第56話 冒険者証
「……何ですか。麻衣ちゃんの言う“あの話”というのは?」
「おーおー、麻衣ちゃんってなァ?随分と仲良くなったもんだよな?女の子らしくていーじゃん」
「はぐらかさないでくださいよ、私に聞かれちゃダメな話なんですか?」
「いや、むしろお前が一番知るべき話だわ。なァ、田中ちゃんよぉ……電話でよ。恵那ちゃんの話したよな?」
「……それが?」
恵那が関わった話なのでしょうか?
早々に本題に入って欲しいものですが、三上さんは無造作に伸びたくせ毛を掻きむしりながらため息を吐きます。
「やー。やっぱ恵那ちゃん美人だわ。ダンジョンに引きこもりがちなお前に愛想尽かしたらさぁ、俺が貰ってやろうかと思ってたのによォ。ちくしょう、愛されてんな」
「……何の話ですか」
「知ってるか?柊 恵那ってすげーモテてたんだぞ。あいつのことを狙ってた冒険者なんて1人とか2人とか、そんな枠組みに収まんなかったくらいだ。そんな恵那ちゃんをシレっと持っていくもんだから、お前だいぶ嫌われてたなァ」
「本題に入ってくださいよ。恵那がどうしたんですか」
三上さんが、わざと明るい方向に話題を持っていこうとしているのを感じ取りました。わざとらしい笑顔が、かえって私の不安を募らせます。
感付かれるところまで、当然織り込み済みなのでしょうね。
途端に真剣な表情を作った三上さんは、胸ポケットに手を突っ込みました。
しかし、胸ポケットの中身を取り出すでもなく、話を続けます。
「……田中 恵那ちゃんさ。ギルドに来た後、1人で洞窟型のダンジョンに潜ったらしいんだよ。職員が記録に残してた」
「っ、1人で……!?」
「まー、恵那ちゃんだって元々ソロの冒険者だったし。田中ちゃんの前例があるとは言え、強く止めることが出来なかったみたいでなァ……」
「……それで?」
そこまで話したところで、三上さんは空を仰ぎました。
覚悟を決めるように深呼吸して、それから言葉を続けます。
「でな、その恵那ちゃんが1人で潜ったダンジョンが……崩落、した……らしい」
「……え」
あれ?
突然耳が遠くなったみたいです。やっぱり聴覚は中年のままなのでしょうか?
三上さんの言っている言葉の内容が理解できなくなりました。
「目撃者も居ねえ。勤務の都合もあって、潜っていたのは恵那ちゃん1人だけだったからな」
「……」
「そりゃ大捜索よ。人の命が掛かってんだ……んで、見つけたのがこれ」
そして、ようやく三上さんは胸ポケットの中からあるものを取り出しました。
「……嘘」
それは、一枚の冒険者証でした。
冒険者証とは、冒険者であることを証明する為に作られた、ネームタグの後発品です。
それは、ダンジョンで命を落とした冒険者の死を証明する唯一のアイテムでした。
かつてダンジョン内で集めて回っていたものですから、それが意味することを瞬時に理解しました。
いや、理解してしまいました。
三上さんは大きくため息を吐き、それから愁いを帯びた声で呟きます。
「……なァ、田中ちゃんさぁ。俺言ったよな、冒険者の死亡手続きすんのが一番嫌だってよ?」
「……はい」
「俺さ、どうすりゃ良いんだ?この冒険者証が意味する内容、分かるよな?」
「……分かりません……分かりたく、ありません」
私は現実を認めたくなくて、首を横に振ります。
さすがにこれ以上話をするのは酷だと判断したのでしょう。三上さんは麻衣ちゃんの肩をポンと叩きました。
「花宮、点滴だけ繋ぎ変えたらそのまま部屋を出ろ。今はそっとしといてやれ」
「……分かりました。田中さん……点滴、変えますね」
「本当は、もう少し状態が安定してから言うつもりだったんだけどな……」
花宮さんはそう告げて、どこかよそよそしい態度でさっさと点滴を繋ぎ変えていきました。
交換された点滴の中には、まだかすかに液体が残っていました。点滴を繋ぐ為だけに再度訪室する、という状況を作らないことを優先したようですね。
点滴が問題なく繋がっていることを確認してから、麻衣ちゃんは「失礼します」と足早に部屋から立ち去りました。
残されたのは、私一人だけ。
テーブルの上には、一枚の冒険者証が残されていました。
夢で琴男が話した内容が、思い出されます。
——お前を田中 琴男って証明するものはなんだ?その中身以外で、客観的にお前を証明できるものはあるか?
