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第183話 誓いの言葉

「少しだけ、外に出てくるよ」

「あら、こんな夜遅くにかしら。明日にしないの?」


 そう皆に告げると、恵那斗は心配そうに眉をひそめて問いかけてきました。

 確かに外の景色へと視線を送れば既に日は暮れ、藍色の空が微かに姿を覗かせています。冬も近いということで、外の明かりが消えるのも早いですね。

 光源に関しても限りがあり、この宿泊施設の周り以外には何もありません。少し森の奥に足を運べば、あっという間に迷子となってしまいそうです。


 ですけど、なんとなく。

 少しだけ黄昏れる時間が欲しかったんです。


 不安げな表情を浮かべた恵那斗。

 しばらくの逡巡の後、観念したように立ち上がりました。


「……分かったわよ、どうせ琴は言っても聞かないんでしょう? 私も付いていくわ」

「助かるよ」


 恵那斗が付いてきてくれるのなら心強いですね。

 ですが、どこかその表情に陰りが見えている気がしないでもありません。何というか、思い詰めたような顔色が微かに滲んでいる気がします。


 最近は色々な情報が重なって混乱していますし。外の風を浴びるついでに、状況の整理もしておきたいですね。


「それじゃあ、少しだけ行ってきますっ」


 私は宿泊施設に残った皆にそう声をかけて、玄関口に雑に並べた靴の中から自分のスニーカーを見つけました。軽く靴底を叩き、すっぽりと踵を入れ込んでから施設を後にします。

 

 やはりというか、宿泊施設周辺は風化してひび割れたアスファルトの囲いが出来ています。ですが、一度アスファルトの外に出ればそこはほとんど整備のされていない大自然。

 木々が互いに栄養を奪い合い、蔦が絡み合い。大自然の競争というのにふさわしい状況が出来上がっていました。


 さすがにダンジョン周辺の雑草は刈り取られていますけどね。

 環境整備を怠ってたら全日本冒険者協会としてのありようを疑いますよ。麻衣ちゃんが悪いわけではないんですけど。

 

 まあ、環境に納得がいかなかったら、魔石を使って“琴ちゃんキャノン”で辺り一帯を更地にすればいいだけです。……駄目か。えへへ。

 私の魔法攻撃も300を超えたところなので、屋外で“琴ちゃんキャノン”を使えば軽くテロになりますね。力を得るとかえって動きづらくなるというのは辛いです。


 さすがに光の届かないところに行くわけにはいきません。

 と言っても、あまり遠出する気も無いんですよね。


「……」

 

 なんというのでしょうか。

 色々と考えることが多くて、研修に集中できていない気がします。


 そんな私の胸中などとっくに見抜いているでしょうね。

 恵那斗はぽつりと私の隣に並んで話しかけてきました。


「琴、今度は何を隠しているの?」

「ん……恵那斗」


 私は彼の名前を呼びました。や、まあ厳密には恵那斗ではないんですけど。本名は恵那です。男性化の呪いがややこしくしちゃっています。

 彼は腰に手を当てながら、優しく声をかけてきました。


「30年の付き合いだわ。あなたの表情の変化なんて、とっくに理解してる」

「……気のせいだよ」

「とぼけないで。いつだってあなたは楽観的な表情を作って、内に秘めた辛い思いを隠し込む」

「……」

「相手に心配されないように、自分を助ける為に誰も時間を割かなくていいように」

「……はは、恵那斗には敵わないや……」


 痛いところを突かれました。

 恵那斗の言う通りですよ。


 というよりも、私自身も「それが当たり前」だと思って、自覚さえしていなかったところです。


 ダンジョンという存在が日常を破壊した、通称“異災”。それが起きた後……ううん、起きる前から。私は自分を隠すことが得意でした。

 表情を見られたくなかったので、敢えて光に背を向けました。それからアスファルトの段差になっているところに腰掛けます。ズボンに土がつきますが……今は気にしません。


 うん、やっぱり駄目ですね。

 年齢を重ねると、感情を隠すことだけは上手くなっちゃうんです。

 好奇心の殻に色んなものを隠しましたよ。


 空は、既に夜を知らせていました。

 私はそんな夜空を見上げながら、少しずつ……自分の抱えていた想いを言語化していきます。

 

「私ね。ずっと漠然と考えてた……自分って何だろうって」

「……そう」


 そう語り出したものですから、恵那斗は長い話になることを悟ったのでしょう。私の隣に静かに腰掛けました。

 私の目を見るでもなく、ただ遠くを見ています。

 

