬直し、声すらうまく出せなくなりました。
そんな私の姿がおかしくなったのか、恵那はくすりと微笑みます。
「ふふ、琴には刺激が強いかしら。面白いわね」
「かっ、からかわないでよ!?もうっ!」
「ずいぶんと女の子らしくなったものね、大人しく女の子であることを受け入れたらどうかしら」
「……ううう……!!」
恵那にさえ、そんなことを言われてしまいました。
もはやただの意地の問題でしかないのですが……ここで屈してしまうと、負けた気がします。
ちょっと、それは悔しいです。
なので……心から「女の子として生きても良い」と思えるまでは、認めないでおきます。
まだ、過去の清算も済んでいませんし。
(女の子だって認めてしまうと、先輩のことだって……忘れてしまいそうですし……)
男性時代に残した後悔を清算するまでは、逃げたくないんです。




