第60話 おかえり
「琴男、あなたは夏休みの課題でアサガオを育てたことがある?」
「はあ……」
私は“女性化の呪い”を受けてから今日まで、自分の言動が信用されないことに不満を持っていました。
「どうして、自分が田中 琴男だと言っているのに信じてもらえないんだろう、こんなに信用に値しない扱いなんだろう」と。
ですが、目の前の色男を見ていると、少しだけ客観視できるようになりますね。
「育て方がヘタクソだったのか、途中で枯らしちゃったことがあったの。丹念に育てていたのに、ね」
「……そう、ですか」
「何で敬語なのかしら」
「いや……まあ……」
ところで、慣用句には「人の振り見て我が振り直せ」という言葉があるそうですね。
辞書そのままに引用すれば「他人の性行の善悪を見て、自分の性行を改めよ」という意味合いらしいです。
なるほど、確かにこれは……自分の言動だけで相手を納得させる難しさというのがよぉーく……わかります。
正直、私はまだ完全に信用しきれていないです。
「ある日、枯れてしまったアサガオが、別の綺麗なアサガオに差し替えれていたの。私が今まで丹念に育ててきたアサガオが捨てられて、ね」
「……その話のオチって、なんですか」
「あら、相変わらず琴男はせっかちね。女の話は最後まで聞くものだと思うけれど?」
「女……まあ、女……ですかね?うん……」
少なくともゆあちーを“睡眠魔法”で寝かしつけた男性は、どこからどうみても女ではありませんが!
すっごく話に割り入りたいです。
なんというか……私に向けて話しかけているはずなのに、ほとんど一人語りのようになっています。
「琴男が、そんな可愛らしい女の子になった時に抱いた感情は正しく、そんな気持ちだったわ。わかるかしら」
「……えっ、どういう気持ちですか?」
「なんで理解できないのよ」
「まず理解が、そこに辿り着いていないんですよ……」
自認が田中 恵那である色男は、私の返答に納得がいかなかったようです。「やれやれ」と言わんばかりに髪を指で梳きました。
その動作のひとつひとつに至るまで、キラキラとしたエフェクトが出そうです。なんだか無性に腹が立ちますね。
とりあえず私一人では解決できそうにありません。
その為、証人となりえそうな人物である三上さんを召喚することにしましょう。
[三上さん]12:24
[助けてください]12:24
[今行く]12:25
内容も言っていないのに、三上さんはそう返事してくれました。
それから5分と経たないうちに、慌ただしい足音が聞こえてきます。
やがて、病室内に現れたのは。
「……っ、ぜぇ、はぁ……田中ちゃん、よぉ……悪ぃ、待たせた……」
普段の飄々とした雰囲気からはまるで似つかわしくないほどに、切迫した表情を浮かべた三上さんでした。
私が何か反応する前に、色男は三上さんへ視線を送ります。
「あら、三上 健吾じゃない。お久しぶり……というにはこの間会ったばかりね」
「っはぁ!?俺、テメェみたいな色男知らねぇぞ!つかこんなところに居やがったか不審者め!!散々探し回らせやがって、このチビに何かしてねぇだろうなァ!?」
飄々とした色男に対し、三上さんは息も絶え絶えになりながら激昂した様子で突っかかります。
昔はそれなりの冒険者として目立っていた彼も、今や形無しです。
というかなんですかチビって。失礼ですよ?
パイプ椅子に腰かけていた色男に三上さんはズカズカと歩み寄ります。それから、勢いよく腕を鷲掴みにしました。
「おい、不審者。さっさと警備室に来い。不法侵入罪で警察に突き出してやるっ、こちとら忙しい状況だってのに……」
「ちょっと、セクハラは止めてよ。乙女の柔肌に傷が付いたらどうするの」
「誰が乙女だクソカマ野郎がァ!!」
三上さん、口が汚いですよ。
ジェンダーレスの時代にやめてください。まったくもう。
二人はまるで私が存在しないかのような扱いです。あの、私が病人ということを忘れていませんか。
儚げな美少女に見えなくもない琴ちゃんの前で、騒がしくしないでください。
魔力枯渇症候群の後遺症がまだ残っているので、二人の声が頭にガンガン響きます。
なので、さすがにもう限界です。
「あの、静かにしてください、二人とも。うるさいです」
「「……」」
私の一声で、水を打ったように部屋が静まり返りました。
色男も、三上さんも、ばつが悪そうに俯いています。
「……琴男。ごめんね。あなたの気持ちも考えず」
「わりぃ、田中ちゃんの体調を無視してたわ……」
二人は各々、反省の言葉を漏らします。
ですが、三上さんは何か引っかかったようです。目を丸くして、色男へと視線を送りました。
「……ちょっと待て。“琴男”……?」
三上さんは、どうやら色男の私に対する呼び名に気づいたようです。まるで幽霊でも見ているかのように顔をこわばらせて、後ろずさります。
「……おい、そこの男だか女だかわかんねーやつ」
「失礼ね。これでも乙女なんだけど」
「黙ってろ。お前……名前は?」
「田中 恵那。あなたからすれば“柊 恵那”の方がなじみ深いかしら?」
「……っ……」
眉を顰めた三上さんは、次から次に質問をしていきます。
そんな彼に対して、色男は眉ひとつ動かさずに淡々と回答を返していきます。
「……年齢は」
「田中 琴男と同じ47歳」
「こいつとの関係は?」
「元夫婦よ。琴男が女の子になってから、家を出たけれどね」
それから三上さんは、ちらりとソファで横になっているゆあちーへと視線を送ります。
“睡眠魔法”によってぐっすりと眠っているゆあちーは時々「ことちー……お酒飲み放題は、まだ早いから……」とか寝言を呟いていました。どんな夢を見ているんですか?
