第59話 色男
「……はあ」
「テンションの落差激しくない?」
なんというか、雷ゴブリンを解剖している時はテンションが上がって、我を忘れることが出来たんです。
ですが、ふとクールダウンすると「ああ、恵那ってもうこの世にいないんだなあ」って悲しみが再び襲い掛かってきました。
そんな事実など知る由もない由愛ちゃんですが、ロクに動くことの出来ない私の介抱をしてくれています。
どこまでも優しい女の子ですね、由愛ちゃんは。
将来良い旦那さんに出会って欲しいものです。
さて、研究室で“属性石”(私命名)を見つけ出したという成果を得た私ですが、さすがに身体に限界が来ました。
結局、再び魔力切れで動けなくなっちゃったんですね。
思った以上に、限界を超えてMPを使った代償は大きかったらしいです。ステータスがマイナス方向に振り切っちゃったんでしょうね。
なので再び病室に連れ戻されました。虚弱琴ちゃんです。
あ、ちなみに出入り口の扉は由愛ちゃんが壊しちゃったので、今はカーテンでプライバシーを確保しています。
カーテンの隙間からひしゃげた扉が見えますね。
虚弱な私ですが……最低限、腕を手元に手繰り寄せるくらいは出来ます。
ただそれでも、十分に身体を動かせるわけではないです。なので今は由愛ちゃんに食事をさせてもらっています。
可愛らしい女の子に「あーん」をしてもらう、という客観的に見れば役得な状況なのですが……何だか複雑ですね。
そんな由愛ちゃんは、先ほどの私が解剖しているのを思い出したのでしょう。げんなりとした表情を浮かべて、肩を落としました。
「琴ちゃん……よくあんな平然とゴブリン解剖しようって思えた、ね……?」
「えっ。私にしか出来ないことだし、やらなきゃなー……って思ったんだよね」
「……そ、そっかぁ……」
由愛ちゃんは、やはり困惑した表情を浮かべています。
うーん、やっぱり16歳の女の子には刺激の強い映像ですよね。魔物とは言え、身体を切り開いたりする光景は相当ショッキングだと思います。
まあ、受け入れてもらえなくても仕方ないのですが……。
しかし由愛ちゃんは、直後に感嘆としたように天を仰ぎます。
「琴ちゃんにしか出来ない、か。すごいね琴ちゃんは」
「ん、そう……かな?」
「うん。琴ちゃんって割と思い付きで行動しがちだし、極端だけど。その行動力は見習わないとなぁ……」
「でも由愛ちゃんだって、神童って言われてるよね。それだけでも十分にすごいのに……魔法使い研修に来るって、本当に立派だよ?」
「私は言われたから来ただけなのに?」
「ううん、それでもだよ」
本心です。
私が16歳の頃と言えば、まだダンジョンが世界各地に生み出される前……“異災”が起きる前の日本で過ごしていましたが。
その頃は将来のことなんてロクに考えませんでしたね。
ゲームを遊んでは「あー、ゲームみたいに魔物倒してお金貯まったりしないかな」なんてことをぬかしていましたよ。結果的にその言葉は実現しましたが。
そんな私と比較すれば、他人から促されたからとは言え、魔法使い研修に足を運んでいる由愛ちゃんは立派です。すごいことですよ。
当時の私だったら「行くよ」とだけ言って、絶対にすっぽかしてますね。来るだけ偉いです。
「……」
そう本心を告げただけなのですが、由愛ちゃんは目を丸くして硬直しちゃいました。
左手に持つ食器が、徐々にその重さに傾いてきます。
ちょうど持っていた食器の中に入っていたのは味噌汁でした。傾いたお椀から、味噌汁が零れていきます。
気づいたのは、私の病衣に味噌汁が掛かったタイミングでした。
「あっ、由愛ちゃん……!食器!食器傾いてる!」
「え、あ、わあああっ!ごめん、ごめん琴ちゃん!」
「ティッシュある!あっ、はい!ほらっ!」
「ありがとう琴ちゃん!……なんかティッシュ4つ折りするの慣れてない?」
