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第149話 田中 琴男の戸籍

「お前と話すの疲れた……」

「さすがに失礼だよお兄ちゃん」


 琴男はついにげんなりとした表情で音を上げました。どうして自分自身にさえこんなことを言われなければいけないのでしょう。琴ちゃんは納得がいきません。

 

 しばらく間を置いてから、お兄ちゃんは「ふう」と息を整えました。

 それからじっと私の眼を見てきます。


「やっぱりな、俺とお前はもはや別人だよ」

「えっ、いきなり何?」


 呼吸を整えたかと思うと、ストレートに失礼なことを言ってきました。

 正直私としては不服なのですが、一応お兄ちゃんの話も聞いてみましょうか。


 真面目な顔を作っているので、さすがに空気は読みますよ。一応。

 

「あの“女性化の呪い”の1件以降、俺達は異なる環境に置かれちまったからな。俺は最盛期の肉体を取り戻し、お前は女性として生きることになった」

「……まあ、それはそうだね」

「もう何回も話したと思うが……俺は“周りがお前をどう捉えるか、で成立する”と考えてる」

「……それで」

「お前はもう、紛れもなく女性だよ」

「……」


 うーん。

 痛いところを突いてきますね。否定する余地すら与えません。

 確かに私は,”女性化の呪い”に掛かってから、皆から田中 琴という1人の女の子として扱われるようになりました。

 

 当初こそ、いきなり変化した環境にもみくちゃにされていましたが……ここ最近は、むしろそれを受け入れて楽しむようになりましたね。

 

 一時期は「女の子という認識を受け入れるのは嫌だ」と思っていましたが……最近は、自分が田中 琴であることになんの違和感もありません。

 それが良いことなのか、悪いことなのかは分かりませんが。


 挙句、目の前に現れたのは正真正銘の田中 琴男としての自我を持った本人です。

 魔王の力によって存在しているとはいえ、こうやって受け答えしているのは紛れもなく過去の私です。


 過去の私と今の私。

 果たして、誰が同一人物だと認識できるんでしょうね。


 こうして目の前の彼と比較しても……本当に、別人のようです。


 

 どう言葉を返すべきか迷っている最中でした。

 琴男は店内に配置された時計に視線を送ったかと思うと、それから「琴」と呼び掛けてきました。


「さすがに長居しすぎた。そろそろ会計するか」

「あっ、うん」


 ちらりとスマホに視線を落とせば、どうやら1時間ほどカフェに留まっていたようでした。

 さすがに長居しては店員さんに悪いですね。


 私は肩下げのバッグと会計の札を手に取ります。

 その様子を見ていたお兄ちゃんは、慌てた様子で声をかけてきました。


「あっ、琴。俺がお金払うからな」

「……」


 男性としての変な意地があるのかもしれませんが、唐突にそんなことを言ってきました。ポケットからしわくちゃの1000円札が見えました。財布も持ってないんですよねお兄ちゃん。

 ですがこのお兄ちゃん。忘れていませんか?


「お兄ちゃん」

「あ?」

「そのお金、パパから貰ったやつだよね」

「……」

「お金はどれくらい残ってるの?」

「……2000円くらい」

「ここでお金出したら電車乗れなくなるよ?」


 そうバッサリと現実を突きつけると、お兄ちゃんは表情が硬くなり、口ごもってしまいました。

 人の金で奢るとか言わないで下さいよ。カッコ悪いです。


 しばらく間を置いてから、琴男は申し訳なさそうに頭を下げました。

 

「……すまん。奢ってくれ」

「よろしい」


 うーん、お兄ちゃんに優位を取っても全然嬉しくないですね。

 なんだか琴ちゃんは楽しくありません。


 ニートのお兄ちゃんを持ったような気分です。私にヒモを養う経済力はありません。

 え?恵那斗の前で言えた立場かって?

 下には下が居るってことですよっ。私は琴男を見下すことで心の平静を保っているんです、悪いかっ。


 だから、あのっ。

 駄目兄妹とか言わないでくださいね?


 ----


 という訳で、会計は私がしました。

 店員さんが複雑そうな顔を浮かべていたのが印象的でした。傍から見たら、ヒモの彼氏かお兄ちゃんを連れた不憫な女の子にでも見えたでしょうか。

 

 嬉しくないとは言いましたが、やっぱり愉悦感はありました。掌返しが早すぎますかね。


 そんな琴男は、どこかばつが悪そうに遠くに離れていました。本当にしょうもないプライドしか残ってないですねこのお兄ちゃんは。


 重要な情報も色々得られましたが、なんだかそれ以上に余計な情報も受け取ったので疲れました。


 ……で、ですよ。


「お兄ちゃんはこれからどうするの?」


 そうなんです、琴男のこれからについて考えないといけないんですよね。

 元々は同一の存在ですから、さすがに野宿させるのはダメです。嫌ですよ自分の肉体がホームレス生活しているの。お兄ちゃんにそんなことさせられません。

 

 かといって、イナリちゃんの家で過ごしてもらうのは、何となく気が引けますね。

 色々な案が浮かんでは消え、どうしたものかと顎に手を当てて物思いに耽っている時でした。


「あ、俺。三上のとこで世話になる予定」

「あっパパのとこ?」

「パパ……?は?」


 あっ、お兄ちゃんが怪訝な顔して眉をひそめてしまいました。そこも分かってないんかい。

 まあ確かに琴男としては複雑ですよね。かつての犬猿の仲である三上さんのことをパパ呼ばわりしてるって。


 ですがなるほど。まあ、それなら納得です。

 パパにはダンジョン攻略から離れる代わりに、琴男を押し付けてしまいましょう。

 相も変わらず面倒な仕事ばかり押し付けてしまってごめんなさい、パパ。今度から備品は壊さないように気をつけます。



 ----


 一応、お兄ちゃんから話を確認したところですね。

 どうやら、本来であればパパが今日は迎えに来る予定だったそうです。

 

