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第151話 度を超えた理解力

 田中 琴という人物を見ていると、人格に大きな影響を与えるのは「どれくらいの時間」「誰と関わって過ごしてきたか」という要素が関係しているのではないか、そう思ってしまう。

 彼女こそ、“女性化の呪い”に掛かった当初は、くたびれた47歳男性の風貌を纏っていたはずだ。

 

 自らが陥った状況よりも、日々の業務をこなすことを最優先とする、良くも悪くも社会人だった。

 だが月日が経つごとに、田中 琴の人格は大きく変化していった。


 それは、彼女を見る周りの視線が変わったことによる影響が大きいのではないか、私はそう考えている。


「……琴」


 私——恵那斗が想いを寄せるのは、変化した状況の中でずっと共に寄り添ってきた田中 琴だ。それは紛れもない事実である。

 だからこそ、突然現れた存在。かつての想い人としての姿で現れた田中 琴男に対して、どう心の清算を付けるべきか分からなくなっていた。


 私はつい目の前の現実から背けるように、自室へと籠ってしまった。

 琴が何やら深刻な表情をして、一人残ったかと思ってたらこの世の理を超越した存在を連れて帰ってきたことに対して、完全に理解することが出来なかったのだ。

 ……こういう時にイナリちゃんという反例については考えないようにしたい。あの子はまた別ケースだ。


 自分の知らないところで何が起きたのか、状況の整理が追い付かない。

 

 そんな時、自室の扉が軽くノックされる音が響く。

 

「恵那……入るぞ」

「……ええ」


 その声を響かせたのは、琴ではない。

 私が入室を受け入れると、まるで恐る恐ると言った様子で扉が開かれた。


 姿を覗かせたのは、かつての想い人である田中 琴男だ。

 無造作に伸びきった髪の毛と、その隙間から覗く気だるげな瞳が私を見据える。

 

 どういう訳か、彼は47歳の肉体ではなく、かつての懐かしい姿をしていた。もはや遠い思い出となったはずの、最盛期の姿で。

 彼はどこかばつが悪そうに視線を左右させて、居心地悪そうに突っ立っていた。


 入ったはいいものの、身の置きどころが分からないようだ。


 ……本当に、不器用な人だ。


「そこの椅子に座っていいわよ」

「あ、ああ。すまん」


 仕方なく私がそう許可すると、琴男はまるで壊れ物でも扱うかのように椅子に腰かけた。

 彼は私の顔を見ようとして、それでも何かから避けるように視線を逸らす、と言ったことを繰り返している。


 ——“女性化の呪い”に掛かる前の琴男、そのものだ。

 まるで向き合うことに恐れるかのように、私と目線などロクに合わせようとしなかった。結婚したことに対して後悔するようになったのも、そう言った逃げ腰の態度が垣間見えるようになったからだ。

 

 改めて、私は田中 琴男へと視線を送る。


 不思議なことに、かつて恋焦がれた頃の想いを、彼に見出すことは出来なかった。

 やはり私が想いを寄せるのは田中 琴——ただ一人なのだ。


 そう自覚した瞬間、自分のなすべきことが見えた気がした。

 私は琴の彼氏として振る舞うべきなのだと。

 

「琴男。あなたは一体、何者なのかしら?」


 おおよそ副詞の一切が抜けた質問であるが、彼にはこの問いかけで大丈夫だろう。

 彼が真に田中 琴男であるのなら、曖昧な質問であったとしても相応に求める回答を与えてくれるはずだから。


 そんな心の内に秘めた期待に応えるように、琴男は背筋を曲げて息を吐いた。まるでガスの抜けた風船のようにも見える。


「……“魔王”」

「魔王?」

「そうだ。それが、俺がこの世界に存在する理由らしい」


 それはあまりにも突拍子ない発言であった。

 魔王などという単語なんて、ゲームや小説など創作の類か、音楽の授業でしか聞いたことがない。

 冒険者という職業が普及する中で、魔王という存在が現れたことは一切ない。


 だが、琴男は嘘をつくような人物ではない。


「……」

 

