第58話 マッドサイエンティスト
「さて、始めましょうか」
激闘の末に、命さえ落としかけたというのに。
大切な妻であった恵那の死を知らされたばかりだというのに。
どうして、こうもゴブリンの死骸を見ると心が躍るのでしょうね。
ダンジョンが発生し、冒険者という職業が花形であった頃からそれは変わりません。
私にとって、ゴブリンとはダンジョンを知る貴重な材料なのです。
腹を捌いて、食道、胃に至るまでの上部消化管を切り開けば何を食べていたのか分かります。
魔毒苔が腹の中から出てきたら、「ああ、今日は魔毒苔が発生しているんだな」とか、その日のダンジョンに起きている環境まで推測することが出来ます。
私達、人間と似通った人体構造を持ち合わせているからこそ。
私はゴブリンがどのような生活をしているのか知りたいのです。もはやそれは、感情移入とも言えるでしょう。
「……ふふ。もっと、教えてくださいよ。その隅から隅に至るまで」
本来であれば愛用しているナイフで雑に切り開くところなのですが、如何せん研究室と言うことで体裁は大事にしましょう。
私は今、解剖台として用意された強化ガラスの前に座っています。感染予防の為に病衣の上からガウンを羽織っています。マスクで口元を覆い、頭には紙製のキャップを被っています。ドラマでよく見る医者の姿ってこんな感じなんですね。
麻衣ちゃん、メス。……あ、違います。女の子って意味じゃないですよ。
ディスポーザブルメスを用い、雷ゴブリンの胸部から腹部に掛けて、切開していきます。少女の力であるということと、激闘のダメージが残っているので力が入りにくいです。
「えい……っ!」
その為、体重を掛ける形でぐっとメスを切り込みました。
筋膜というのは想像以上に硬く、てこずりましたが……やがてメスが奥まで入り込みました。何というか、刃先の重みが抜けるような感覚です。
そこから、鑷子で無理やり切開した筋膜をこじ開けていきます。
すると、ゴブリンの肋骨が露わとなりました。その隙間から覗くのは、左右の肺。そして、肺で挟むように存在する魔石でした。
心臓の形に沿っているので、肺の形は左右対称ではありません。
「……魔石の形自体は、普通に見えますね」
魔石を取り出すのに邪魔だった肋骨は、専用の鋸で切除します。
ぶっちゃけ、正しい手段なんて知らないので案外適当です。最低限、ゴブリンの死骸をめちゃくちゃに壊さなかったら良いかなって。あんまり研究所の人達に迷惑を掛けたくないので……。
普段はナイフで力任せにぶっ叩いてるのは秘密です。
研究所の方々に協力して貰いながら、私は心臓に置き換わる形で作られた魔石を取り出します。
くり抜いたそれを、一度トレーの上に置きました。
「どう、琴ちゃん。いつものゴブリンと違うところある?」
「……ううん、ない」
麻衣ちゃんは興味深そうに覗き込みながら、そう問いかけてきました。「いつものゴブリン」って意味不明な言葉であるはずなんですけど、なんで理解できちゃうんでしょうね。不思議です。
魔石の外見は通常個体と同じに見えます。ですが念の為、魔石に手をかざして静かに唱えてみます。
「“魔素放出”」
高濃度の魔素を大気中に留まらせる、ある意味で私のお得意魔法ですね。
目を凝らして見れば、微かに空間が歪んで見えます。わずかにズレているとか、その程度の違いでしかないですが。
雷ゴブリンから摘出した魔石に、私が放出した魔素がまとわりつきます。
ですが、結果は――変化無し。
「……っ……痛っ」
「琴ちゃんっ!!」
突如として、目眩に苛まれました。
由愛ちゃんが慌てた様子で私に駆け寄ってきます。あっ、こら。ガウンは清潔じゃないと駄目なんですから離れてください。
ずきりと頭が痛みます。病み上がりで魔法を使うのは、かなり身体に堪えますね……。
視界が歪み、胃酸が這い上がってくるような気分に襲われます。本当に二日酔いのような症状ですね、魔力枯渇症候群というのは。
ですが今回は、アホにはなっていないです。まだそれが、せめてもの救いです。
まだ酔えます、なのでお酒をください。
え?だめ?そんな。
「……大丈夫。50%を外しただけ」
「50%?」
解剖する前から、おおよそどの辺りに私の求める答えが存在するか……というのは目処を立てていました。
それから、私は雷ゴブリンの隣に置かれた頭部へと視線を送ります。
全身に血液を循環させるポンプとしての機能を持つ心臓。その心臓が変化した姿である魔石には、高濃度の魔素を与えたとしても一切の変化は見られませんでした。
やはり、魔石は高濃度の魔素を含有している、以上の意味を持たないようです。
