第6話 ゴブリンの魔毒苔詰め
艶のある石畳で作られた階段が、私達を迎え入れます。
30年ほど前に突如として世界に現れたダンジョンですが、どういう訳かご丁寧に人類が踏破しやすい環境づくりとなっていますね。
魔物のいない、観光専門ダンジョンでは手すりやエレベーター、スロープ、さらには点字が刻まれていたり、バリアフリー仕様のものもあるそうです。
まあそう言ったところは私達冒険者の管轄外なのですが。配信者が時々そこで配信したりしてます。
明らかに人類の文化に沿ったダンジョン。それらが世界各地に突如として構築された事実。
そのことから「神が新たに人類に授けた試練」などというぶっ飛んだ説が、現代においても残念ながら有力です。
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「ここからモンスターテーブルが変化するから注意してね」
ダンジョン内にポップする魔物と言うのは、階層ごとに大きく変化します。
格上のボス格である魔物ほど、最上層(あるいは最下層)で待ち構えています。そして最深部に近づくほど、強力な魔物と邂逅するリスクが高くなります。
逆に言えば、あまり深くまで潜らなければ、強敵と出会うリスクは少ないんですね。
その為、冒険者のオリエンテーションは地表近くの層で行われることが多いです。
「はいっ!」
私の背後をちょこちょこと動き回る園部君は、健気に背筋を伸ばして頷いていました。うん、元気でよろしい。
ダンジョン内の探索を行いながら、私は3階層に住む魔物について説明を行います。
「大まかにここのダンジョンだとゴブリン上位種、スライム上位種。あとレッサーウルフもいるね」
「上位種って……えーと。ダークゴブリンと、レッドスライム、ですね?」
「正解……っと、スライムがいるね。赤色の」
直角に曲がる通路から顔を出せば、その先には5体ほどのレッドスライムが群がっているのが見えました。
半透明の橙色をしたゼリー状の肉体から見えるのは、緋色の核。スライムの生態活動を維持する核ですが、弱点がむき出しとなっています。
その為、初心者でも倒しやすい敵ですね。私も新人の頃に、何度もスライムを倒しました。……あ、男性だった頃ですよ。
「ここは俺に任せてくださいっ」
「あっ、待って。ここも私に行かせてほしい」
「え、あ、はいっ?」
意気揚々と飛び出そうとするのは良いですが、一度私なりの倒し方も実践しておくべきだと思います。先輩としての威厳もありますし。
私は”アイテムボックス”から、市販のジャーキーを取り出しました。この間の晩酌の余りです。
「ジャーキー、ですか?」
「スライムはああ見えて肉食なんだよ。だから、私達……人間を襲ってくるんだよね」
今でこそ脅威が周知徹底されたので、多少危険度は低下しましたが……。
冒険者がスライムに取り込まれ、皮膚や筋肉がドロドロに溶けたグロテスクな死体を何度も見たことがあります。
「よっと」
私は軽く、通路の先にジャーキーを放り投げました。すると早速ジャーキーに気付いたスライム達が、ゆっくりと地面を這いながら近づいてきます。
塩味の強い干し肉の匂いが、ふわりとダンジョン内に舞いました。
「ピィッ」
すると可愛らしい鳴き声を上げながら、スライム達はジャーキーを取り囲むように蠢きます。
その姿を目視しながら、私は小声で呪文を唱えます。
「”探知遮断”」
すると体外から微かに漏れ出していた魔素が、ぴったりと私の中に格納されていく感覚が分かります。イメージとしては脇汗が止まった時のような安心感ですね。
私は目元に掛かった銀髪を払いながら、静かにスライムの背後を取りました。
「スライムには視覚も聴覚もありません。微かな嗅覚の他は全て、魔力探知で補っています。なので、身体から漏れ出す魔素さえ遮断すれば……ほら。近づくのは容易です」