 あえて話を促さず、じっと続く言葉を待つ。

 しばらく間を置くと、琴男は静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

「……魔物は、魔素が無いと活動することが出来ない」

「そうね。それは私達冒険者なら、誰もが知る事実ね」

「ああ。だからこそ、魔王は“魔素が無い環境下で自由に動ける素材”を探していたんだ」

「……」

「その素材として選ばれたのが……俺だ」


 さらりと告げられた真実に、思わず胸の奥がきゅっと締め付けられるような気分となった。

 私には琴ほどの理解力はない。

 

 だが、それでも。

 きっと、琴男にとっては望まれて生み出された存在ではない、ということは容易に想像できた。


 琴男は再びしばらくの静寂を置いた後、姿勢を正した。

 どこか泣きそうに潤んだ瞳で、じっと私を見つめる。


「……俺は、家庭を顧みなかった」

「そうね」

「だから、これは一つの天罰じゃないか、と考えている」

「天罰……」

「恵那、見てくれないか。これが、世界に起きようとしている異変の断片だ」


 そう言って琴男は、右手を眼前に持ち上げた。

 静寂の立ち込める室内で、彼は静かに指を鳴らした。無音の空間に、空気が弾ける音が鳴り響く。


 彼は、魔石を使っていない。

 それにも関わらず、何もない空間から”アイテムボックス”が形成された。


 ”アイテムボックス”の中から落ちてきたのは、おにぎりの包装だった。

 空気抵抗の影響を受けながら落下するそれを、琴男は静かに受け止める。


「……魔石、使っていないわよね」

「ああ。これが、“魔王の力”の断片だ。MP量の問題で、3~4回ほどで限界を迎えるがな」

「ダンジョン外で魔法を使えるのが、魔王の力の?」

「詳しくはまた後で説明する。琴の解説もあった方が、色々と手っ取り早いだろう」


 そう告げた後、琴男はおにぎりの包装を”アイテムボックス”に戻した。

 ……いや、戻さないでよ。捨てなさい。


 さらっと場の空気に任せてだらしないことをするのはやめなさい。高度な技術であるはずの“アイテムボックス”を自堕落の結晶みたいに扱ってはいけないわ。


 心の中でそうツッコみたかったが、既に“アイテムボックス”は閉じた後。

 琴男は遠い目をして、懺悔でもするように呟く。


「皮肉なもんだけどな。ダンジョンに籠り続けて、魔物を狩り続けた……というのは、良くも悪くも作用してるんだ」

「……何の話を?」

「ある程度気持ちの整理がついてからで良い。色々と説明しなければならないことがある」


 そこで言葉を切った琴男は、すくりと椅子から立ち上がった。

 部屋から出ようと、彼は静かに扉を開く。


 最後に、私へと振り返ってぽつりと呟いた。


「……今まで、悪かったな。琴を幸せにしてやってくれ」


 そう告げてから、彼は扉を閉じて部屋から姿を消した。

 完全に締まり切っていない扉が、外から吹き込む風によって微かに揺れる。


 私は揺れる扉を見やりながら、皮肉を込めて呟いた。


「本当に、身勝手ね。琴男は」


 自分の存在を“すでに終わった存在”と認識しているのが、非常に腹立たしい。

 何もかもを既に諦めたような顔をしているのが、納得がいかない。


 30年の想いを、“自分のせい”だと割り切って、蔑ろにしようとしているのが許せない。


 あくまでも彼は、ただの舞台装置で居ようとしているのだろう。

 自分の存在が誰かに影響を与えたくない。だけど他人は放っておけない。


 優しさと自暴自棄で揺れる存在。

 それが、田中 琴男という人物で。

 それこそが、私が惚れた姿だったのだから。


 ☆


 「俺に行かせてほしい」と言ってきた琴男が、2階にある恵那斗の部屋から降りてきました。

 ある程度のお話が終わったようです。どこか垢抜けたような、抜け殻のような、どちらとも取れる顔をしていました。


「恵那斗、大丈夫そう?」

「ん。ああ、さすがにすぐ理解できる方がおかしいだろ」

「私に対する厭味(いやみ)?」

「そのつもりだけどな」


 さらっと失礼なことを言いますね田中 琴男!!

