第62話 ときめき
「恵那……ステータスを開いてもらえる?」
「うん?どうしたのかしら、琴男」
「良いから」
私は男性化した恵那に、そう提案を投げかけました。
少し、確かめたいことがあります。
「……なるほど」
「なんでこっちを見つめるんですかっ……あのっ……う」
恵那は不思議そうに、私の目をじっと見つめていました。
他の男性冒険者から見られても何にも感じないんですけど、恵那から見つめられた時だけはドキッとしますね。中身が同じというだけで、見た目は別人なのですが。
ちょっとだけ心拍数が跳ね上がった気がします。ああもうっ。
しばらく見つめられてから、恵那は「うん」と頷きました。
それから自身の冒険者証を手に持ち、静かに合言葉を唱えます。
「ステータス・オープン」
静かに、低い声が響きました。
その合言葉と共に、恵那の眼前にはステータスが表示されたはずです。
「……なにかしら、これ」
私の予想が当たっていたのを証明するように、恵那は大きく目を見開きました。
それから、視界の端に表示されているであろう“ステータス送信”の箇所を選択したのでしょうね。私の眼前にも恵那のステータスが表示されます。
やはり、私のケースと同じですね。
恵那も大幅なステータスの弱体化を受けていました。
【田中 恵那】
Lv:5
HP:105/105
MP:62/62
物理攻撃:51
物理防御:57
魔法攻撃:21
魔法防御:24
身体加速:42
なるほど、恵那は物理型のステータスのようです。
それから恐らく、私だけでなく三上さんや麻衣ちゃんにも送信したのでしょう。
二人も同様に、驚愕した様子で目を見開いていました。
「……嘘だろ。恵那ちゃんまで……」
三上さんはこめかみを抑えて、蹲ってしまいました。ギルドの中でも高ステータスであった冒険者2人が、ほぼ同時期にステータスの大幅な下降を受けましたもんね。人事部としては、気が気ではないと思います。
そんな中、麻衣ちゃんは目を見開きながらも物思いに耽っているようでした。
しばらく何かを考えこんだのち、恵那へと話しかけます。
「田中 恵那さん。ちょっといいですか?」
「……何、かしら」
さすがの恵那も、大幅なステータスの減少という事態に混乱を隠せない様子です。微かに声が震え、その視線は左右に揺れていました。
真剣な表情を浮かべた彼女は、恐らく全日本冒険者協会の職員として何かを提案しようとしているのでしょう。
ですが、麻衣ちゃんの話を聞く前に、私の身体が限界を迎えました。
(……あっ、眠気が……あ……)
まるで、意識を押さえつけられたような気分です。
頭重感と共に、急激な眠気が襲い掛かってきました。消耗した体力は、遂に底を尽きたようです。
「……の……レベルを……」
「……研修……」
「……」
単語の断片は微かに聞き取ることが出来るのですが、脳の処理が追いつきませんでした。
瞬く間に、意識は暗闇の底に沈んでしまいました。
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「……んっ……」
いつの間にか、ぐっすりと眠ってしまっていたようです。
ちらりと壁に掛けられた時計に視線を送れば、既に18時を過ぎていたところでした。
机の上にはラップを掛けられたお粥と梅干が置かれていました。お椀に手を触れてみますが、まだ温かいですね。どうやらこれが私の夕食のようです。
病人に対する食事とは言え、もう少し豪勢でもいいんですよ……?
