第44話 魔力枯渇症候群
研修三日目の時間も同様に、ほぼ全てのMPを使い果たして終わりました。
麻衣ちゃんからは「絶対にっ、ポーション飲んでね!!」と強く念押しされ、ファンタジー感が終わっているポーションである“マリク500”を手渡されました。私そんなに信用ありませんか?
とりあえず、自室に戻るや否や、きちんと鍵を閉めました。
もう散々言われたので。これでも成長しているんですよ、私は。
偉いでしょ?褒めて。
しかし、魔法構築速度の減少というデバフ効果に抗う形で“炎弾”を発動させる……という練習はかなり効果的ですね。漠然としか理解できていなかった魔法構造式の形を改めて再認識せざるを得なくなりました。
「どうすれば魔法として構築できるのか?」という魔法様がお出しした命題に、的確に・迅速に答えを提出する。
そうすることで、魔法が私の想いに応えて“炎弾”となり発動することが可能となる。
そのプロセスを再確認できるので、練習方法としては効果的です。
身近な例えで言えば「耳が遠いおじいちゃんと、ゆっくりと大きな声で会話する」ようなものですね。
曖昧な魔法構築であれば十分な威力を維持できず、地面に転がってしまうので失敗も分かりやすいです。
ただ、今後の課題は。
「……ステータス・オープン」
冒険者証を手に取って、いつもの合言葉を唱えます。ここだけはファンタジー準拠で居てくれるのでありがたいです。
すると、幻惑魔法によって構築されたステータス画面が視界に映し出されました。
【田中 琴】
Lv:7
HP:68/68
MP:4/154
物理攻撃:36
物理防御:26
魔法攻撃:116
魔法防御:84
身体加速:48
さすがにもう見慣れましたが、やはりというか総MPが心許ないですね。
国民的RPG準拠で考えれば、長期戦は避けたい数値です。
しかし現実という物は残酷なもので、業務に励む以上長期戦は避けられそうにありません。ノルマもありますし。
レベルを上げて、総MPを向上させるか。
熟練度を上げて、消費MPを減少させるか。
この2択が、私に与えられた選択肢です。
まあ麻衣ちゃんの力を借りることが出来るのはこの研修中だけなので、現時点では後者の選択肢が最優先ですが。
現時点で“炎弾”を使った際の消費MPは5です。だから30発が限度です。
出来ることなら、消費MP2くらいまでは行きたいですね。レベルが上がれば、それだけ撃てる“炎弾”の数も増えますし。
それに、まだ一番試したい領域にはたどり着いていません。
ふと思い立ち、私は半ズボンのポケットに入れていたメモ帳を取り出しました。
「魔物ガイドブック」というタイトルが付けられたそのメモ帳には、私がダンジョンの中で観察してきた魔物の生態や、攻略方法。はたまたダンジョンの仕組みについてびっしりとメモを書き留めています。
大体2割くらいがゴブリンに関係することですが。
ちなみにver.15くらいです。歴代のメモ帳は“アイテムボックス”の中に投下しています。
……アイテムボックス内の“その他”の項目に該当する場所に、ですが。どこにやったっけ……。
「ちょっと、明日は出力を調整して……照準を……」
パラパラとメモ帳をめくりながら、物思いに耽ります。
しかし、だんだん眠くなってきました。文字を読んでいるはずなのに、頭に入ってきません。そろそろ活動限界、ですかね。
とりあえず室内の机の上に置いていた栄養バーを手に取り、もぞもぞと口に運びます。
口の中がぱさぱさになりました。
「……ねむい……」
食事を取ったことによって、どうやら血糖値が上がったみたいですね。ただでさえ眠い状態だったのに、更に眠気が増してきました。
もはや正常に頭を回すことすら出来ません。
あ……ポーション……飲んでな……。
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「……ん……?」
なんとなく、頭がぼーっとします。ここは……現実でしょうか?