「気のせいだよっ、気のせい」
うっかり重力に負けて落ちた味噌汁が、私の病衣に着いちゃいました。パリッとした病衣に、シミが生み出されていきます。
とりあえず雑に、ティッシュで拭いてみましたが上手く取れません。なので結局洗面台に置かれていたペーパータオルを使ってぬぐい取りました。
「……と、取れそう?」
「多分っ!汚れ落ちなかったらごめん」
「良いよどうせレンタルした服だし」
そんなバタバタと慌ただしいやり取りをしたものですから、ついおかしくなってきちゃいました。
「……あははっ、琴ちゃんと居ると飽きないなぁ」
「えへ……馬鹿みたいだね、私達」
私と由愛ちゃんはお互いに顔を合わせ、示し合わせたかのように吹き出しました。
由愛ちゃんに至っては、笑いすぎて瞳に涙が滲んでいます。
「……っはぁ……面白いなあ……ねえ、琴ちゃん」
「ん、どうしたの由愛ちゃん?」
ふと、由愛ちゃんは思い立ったように改めて私の名を呼びました。
ですがどこか気恥ずかしそうに頬を掻いては、明後日の方角を向いています。
私はそんな彼女の言葉の真意を理解できず、つい首を傾げました。
しばらく間を置いて、意を決したのでしょうね。こくりと頷いて、私に改めて視線を合わせました。
「えとね、琴ちゃんのこと……あだ名で呼んでも良い?」
「ん、えっ……そんなこと?」
それはあまりにも拍子抜けした提案だったものですから、ちょっとだけ脱力しちゃいました。
特にダメな理由も思いつかなかったので、私は素直に頷きます。
「うん?別に良いけど……どう呼びたいの?」
「えっとね……“ことちー”って呼んでも良い?」
「ぶふっ!?」
あっ、吹き出した拍子に口の中に残っていたご飯粒が飛んじゃいました。あーあーまた病衣が汚れた。
ですけど何ですか“ことちー”って!?
もう完全に女の子の呼び方じゃないんですか!?あんまり女子同士のやり取りは知らないですが!
困惑したまま、私は由愛ちゃんへと視線を送ります。
すると、由愛ちゃんはおずおずと、上目遣いでこっちを見てきました。
「……駄目、かな?」
ううう。
不安げな顔をしないで下さいよっ。断れないじゃないですかっ。
……ですが、由愛ちゃんばかりが距離を縮めようとしてくれているのに。私が何もしないのは、失礼な気もしますね。
由愛ちゃんが私のことを“ことちー”と呼ぼうとしてくれているのですから、私も似たような呼び方で返してあげるとしましょう。
「……ううん、駄目じゃないよ。じゃあ、私も“ゆあちー”ってよ、呼んでも……良い?」
「……っ!」
……言ってて恥ずかしくなってきました。
なるほど、確かにこれは提案するのにも躊躇うものですね。
ですが、呼ばれた由愛ちゃん……ゆあちーは、すごく嬉しそうに目を輝かせてくれました。
「っ!う、うんっ!」
「……照れるね、これ……」
ものすごく顔が紅くなってきた気がします。
気恥ずかしくなってきて、彼女の顔もロクに見ることが出来ません。
結局、何となくばつが悪くなったので、適当に出入り口の方向へと視線を送りました。
カーテンの隙間から覗く病室の出入り口には、ゆあちーの攻撃力でひしゃげてしまった扉が見えます。
もはやスライドドアとしての機能を果たすことが出来ないそこからは、廊下の様子まで完全に見えちゃうんですね。
なので。
廊下から、知らない人物がこちらを覗いていることにも気が付きました。
「……やっと、こっちを見てくれたね」
それは1人の男性でした。
年齢にして10代後半~20代前半くらい……かな。
おおよそ170㎝後半~180㎝程の、すらりとした長身が目立ちます。
首元まで伸びたサラサラの黒髪はセンター分けされています。その隙間から覗くのは、色男を彷彿とさせる顔つき。
少女漫画とかで「ふっ、おもしれー女」とか言ってそうな雰囲気の男性です。
え?私はおもしれ―女だろって?