取り出した短剣の刃先をスライムへと向けて、勢いのままに突き刺します。
「ピッ……」
か細い悲鳴を漏らしながら、スライムから漏出する体液がどろりとダンジョン内の石段を汚していきます。
スライムの体液には魔物をおびき寄せる効果は無いので、今回は気にしません。
生体活動を維持する為なのでしょう。大きなダメージを受けた魔物は「魔素を体内に留めなければ」と、その心臓や核に魔素を溜め込むようになります。
そんな魔物が生命活動を停止した際、集約した魔素が凝固。
結果として高濃度の魔素を含有した魔石へと、心臓や核が変化する……というメカニズムです。
今回も同様に、スライムの核だった場所には魔石が形成されていました。
「”魔素放出”」
それから私は、スライムが放出していた魔素と同量を、大気中に放流します。
本来は「ただ無意味に魔素を垂れ流すだけ」と言われ、大半の冒険者は会得しようとすらしないスキルです。ですが、このようなスキルほど私にとっては命綱となります。
「これで、他のスライムは、同胞の死を感知できなくなります。さて……同じように他のスライムも倒していきましょう」
あとは流れ作業ですね。レッドスライムが居なくなった空間を”魔素放出”で埋めて、それから淡々とその生命活動を止めていきます。
さすがにゴブリンに対する立ち回りで、私の戦闘スタンスを理解したのでしょう。園部君は何も言わず、私の行動を見届けていました。
「……田中先輩ってすごいですね」
「そうかな?」
レッドスライム5体を瞬く間に屠り、今私の手には魔石が乗っています。それらを”アイテムボックス”に格納している間、園部君は感嘆とした声音でそう呟きました。
「や、冒険者ってぶっちゃけ男社会じゃないですか。そんな中で女の子1人でよく戦えるなーって……」
「そのセリフ……今だったらセクハラって捉えられるらしいよ?」
「あっ!す、すいません!失礼なこと言いましたっ」
最近は特にコンプラに厳しいのでやんわりとそう窘めると、園部君は申し訳なさそうに何度も頭を下げました。
……あっ、そっか。
園部君からすれば「女の子に失礼な発言を働いた」という感じに捉えられるのか。うーん、自分自身がどう見られているか、というのが未だに分からない。
ちょっとした冗談って気分だったんだけどね。ごめんね。
さすがに何度も赤べこみたいに頭を下げられるのは、それはそれで気恥ずかしいので愛想笑いで濁します。
それから「じゃあ、行こっか」と話を強制的に切り上げました。
背後で園部君がボソッと「すみません……」ともう一度、小さく謝っているのが聞こえました。
ごめん、悪いのは私です。
不注意で”女性化の呪い”に掛かった田中 琴男が悪いのです。
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ようやく、私達は目的地……”魔物が食いちぎられた痕跡”を見つけました。
倒れているのは”ダークゴブリン”でしょうか。元来薄緑色の皮膚を持つゴブリンですが、地下深くに潜るにつれて深緑色へ変化します。
そんな深緑色に変色したゴブリンのことを”ダークゴブリン”と差すのですが。
「おおー……これはなかなか酷いやられ方だねぇ……」
秘部を守る形で巻いた腰蓑から上は、ものの見事にばっくりと喰われています。臓物を散らしながら転がっている下半身ですが、見渡せば同様にゴブリンの死骸があちらこちらに転がっていますね。
食い荒らされている場所は様々です。頭部だけを食われているものもいれば、逆に上半身だけ残っているものもいます。もはや認識することも出来ませんが、全部位を喰われたゴブリンだっているでしょう。
「……っぷ」
あまりに酷い惨状に、園部君は口を押えて蹲りました。
スプラッタな惨状に加え、血肉と臓物から漏れ出した糞便の匂いが混ざり合い、不快臭が辺り一帯に漂っていますもんね。
「大丈夫?辛いなら戻ろうか」