 むかついたので一発ぶん殴ろうかと思いましたが、イナリちゃんに「やめんかっ」としがみつかれてしまいました。狐耳の幼子に免じてここは拳を納めましょう。何で最年長の外見が一番幼いのでしょう。現実的な年齢なのがこれまた……。


 しかし、勘が鋭いイナリちゃんでさえも目の前の状況には理解が追い付いていないようです。

 顎に手を当てて、神妙な表情で物思いに耽っていました。


「ふむ。琴男君がもう一人とな。ずいぶんと現実離れした現象じゃの」

「金山さんの見た目の方が不可解だろ。この尻尾本物か?」


 琴男はそう言いながら、イナリちゃんの尻尾を何のためらいもなく触り始めました。

 イナリちゃんは尻尾を触られて「んひゃっ」と可愛らしい悲鳴を漏らした後、ジロリとお兄ちゃんを睨みます。


「……尻尾にも神経が通っておるのじゃ。ずいぶんと無礼じゃの、お主も」

「わ、悪い」

「分かれば良い。まったく、お主も昔から変わらんの」


 イナリちゃんはむくれたように頬を膨らましながら、尻尾を大きく左右に揺らしました。

 琴男は申し訳なさそうに縮こまっていましたが、本気で怒った金山さんのこと忘れていませんか。

 気軽に殺気飛ばしてきますよイナリちゃんは。


 この間お風呂掃除当番をさぼった時のイナリちゃんは、そりゃあもう怖かったです。うう。

 5分置きに殺気を飛ばしてくるのは止めて欲しかったです。ちょっと私のリアクションを楽しんでいませんか?

 目覚まし時計のスヌーズ機能じゃないんですから。


 そうやって談笑している最中、再び階段の軋むような音が響きました。

 ちらりと音のする方へと視線を向ければ、どこか申し訳なさそうに眉をひそめた少年——恵那斗がこちらへと姿を覗かせていました。


「恵那斗、落ち着いた?」

「ええ……琴。軽く事情を説明してもらえるかしら」

「ん。お兄ちゃんのこと?」

「お兄ちゃん……?あ、ええ。そうね、琴男のことよ」


 ナチュラルに“お兄ちゃん”呼びしちゃっていましたが、これも大概変な話でしたね!琴男含めた全員が微妙な表情をしています。

 えーっと、とりあえず何から話しましょうか。


 取っ掛かりに困りますね。


 話題の切り出し方について悩んでいた時でした。

 話に割り入ってきたのは、パパです。


「琴きゅんよォ」

「ん。パパ、どうしました?」


 ちなみにこの時点でお兄ちゃんが「パパ……?」と目を丸くしていました。言動の一つ一つで皆を混乱に貶める琴ちゃんです。悪いか。

 