 意識的に聞く姿勢を作らない。あえて私の独り言というスタンスを作ってくれる。

 そんな行動の機微に滲んだ恵那斗の優しさに、どこか心が温まる思いでした。

 溢れ出る行動への感謝は、私の独白という形で返します。


「“女性化の呪い”で、私はこの身体になった……って思ってた」

「思ってた……ね」

「うん。本当は違ったんだ、この身体は私のものじゃない。その証明となる存在だって、居るでしょ?」


 この今、何かを考えている肉体は私のものではありません。メタトロンのものです。

 そして、本当の肉体は……別の自我を持ち、宿泊施設に留まっています。私と言葉を交わしています。


 考えてこなかった訳ではありません。ですが、あえて意識していなかっただけです。

 一度意識を向けてしまえば、ドツボにハマることは分かっていたんです。


 ですけど……少しずつ、記憶の断片が見えてきています。

 もう、逃げることが出来なくなったんです。


 メタルスライムは逃げ出すことが許されているというのにですよ。

 私の思考は常に「回り込まれた」です。

 逃げても現実は追ってきます。辛いこと、苦しいことが、現実という牙になって襲い掛かってくるんですよ。


 ……やっぱり、敵は現実だけです。

 

「恵那斗には先に言っておくね」

「……どうしたのかしら?」

「私ね、レベルが上がった時かな。誰かの思考が入り込んでくるような感覚を味わった」

「……誰かの、思考……」

「異世界の産物、という言葉は本物だね。レベルが上がるにつれて、身体に残った記憶が引っ張り出されてるんだ」


 私はそのまま膝を抱え、蹲る姿勢を取りました。

 なんとなく背中を丸めることによって、守られているような気分になります。

 そのまま膝に身体を預けると、長い髪が重力に沿って流れます。絹のように細やかな銀髪が顔を隠します。

 

 田中 琴は世界にとって、一旦何なのでしょう。

 私は、ずっと……私で居られるのでしょうか。


「もし、この身体に残った記憶が全部引き出された時……私の自我はどうなるんだろう」

「……」

「私はね、気付きは一つの“死”だと思っているの」

「死……」


 恵那斗は静かにその言葉を反芻しました。

 もしかしたら直接恵那斗に言ったかもしれないですし、言っていないかもしれません。

 ですが、大事な言葉なので。改めて、語っておきたいと思います。


「気付かなかった自分が死に、気付いた自分が生まれる。そして、気付かなかった頃の自分には……もう、戻れない」

「……なるほど。確かに、そういう意味では……琴の言う通りかもね」

「本物の琴男はね、真相を知ることになるって言ってた。その場では強がって誤魔化したけど……恵那斗に指摘されちゃうと駄目だね、弱いや。私」

「……そう」

「私……やっぱり、怖い。私が消えること、じゃない。私が……皆のことを認識できなくなるかもしれないのが……」


 メタトロンの記憶が全て引き出された時。

 

 私は田中 琴なのでしょうか。

 それとも、メタトロンなのでしょうか。


 これまでこの田中 琴という存在で積み重ねてきた交流。

 それら全てが黒く塗りつぶされるようなことがあってはいけません。


 ……大切なんです。

 ずっと、私の隣にいてくれる皆のことが。


 失いたくない。

 けれど、強くならないといけません。


「ジレンマだよ。レベルを上げたい、けれど。上げたら、私じゃなくなるかもしれない……」

「琴……」


 気づけば、頬を温かいものが伝っていることに気付きました。ズボンの布地に、灰色のシミが重なりました。

 私はそれに気づかないふりをして、言葉を紡ぎます。


「何が正しくて、何が間違っているんだろう。私……っ」

「ねえ、琴」

「恵那斗ぉ……私、どうしたらいいのぉ……」


 縋りたくなって、私は恵那斗に身体を預けます。

 逞しい直線状の肉体が壁となり、私の華奢な体を受け止めてくれます。私より微かに体温の低い、どこか安心感のある身体が私を守ってくれました。


 恵那斗は私の頭を優しく撫でてくれました。その動きに連なって、櫛通りの良い髪が静かに揺れます。

 それから、恵那斗は静かに口を開きました。


「琴」

「んぇ……なぁに……」

「私達はいかなる時も、夫婦二人の時間を大切にします」

「……!」

「私達はいかなる時も嘘、偽りなく誠実であります」

「……それは」


 恵那斗が紡いだのは、誓いの言葉でした。


 思えば、まともな結婚式もロクに挙げませんでしたね。元々も知り合いも両親も居ない私でしたから、結婚式を挙げたところで虚しいだけだって。

 結婚届を書いて終わり。淡白な婚姻関係でした。

 