持ち歩いていたエチケット袋を差し出し、そう尋ねました。
ですが園部君は首を横に振って、それを拒みます。
「……っ、ぶです。大丈夫……」
「そう?無理はしないでね」
「……っす」
険しい顔をしながら、それでも前を向く園部君。彼の強かさを内心高く評価しながらも、私は惨状と化した痕跡を観察します。
撒き散った臓物ごと踏み抜かれたような、巨大な足跡。
壁面には灼熱の炎に焼かれたような、真っ黒な焦げ目が刻まれています。
そして一部のゴブリンの亡骸に残る、強力な顎に食いちぎられた痕跡。
……まあ、大体予想通りですね。
「うん、やっぱりドラゴンだろうね。ちょっと待ってて」
「……っ、はい」
三度目となれば私が何をするのかおおよそ予想が付いたのでしょう。
そうです、トラップの設置です。
この為に”仕込み”をしたのですから。
「ドラゴンの重量は、平均3~5トンくらいです。ですが、そのような巨体を動かそうとすると……当然沢山のカロリーが必要となります」
説明しながら”アイテムボックス”から麻袋を引っ張り出しました。
麻袋の中に保存していた”ゴブリンの魔毒苔詰め”を取り出し、雑にダンジョンの地面内に転がします。
だらりと人形のように転がった四肢が、石畳の中に横たわりました。
「そのようなカロリーを、どこで摂取するか?……そうです、魔物や人間……あるいは同胞ですね」
ドラゴンほど、苛烈な生存競争を強いられている生物を私は知りません。
ダンジョン内で邂逅するドラゴンと言うのは、その時点で「同胞同士の殺し合いに勝ってきた強者」の証です。
しかし、その中で低階層に出現するのはなぜかというと。
「同胞との争いに負けたドラゴンが、懸命に生き延びようと低階層に出現することは、そう珍しくありません」
雑に横たえたゴブリンの亡骸を放置し、私達は再び物陰に隠れます。
すると、時間を置いてから地響きが鳴り響きました。
「……っ、本当に来た……」
園部君の表情はまるでメデューサに睨まれたかのように固まりました。
「ね?ですが、低階層に現れるドラゴンと言うのは、実はそこまで脅威ではないんです。競争に負けて追い出された、ということですから」
ワニを彷彿とさせるどっしりとした顎を持っています。どっしりとした大胸筋から繋がる形で伸びるのは、コウモリを彷彿とさせる扇状の翼。尾はまるでトカゲのように長いです。
大地を踏みしめるように、薄緑色の鱗を纏ったドラゴンはその場に現れました。
「……グルル」
ドラゴンの視線の向く先は、私が先ほど配置したゴブリンの亡骸です。
すると眼前に現れたゴブリンの亡骸を、何の疑いも持たずに貪り始めました。
「……来た。食べ始めたよ」
手足からゆっくりと嚙みちぎり、頭部、胸部。
そして、最後に腹部を食い千切りました。
そう、魔毒苔の詰められた腹部です。
「ガアアアッ!?」
魔毒苔の神経麻痺にやられたドラゴンは、突如として苦悶の声を上げました。神経毒にやられ、顎を閉ざすことが出来なくなったドラゴン。
口からゴブリンだった食片が零れ落ちます。
私が2階層で作っていたのは対ドラゴン用トラップです。シビレ罠です。
(親知らず抜いた時を思い出すな―。麻酔掛かったら口が閉まらないんだよね)
なんて場違いなことを考えつつも、私は隣で石のように固まった園部君を肘で小突きました。
「……園部君。チャンスだよ、倒してみよっか」
「あっ、え、はい!?」
そうドラゴンの方を指差しながら告げると、園部君は目を丸くして私を見ました。
「倒す?」
「倒す」
「あれを?」
「あれを」
「え?」
「頑張ってね」
困惑している園部君に淡々と指示を出します。しばらく「納得がいかない」と言った表情で首を傾げていましたが、自分に言い聞かせたのでしょう。
物陰から飛び出して、ドラゴンへと斬りかかりました。
「うぉらあああああっっ!!!!てめぇの相手は俺だああああああっ!!!!」
お、スイッチ入った。