気づけば、辺り一面真っ白な空間に閉じ込められていました。どこからどう見ても……先ほどまでいた、ダンジョン内の自室ではありません。
うっすらと壁面に影が出来ているので、どこまでも続く無限の空間……という訳ではないようです。
影が出来ている部分を壁と捉えると……おおよそ10m×10mほどの室内、ですね。学校の教室程の広さです。
ですが、その空間には何もありません。
恐らく光源はあるのでしょうが、どこから光が差し込んでいるかさえ分かりません。
「……どこですか、ここは……研修会場、ではないのですか?」
なんとなく込み上げる不安を押し殺し、その何もない空間を進むことにしました。
今までは支えてくれる誰かがいたのですが、この場には私しかいないようです。
こんなに、1人って寂しいものだったんですね。
「私って、感覚麻痺しちゃってたんですかね……?」
過去の私は……1人でいることに、どうやら慣れてしまっていたらしいです。
今となっては、かなり心細いです。
辺りを散策してみますが、当然かのように何もありません。
現実のようで、現実ではない世界が広がっています。
……現実ではない、ということは。
「……夢?」
どうやら、これは明晰夢のようですね。
初めて体験したものですから、どう行動するのが正解か分かりません。オープンワールドの初期位置に説明も無しに放り出された気分です。
ですが採取するものも無ければ、“調べる”ことが出来るものもありません。
とりあえず壁と思われる位置に手を這わせて、静かに外周を歩いてみます。
しばらく外周に沿って移動していると、何もなかった空間に黒い靄が現れました。
私はその正体不明の靄に身構えて、“アイテムボックス”の発動を試みます。
ですが。
「……出ない」
“アイテムボックス”が発動することはありませんでした。
どうして、明晰夢の中で不安にならなければいけないのでしょう。
正直嫌な予感しかしませんが、その靄に近づいてみます。
遠くから見ている分には、ぐちゃぐちゃに子供が塗りつぶしたような黒い靄のままでした。
しかし距離が近づくにつれて、それは人型のそれに変化します。
それは、私がよく知る人物でした。
それは、最も身近な人物でした。
「……お前か。随分と楽しそうだな、なあ?」
——それは、過去の私でした。
ロクに整えていない無造作に伸びきった髪から覗く、気だるげな瞳。その射貫くような眼光は、明確に私を敵として見ているようです。
冒険者になりたての頃の私……でしょうね。
ですが過去の私となれば、もはや遠慮はいらないでしょう。
「別に、楽しくなんてないけどねえ?不便なことが多くって、多くって……」
「嘘だな。田中 琴男は死んだ……今のお前は、田中 琴だ」
「……何が言いたいの?」
あー……麻衣ちゃんと言い、由愛ちゃんと言い。ここ数日は女の子の口調で会話していたのが仇となりましたね。女性口調で言葉を返してしまいました。
すると目の前の田中 琴男は、馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべます。
「ずいぶんと、女の子らしくなったじゃねえか。いっそ認めて楽になれば良い。過去なんか全部捨て去って、な」
「そんな簡単に……過去を捨て去れる訳ないでしょ?過去があるから、今の私があるのに」
田中 琴男は私の言葉に「はっ」と小馬鹿にしたように、鼻で笑いました。
なんか嫌な男ですね。これが過去の私なんて信じたくありません。
「そうだな、47年……お前は俺、田中 琴男として生きてきた。ずっとソロの冒険者として、な?」
「……それは……うん。それは、事実だよ」
「強情で、純粋で、無知で。ただ外見が中年男性だったから、放置されていた存在だった。なあ、今のお前はずいぶんと恵まれてるよなぁ?」
「……っ、そ、それは……」
返す言葉もなく、言葉に詰まっている最中でした。
「情けねー。ロクに言葉も返せねえか」
そう告げる若き頃の田中 琴男のシルエットが、徐々に歪んでいきます。
薄暗い靄が再び田中 琴男を包み込み……次に映し出されたのは、中年男性の姿をした田中 琴男でした。
“女性化の呪い”によって、今の姿になる直前の私です。
「田中 琴さん……あなたは、今。幸せですか」
「……」
鋭い眼光はそのままに、全体的に痩せこけてしまった中年男性――田中 琴男がそこには居ました。
何度、怪しげな男性が居るとして職務質問を受けたのか分からないですね。
まだ3か月しか経っていないというのに、もはや遠い過去のように感じます。
中年男性の田中 琴男は穏やかな笑みをたたえています。ですが、その笑みにはどこか寂しさの籠った感情が滲み出ていました。
「幸せなら……それで良いんですよ。若い女性の姿になって、新たな人生を歩むことが出来る。あなたにはその権限がある」
「……でも、私は……忘れちゃ、ダメだから」
「そうですね。過去は一生、付きまとうでしょう。その猶予は、若返ったことによって、更に伸びるでしょうね」
「うん……」
ふと、自分が抱えた過去を思い返そうとしました。
ですが、何故か靄がかかったように……、本当に他人ごとになってしまったかのように、掠れては消えてしまうのです。
ずっと尊敬していた先輩のこととか。
田中 琴男時代から抱えている後悔とか。
忘れちゃいけないことは、沢山あるはずなのに。
「……あれ。私……」
「今の環境を受け入れて生きるのも、悪くはないですよ。あなたにはそれが、許されますから……それでは」
「えっ、まっ、待って……!」
慌てて制止しようとしました。ですが、伸ばした手は届かない。
過去の私は靄を残して、虚空に溶けて消えていきました。
残ったのは、銀髪の少女となった私だけです。
「……私は……」
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「……う、うぅ……なんで……」
まるで、頭を押さえつけられているかのような頭重感と共に目を覚ましました。
頭がぼーっとして、ふわふわします。
完全に“魔力枯渇症候群”を再燃していますね。ポーションを飲まなくてはいけないのですが、頭がきちんと回りません。
「う、のま、ないと……だめ……だめなの……に……」
脳内が麻痺したような感覚です。ぱちぱちと、電流が走って気持ち悪いです。
よろよろと体を起こし、ポーションを手に取ろうとしました。ですが、身体をロクに動かせそうにありません。べしゃりと崩れ落ちてしまいます。
「う、うぅ……おこして……だれか、だれかぁ……」
ものすごく悲しい気持ちになってきました。
そんな私に、更に夢で聞いた内容が思い出されます。
——なあ、今のお前は随分と恵まれてるよなぁ?