「……神童ちゃんが寝てるってことは“睡眠魔法”でも使ったのか?」
「ええ、そうよ。話がこじれそうだったもの。どうせ知っているでしょうけれど、無詠唱よ」
「……どういう理由で“睡眠魔法”の熟練度をそこまで育てた?」
「自衛ね。私を襲おうとする不届きな冒険者もいたものだから……当然のことでしょう。あとは不眠症ですもの。ダンジョンの仮眠室はよく使わせてもらったわ」
色男の回答は、私がよく知る“田中 恵那”の言動と全く同じものでした。
にわかに信じがたい……いや、私という前例があるのですから、視野に入れないといけないのですが……。
疑惑を確信へと持っていく為に、二人しか知るはずのない質問を投げかけてみます。
「……あの。私からも良いですか」
「あら、琴男。どうしたの」
「結婚した時……恵那は、私にどのような言葉で愛を誓いましたか?」
「……なるほどね」
色男は、私の質問にくすりと微笑みました。
これは三上さんさえ知らない、私と恵那……二人だけの秘密です。なので、本来ならば答えることが出来ない質問であるはずなんです。
ですが。
「“二人で共に老いていこう”だったかしら。ニュアンスはだいたいこれで合っていると思うのだけど?」
「っ……合って、ます……」
あっさりと、その問いかけに答えられました。
同い年の冒険者であった私達は、かつて「共に老いていこう」と誓ったんですね。長い時間を共に過ごすんだ、って。
そんな約束は“女性化の呪い”のせいで、反故にされてしまいましたが。
まるで、頭から水を被ったような気分でした。
これは喜びなのでしょうか。困惑なのでしょうか。色んな感情が渦巻いて、目の前の男性をどう捉えるのが正解なのか、自分でもわからなくなっていきます。
「……っ、え。あ、その……」
受け入れたいけれど、受け入れるのが怖い。相反した感情がごちゃ混ぜになって、声が震えます。
そんな余裕のない私を他所に、目の前の男性……田中 恵那は、私の背中に両腕を回しました。
細身ながらも、どこか力強い腕の感触に安心感を抱きます。
「ふふ、これで対等になったわね。お待たせ、琴男」
「……っ」
どうして女性の体というのはこうも涙もろいのでしょう。
抑えたいはずなのに、涙が止まりません。零れた涙は頬を伝い、病衣に濃いシミを作り出してきます。
一瞬、躊躇こそしましたが……私は勢いよく恵那に抱き着き返しました。
「恵那っ、おかえり……おかえりなさいっ……!」
「もう、琴男。ずいぶんと弱々しくなったわね……安心しなさい、私が守ってあげるから」
「うん、うんっ……!!」
ちなみに唐突に蚊帳の外に放り出された三上さんは、明後日の方向へと視線を送っていました。
「……あー、これ。紛れもなく恵那ちゃん本人だよなァ……葬儀の段取り組んじまったんだが……どうすんだこれ」
……あっ。そういう問題もあるんですね。
すみません、面倒をおかけします。田中 恵那に変わって私……田中 琴が謝罪申し上げます。
や、まあ確かに……「死んだと思っていた人が別人になって帰ってきました」なんて起こりえない現象ですもんね普通。
それと同時に、“睡眠魔法”の効果が切れたと思われるゆあちーがゆっくりと体を起こしました。
抱き合っている私と恵那を見て、茫然とした声でぽつりと呟きます。
「やっぱ……ことちーって……男の趣味悪いの……?」
さすがに私が抱き着いているのを見て、引き剥がそうとはしなかったようです。
けど、ちょっと変なイメージが付いてしまった気がしますね。
うーん、男性化した恵那の見た目が、完全に色男ですからねぇ……。
さて、どう説明したものでしょうか。
色々と、面倒が増えそうです。




