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第55話 ネームタグ

「……ん……」

 目を覚ましたのは、ダンジョンの中ではありませんでした。

 全身を取り巻いていたはずの激痛はどこへやら、と言った様子ですね。


 ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡してみます。


「ここは……夢の……?」


 そこは以前夢の中で見た、真っ白な部屋の中でした。


 うっすらと影が見えることから、壁面という区切りは存在するようですね。

 以前と同様に、私は壁に沿って歩みを進めようとしました。


 ですが、その必要はありませんでした。


「よう、女の子の生活を堪能してるようで何よりだ」

「……久しぶり。随分と楽しそうだね」


 やはりというか、男性時代の私——田中 琴男でした。とりあえず、存在を区別する為に彼を琴男と呼びましょう。

 琴男は相も変わらず気だるげな表情を浮かべ、私を睨みつけてきます。


「はっ、客観的に見てる分には面白ぇよ。男性として生きてきたお前が、今や情けなくも女の子として振る舞ってんだ」

「悪趣味だね?」

「ま、俺とお前はもはや他人だからな。飽きはしねぇな」

「……他人……?」


 何気なく言った琴男の言葉が、ずきりと胸の奥に刺さります。

 

 他人。

 否定しないといけないはずなのに、上手く言葉を返すことが出来ませんでした。

 でも、それでも否定しないといけません。

 

「……他人、なんかじゃない。私と、君は同一人物だよ」

「はー、強情だねぇ。考えても見ろよ、戸籍上で田中 琴男は実質死んだようなものだ」

「……7年以内に、元の姿に戻れば……田中 琴男は存在できる……から」

「戻らねえよ、認めろ。お前は田中 琴だ」


 7年。

 それは、行方不明者が事実上の死亡として扱われる期限です。

 本来の姿である田中 琴男は、現在行方不明者として扱われています。そして、その代わりの存在として田中 琴は存在しているに過ぎません。

 そして、その事実を知る者は非常に限られています。

 

「……違う。私は、田中 琴……男です……」

 

 認めたくありません。

 首を強く横に振って、彼の言葉を否定しました。

 ですが、琴男は徐々に気だるげな表情のまま眉をひそめます。それから、明後日の方向へと視線を送りつつも皮肉の言葉を零しました。


「はっ。7年もありゃ、お前は女の子の生活を受け入れるだろうさ。もう、7年と言わずにとっとと現実を受け入れた方が良い」

「……なんで、そんなことが言い切れるの」


 どうして、過去の私というのはひねくれた考え方をしているのでしょうね。

 私、こんな性根が腐っていたんですか?

 そんな私の胸中をよそに、琴男はどこか懐かしむような表情と共に天を仰ぎました。その天井すら、真っ白な材質で覆われています。


「自分自身がどう思うか、でお前が成り立つ訳じゃねえ。相手がどう認識するか、でお前は存在するんだよ」

「……どういうこと?」


 自分自身の言葉であるはずなのに、理解が出来ません。

 そう言葉を促すと、琴男は苛立ったようにため息を吐きました。それから、視線を壁際に向けてぽつりと呟きます。


「……“アイテムボックス”」

「えっ」


 それは、私が以前夢の中で発動させることが出来なかったはずの“アイテムボックス”でした。

 

 「今回はできるのかも」と思い、彼を真似るように私も”アイテムボックス”の顕現を試みます。

 しかし、私にはなぜか”アイテムボックス”を発動することは叶いませんでした。明晰夢だというのに、どうも私に都合の悪い夢ですね。


 そんなことをしている間にも、不安定に歪み、狂う空間の中に琴男は無造作に手を突っ込みます。

 乱暴に突っ込んだ手から取り出されたのは、いくつものネームタグでした。

 琴男は、無造作に私の足元にネームタグを放り投げます。魔法金属で作られたそれは、錆ついて銅色に変色していました。

 

「ほらよ。お前ならこれの意味、分かるだろ」

「これは……ダンジョンで倒れた冒険者の……」


 かつて、私がダンジョンに潜っていた時に集めていたものですね。昔の私は”アイテムボックス”の中にゴブリンの死骸ではなく、ネームタグを詰め込んでいました。

 琴男が放り投げたネームタグを拾い上げれば、登録番号と登録日が記載されています。

 これを全日本冒険者協会内でデータ照合すれば、登録された冒険者が特定できる、という仕組みですね。


 ネームタグのひとつを拾い上げつつも、琴男へと視線を送ります。すると彼は嘲るような視線を浮かべ、私へと視線を送りました。

 

「な?普通の奴らはこれに意味を見出せねえ。同業者だから、これが冒険者のネームタグだって理解できる。死んだ奴らを弔うことだって出来る」

「……」

「それに対して、田中 琴。お前を田中 琴男だと証明するものはなんだ?その中身以外で、客観的にお前を証明できるものはあるか?」

「そ、それは……」

「16歳の神童冒険者、土屋 由愛だけじゃねえ。今や元後輩の花宮 麻衣すら、お前を女性として認識しているだろ?」

「……私は……」


 もはや、何も言い返せません。

 思い返せば、この研修中。私はほとんどの時間を田中 琴として過ごしました。

 田中 琴男と知っている麻衣ちゃんでさえ。私を「琴ちゃん」と親しんでくれていました。

 

 そこに、田中 琴男は存在したのでしょうか?