 ですが今日は私がパパに無茶言って、代わりに琴男へと会いに来ました。なのでパパにはイナリちゃんの家で待機してもらっています。


 という訳で、早いところ電車に乗って家に帰りましょう。

 お兄ちゃんの素性についてもある程度理解したので、今日はここでお開きです。また少しずつ話を聞いていくとしましょうか。

 焦っても良いことありません。


 現在、私達は駅のホームへと到着し、電車を待っているところです。

 ちらりと隣に視線を送れば、駅の購買で買ったのでしょうか。おにぎりをもそもそと食べている琴男が居ました。

 まあパパのお金だから別に良いですけど、電車賃を計算に加えたら結構ギリギリですよ?

 

 さすがの私も、お兄ちゃんの電車賃まで負担するつもりはありません。


 あ、そうだ。

 電車へ乗る前にこれだけは確認しておかないといけませんね。

 

「お兄ちゃん」

「ん?」

「魔王の力って分かるの?」

「んー、なんとなくな。今のとこは抑えられてる」

「ふーん」


 お兄ちゃんは胸元に手を添えて、そう言いました。

 それを聞いて一安心ですね。


 本人がそう言うのであれば、現状は様子見で良さそうです。いきなり電車の中で魔王の力どーん!とかされたらテロですから。


 ですがしばらく間を置いてから、お兄ちゃんは不安そうにぽつりと呟きました。


「……やっぱ、俺さ。迷惑掛からねえようにどっか遠くの無人島にでも潜んでおいた方が良いか?」

「それ、本気で言ってるなら蹴るよ」

「すまん」


 ちょっと。

 いきなり何を抜かしやがるんでしょうね。このお兄ちゃんは。

 や、まあ気持ちは分かりますよ。元私なので。


 自分の存在が他人の迷惑になりたくないから、どこか遠くでひっそりと消えてしまいたいってことですよね。分かる分かる。

 私がソロ冒険者の道を選んだのだって、そういう理由からですし。


 

 自分の存在そのもので他人に影響を与えたくないんですよ。当時の恵那から逃げていたのだって、そういう理由からです。

 「俺と一緒にいる方がこいつにとって不幸になる」って本気で思っていました。

 

 だからあえて攻略済みの、人気のないダンジョンに籠ったりして逃げたりしてたんですけどね。

 どこに行っても恵那は姿を現すんですよ。軽くホラーでした。

 

 当時の私は「あら、奇遇ね」の定型文に怯えていました。メリーさんか何かですか?

 

 最近パパから教えてもらったんですけど、当時の恵那はそのルックスを悪用して色んな冒険者から琴男の行方を探っていたみたいです。反則だと思うんですよ、それ。


 今になって思えば、“男性化の呪い”に掛かった後に私がいる研修会場に訪れた時も、女の子をナンパして電車賃を手に入れていましたね!いつか刺されるのでやめてください。

 魔物よりも魔物していると思います。


 や、まあ恵那斗が浮気でもしようものなら私が刺しますけどね。えへへ。



 ……と、まあそんな話はどうでも良いですよね。

 問題は琴男ですよ。


 何を野生に帰ろうとしているんですか。

 確かに魔王城と言えば、遠く海を挟んだ僻地に佇むイメージがありますが!

 「あの海の奥にはな、それはそれは恐ろしい魔王が住んでいると言われている……」の再現だって出来ますが。


 正直、それより先に琴男の調査を優先して欲しいと思っています。

 優秀な冒険者の多いところで管理してもらった方が、対処が容易となりますから。


「とりあえずお兄ちゃんは保護してもらった方が良いよ。戸籍あげるから」

「戸籍をそんなおかずの交換みたいに言うなよ……」

「や、琴男が出て来ちゃった以上、私が戻れないの確定しちゃったし」


 私は「行方不明」として扱われている田中 琴男の戸籍をまだ残しています。法律上、7年間行方不明であった場合は事実上の死亡として扱う、という話なのですが……一応残していたんですよね。

 恵那斗は女性時の戸籍捨てちゃったみたいですけど。イナリちゃんは……そもそも戸籍が……うん。ペットです。


 もしかしたら田中 琴男の肉体に戻ることが出来るかも、と淡い期待を抱いて残してたんです。


 ですがまさかの田中 琴男が、魔王とか言う訳の分からない存在によって復活するとか思わないじゃないですか。

 おかげで私は田中 琴男として生きることが出来なくなりました。


 ショック……うーん、ショックとかは案外ないですね。

 お兄ちゃんの言う通り、いつの間にか私は「田中 琴」として生きることを受け入れることが出来ていたみたいです。

 

 ただ元の戸籍を渡す以上、ロクなことになられたら困るんですよ!

 戸籍なら渡すんで、ちゃんと問題と向き合ってください。

 逃げんな田中 琴男。


「……どうすりゃ良いんだろうな、俺」

「私が手伝うからさ、とりあえず逃げようとするのやめよう?」

「あー……いつの間にか立派になったな、なあ妹」

「妹じゃないけど」


 だって、過去の自分がこんなうじうじしてるのに無視できる訳ないじゃないですか。

 ……せめて葛藤する時間くらいくださいよ、もーっ!


 ロクでもないお兄ちゃんのお手伝いをする羽目になってしまいました。私も大概面倒な事態に巻き込まれていますね。うーん。

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