第146話 ビール缶
「のぅ、琴ちゃんや。どうしたんじゃ、あれだけ飲みたかったお酒だったんじゃろ?」
「……すみません、ちょっと考え事してて」
「ぬぅ……」
イナリちゃんは急に変わった私の態度が気になるのか、懸命に何度も話しかけてくれています。
ですが、ごめんなさい。少しだけ考えごとに浸らせてほしいんです。
現状としては、三上パパに連れられて再びホテルへと戻ったところです。
私はベッドに寝転がった後、物思いに耽るように天井を仰いでいました。
……さすがに、今回は茶々を入れられないですね。
「……ビール缶……」
三上パパが私へと差し出してきたビール缶。
それは待ちに待った、念願のビール缶だったはずなんです。
ですが、「何の脈絡も無しにビール缶を差し出す」ということ自体が、まず違和感でした。
散々私から遠ざけられたお酒を、何の意味も無しに手渡すでしょうか。
……まあ、パパは多少甘いところがありますから。少しくらいは、可能性として考慮しても良いでしょうけどね。
そして選んできたビール缶は、私が男性時代からよく愛用していた銘柄でした。
ビール缶を買うならこれ!と決めていたところはありました。一種の拘りみたいなものですかね。
ここまでの情報だけなら「気まぐれ・偶然」という話で済ませることが出来たんですよ。
それを偶然ではなくしたのが、パパの態度です。
どうにも、私の反応を探っているように見えました。
……何か、意味を持っているような渡し方だったんですよ。
このビール缶を渡すこと自体に意味を見出している。ただ娘(?)に対するプレゼントとしてではなく、実験対象として見られているような気分でした。
妙な予感のする話ですね。
私はふと思い立ったので、ベッドから起き上がってカバンから魔石を取り出しました。
スライムから獲得した、安価な方の魔石です。市場価格で1,000円前後です。
そこまでMPをごっそりと使用する訳ではないので、これくらいで十分です。
そんな私の行動を見ていたイナリちゃんは、ウェーブを描くように尻尾を揺らしながら話しかけてきました。様子を伺う猫に見えないこともありません。
どこかその表情は、不安げに硬く強張っています。
「ぬぅ、琴ちゃん。先ほどからどうしたのかの」
「少し気になることがあって」
「ふむ……何か力になれることはなるかの……」
「ううん、大丈夫。ありがとう、イナリちゃん」
「ぬぅ……」
私はイナリちゃんに言葉を返した後、ベッドに改めて腰掛けました。
それから、魔石を体内へと取り込む意思表示を行います。
元々スライムサイズの小さな魔石ですので、私が軽く握ると共に瞬く間に魔石は解けるように消えていきました。私の身体の中に魔素が取り込まれた証拠です。
と言っても、発動させる魔法は決まっています。
「……さて、出てくるかな」
常用している魔法である“アイテムボックス”を発動させます。眼前に直径30㎝ほどの真っ暗な亜空間が出現しました。
とりあえず意図したものが出てくるかどうかの確認を行います。
以前、軽く触れた話なんですけど“アイテムボックス”の中に残っていたビール缶というのは、1つしか見つからなかったんですよ。
どれだけ粗探ししても、出てきたのはその1つだけ。なんとなく飲む気になれなくて、ずっと大事に残していたんですけど。
排出機能を用いて、意図的に“アイテムボックス”からビール缶を取り出そうとしてみます。
……ですが。
「やっぱり……出てこない、か」
どれだけ待てど暮らせど、ビール缶は出て来ませんでした。
なるほど。
……少し、核心に近づいた気がします。
普段は意識することのない話なんですけど、“アイテムボックス”を含めた魔法というのは、識別が可能なんですよ。
あ、“琴ちゃんキャノン”とかの話をしてるんじゃなくって。個性の塊ですけどね、あれ。
どっちかというと、指紋という考え方です。個別IDみたいな感じです。