ちらりと左腕に視線を送れば、やはりというか輸液ルートが繋がれています。輸液製剤は例の如く、魔力を補給する目的で使われる“マリキッド500ml”ですね。
余談ですが、こうした魔力補給目的の輸液が用いられるのは冒険者のみに限ります。
体内に貯蔵できる魔素量の少ない一般市民では簡単に“魔素中毒”を引き起こすリスクがあるからですね。
ステータスの高い冒険者……特に魔法使いにおいては、こうした魔力輸液製剤が適応されることは多いです。ちょうど魔法使いのステータスで良かったです。
ふと周囲を見渡してみますが、話し合いを終えて部屋を離れた後だったのでしょう。
病室には誰も居ませんでした。
「……皆、仕事がありますもんね」
一応、本来は研修6日目に該当します。
しかし現時点ですらもはや、魔法使い研修としての役割は意味を成していません。
ただ。次の研修会場として利用される可能性を考えると、明日には私達は追い出されるでしょう。
まあ、特殊個体の調査目的で留まることを許される可能性もありますが……。
……特殊個体。
「……そう言えば、他のダンジョンは大丈夫なのでしょうか」
ふと、脳裏にギルドメンバーの面影が過りました。
やはり気になるのは、今回の特殊個体発生がこのダンジョンに限ったことなのかどうか、ですね。
特に、新しくギルドに加入したばかりの園部君の様子が気になります。
ふと彼と連絡を取りたくなりました。
「……スマホ……」
普段使いしている方のスマホはどこに置いたのかな、と周囲を見渡してみます。
すると、目的としていた探し物は机の上にありました。
(まあ、誰も見ていませんもんね)
行儀が悪いですが……夕食であるお粥を食べつつも、傍らでスマホを触ります。
メッセージアプリを開き、園部君とのトークを選択。
すると、彼からも同様にメッセージが来ていました。
[田中先輩、聞いてください!なんかすごいゴブリンが出ました!
炎が出てくるゴブリンでした
あんなの初めて見ました!カッコよかったです] 16:21
[鈴田先輩、俺も知らない、とか言ってたんですけど!
なんですかあれ。レアモンスターってやつですか!?習った記憶ないです!
習ったんですかね?だとしたら勉強不足かも知れないですね。すみません] 17:10
[そういえば田中先輩、研修は順調ですか?
先輩のことですから、すごい魔法とか使えるようになってそうですね!期待しています!] 17:28
(私のこと日記帳か何かだと思っています?)
なんというか、無邪気なトーク履歴が並んでいて可愛いです。息子が居たらこんな感じだったのでしょうか?
……にしても炎が出るゴブリンとか出たんですか?
ちょっとスルー出来ないです。
[あの
その炎の出るゴブリン、生け捕りしてたりしませんか?]18:24
[えっ
すいません。倒しちゃいました]18:26
[次から捕まえておいてください。
解剖したいです]18:27
[絶対嫌です]18:28
[なんでですか
あんなに嗜虐性溢れる見た目をしているのに]18:29
[先輩。すいません
それ多分後輩に振る話じゃないですよ]18:32
「炎ゴブリンも居るんですか……!これはおちおち休んでいる訳には行きません……早く復帰しなくてはいけませんね」
これは心躍る話ですね!
ゴブリンの特殊個体は雷を纏うものだけじゃなかったんですね。他にも色んな特殊個体がいるかもしれません。
これは是非とも検体を採取したいところです。あわよくば何匹も捕まえて是非ともその骨の髄まで調べさせてください。
今になって思えばですが。
雷ゴブリンの皮膚の耐電能力はどうか、全身の筋肉は速度に耐えうる強度を持っているのか、というところまで確認が出来ませんでした。
同一個体も、あと何体かは“アイテムボックス”に確保しておきたいですね。
「……ふふふ。もっともっと、捕まえて解剖しないといけませんね。もはや“アイテムボックス”はこの為に会得したと言っても遜色ないでしょう……!」
「何ブツブツ言ってるの」
「うわぁ!?」
いつの間に居たのでしょう。
隣には、しれっと恵那が立っていました。
彼女……と言いたいところですが今となっては彼ですね。恵那は呆れかえった表情を浮かべながら、私のスマホを覗き込んでいました。
「へぇ。三上から特殊個体の話は聞いたけれど……雷だけじゃなく、炎を纏うゴブリンも居たのね」
「そう!そうなんだよっ。こんなところで病床に伏してられない。早く職場に復帰してダンジョンに調査に行かないと!」