「……証明」
まるで、私を構成する欠片が零れ落ちてしまったような気持ちです。
紛れもなく、田中 恵那——元妻は、私を構成する要素の大部分を占めていました。
彼女の存在が、私が田中 琴男であることを手放さない理由となっていたはずなんです。
きっと、またいつか。胸を張って再会するんだって、そう願っていたはずでした。
いや、再会はしましたね。
「……恵那。なあ、お前……何やってるんだよ」
この身体になってから、初めての男性口調でした。
初めて出会った頃の——冒険者になりたての記憶が思い出されます。
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柊 恵那。
彼女は、私が冒険者になった翌年に新人の冒険者としてギルドに加入した女性でした。
毅然とした立ち振る舞いに、整った顔立ち。まるでモデルを彷彿とさせる立ち姿は、多くの男性冒険者を魅了しました。
三上さんも言っていた通り、彼女はあらゆる男性の目を引く冒険者でした。
ですが、私からすれば目を引いたのはその類稀なる才覚ですね。数多もの魔物の軍勢を前にしてなお、優れた剣術を以て魔物を屠る姿はカッコよかったです。
もはや誰も口出しすることのできないレベルで完璧であった彼女は、いくつものパーティから勧誘を受けていました。
しかし恵那はその全ての勧誘を「興味が無い」と一蹴。私と同様にソロである道を選んだんです。
そんな彼女と出会ったのは、確か23歳の頃でした。
ちょうど、尊敬していた先輩を喪った頃ですね。当時の私は、もはや自分の命すらどうでもよくなっていました。
ガラの悪い冒険者だった私に、常に寄り添ってくれた先輩。彼を喪ったことから私はもはや自暴自棄になっていました。
もはやダンジョンに潜っていない日の方が珍しかったかもしれません。
ホームセンターなどで適当に物資を購入し、それを”アイテムボックス”に格納してはダンジョンに籠り続ける日々。それをずっと繰り返していました。
私生活に給料を割かないものですから、皮肉にもお金だけはたくさん残っていたんですよね。
そんな生活を繰り返している中で、私は恵那と出会いました。
雑に魔物を屠っては、心臓があった場所に形成される魔石をくりぬく。
もはや作業じみた流れを繰り返している中で、巨大なドラゴンと対峙している恵那を見つけたのがきっかけでした。
「——くっ……」
最下層から逃げ出すように降りてきたドラゴンと邂逅したのでしょう。当時さほどレベルが高くなかった恵那は冷や汗をかきながら、ドラゴンと敵対していました。
ドラゴンとの対面経験がほとんどないであろう恵那は、その脅威に完全に怯え切っていたんですね。
ですが、そんな窮地に割り入ったのが私でした。
「……はっ、ドラゴン如きに怯えてんのなら帰れよ」
今だからこそ理解できるのですが、ずっとダンジョンにこもりっきりだった私は相当にレベルが高かったみたいです。
ドラゴンをいとも容易く屠ってみせた私に、恵那は困惑の表情を浮かべました。
「へぁ……えっ……?」
「……何してんのお前?情けねぇな」
「っ、それは……いや。助けてくれてありがとう」
一端の男性であれば、その感謝の言葉に嬉々として喜んでいたところでしょう。
ですが、当時の私は相当に捻くれていたものですから、興味を持とうとも思いませんでした。
雑にドラゴンの魔石をくり抜いて、恵那に放り投げました。
「ほらよ、ドラゴンの魔石くらいならやるよ。男で遊ぶ金くらいにはなるだろ」
「……っ、私はそんな……あっ、待って……っ!」
当時は柊 恵那という名前すら知りませんでしたし、興味もありませんでした。
どうせ、美人な見た目にかまけてちやほやされに来ただけだ、そう自己完結して知ろうともしませんでした。
まあ異性に興味すら持っていなかっただけなんですけどね。
もう二度と会うこともない。
そう割り切って、ずっとダンジョンに籠っていた時ですね。彼女と再会したのは。
洞窟型のダンジョンに潜り込んでいる最中、彼女は静かに私の傍に歩み寄ってきたんです。
「……やっと、見つけたわ」
「あ?誰」
「知らない?柊 恵那という冒険者を。有名なのに」
「はっ、顔だけの冒険者様か。別に興味もねえよ、つか俺の邪魔すんな」
……思い返せば、ずいぶんな口振りですね。過去の私って。
ダンジョンのこと以外には一切興味もなかったので、他の冒険者に関心を向けようと思いませんでした。
他人と壁を作っていた当時の私でしたが、恵那は決してあきらめませんでした。
少しでも自分から壁の中に入り込もうと、懸命に歩み寄ってくれたんです。
「田中 琴男」
「……あ?俺、名乗ったか?」
「あなたも大概、有名人ね。ダンジョンに延々と潜り続けてる狂人だって噂だけど」
「はぁ、そんなこと言いに来たのかよ。何?有名人のご尊顔でも拝みに来たって訳?物好きかよ」
「そうね、物好きかもしれないわ。あなたという存在に興味があるもの」
ぞんざいな扱いで追い返そうとしたのに、それでも諦めずに付きまとうんですよ。
私も大概ですが、変わり者だと思います。
「……あっそ。興味持ったとしても何にも出ねーよ。あっち行け」
「照れてるわね。案外単純なのかしら」
「うるさいなぁ!?ほら、ボスモンスターの部屋行きてーんだからどっか行け!!」
「あら、じゃあ私もお邪魔していいかしら?」
「良いわけねぇだろ!?」
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彼女は、ダンジョン崩落の瞬間……何を思ったのでしょうか。
強張った身体を無理矢理動かし、その冒険者証を胸元に手繰り寄せます。
「……はは」
私は、女性の身体になり。
妻である恵那は、物言わぬ金属に変わり果てました。
田中 琴男夫妻は、跡形もなく消滅してしまいました。
文字通り、その痕跡さえ残すことなく。
ダンジョン内に生み出された、雷ゴブリンという突然変異種。
そして、知らされた元妻——恵那の死。
……もはや、魔法使い研修どころではなくなってしまいましたね。
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「……琴男。また、あなたのところに会いに行くわ。どうせあなたのことだから、ろくな生活してないんでしょうけど、ね」