なので魔法犯罪が起きた際、警察の方は“鑑定魔法”を用いて魔法使用者の特定を図ったりしていますね。別に“鑑定魔法”を使ったからと言って、望む情報全てがばーっと出る訳ではありませんが。スマホじゃあるまいし。
それでも個人の特定に至るには重要な情報となるので、重宝されている魔法だったりします。プロも魔法を使う時代です。
なので、“アイテムボックス”にもいわゆる“識別番号”的なものは存在しています。
というよりも、知らない人の“アイテムボックス”にリンクする方が怖いですし。私の“アイテムボックス”の中身とか、他の人には見せられません。
そんな私の“アイテムボックス”から、私が残していたはずのビール缶が出てこなかったんですよ。
1つしか残っていなかったので、大事にしていたはずなんですけどね。
ということは、私の“アイテムボックス”から、“同じ識別番号を持った誰か”がビール缶を取り出した、ということになります。
なんかムカついてきたな。返せビール缶。
やっぱパパから貰っておけば良かった。
連想されるのは、出張前の車内で見た夢の話です。
メタトロンの双子の妹であるサンダルフォン——下駄ちゃんは、夢の中で田中 琴男のことに関して、こう言っていました。あれ?下駄って逆かな?まあいいか。
——まあ、彼の身体が取り込まれて、ダンジョンそのものと融合したから——。
と。まあ、それ以降の話は聞くことが出来ませんでしたが。
え?理由ですか?
琴ちゃんは知りません。私が殻の世界を軽く壊しちゃって、下駄ちゃんが焦ってしまったからとか分かりません。
つまりですよ。
“女性化の呪い”によって、私の魂はメタトロンへと移行した。
脳に保存されている記憶情報とか、どういう原理で移行したんだという疑問は残っていますが。変なところだけファンタジーですね。
ですが、その代わりに抜け殻となった“田中 琴男”の身体は残っていたはずです。
魂はどうあれ、本来の身体は向こうです。
ダンジョンに取り込まれた身体が、何らかの原理によって動き出したとしたら。
脳内を様々な情報がスパークして、駆け巡ります。
人間を取り込むダンジョン。
恐らく人間の記憶を用いたであろう特殊個体。
先輩をも巻き込んだダンジョンの崩落。
“異性化の呪い”。
——魔王は、ダンジョンを介して生命を喰らっている。力を蓄えて、やがてお前達の世界を狙いに来るだろう。
「……ダンジョン。生命を喰らう……魔王」
なるほど。
そこに繋がってくるんですね。
ブツブツと思考の海に耽っている最中でした。
「ぬ?琴ちゃんや、“アイテムボックス”の中から何か落ちたぞ」
「ん?あっ、ホントですね」
「全く……少しくらいは脳を休めることも大事じゃぞ。お主は考えすぎるところがあるからのぅ」
「う、気を付けます……」
イナリちゃんにやんわりと諭されてしまいました。
まあ、ビール缶だけを証拠とするのは早いですよね。
なんだか色々と情報を手に入れてそうなパパから、こってりと絞ろうと思います。
……っと、何か“アイテムボックス”の中から落ちてきたんでしたね。
私が足元に視線を落とすと、そこには4つ折りにされた紙が入っていました。
(……こんなもの、入れましたかね)
そう思いながらも、何の気も無しに4つ折りの紙を拾い上げました。それから、何が書いているか確かめてみます。
すると、きったねぇ字でこう書き記されていました。
[ビール缶は頂いていく。 田中 琴男]
……。
……。
……。
あいつ蹴り上げて良いですか。
もう一度琴ちゃんキックしないといけないようですね。
とりあえず琴男の書き置きの紙は、握りしめて紙くずにします。
証拠が向こうからやって来てくれました。
秒で憶測ではなくなりました。おい。おい琴男。
「……はあ」
田中 琴男は、この世界に再び姿を現した。
つまり、そういうことですね。
で、パパと顔を合わせたのでしょう。
そこで私の“アイテムボックス”から勝手にビール缶を取り出したんですね。
なんだか言語化すると腹が立ってきました。
あいつ、勝手に人の酒を奪い取りやがった。