 まあそんなお兄ちゃんはスルーして、ですね。

 パパは話題の取っ掛かりを作ってくれました。


「俺からすればよォ、琴きゅんがビール缶1つでどうやって琴男の存在に気付いたのか気になってんだ」

「あー……」

「さすがに全部見透かしてるみたいで怖かったわ」


 ちらりと周りに目配せしてみれば、恵那斗もイナリちゃんも「うんうん」と頷いていました。

 ……そんなに恐ろしいことしていましたか?私。


 あ、でもついでに私もお兄ちゃんに聞きたかったんですよね。


「お兄ちゃん、ビール缶っていつ出したの」

「ん?ああ。こうやって、ほら」


 そう話を切り出したかと思うと、琴男は何食わぬ顔で机の上に“アイテムボックス”を発動させました。

 魔石を使用していないにもかかわらず、魔法を発動させるという非現実的な現象にイナリちゃんは驚いた様子で身を乗り出します。


 それから、机の上に置いていた鉛筆をポイッと“アイテムボックス”に投げ入れました。何しれっと入れてるんですか。


「ふむ、琴男君や。魔石は使っていないよのぅ?」

「ああ。これがな、俺がこの世界に存在する“魔王の力”ってやつの断片だ」

「……どういう理屈で、ダンジョン外で魔法を使えるのじゃ……?」


 なるほど。お兄ちゃんはダンジョン外であるにもかかわらず、魔石を使用せずに“アイテムボックス”を発現させていました。

 とても興味深い話ですね!


 魔石を使わずに魔法を発動させることなんて可能なのでしょうか!驚きよりも好奇心が込み上げてきます。


「……ほら。琴が興味を持ち始めたぞ。餌をやるよ」

「えっ、何?」


 餌って何のことでしょうか。

 話の意味を理解しあぐねていましたが、お兄ちゃんは気にせず話を続けました。


「俺がダンジョン外で魔石なしで、1日に“アイテムボックス”を発動させることができるのは、3~4回が限界だ」

「ん?あ……あーーーー!!!!なるほど!!そういうことか!!常に魔石を体内に取り込んだような状況ってことなんだ!!で、お兄ちゃんの言っていた魔王の力を制御できてるっていう話は、そのMPがちょっとしか使えないって話と関係しているんだね!?」

「……な?」


 琴男は「これが証明だよ」と言わんばかりに目配せしてきました。

 

 なるほど!その情報を聞いてなんとなく理解できてきましたよ!

 そう言えば琴男は「魔王は力を蓄えている」とか言っていましたね。それが数字として反映されるのがMPですね。

 ですが、さっき琴男の言った「“アイテムボックス”を発動させるのは1日に3~4回が限度」という情報から、一日に使えるMP量はごくわずかであることが推測できます。

 ……いや、私達がおかしいだけですよ?普通はぽんぽんと“アイテムボックス”を発動させることは出来ません。


 MPがちょっとしか蓄えられていないということは、ダンジョン外に反映されるステータス量も大したことではないということです。

 で、ですよ。


 駅で電車を待っている時に話してくれた「魔王の力が抑えられている」という話に繋がってきます。

 反映されるステータスがダンジョン外と大幅に違う時点で、ほとんど感覚的に理解は出来るものですよね!


 つまり、ダンジョン外においても琴男の身体へとMPが100%満たされるようになった状態。そうなった時に、魔王の力が解き放たれるということでしょうね!

 なるほどなるほど、琴ちゃんはすっきりしました。


 

 で、そこでですよ。琴男が魔王の力を解放させないようにする対策としては、「レベルを上げてMP総量を増やし続ける」という選択肢を取るしか無いんですよ。

 蓄えられ続けるMPに対し、MP総量を増やして、いたちごっこを続けるのが最適という訳です。

 ダンジョンに篭もり続けた、という行動にもきちんと理由を示せますね。ふむふむ。

 

 そう言えば、少し前に「レベルアップ研修で使う予定だった会場のうち1つから魔物が減っていた」という情報がありましたね。少し雑談で触れただけの内容ですが。

 まさかとは思いますがっ。


「ねえ、お兄ちゃん。もしかして、レベルアップ研修会場をさ。狩場にしたりした?」

「……ほら、見ろよ。これが琴の度を越えた理解力な」


 答え合わせの代わりに、お兄ちゃんは私を指差して周りを見渡しました。人を指差すなダメお兄ちゃん。


 なんですか。

 なんですか?


 お兄ちゃんがまるで「これが私の最高傑作だ」みたいな表情をしています。悪の科学者か何かですか?

 いや、魔王だからまあ、悪者ではあるんですけど。


「俺お前のこと、余計理解できなくなったわ……」


 とかパパは言ってたんですけど。解決してるんですか?これ解決してるんですか?

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