「落ち着きなさいダンジョンバカ」
「むきゅ」
あまりにも感動して、熱弁したはいいものの恵那にほっぺを摘ままれてしまいました。
何が問題なんですかっ。
「ふぁ、ふぁひふふんへふはあ」
「琴男、あなた自分のレベル分かってる?」
「ふぇ?」
「まあ、私もだけど。私達、こぞってレベル低いの分かってるかしら」
「ふぁ……」
ううっ、それを突きつけられると耳が痛いです。
大人しくその事実自体は受け入れざるを得ないので、黙りこくるしかありません。
私が反論できなくなったのを悟った恵那は、静かにその手を離しました。
「琴男が寝てしまった後ね。花宮さんから提案されたのよ。近々、初心者冒険者用のレベルアップ研修が開催される予定だから、参加したらどうか……って」
「レベルアップ研修……また研修かぁ」
せっかく魔法使い研修が終わったところなのに、また次の研修ですか。
ちょっと研修ばかりで嫌気が差しますね。
ただ、恵那のことですから当然私の本心など筒抜けですよね。
彼は大きくため息を付きました。
「そんなリアクションだろうとは思ったわ。琴男は縛られるのが苦手だものね」
「私は遠慮しとこうかな……恵那は?」
「私は参加するわよ。早く前線に参加したいもの……それに」
そこで恵那は言葉を切り、不敵な笑みを浮かべました。何なのでしょう。
女性の頃であれば悪戯染みた笑みで可愛らしく見えたのですが、男性の見た目となった今では悪役じみた笑みにしか見えません。怖いです。
「え、な、何……」
「そこで良さそうな女の子を見つけたら、口説く……というのも手だしね」
「……っ!」
思わず、全身に緊張が走りました。
恵那のことですから、冗談で言っているだけです。
冗談で言っているのは分かります。それは、私が一番信用しなければならないところです。
……ですけど、電車賃の為とは言え、女の子をナンパしてたんですよね。
その事実に、不安に駆られてしまいます。
絶対にもう、離れたくありません。
「……く」
「あら?何かしら」
「行くっ!恵那についていくっ、レベルアップ研修っ!」
「ふふ、二言はない?」
「ないっ、ないもんっ!だって目を離したら女の子口説くかもしれないんでしょ!?」
思わずムキになってそう宣言してしまいました。
うう、だって女の子口説くとかいうから。
ですが、その言葉を待っていたのでしょうね。
恵那はにやりと楽しそうに笑いました。
「よし、言質は取ったわね。さて……」
「ん、な、なに……っ?」
そう言って、恵那はゆっくりと私の耳元へ顔を寄せます。吐息が耳に掛かるまで近づいた後、恵那は静かに囁きました。
「……よろしくな。琴」
「っっっっっっ!?!?」
耳の先まで赤くなっていくのが分かります。
え!?耳にカイロでも貼りましたか!?急に熱くなってきたんですが!!
思わず耳元を抑え、私は恵那から身を離しました。
「なっ、ななななななな……今のは、なん、なんっ……!?」
「ふふ、それじゃあ私はまだ、三上と話があるから。後で戸籍とか、検査の手続きとか教えてよ?」
「え、ちょ、まって……」
そう言って、恵那は何食わぬ顔で病室から出て行きました。
再び、病室内が静かになりました。ですが私はひしゃげた扉の方から視線を離すことが出来ません。
しばらくじっと同じ方向を見つめた後……勢いよく布団に顔を埋めました。
「私は47歳男性、私は47歳男性……ありえません、絶対ないです……」
顔を埋めながら、そう呪詛のように自分に言い聞かせることしかできませんでした。
熱を帯びたように全身が熱いのだって、きっとそうです。ちょっとびっくりしたからです。
「……ううう……あー……」
なんというか、身の置き所がありません。
身体を何度も捩らせながら、心の底から込み上げてくる感情の暴走を抑え込もうとします。
そんな時,私の部屋にゆあちーがやってきました。
「ことちー……またあの変な男とすれ違ったけど、大丈夫?変なことされてない?」
「っびゃああああああああ!?!?」
「わっ!?な、なにっ!やっぱ変なことされたの!?殴ってきた方がいいやつ!?」
半ば錯乱状態にあった私は、咄嗟にゆあちー目掛けて枕を投げてしまいました。
本当にごめんなさい。
ちょっと今は冷静になれないようです。
私は47歳男性なんです。
別に、男性化した恵那に不意打ち喰らってときめいたとかじゃないです。
だから、違います。
違うんです!!(必死)