人の?人の……まあ、大事に管理していたのは私です。
さすがに許せません。
「の、のぅ……琴ちゃん。なんで怖い顔をしているんじゃ」
「イナリちゃん、私パパの部屋に行ってくる」
ちょっと我慢なりません。
少しだけパパを問い詰めてきます。
イナリちゃんは止めるべきか、見守るべきかそわそわと視線を左右させています。
私、そんなに怖い顔をしていたのでしょうか。
ちらりとイナリちゃんに視線を落とすと、彼女は泣きそうな顔を作りました。
「ひゃ」
……と、女の子らしい悲鳴がイナリちゃんの声帯から漏れました。相も変わらず嗜虐心を唆すような動きです。
それから怯えるように、びくっと縮こまってしまいました。尻尾がぴんと張って、強張っています。
「ごめん」
「ぬ、ぬぅ……」
それだけ告げると共に、私は部屋を後にしました。
と言ってもパパの部屋はすぐ隣ですので、移動距離としては大したことはありません。
私は男性陣(?)の部屋を軽くノックしました。
すると、それほど時間を待たずして恵那斗がひょこっと顔を覗かせます。相変わらず端正な顔立ちですね。
「恵那斗」
「あら、琴。どうし……なんだか怖い顔してるわよ」
「パパ起きてる?」
「起きてるわ……ってちょっと!?」
恵那斗からその返事を聞いた瞬間に、彼を押しのけて部屋に入りました。
状況が状況なので一旦、目を瞑ってください。
廊下を進むと、そこではだらしなく寝そべっているパパが居ました。お腹が出ていますね。
ですが私の姿を見た瞬間、パパはびくりと身体を硬直させました。
「パパ」
「……あー……」
私がそう呼びかけると、パパはどこかばつが悪そうにこちらに視線を送りました。
それから、悪いことをしたかのように視線を左右させています。
そうですよね。
まともに目線なんて合わせられないですよね?
ですけど、逃がしはしませんよ?
琴ちゃんは執念深いんです。えへん。
「ねーっ、パパ。ちょっとお話ししましょうか」
「……あー、俺疲れてるんだ。明日で良いか?」
「へーっ、ダンジョンに入った訳でもないのに疲れているんですね。何してきたんでしょうねーーーーっ?」
「あー……すまん。恵那斗君、留守番頼んだ」
うん、素直でよろしい。
パパはみっともなく背中を丸めながら、私に付いてきてくれました。まるで刑務官に連れられる囚人みたいです。
私、そんなに怖い顔してるんですかね。
「……」
恵那斗は神妙な表情で、何も言わずに私を見送りました。
……うーん、あんまり相手を委縮させるのは良くないですね。
出来るだけ、ここは穏やかな表情を作るとしましょう。
という訳で、ホテルの通路へと出た私は笑顔を作りました。
……何故か、パパの頬がびくっと強張りましたが。
「パパー。ねえ、なんで隠し事するんですか?」
「……すまん」
「謝罪じゃなくて、私は理由を聞きたいんですよ。ねぇ?」
「……あー……」
パパがしどろもどろしちゃいました。
見た目で言えば娘のような年齢差なのに、強く出られないのは情けないですね。
仕方がありません。
私が話を先導していきましょう。
「……出会ったんですね?田中 琴男と」
早々に核心を突くと、パパは驚いたように目を丸くしました。
うん、やっぱり予想通りですね。
「……なんで、それがわかっ……」
「私を馬鹿にしちゃダメってことですよ。どうやら琴男に試されたみたいですし」
「……お前よォ、全部見てたのかってくらい見抜きやがんなァ……」
「大体、こういうのは状況からのパズルですから。それで、ですね」
まあ、こういうのはパパに詰めても仕方のない話ですね。
ちょっとだけ、本題へと切り込んでいきましょう。
全ての歯車が、巧妙に噛み合っていきますね。
現在、私が宿っている身体——メタトロンは、どうやら殺されたらしいです。
あの口振りから察するに、魔王にでも殺されたのでしょうか。
だとしたら、他人事としては扱うことのできない話です。
「また、田中 琴男と会わせてくださいよ」