 ですが、それでも……夫婦だったんです。

 長い月日を寄り添った、夫婦なんです。


 恵那斗はずっと告げることのなかった、誓いの言葉を。

 今、静かに語り出しました。


「いかなる時も、支え合いながら……生涯を共にします」

「……」


 そこで言葉を区切った恵那斗は、柔らかな笑みを向けてきました。

 もはや誤魔化しの効かない真っ直ぐな瞳が、私を捉えて逃がしません。


「安心して、琴。私達は夫婦よ。あなたを支えるのが私の役目だもの。それだけは変わらないわ、絶対に」

「本当に、恵那斗には……敵わないな」


 それから、恵那斗は私の目元に掛かった髪を優しく払いました。まるでヴェール代わりです。

 私は涙に濡れた目で、じっと恵那斗を見つめました。


 ……逃げ出すわけにはいきませんね。

 恵那斗がずっと向き合ってくれているんです。

 

 私だって、もう。

 誤魔化すわけにはいきません。


「私だって、誓うよ。辛い時は辛いって言う。助けてほしい時は助けてって言う。だから、恵那斗……ずっと一緒に居て」

「当たり前じゃない。苗字が変わった時から、覚悟なんて決まっているわ」

「……えへへ」


 心が温まりますね。

 私は心の底から込み上げる温かさを抱きしめるように。


「……ん」

「——っ」


 静かに、その唇を重ね合わせました。

 

 ……人間でした。

 誰よりも、この世界の中で。

 ああ、こんな弾力なんだ、とか。吐息が漏れたな、とか。ちょっと身体が強張ったな、とか。

 全てが見透かされるような感覚でしたが、悪い気はしなかったです。



 ☆



「……研修会場でやることじゃねぇだろ」


 宿泊施設へと繋がる階段に腰を掛けた琴男は、気だるそうな顔を浮かべながら頬杖をついていた。

 そんなまだまだ青さの滲んだ琴男に対し、儂――イナ……金山 米治は柔らかな笑みを向ける。


 思わず、祝福の感情が込み上げると共に尻尾が揺れるが……もはや、これは自身の意思ではコントロールが出来ない為に諦めている。

 尻尾も耳も、いわば生理的反応だ。今更気にしたところでどうすることも出来ないのだ。


「まぁ良いではないか。若人(わこうど)の特権じゃぞ」

「なぁーにが若人だよ。中身年齢考えたら昼ドラだろ」

「やめんか……そういう夢のないことを言うのは」


 儂は一度小さくため息を吐いてから、改めて琴男を見据えた。

 それから思考を切り替える。


「――のぅ」


 あえて意識を一点に集中させ、静かに殺気を放出させる。


 と言っても田中夫妻の空気を壊したくはないので、琴男のみに解き放つ形へと調整したが。


「……っ、な、なんだよ狐ジジイ」

「誰が狐ジジイじゃ阿呆。ちぃと田中夫妻の発言を聞いておって気になったのでな……のぅ」


 主語は明言しなかったが、曲がりなりにも連想力お化けだ。儂の言いたいことをすぐに理解したようで、琴男は苦笑を漏らす。


「……はぁ、馬鹿どもがよ」

「なに。ちぃと幼子の好奇心に付き()うてくれんかの?」


 軽く殺気で脅してやると、琴男は「わーったよ」と観念したようにため息を吐いた。

 その振る舞いを同意と取った儂は、静かに殺気を納める。

 

「言っておくが、俺も何となく分かるってだけだ。ただ、どうして俺が……魔王を解き放つのを防ごうとしてるのか、分かってくれると信じてるぜ」

「元より疑っておらんよ。お前さんはやる気が無いように見えて、抜け目ない男じゃからな」

「まぁ、それでやる気になってくれるなら。俺にとっても、メリットにはなるか」


 それぞれの信念の下。

 レベルアップ研修の初日は、夜を迎えた。



 ----



 ちなみに。


「私が資料を整理しているというのにあの人達は自由ですねぇ~~~~!? なんだか無性にお腹が空いた。琴ちゃんの段ボールからカップラーメン1つ貰っちゃお……お酒飲みたい、はあ……」


 1人山積みの資料に囲まれた花宮 麻衣は、半ギレの状態で仕事と向き合っていた。

 全日本冒険者協会本部の職員が抱える仕事量は、想像以上に多いらしい。

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