次に解剖するべきは、雷ゴブリンの頭部ですね。幸か不幸か、由愛ちゃんが与えた一撃の影響で、首がもげて頭部だけになっているので非常にやりやすいです。
再びディスポーザブルメスを用い、ゴブリンの頭皮を切開していきます。
そこから勢いよく皮膚を剥がしていくのですが……まあグロテスクですね。顔色が悪くなった由愛ちゃんは口に手を当てて、研究室から出て行っちゃいました。ごめん。
やがて雷ゴブリンは頭蓋骨だけになってしまいました。スケルトンゴブリンが生まれた瞬間です。新種ですね、わーぱちぱち。
ですがそんな骨ゴブリンとも早々におさらばする必要がありそうです。
私は麻衣ちゃんに手を差し出しながら、次に必要な道具を要求します。
「麻衣ちゃん、ノミとハンマーを」
「はいっ」
「ありがとうね」
私は麻衣ちゃんからノミとハンマーを受取りました。それから、ノミをあてがい、ハンマーで打ち付けます。
こん、こん、と硬い音が繰り返し響き渡ります。ハンマーの衝撃によって、亀裂が生み出されていきます。
そんな光景を研究所の皆さんは真剣に、固唾を飲んで見守っていました。
この身体になってから、初めて真っ当に熟練の技術持ちという扱いされている気がします。えへへ。
やがて、生み出された亀裂によって頭蓋骨がパカリと開きました。ついに脳とのご対面です。
「おーっ」
ついにその姿を露わにしたゴブリンの脳に、思わず感嘆とした声を漏らします。
背後で見守っていた麻衣ちゃんは「おー、じゃない」とぼそりと突っ込んでいましたが。つい癖で。
たぶん誰も居なかったら、その脳を持ち上げてあらゆる角度から見回していたところです。ですが今は周りの目があるので……。
それから生理食塩水を用い、脳に付着した髄液を綺麗に洗浄していきます。ここで水道水など使おうものなら、浸透圧の関係で脳が浮腫んでしまうかもしれないので、一応ちゃんとしておきます。
洗浄しつつも、じっくりと脳を観察していきます。
すると、キラリと脳細胞の隙間から何かが煌めいた気がしました。
「ん、これはアタリかも知れませんね」
ついに答えに辿り着いたかもしれません。私はピンセットを用いて、慎重に雷ゴブリンの脳内に形成されていた「何か」を摘出します。
ピンセットの先端に付着していたのは、金色に光る石のようなものでした。
再び生理食塩水で洗浄してから、それをガラスケースの中に閉じ込めてみます。
そして、解剖に用いた道具を全てトレーの上においてから、再度静かに詠唱することにしました。
「……“魔素放出”」
高濃度の魔素が、ガラスケースに閉じ込められた石へと絡みつきます。
すると、答えは現象となって現れました。
「——っ!」
高濃度の魔素に呼応するように、石から紫電が迸ります。
しかし、絶縁体であるガラスケースの前には無力ですね。ケースの壁面に沿うように、紫電がぱちぱちと刻まれていました。
紫電は光源となり、何度も研究室を照らします。
ずきずきと頭痛が広がっていきますが、今やそんなことはどうでもいいです。
「琴ちゃん……!?」
「はは、これは……アタリですよ。素晴らしいですっ」
……我ながら、マッドサイエンティストみたいなセリフを発してしまいました。考察が合っていた時に出る発言としては適切だったんですね、あれ。
つい笑みがこぼれてしまいます。
また一つ、私はゴブリンの新しい謎を見つけ出したようですね。
「あははっ……だからこそやめられないんですっ、ゴブリンを解剖するというのは!」
「……琴ちゃん、悪役みたいなことを言うの止めないかな」
「ん?悪役みたいでした?私」
「……はあ」
麻衣ちゃんは呆れかえったようにため息をついていました。
ですが、このゴブリンの脳から摘出した属性を帯びた石を、何と呼べばいいんでしょうね。
ひとまずは“属性石”とでも呼称しておきましょう。
特殊個体自体は、末恐ろしい能力を持っていますが……この属性石には大きな魅力がありますね。
魔素を浴びせれば、属性を発現できる。
その事実は、これからの冒険者界隈に訪れた大きな希望でもありました。
特殊個体が現れた、という騒動の中で見出した希望に笑いが止まりません。
「属性武器だって出来るかもしれません。属性を帯びた矢とかだって……夢が広がりますよ……ふふっ、あははっ……」
この時は気づいていなかったんですけど、研究室で私の行動を見ていた人達はドン引きしてたそうです。
「将来犯罪を起こさないか心配」みたいなことを言われていたらしいですね。集中していたので気付きませんでした。
なんでみんなドン引きするんですか。
ほら、客観的に見たら美少女ですよ?
だから、あの。
逃げないで。待って。