「ちがう、ちがいます……」
認めてはいけない気がします。認めると、私の中にいる田中 琴男が完全に消滅してしまう気がします。
今までは、自分一人で困難を超える力だってありました。今だってきっと、力を蓄えれば自分一人で困難を打開できるはずなんです。
無力を認めたくなくて、重い身体に鞭打ってポーションを手に取ろうとしました。
ですが、身体が思う様に動きません。
そんな時でした。
「琴ちゃんっ、おはよう!お、今日は鍵掛けてるね、偉いぞっ!」
「……ゆあちゃん……」
由愛ちゃんが機嫌良さそうに、扉をノックしているのが聞こえます。
彼女が来てくれたことに思わずほっとします。しかしそんな自分を自覚して、更に悲しい気持ちになりました。
情けないです。
辛いです。
……でも、寄り添って欲しいです。
「……う、うぅ……ゆあちゃーんっ……」
「……ん?ちょっと。ねえ、琴ちゃん……ポーション、飲んだ?」
あっ、これ。
もしかして、すぐに見抜かれたかもしれません。
その推測を証明するかのように、由愛ちゃんは更に強く扉をノックします。ガチャガチャと激しく扉を揺らしてきました。
「ねえ!琴ちゃん!ドア開けてっ!」
「んぅー……あける……あけるー……」
「あっ、飲んでないなこれ!?ダメダメじゃん琴ちゃん!!あーーーーもうっ、バカ!!」
そう叫んでから、由愛ちゃんはバタバタと小走りで部屋から離れていったようです。
うーん……申し訳ないです、いつもいつも。
しばらくしてから、由愛ちゃんは麻衣ちゃんを連れてきたみたいです。
麻衣ちゃんは扉の前で、軽くノックしてから話しかけてきました。
「……あの。琴ちゃん、馬鹿なの?」
「馬鹿じゃ、ない……ですー……うぅ」
「もう、次から手渡した時点で飲んでくださいねぇ……」
そうため息を吐かれた後、麻衣ちゃんはマスターキーを差し込んだようです。
がちゃりと扉が開くと同時に、由愛ちゃんが小走りで私に抱き着いてきました。
「もーっ、琴ちゃん!何で変なところだけ学習したの!?全部学習しよ!?」
「ん、うぅ……由愛ちゃん……」
なんだか……安心感と、悲しさと、寂しさと、色々な感情がぐちゃぐちゃになって混ざり合います。
“魔力枯渇症候群”の影響で、ロクに感情がコントロールできません。
結局、私も由愛ちゃんに抱き着き返しました。
「う、あ、ぁぁ……あ」
ぽろぽろと涙が零れてきます。遂に抑えきれなくなった感情が涙になって、溢れていきます。
感情の奔流は、美味しくないポーションを強制的に飲まされるまで止まりませんでした。
あの。ポーションに味とか付けてもらえませんか。
せめてイチゴ味とか。
……でも、薬剤の味がかえって強まりそうだから、それもそれで嫌ですね。やっぱりいいです。
「琴ちゃん。もう今日から……私も一緒の部屋にする」
「えっちょっと……それは勘弁してほしいかな」
「研修4日目で2回も。“魔力枯渇症候群”を引き起こしてる琴ちゃんに、拒否権はないよ」
「……ごめんなさい」
なんというか、嫌な夢は見ますし。
本当にロクなことがないですね。魔力枯渇症候群というのは。
はーやれやれ。