なんですか。”アイテムボックス”に格納しますよ。
見知らぬ色男は、灰色のスウェットに身を包んでいました。その布地はあちこちがボロボロになっているので、まるで浮浪者の様相です。
……研修中では、見かけることのなかった人物ですね。
彼は、何の迷いもなく病室へと入り込んできました。
履いているくたびれたスニーカーから、情けない足音が響きます。
「……誰。あんた」
突然現れた色男にゆあちーも気付いたようです。
彼女は静かに色男を睨み、警戒の色を強めました。
まるで私のボディガードと言わんばかりに、食器を机の上において色男へと問いかけます。今まで聞いたことのない声音なので、私まで怖くなってきちゃいました。
ですが彼は一切動じることなく、ゆあちーを値踏みするような視線で見下ろします。
「……ふうん。彼女と……馴れ馴れしくなんて、してほしくないけどね」
「あんたはことちーの何。研修生じゃないよね?」
「ことちー……ねえ」
突然現れた色男は、ちらりと私へと視線を送ります。
ですが私も彼のことなど知りません。こんな色男の知り合いなどいません。
「し、知らないっ……誰、ですか」
なので、首を全力で横に振りました。
私の反応を受取ったゆあちーは、色男をより一層敵意の滲んだ顔で睨みます。
「ことちーは知らないって言ってるけど?部外者は出て行って。ストーカー?警察呼ぶよ?」
そう言って、ゆあちーはスマホをちらつかせます。
まるで一触即発と言った様子ですね。ですが色男はスマホを見ても動じません。
「その“ことちー”の大切な人だって言ったら、どうする?」
「……はぁ?」
そう告げられた瞬間、ゆあちーの怒りは有頂天に達したようです。
完全に吊り上がった目つきで立ち上がりました。その勢いのまま、色男に殴り掛かります。
「あっ、待ってゆあちー!?」
「顔だけ野郎がっ……痛い目見ろっ!」
さすがに一般人に対して、ダンジョン内で暴力はダメです!死んじゃう!死んじゃいますっ!
ですが、色男は殴り掛かろうとしているゆあちーに対しても、全く動じることはありませんでした。
その左手を、襲い掛かるゆあちーへと静かに差し向けました。
その左手から、ほんのりと淡い青色の光が煌めきました。
「まあ、実際に殴る訳じゃないと思うけど。あなたが居たら琴男とお話が出来ないから」
「……は、えっ……?」
「おやすみ。ちょっと休んでね」
色男の口調に、若干違和感を抱きました。
なんというか、オネエ口調というか……。
「え、なに……ふぁ」
そんな色男が放った光を受けたゆあちーの身体が、突然がくりと崩れ落ちていきます。
「……また後で、あなたには説明するわね」
崩れ落ちるゆあちーの体を抱きとめた色男は、そのまま彼女を病室内に置かれたソファへと横たえました。
「少しだけ、琴男とお話しさせて」
「んぅ……すぅ……」
まるで先ほどまでの剣幕が嘘のように、ゆあちーはぐっすりと眠ってしまいました。
「……睡眠魔法、ですか……?」
その魔法には心当たりがありました。“睡眠魔法”ですね。
効果はその名の通り、相手をぐっすりと眠らせる状態異常付与魔法です。比較的メジャーな魔法です。
そんな魔法を無詠唱で放った色男。その時点で、“睡眠魔法”に対する熟練度は相当のものであると理解できます。
……私は、そんな冒険者を一人知っていました。
一番、私にとって身近だった冒険者です。
「まさか、ですよね……?」
「……ずいぶんと女の子のロールプレイが得意になったのね?昔の面影が、まるで嘘のようじゃない?」
細身の色男は、腰に手を当てて私を見下ろします。
ですがその瞳は、どこか慈愛に満ちていました。
「……恵那……?」
「お久しぶり、琴男。研修中にお邪魔するわね」
私を「琴男」と呼ぶ色男は、伸びた黒髪をさらりと揺らしました。
その挙動一つ一つが少女漫画みたいで、何だか鼻につきます。
……えーっと。
話の流れから察するに、目の前の色男が……私の元妻。田中 恵那ってことですよね?
合ってますよね?
なんで崩落に巻き込まれたはずなのに生きているんですか?
なんで男性になっているんですか?
なんで????