「……いるはず。存在する、よ……?私の中に、田中 琴男は」

 

 葛藤している間にも、琴男を(まと)うシルエットが、黒い(もや)に包まれていきます。

 

「はっ。まあ一度、考えてみるがいいさ。なあ、()()()()?」

「……っ。君まで、私を琴ちゃん呼ばわりするの……!?」

「当然だろ。周りがお前を女性だって認識している限り、お前は紛れもなく田中 琴だからな」


 最後に「じゃあな」と言い残し、琴男はその場から消え去ってしまいました。

 

 ふと、肩にかかった銀髪を触ってみます。細い髪質も持ったそれは、まるで絹のようにさらりと揺れました。

 私が田中 琴男だと証明する存在——。

 そんな時、脳裏を1人の人物がよぎりました。

 

「……会いたいな。恵那……」


 元妻。田中 恵那です。

 彼女はいつだって、可憐で。“剣聖”の二つ名に相応しい毅然とした立ち振る舞いをしていました。

 

 ——琴男。あなたを、私に守らせて。


「……はは。守って欲しい、な……」


 ----

 ---

 --

 -


「……っ」


 全身を貫くような激痛と共に、ゆっくり目を覚ましました。

 目を覚ました先にあったのは、見慣れない天井……うーん?見慣れたような、見慣れないような、微妙な天井です。

 

 冒険者の定期健診で見たことがありますね。消毒液とか、ニトリル手袋のゴムの匂いとか、独特の匂いが辺りに漂っています。

 体を起こそうと思いましたが、身体が強張(こわば)って思うように動かせません。

 

 そんな時、私の頭元から声が響きました。


「よぉ、田中ちゃん」

「……ん、ん?えーっと……三上さん?」


 動かせる範囲で見渡してみれば、そこにはギルド人事部の三上さんが居ました。普段は意地汚そうな雰囲気を醸し出していますが、今は心配そうな表情を浮かべています。

 どうしてここに——、と尋ねようとしました。しかし、三上さんはそれを遮って質問を投げかけてきます。


「質問。今いる場所はどこだろうなぁ?」

「……えっと。魔法使い研修会場のダンジョン?……ということは……もしかして。会場内の医務室、ですか?」

「合ってる。じゃあ、今日の日付は」

「8月13日……?」

「まー1日がっつり寝てたから……ズレてんな。正確には8月14日な」

「……丸1日……」


 どうやら、雷ゴブリンとの戦闘で魔力をすべて使い切ってから倒れてしまっていたようです。そして、魔力枯渇症候群を併存する形で昏睡していた……と言ったところでしょうか?

 改めて周辺の景色に視線を向ければ、左腕から輸液ルートが繋がっているのが見えます。

 輸液本体には“マリキッド500ml”というこれまたファンタジー感の薄れる製剤名が記載されていました。恐らく、魔力を補充する目的で用いられる輸液でしょうね。


 外界から受ける情報を集めている間に、三上さんは私の全身状態に異常が無いか、いくつもの質問を続けます。


「じゃ、俺はいま指を何本立ててるでしょーか」

「……1本?」

「おっけ。じゃ、この指を目で追ってくれ。そう、そんな感じな。おっけおっけ、あんがとな」

 

 それから、「セクハラとか言うなよ」と前置きしてから、軽く布団をめくりました。

 布団がめくられた拍子に、冷房の風が入り込む感じがしました。突き抜けるような冷たさに身体がびくっとします。

 いつの間にか病衣に着替えさせられていたようですね。

 

 三上さんは足の指先を軽く触りました。


「ひゃっ……少し、くすぐったいです」

「うん、どっち触ってるか分かる?」

「右の……小指ですかね」

「そ、合ってる。まあ今のところ目立った異常はねえな」

「ありがとうございます」


 そう言って、三上さんはそっと布団を直しました。

 私の身体に後遺症が残ってないか、簡単に検査してくれていたみたいですね。


 まるでそのタイミングを見計らっていたかのように「失礼します」と扉がノックされました。


「どうぞ」


 私がそう返事すると、息を呑むような声が聞こえた後そっとスライド式の扉が開かれました。


「……田中大先生、目を覚ましたんですね。良かった……」


 そこには瞳を潤ませた麻衣ちゃんが居ました。

 研修中に羽織っていた魔法使いらしい装束ではなく、今は白衣に身を包んでいますね。似合ってますよ。

 

 彼女が持ってきたであろうワゴンにはパソコンと輸液製剤が乗せられています。

 私が何か言う前に、三上さんが立ち上がって麻衣ちゃんに話しかけました。


「花宮。とりあえず田中ちゃんの見当識が保たれてるのは確認した。あと、脳も異常はないと思うが……お前も一応確かめておけ」

「三上さん、ありがとうございます……あの。田中だ……さんには()()()はまだ……?」


 ……あの話?

 一体、何の話をしようとしているのか、尋ねようとしました。

 しかし、それよりも先に険しい表情を浮かべた三上さんが話を遮りました。

 

「黙ってろ」

「……っ、す、すみません」

「好奇心の強い田中ちゃんが食いついちまうだろ、なあ?」


 そう言って、じろりと三上さんは私へと視線を向けました。

 口調自体はいつもの私をからかう時のそれなのですが、表情には微かに憐憫が滲んでいるのを感じ取れます。

 本当に、三上さんは私の考えていることがお見通しのようですね。


 麻衣ちゃんの言う“あの話”を聞かずには居られません。

 一体、彼女は何を知らされたのでしょうか。

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